札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年4月22日日曜日

ニポポ研修終了授与式

4月21日、札幌市かでる27でこの3月で研修を終了された3名の方のニポポ研修終了授与式が行われた。山本和利の祝辞の後、修了書授与、記念品贈呈が行われた。修了者3名より挨拶をいただき、記念写真撮影を行った。おめでとうございます。

休憩後、ニポポ研修修了者から研修報告がなされた。

ある研修修了者。5年間(産休・育休が2回)の研修を振り返って。前歴を紹介。臨床に戻りたい。田舎で仕事をしたい。1年目。EBM,NBM,患者中心の医療、臨床倫理4分割、生物心理社会モデルなど目新しい、みたことがない世界であった。大腸癌末期に高齢男性の治療選択について悩んだ。患者・家族との深く関わることができた最初の症例である。内科でのcommon diseaseのマネジメント。病院でのプライマリケアの世界に触れることができた。里帰り出産後、中都市病院で多科研修をした。各科の医師に暖かく見守られながら研修を修了した。その後、夫の勤務地に近い田舎の診療所へ。脳出血後遺症で往診となっていた高齢男性に、職員を巻き込んで臨床倫理4分割を行った。HBの通院する中年女性。心気傾向で精神科受診を希望。過去に大変なイベントを経験していて、そのことを職員は知っているのに、医師のみが知らないということに愕然とする。1年間経って家族・親戚関係が少し見えるようになった。患者としてではなく、人間として見るようになった。スタンダードな医療の提供が最善ではない。個々人の人生観・価値観は違う。

小児でのcommon diseaseへの対応、予防接種、健診を経験。プライマリケアについて肌で感じることができた。苦労も多いが、飽きることがない。自分にとって人生勉強にある。

コメント:女性医師としてのハンディが、逆に人間として豊かにしている。現場で感じ取る感性がある。そこにゆくと泉がある。

ある研修修了者。自己紹介。周りに認められることがうれしかった。ビックサイトで『ニポポ』に出会う。4月にまだ雪の残る北海道にビックリ。夏は虫が怖かった。ニポポ研修1年目で内科の基礎を学んだ。1年間の三水会で振り返った症例を提示。



2年目、総合内科として二人で飛び込んだ。医師としての自覚が目覚めた。一方で自己流になっていないか不安もあった。この間の三水会で振り返った症例を提示。教育の面白さ目覚める。市民向けの講演会。小児科で母親との関わりの難しさ。



3年目、一番の高齢化、過疎地。医者だけはいる。この間の三水会で振り返った症例を提示。説明(IC)の難しさ。専門家に送っていた患者にも、治療が必要であった。訪問診療で、地域の高齢者独居や老々介護の実態を知る。



この仕事が気にいっている。北海道に来てよかったと思っている。研修後、たくさんの施設から声をかけられた。しばらく北海道で働きます。



ある研修修了者。必要とされるところで研修したいと思った。地域医療の魅力は「ちょっとしたこと」の積み重ねである。一方で、地域での難しさもある(患者・家族の現実がリアルに迫って来る)。

1年目、common diseaseからICU管理重症患者まで幅広い症例を経験できた。初期研修から一段のステップアップができた。80歳代女性が浮腫で受診。食事が取れない。循環器科で心臓は問題ないと言われた。実は腹部にマスがあり、入院数週後に亡くなった。専門分化しすぎた医療の問題点を痛感した。

2年目、急性期病院という役割だけではすまない地域の中核病院の性格を実感した。

3年目。地域での患者さんや家族との関わりを中心に、文字通りプライマリケアを経験できた。指導医・人に恵まれた。

「医師として居ないよりは居た方がよい存在になったかな」と思えるようになった。



これまでお世話になった施設の参加者から、成長を祝うコメントが多数寄せられた。指導医と一緒に患者さんのことについて困ることができた。



席を移して祝賀会が和気藹々とした雰囲気の中行われた。テーブルスピーチ、ビデオレターから、終了生たちの患者に慕われている姿が浮かんでくる。最後、森利光札幌徳洲会院長の万歳三唱でお開きとなった。(山本和利)

ニポポ6期生研修発表会




4月21日、札幌市かでる27で北海道プライマリ・ケアネットワークの理事会、定期総会が行われた。会員数は法人26、個人3である。

総会に引き続いて、6期生の研修発表会が行われた。松浦武志助教が司会進行。

研修医から振り返り3題。

ある研修医。1年間の振り返り。週2回、総合内科外来。胃腸炎、上気道感染。生活習慣病。腹部大動脈解離、顔面神経麻痺の患者が印象的であった。整形外科外来を担当。関節内注射を積極的に行った。OA,捻挫等。

手技:上部消化管内視鏡、下部消化管内視鏡。貧血、便潜血陽性患者に対応できる自信がついた。吐血患者の止血をするまでには至っていない。病棟では悪性腫瘍、感染症、common diseasesを受け持った。

小児科では、気管支肺炎、喘息、胃腸炎を主に受け持ち、それらへの対処に自信がついた。

手を尽くしても治療が奏功せず亡くなられた患者さん(前回行った振り返り)を提示。

ある研修医。子どもから高齢者まで、男性、女性を家庭医療に軸足をおいて研修しようと思った。幅広い診療能力。地域の行政との連携。医療に留まらず幅広く様々な分野を勉強したいと思った。

プレゼンテーションの技法、抗菌薬の選択、EBMを重視した診察が大切と思った。呼吸器、消化器、循環器、内分泌、代謝等、様々な症例を経験した。救急分野の講習会に参加し、様々な資格を修得した。



高齢の原発性胆汁性肝硬変の女性。橋本病、ITPの既往。腹部膨隆、浮腫が著明。この患者をどうするか。在宅医療に移行できないか模索。家族の介護を受けて、家族の絆が強まった。退院後、しばらくして昏睡に陥った。なごやかに死を迎えた。入院から在宅診療、看取りまで関わることができ、意義深い症例であった。心の葛藤を振り返ってくれた。



ある研修医。2年間の初期研修が役に立っていないことを実感。当直月3回。外来は週に半日を2回。夜間呼ばれることは年に3回。病棟では1年間に104名を担当。肺炎、喘息、腸炎、肝硬変、電解質異常、糖尿病、髄膜炎、心不全、膠原病、貧血、脳梗塞、等を担当。看取り4名、転科・転院5名。

高齢男性である非胆癌患者の終末期医療について報告。ドパミンを使ったが、家族との関わりを増やせば、使用しないですんだかもしれないと反省した。



参加者から、疾患の診断に関する質問や指導医から思い出話などが出た。(山本和利)

2012年4月20日金曜日

医学史

1年生を対象に「医学史」という講義が4月12日から毎週1回のペースで行われている。

最初に、医学に入学した動機や将来の志望についてと総合診療、地域医療についてのアンケートに30分かけて記載してもらった。

その後、頻回の検査を求めて受診した頭痛患者、治療方針に医師と家族で齟齬が生じた進行がん患者例を提示して、考えてもらった。

総合診療、地域医療についてのアンケートでは、総合診療の必要性、特に地域医療の必要性だけでなく、従事したいという意見が多かった。

この後は松浦助教が、プレゼンテーションの仕方、ファシリテーションの仕方を講義する。その後、与えられたテーマを5人のグループで調べて発表する。(山本和利)

2012年4月15日日曜日

第109回日本内科学会総会・講演会

4月14日から京都市みやこめっせで開催された第109回日本内科学会総会・講演会術集会に参加した。

教育講演で,福井次矢氏の「診療ガイドラインの法的側面」を拝聴した。法曹界では医療ガイドラインは治療選択のひとつに過ぎないと捉えており、すべてそれに従わなければならないというような法例はないそうだ。ただし、医師には最新のガイドラインを知り、それを患者に説明する必要がある。そうしないと説明義務違反になる。ガイドラインに従わない治療を選択したときには、その背景・理由を診療録に記載する必要がある。

内科学の使命と挑戦というパネルディスカッションで、日野原重明氏が、日本の内科学の歴史を紐解きながら、内科医のゲートキーパーの役割、総合医の重要性を強調された。

井村裕夫氏は「内科学と臨床研究」。先制医療を強調。これは遺伝素因の強い病気について(アルツハイマー病、糖尿病等)発症前に個にアプローチする。ゲノムコホート研究、トランスレーショナル・リサーチ、臨床試験制度の再構築を強調された。

徳永進氏は「内科学と終末医療」。野の花診療所で一般診療と終末医療を実践している。私の尊敬する先生の一人である。
まず日野原氏の経験した「初めての死」(結核の女工さん)を報告した。日野原氏がその患者に「成仏しなさいよ」と言えなかったという後悔を取り上げた。誠意ある医師がそこに立っていたことが重要なのだと。
スライドが進んで、癌を告知する、しないは問題ではない、と。医療者が決めつけない、押し付けないこと。
「双方向性のもの二つで一つ」が今回のキーワードのようだ。キュアとケアも入り混じったもの。生き生きとした内科臨床が終末医療の中に存在する。身体は死の時まで休まない。精神的ケアと家族ケアを学びたい。ホメオスターシスという言葉を思い出す。3つのホメオスターシスがる(心と体と外)。反対語で生命現象は成り立つ。
徳永氏にとって尊敬する京都人を紹介された。日高敏隆氏(動物学者、人間の位置)、天野忠氏(古本屋、死の位置)、松田道雄氏(医者の位置、日常が大切、主婦が大事、自立した市民)、鶴見俊輔氏(正義の位置、学びの位置、正義を疑う)。
在宅医療とケアがもっともっと広がると述べられた。
徳永氏の宿題は「助けて~の声ある限り、臨床は枯渇しない」から「各種のホメオスターシスを造り直す」ことであると。終末期の「生活臨床」の大切さを見直す。(学術語と生活語の併存)ほどほどに生きる。長すぎる命に価値を置く今のか風潮を見直す。多幸感の生まれる鎮静薬。
「アンラーン(unlearn)の態度」を養い続ける。編んだものを解きほぐし学び直す。
この人の話はなぜこんなにスーと心に入って来るのだろう。ユーモアを交えた会話や笑顔を印象に残った。

宗教学者の山折哲雄氏は「医学と生老病死」というタイトルで講演された。『死にたい老人』という本を紹介。断食に失敗する話。もう一冊『大往生したければ医療にかかるな』を紹介。どちらも山折哲雄氏の言葉を引用しているようだ。西行の断食往生死にも触れ、現在の終末医療の在り方に問題提起をされた。
氏は20歳台で十二指腸潰瘍手術を受けたという。その後、壮年期に吐血、下血で1週間の絶食を余儀なくされた。そのときの5日目に地獄の飢餓感を覚えたが、その後生命力が盛り上がって来る体験をする。このような体験や研究結果から、高層は死を迎えると断食をしていると推測する。
「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」 という西行の句を紹介。20,30年前は人生50年であり、生と死が均等の死生観を誰もが持っていた。ところが、現在では長く生きる・生かすことだけが優先されている。現在の老人終末期の医療の在り方に、西行の断食往生を参考にしてほしいという言葉で講演を終わられた。

4月15日は、感染症の話を5題拝聴。医療環境が刻々と変化し、それに必死に対応しようとする医療者の姿勢が伝わってくる。

勉強しなければ。(山本和利)

2012年4月13日金曜日

SP憲章

4月13日、午前かけて山本和利が司会で学生にSP憲章を作成して貰った。

10の中から次の内容に決定した。



「人」の字は人間としての成長を
「言」の字は医療人としての知識を表し、
これら2つが結びついた「信」という字を掲げ、
仲間を信じ、2年間出会うすべての人と
信頼関係を築くことを誓います。

楽しくワークショップに参加できたという感想が多かった。
午後SP章授与式・写真撮影が予定されている。

SP憲章に恥じないよう周囲の方々と良好な信頼関係を構築して、実習に参加してほしい。(山本和利)

2012年4月9日月曜日

プロフェッショナリスム

4月9日から4月13日まで、5年生に対して臨床実習へ望むためのプロフェッショナリスム・医療安全のガイダンス・講義・WSが予定されている。

月曜日は山本和利がガイダンス、火曜日は東京医療センターの尾藤誠司氏にプロフェッショナリスムの講義・WSをいただく。水曜日は松浦武志助教が「医療倫理」WS,木曜日は武田真一助教が「プロフェッショナリスムが問われるとき」WS,金曜日の午前は山本和利が司会で学生にSP章を作成して貰い、午後SP章授与式・写真撮影が予定されている。(山本和利)

2012年4月4日水曜日

選択臨床実習

4月2日から6年生の選択臨床実習が始まった。第一クールは4月2日から27日までの4週間である。このクールで総合診療科を選択したのは1名。道南の病院で実習することになった。地域で様々な経験をすることを期待したい。(山本和利)

ベスト・ティーチャー賞

2011年度のベスト・ティーチャー賞を医学部1年生部門で松浦武志助教が受賞した。
本年度も頑張ろう!(山本和利)