札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年11月8日火曜日

大学教授のように小説を読む

『大学教授のように小説を読む方法』(トーマス・C・フォスター著、白水社、2009年)を読んでみた。

プロの読者と一般大衆を分ける3つのアイテムは、「記憶」、「シンボル」、「パターン」、だそうだ。
新しい作品を読むとき、記憶を手繰って類似点や予測される結末を探す。象徴性に焦点を当てて考える。ほとんどの文学研究者は、表面に現れたディテールを読みながらディテールが示すパターンをみている。

雨を例にとってみよう。大量の水は、私たちの存在の根源に訴えかける力を持っている。降って来る雨は清らかなのに、地面に落ちた途端に泥んこのぬかるみをつくる。再生させる雨もある。季節によって意味が変わる。雨は太陽と出会って虹をつくる(虹は平和の象徴)。これが霧になると混乱や困惑の合図となる。

もしひとつの意味しかないのであれば、それは象徴性ではなく寓話だそうだ。寓話とは、AイコールBの置き換えで、あるものに別のものを指示させる技法である。ジョージ・オーウェルの『動物農場』は寓話である。革命は確実に失敗するという、ただ一つのメッセージを伝えようとした。寓話は変則を扱わない。一方、象徴はそんなに整然としたものではない。ヘミングウェイの『老人と海』はキリストを扱った寓話と読めるそうだ。

飛ぶことは自由を意味する。セックスを映像化できない時代には、波打ち際を写し、誰かさんがいい思いをしたことを表現した。

また英米文学を読むのに、ギリシヤ・ローマ神話、聖書、シェクスピアの知識は欠かせない。
この世に存在するあらゆる物語は、それ以前に存在した物語の上に成り立っている。

大学教授のように小説を読むには、結局過去の名作をたくさん読んで、記憶を辿りながら、パターンを分析し、どのようなシンボルが隠されているかを探るということになるのだろう。何事にも近道はないようだ。(山本和利)