札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年9月30日金曜日

金沢大学講義

9月29日、金沢大学総合診療部の講義を依頼され、4年生に「プライマリケアと家庭医療」の講義をした。当日、朝5時半に自宅出発。

正規の講義では、自己紹介をした後、これまで関わってきた事例を交えながら、医療のパラダイム変化、家庭医療学の歴史 、家庭医療学の基本原理(総合医・専門医を巡る勘違い、受療行動、コミュニケーション技能/医師・患者関係、癒しのプロセス、患者中心の臨床技法、予防と健康増進、家族と病気)等を話した。
本年の学生さんの反応は大変よく、そのためか私の方も熱の入った講義になった。感想を読むと好意的なものが多く、総合診療に対する理解が深まったという意見が少なからずあった。

終了後、総合診療部の研究室に場所を移し、大学院生の研究発表を聞き、それに対するフィードバックを行った。テーマは「医師に対する患者・住民の信頼評価」についてであり、400名からのアンケート結果を分析したものである。北大文学部と京大総合診療部の先行研究を土台にした多変量解析研究であり、レベルの高いものであった。

さらに正規の授業終了を待って、学生有志を募っての「北海道の医療の現状と総合診療」という講義を行った。正規の授業を聴講した4年生のうち、10数人が参加してくれた。昨年も参加してくれた医学部3年生の相馬麻由子さんと看護専攻の大久保咲貴さんが駆け付けてくれた。そして昨年の医学展で行った「地域医療ブース」の報告書を届けてくれた。私の紹介した地域視診や地域マップが盛り込まれており、私の話も引用されていた。カーラー印刷でうまく写真を取り込んだ立派な報告書である。

講義の後、「これからの地域医療はどうあるべきか」ということで学生さんたちと意見交換を行った。若者らしい情熱のある意見が多くだされた。地域医療に関わってみたいが、今の医師や住民の臓器専門医に寄せる信頼の大きさ(その裏返しである総合医を受診することの不安)から、簡単に自分たちから地域(総合診療・家庭医療)に飛び込めないという葛藤も感じ取れた。その通りであろう。行政による制度としての取り組みが必要である。今の若者は捨てたものではないというのが正直な感想である。若者から元気をもらった。彼らに夢を託したい。(山本和利)

2011年9月29日木曜日

大津波と原発

『大津波と原発』(内田樹、中沢新一、平川克美著、朝日新聞出版、2011年)を読んでみた。

東日本大震災1カ月後に行われた鼎談を出版したものである。「天災である津波と原発事故は全く異なる事象である」という共通認識から鼎談は出発する。

天災に対する対処法はわかっているが、原発事故に対する対応がわからない。日本の首脳部はそれに対して場当たり的なブリコラージュで対応していることを批判する。

命に関わる問題なのに経営効率が優先され、心ある科学者の提言が無視されてきたことを問題視している。

宗教学者の中沢氏は原発を神学問題ととらえて発言している。さらに原発反対を核とした「緑の党」を立ち上げたい、また首都機能が分散され、札幌、大阪、博多がこれから重要な場所になっていくと述べている。

来るべき未来モデルは、また復興の基本思想は、どうあるべきなのか。課題は多い。

災害後の発想として、「贈与」(ボランティアの発想)が重要になるということは三者とも一致した意見である。

長期的な視野で、日本全体を考える政策(医療はもちろん)が求められていることを痛感する。この本の著者たちが日本においては本流ではないこと(異端)が一番問題である、と感じるのは私だけであろうか。(山本和利)

2011年9月28日水曜日

ハーフ・ザ・スカイ

『ハーフ・ザ・スカイ』(ニコラス・D・クリストフ、シェリル・ウーダン著、英治出版、2010年)を読んでみた。女性の待遇改善を訴える本である。

冒頭、一人の少女の話が掲載されている。純真な少女が騙されて国外の売春宿に売られる。やっと逃げ出して警察に向かうが、不法移民として逮捕された。1年間の服役後、本国に送還されるはずが、警察官が人身売買業者へ譲り渡し売春宿に売り飛ばされた。その後、故国に帰って教育とマイクロローンを受けて自立して商売をしているという。

この後のページで、たくさんの女性が虐待されている例を提示している。そして、教育を受けて、逆境を越えようと闘う事例も示される。

妊婦の死亡がまだまだ多い。母体の死亡原因を求めると次の4つが挙がる。
1) 身体的要因
2) 学校教育の欠如
3) 農村部の医療体制の不備
4) 女性蔑視

毎年、中国では39,000人の女児が命を落としている。原因は親が女児に男児のようには医療を与えないからである。統計上多くの国で男女比に違いがあり、これは約1億700万人の女性が地球上から姿を消しているとアマルティア・センが指摘している。

この状況を変えるために、3つのプロジェクト、1)世界中の少女を教育する、2)貧困国にヨード塩を供給する世界的な取り組みに資金を拠出する、3)産科瘘を根絶する、を挙げている。

本書の主張を抜粋すると次のようになる。
「女性のエンパワーメントは教育から始まる。」
「女の子を教育するのは、一つの村全体を教育することなのだ」
「マイクロ・クレジットが女性の地位を向上させる」
「女性の政治参加が子どもの命を救う」
「女性のエンパワーメントは、経済的生産性の向上と乳児死亡率の低下に貢献する。また健康状態、栄養状態の改善にも貢献し、さらに次世代の教育機会を増大させる。」(山本和利)

2011年9月27日火曜日

現代文明論講義

『現代文明論講義』(佐伯啓思著、筑摩書房、2011年)を読んでみた。

マイケル・サンデル氏に刺激された訳ではないと断ってあるが、京都大学の学生に対して行った講義(対話)を出版したものであり、サンデルの講義に似た内容ではある。(はじめから出版することを計画している)。ニヒリズムに陥った風潮に抵抗したい、すなわち、考えてもしょうがないので世の中の流れを掴んでそれに乗るしかないという姿勢を改めたい、自分で考えるということを取り戻したい、と思って書かれた本である。

はじめにニヒリズムについての講義が掲載されている。ニヒリズムとは最高の諸価値(命を賭けても惜しくないもの)の崩落である。強者が弱者を支配する。そうなると弱者は当然面白くない。そこで弱者は強者に対してルサンチマンを持つ。弱者は武力では強者を倒せないので、徒党を組んで一つの正義を打ち立てている。近代社会の理想は、弱者のルサンチマンから生み出された。ニーチェはこのルサンチマンの概念をさらに拡大し、キリスト教も同様の原理によって成り立っているとした。人間が人間を支配するという状態を嫌ったため神というものを作り出した。神に対して人間は服従するようになる。そうすると人間は神に対してルサンチマンを常に持つ。神は絶対者なので殺して関係を逆転させることができない。そこで現生における人間の欲望を押さえつけ、来世において救われるという物語をつくる。そうはいっても、これは虚構であると薄々感じているので本当の意味で信ずることができない。結局、価値があると思われたものが虚構であると知り、価値を崩落させることになる。これを乗り越えられる「超人」をニーチェは想定した。徹底した価値崩壊後に「超人」が価値を定立できるとしたが、それも難しい。なるほど、「神が死んだ」とはこういうことだったんだと理解できるようになった。

第二講からは学生の討議が掲載されている。
「民主党政権はなぜ失敗したのか」事業仕分についての否定的な意見(成果主義であり、長期的視野に欠ける)、天下りの是非等が論じられている。二大政党制が有効ではないのではないか。実は、世界は二大政党制が主流ではない[米国、英国くらい]。日本には対立する階級も考え方もない。だから似たような政策しか出てこない。マニフェストは政治家のスケールを小さくするそうだ。不測の事態に対応できないから。民主党政治はマニフェストに縛られ過ぎている。政治主導という旗印の下、官僚との調整の場を失くしてしまった。民意という幻想。

「政治家の嘘は許されるか」民主主義と政治とはレベルを異にする。民主主義とは多様な価値観を集約する手続きである。公的な次元というのは体のいい嘘である。日本の憲法第9条は壮大な嘘である。民主主義はいいけれど、嘘をつかざるをえない。民主主義とは多数派による専制政治である(アレクシス・ド・トクヴィル)。民主主義がうまくゆくためには民主主義的でないような要素をうまく取り入れなければならない。

「尖閣諸島は自衛できるか」過去に日本人が住んでいて日本領土として登録させている尖閣諸島が無人島になった。1970年代に海底油田がありそうだという話になって、中国が自分の領土と主張し始めた。守るということには厄介な問題が付きまとう。

その他に、「なぜ人を殺してはいけないのか」「沈みゆくボートで誰が犠牲になるべきか」
「主権者はだれか」も討議されている。

最後に、ニヒリズムを乗り越えられるのか、それに向かって日本思想にその可能性があるのだろうか。

世の中の風潮をニヒリズムで説明しており、こんな考え方もあるのかという意味で、非常に参考になった。ニーチェの主張を理解する早道かもしれない。(山本和利)

2011年9月26日月曜日

指導医講習会

9月24、25日、第7回NPO北海道プライマリケアネットワーク指導医講習会にチーフタスクフォースとして参加した。当日、会場である札幌医大で7:00から打ち合わせ。受講者は14名。

まず山本和利の挨拶、タスクフォース紹介後、山本和利のリードで「アイスブレイキング」。偏愛マップを使って、雰囲気を和らげた。好きな項目には子育て、料理、お酒、ビールなどが挙がっていた。

続いて尾形和泰氏の主導で「カリキュラム・プランニング」を150分。教育のタキソノミー、一般目標(GIO)、行動目標(SBOs)の説明。途中、二人一組になって、相手の専門領域の教育目標を作りあって評価し合う作業をしてもらった。これは新しい試みで、大変盛り上がった。新しいカリキュラム・モデルを紹介。教育方略のSPICESモデルを紹介。学習方略、学習環境について言及(人的資源、物的資源、時間、場所の使い方)。ここで、二人一組で作ってもらった教育目標をどのように実践するについて方略を考えてもらった。続いて評価の仕方(形成的評価、包括的評価)を紹介。評価しようとするタキソノミーと評価方法を紹介。最後にRUMBA(real, understandable, measurable, behavioral, achievable)を強調して、セッションを終えた。

続いて、川口篤也医師の主導で「SEAを用いたプロフェッショナリズム教育」セッションを行った。なぜプロフェッショナリズムなのか、を解説。「新千年紀のプロフェッショナル憲章」を紹介。「家族旅行を半年ぶりに家族サービスを計画。出発直前に肺炎入院中の患者が急変したと連絡が入った」さあ、あなたならどうする。モヤモヤ領域をどう教育するか。背中を見せながら振り返ることの重要性を強調。行為中に省察し(独自で)、事後に省察し(チームや同僚で)、未来につなげる(reflection in action→on action→for action)。事例をSEA形式にして提示。その後、各自にSEAを書いてもらった。感情面に焦点を当てる。各グループの中で興味深い例を一つ選び、それについて討議した。非難されないという雰囲気がよかった、と受講者の声。

記念撮影(参加した証拠)。

昼食後、札幌医大松浦武志助教の主導で「SEAを用いたヒアリハット・カンファレンス」セッションを行った。はじめにリスク・マネジメントについてのミニ講義。人は何から学ぶか?先輩の背中、プロジェクトに参加して、挫折から、という意見がある。その後、濱野貴通研修医の事例「持続する嘔吐を呈する高齢女性」を通じてヒアリハット・カンファランスを実演してもらった。クリニカル・パール:「謳気、嘔吐に神経所見があれば頭蓋内病変を疑う。検査前確率を高める因子として、高血圧の既往、抗凝固剤の内服、加齢などが挙げられる。意識障害の合併症を疑った場合には、頭蓋内病変と全身性疾患とを分けて考えることが重要である。その際、血圧値が参考になる。家族からの情報は何よりも重要である。」。最後に自分の施設でSEAセッションを行うにはそうしたらよいかをグループで話し合ってもらった。

続いて、八木田一雄氏の主導で「上手なフィードバックをしよう」のセッション。自己分析能力の高い研修医、生真面目だが気づきの少ない研修医、能力以上に自己評価が高い研修医という3シナリオを用いたロールプレイを行った。3人一組でのロールプレイは研修医役、指導医役、評価者役をそれぞれ1回ずつ(緊張しやすく技術が未熟な研修医、当直明けで眠気を堪えて外来研修を受ける研修医、問題をあちこちで起こすのに自信満々の研修医の3シナリオ)。

続けて臺野巧医師の主導での「実践的研修評価」は、3シナリオを準備していずれか1つのシナリオに沿ってロールプレイを行った。まず「評価をしないで教育するのは、味見をしないで料理をするようなものだ」というスライドを提示。最初に初期研修医評価のための指導医会議(指導医、看護師長、看護主任、ソーシャルワーカー、等)を模擬体験した。患者ケア、医学知識、症例に基づいた学習とそれに伴う向上、コミュニケーション技術、プロフェッショナリズム、システムに応じた医療、の6項目について評価をしてもらった。

続いて、場所を変えて「北海道における地域医療の現状と道の取り組みについて」と題したセッションで北海道庁の杉澤孝久参事が講演された。医師数は西高東低。道内は全国並み。2010年6月現在、医師は道内では1,007名不足。質疑応答後、情報交換会となり、第一日の日程を終了した。

第二日目は、稲熊良仁氏の主導で「5マイクロスキルの実践」セッション。一番の問題は、研修医が考えて答える前に、指導医が答えを言ってしまうことである。今回お勧めのマイクロスキルは5段階を踏む(考えを述べさせる、根拠を述べさせる、一般論のミニ講義、できたことを褒める、間違えを正す)。外来患者シナリオ3つを用いて3人一組になってロールプレイ(シナリオの読み上げ)を行った。最後は、自分たちでシナリオを作成してもらい、各グループの自信作を発表してもらった。


最後は阿部昌彦氏の主導で「ティーチング・パールを共有しよう」のWS。研修医はお寺に住み込む修行僧のようだと例えた。(色つきの作務衣のような服を着て、禅問答のようなプレゼンをしている)。参加者各自が得意ネタで10分間講義を白板で行い、そのやり方へのフィードバックをしてもらった。次のようなテーマで行われた。マラソン、白内障、大動脈解離、めまい、胃癌の内視鏡治療、癌症状の緩和、チーズの普及、血液培養、鼻出血、呼吸器内視鏡、心因性腰痛、コーチングに学ぶ研修医指導の言い回し、日本の外傷医療の問題点、身体障害者への対応、等。最後に研修医のプレゼンテーションについてのミニレクチャーを行った。江別総合病院式プレゼンテーションを紹介。

最後に総括として、参加者全員の感想をもらい、受講者に終了証を手渡して解散となった。

今回、参加者が14名と少なかったことが惜しまれる。参加者からの評判は上々であった。大勢が参加してくれるようになるような工夫をしたい。(山本和利)

2011年9月25日日曜日

学会認定制度の今後の進め方

9月23日、東京都医師会館で行われた「学会認定制度の今後の進め方」のWSに参加した。参加資格は特になく、参加者の属性は理事、プログラム責任者、研修医が主であった。朝一番の飛行機で行ったが、開始時間に間に合わず途中から参加。

若手医師部会からの報告。
後期研修医の実態調査(2006-2010年)。
128プログラムがあり、現在の研修医は88名、5年間で400名。そのうち10名離脱。新臨床研修制度後の研修医は45名。研修医がいないプログラムが半数。大学以外が86%。
若手医師からの様々なアンケート上の意見が開示された。医師の比率で行くと、約1%しか家庭医を目指していないという、私の実感を裏付けるデータであった。

幾つかのミニレクチャー後、WS「今後のPC専門医制度をいかに充実させるか」に移行。
私の参加したグループの話し合った内容を紹介しよう。
プログラムがまだ認知されていない。診療所研修をどこでやるか。若手医師は先に臓器別専門医をとる方向にゆく。若手とシニアの2本立てで行くのがよい[移行措置]。細々としたニーズはある。指導医の資格がどうなっているのか、よくわからない。研修医が飛び込むにはハードルが高い。指導医のレベルが高くない。

広げるにはどうしたらよいか。次のような課題が出された。
・専門医試験の内容
・診療所研修をまとめてするか、週1回でよいか
・指導医の質
・初期研修で方向転換しないようにする方法
・広報を学会単位でしっかりと
・若手以外の医師の移行措置をどうするか
・会員数が少ない

昼食後、大西弘高氏の「ポートフォリオのあり方」の講義があった。
20のエントリー項目すべてが必要なのか、再検討すべきである。
作成のプロセスは、1)現場での業務、2)再構成されたポートフォリオを通じた省察、3)エントリー項目の脇組に関する学習、からなる。記述し、分析し、統合する作業である。これまで受験の際に提出されたポートフォリオをみると、各エントリー項目に必要な情報の記載が不十分なものを少なからず認める。

最後に、4つのテーマでグループ討議を行った。私は「専門医の制度設計」に参加した。
・家庭医専門医、病院総合医を2階建てにするのか、並列にするのか。
・内科総合専門医を含めた他学会とのすり合わせをどうするか。
・モデル事業で病院総合医研修を始める。

今回このWSに参加して、充実した専門医制度を確立するのは課題が山積みであることをあらためて痛感した。(山本和利)

2011年9月23日金曜日

小児科でよく見る感染症

9月21日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は北海道大学病院感染制御部の石黒信久准教授である。テーマは「小児科でよく見る感染症」で,参加者は10数名。

講義のポイントを示そう。
・初診時に『全身状態』良好の髄膜炎症例は少なからず存在する。発熱を主訴とする3歳7カ月の男児。突然頭痛。髄液検査から髄膜炎であった。全身状態が不良の場合は要注意であるが、重症感染症でも補液をすると顔色がよくなることがある。4か月未満の発熱児は原則入院とする。インフルエンザ桿菌は重症度が高く、嘔吐が多い。肺炎球菌ではWBC>15,000が多い。髄膜炎ではCRP>5.0が多い。現在の医療水準では髄膜炎はスクリーニングできない。

・DPTワクチン接種前の百日咳は怖い。劇症型百日咳。WBCが多いと死亡する率が高くなる。WBC除去をすると予後が改善する。成人百日咳が増えている。大人が乳児に感染させるので、大人の予防接種が重要。

・DPTワクチン接種後の百日咳診断は難しい。大多数は診断されていない。不顕性感染が多い。小児へのDPTワクチン接種を徹底する。周囲に感染者がいるかどうかが大切。1時点の抗体価で診断するのは無理。2回目で4倍の上昇が必要。採取の問題。検査室に一声かける(特別な培地がある)抗体価が二鋒性の場合:不顕性感染、再感染、昔使用したワクチンの影響が考えられる。遺伝子検査:LAMP法がよい。

・ロタウイルス胃腸炎にはCNS合併症がある。ロタウイルス胃腸炎の経過中痙攣重積の1歳児。神経発達障害が起こった。最近、ロタウイルスのワクチンが始まった。

・麻疹診断には遺伝子検査を用いる。日本は2012年までに根絶すると宣言している。

・中耳炎で使用可能な抗菌薬は限られる。起炎菌が肺炎球菌にはAMPCを倍量用いる、インフルエンザ桿菌にはメイアクト。オラペネム、オゼックスは最後の武器に用いるよう、入院患者に限定するべきである。発熱がある患児で見落としやすいのは中耳炎。

今回で小児科シリーズ(健診・発育、救急、感染症)3回を終えた。このような知識を日々蓄積しながらプライマリケア医として、地域で活躍してほしい。(山本和利)

2011年9月22日木曜日

9月の三水会

9月21日、札幌医科大学において三水会が行われた。大門伸吾医師が司会進行。初期研修医:2名。後期研修医:6名。他:5名。

研修医から振り返り7題。

ある研修医。発熱が続き原因究明に苦慮した症例。認知症のある78歳男性。食事がむせることが2-3週間続いた。悪寒、発熱を主訴に救急車で受診。COPDがあり,肺炎球菌ワクチンは未接種。BP;96/60mmHg, HR:60/m、SaO2;96%(O2;1L/m),CRP;5.8m WBC:9800,
右下葉に浸潤影。肺炎として加療。肝機能障害が出現。徐々に改善したため、療養先を探し始めた。血痰があり、呼吸器科にコンサルト。発熱はアセトアミノフェンで解熱。抗菌薬を中止しても微熱のみ続いている。薬剤熱、IE,悪性腫瘍等を考えた。転院間際にSCC;7.1で、喀痰から扁平上皮がんと診断された。
閉塞性肺炎の可能性はないのか?CTからは考えにくいというコメントであった。認知症があり、気管支鏡は施行できなかった。癌の場所によって予後が違うのではないか。
クリニカル・パール:発熱の原因として悪性腫瘍を考える必要があると思った。

ある研修医。82歳女性。ADL低下、摂食不良。小刻み歩行、振戦あったが、パーキンソン病ではなく、認知症と診断された。高血圧、GERD,便秘、胆嚢摘出後である。初期研修医が脱水と診断し点滴で対応。XP,CT、血液、尿で大きな異常なし。血ガスでアルカローシス。翌日、意識レベルが低下した。K;3.2、肝機能障害、嘔吐。よく症状を聞くと以前から頭痛、謳気、嘔吐があった。NH3;194であった、画像診断で脾腫、腹水あり。羽ばたき振戦があった。肝性脳症と診断した。浣腸したら症状は改善した。
検査業者によるとアンモニアはすぐに測らないと数値が上昇するそうだ。
クリニカル・パール:アンモニアは採血後即測定しなければならない。

ある研修医。20歳台の女性。妊娠24週。夫からDV。胎児は低体重。尿ケトン陽性で十分な食事がとれていないことが推測された。母子手帳紛失。今後、誰がどう対応してゆけばよいのか。新生児訪問で経過観察したい。
最近の産科の問題は、低栄養の妊婦が増えている、若年多産、10代の妊娠、ネグレクト、虐待、等とのこと。

ある研修医。挿管を繰り返した80歳代男性。RA.浮腫、全身倦怠感。スレロイド内服中。Cr;4.1。下腿浮腫が著明。CRP;3.0,TSH;100。喀痰からグラム陽性球菌陽性。慢性腎不全、肺炎、心不全、甲状腺機能低下症と診断。呼吸機能が悪化し挿管。その後、抜管。心マッサージは不要であるが挿管は希望。その後の増悪時に3回挿管。抜管時家族に見守られて永眠。
クリニカル・パール:入院時にDNRについて詰めておくべきであった。

ある研修医。食欲不振の90歳代男性。皮膚が黄色。黄疸の既往。腫瘍を考えた。血液培養でグラム陰性桿菌陽性。胆道系閉塞による敗血症であろうと判断。抗菌薬で軽快した。精査を勧めたが、大都市の病院に行くことを拒否。死んでも行きたくないという人にどうするか?

ある研修医。90歳代男性。喀痰著明。無気肺である。家族の意向で気管支鏡はしないことになった。体位ドレナージで無気肺は改善。一時、食事が取れず。DNRであったが食事を希望したため、ドパミンを投与。この判断がよかったのかどうか悩んだ。
コメント:食事をさせるかどうかを検討する価値はあるが、ドパミンを投与は不要であろう、という意見が出された。

ある初期研修医。80歳代男性。脳梗塞の既往。心房細動。右上肢不全麻痺。長谷川式:3点。CTR;63%,胸水あり。EF;45%。利尿剤を静注。その後、指示が不十分のまま出張してしまった。その夜、遅く指示を完了する。予防にまで気が回らなかった点を反省。

今回は倫理的な面の話が多く提示された。悩みながらも経験を積んで患者さん家族が納得する医療を展開して欲しい。(山本和利)

2011年9月20日火曜日

教育への渇望

『おじいさんと草原の小学校』(ジャスティン・チャドウィック監督:英国 2010年)という映画を観た。

2003年にケニアではすべての人を対象に、無償教育をスタートさせた。そこへ84歳の男性が小学校入学を願い出る。祖国解放と自由のために戦ったこの老人には学校で学ぶ機会がなかった。この申し出に対して国も教育委員会もすげなく断ってしまうが、主人公の熱意に負けて若き女性校長が入学を受け入れる。入学後に様々な問題が起こり、心ない人々から追い出し工作を受ける。途中に、祖国解放のために戦った部面がフラッシュバックで挿入される。そこには、部族間の深い対立があることが伝わってくる。唯一の理解者である女性校長も様々な妨害を受ける。主人公を追い出すことで現在の職を守るか、主人公を守る代わりに夫と別れてさらにへき地の学校へ就任すかの選択に迫られる。

不登校やいじめが問題になる日本であるが、「学ぶ」とは何かと再考を迫る映画である。(山本和利)

2011年9月19日月曜日

地域医療フォーラム2011

9月18日、東京秋葉原で開催された自治医科大学主催の「地域医療フォーラム2011」に参加した。参加人数は約300名。今回が第4回目。
 午前中、パネルディスカッション。『地域医療の課題に対するこれまでの取り組み』
■国の立場:厚労省。
・分化・連携が不十分。
・地域や診療科における医師の偏在。
・課題:救急医療、周産期医療、災害医療、東日本大震災による被災地への対応。これまでの取り組みを紹介。様々な部会を創設。社会保障・税一体改革成案を作成。
■県の立場:青森県健康福祉部。
・人口136万人、医師不足、174.4人/10万人。262名の医師不足。13の臨床研修指定病院。
・良医を育むグランドデザインを作成。
・優れた医育環境、意欲が湧く環境整備、仕組みを整える(自治体病院の機能再編成、中核病院の新設と既設病院のサテライト化)。
・医学部進学者が増え、研修医数も増えて来ている。
■医師会の立場:前日本医師会常任理事。
・16万人の会員数。少数の理事が対応しているため、日本の医療全体を語ることができない。
・家族機能の弱体化、患者の期待が増大、医療費抑制政策。
・医師会の取り組み情報を取り入れてほしい。人間関係が大切、挨拶重視。
■拠点病院の立場:全国自治体病院協議会常務理事。
・面で支える地域医療:地域医療再生計画、拠点病院の役割、総合医の育成、キャリア形成支援、勤務医・女性医師支援。
・自治医科大学への期待:次元の高い地域医療への指導的役割。
■医学教育者の立場:長崎大学離島・へき地医療教育研究部門。
・医学部入学定員の増加、地域枠の増大[67大学、1,230名]
・地域医療臨床実習カリキュラムの改訂。
・地域医療に関連した寄付講座の増加。独自の取り組み。
・全国地域医療教育協議会を設立。

会場を移動し、4つの分科会で討議となる。
 『診療の現場から』分科会に参加。
■看護師の立場から
・ダブルライセンス・ナース(4年生看護大学卒業)の活用を
・化学療法患者の在宅ケア事例の報告。医師・看護師・保健師との情報共有が難しい。
・特定看護師を作ることで安全・安心の看護体制ができるのか。
■医師会の立場から
・「医師は、専門家でなくても患者の抱える疾病に向かってゆく」ことが大事。
・連携するには多職種間の情報の共有が重要。
・退院後の医療と生活の安定の確保。
・治す医療(EBM)と支える医療(NBM),資格ではなく総合的に支える医療
・安心して地域で暮らすことが医学の目的である。
・医師の機能、医療機関の機能、保険者の機能、が問われている。
■福井次矢氏
・総合医の養成+資格制度(2,000人に一人の総合医、6万人)
・診療情報の一元化、1枚の紙切れでは無理である。
・コントロール・タワーが必要。医療資源の有効活用。Smart Medicine。

5-6名のグループでKJ法を用いたワークショップを行った。

全体討論。
各分科会からの報告・提言。
教育の立場から
・大学病院・中核病院・診療所を医師が循環する研修システムを構築する。
・指導医・研修医のセット派遣に診療報酬をつける。
・地域病院での診療内容も専門医受験に配慮する。
・地域に溶け込んだコミュニケーションを体感してもらう。
行政の立場から
・行政・市民・医療機関が一体となって知己医療を守った。(共同作業・社会活動である)
・理念・ビジョンをもって創意・工夫し、生活の視点から幅広い連携が必要である。
拠点病院の立場から
・コントロールタワー機能を果たす(医師の充足、医師派遣を行う。複数医師体制)
・地域医療・診療支援を教育に盛り込む。[支援体制の確立]
・「行政」・「住民」との連携。(情報の共有化)
・住民との双方向の対話。
・複数の拠点病院がネットワーク化する。

示唆に富む意見をたくさん聞くことができた。今回は特に、「連携」「協働・共同」「対話」というキーワードが頻繁に語られたのが非常に印象的であった。(山本和利)

2011年9月17日土曜日

絶滅危惧の生きものたち

『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(ダグラス・アダムス、マーク・カーワディン著、みすず書房、2011年)を読んでみた。本邦初訳だそうだ。

著者はユーモアSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズで有名な作家だそうだ。本書は1990年に刊行されている(情報の古くなった部分は、みすず書房の編集者が脚注を付けている)。ユーモアSF小説がラジオ番組にあり、二人が世界を回る珍道中というコンセプトを、本書にも取り入れているということだ。

リチャード・ドーキンスが前書きを書いて、科学的な正確さとユーモアを兼ね備えた文章を絶賛している。

英国の新聞社の思いつきで、絶滅種をさがすことになった。まず行ったのがマダガスカル島である。その島のみに生息するアイアイは夜行性のキツネザルである。

インドネシア諸島のコモド島に生息するコモドオオトカゲは体長360cm。人間も喰う。噛まれると、毒性の強い微生物による敗血症で数日以内に死ぬ。トカゲを誘き出すためにヤギや鶏を用意する。

ザイールのキタシロサイ、マウンテンゴリラ。絶滅の原因は密猟によるところが大きいそうだ。たった12ドルのために殺される(買う時には何千ドルにもなる)。シロサイは白くない。誤訳が原因らしい。

調査はまだまだ続く。
スチュアート島のカカポ:世界一飛べないインコ。
中国のヨウスコウカワイルカ。イルカの水中録音のためにマイクにかぶせるコンドームを買うのに一苦労。
ロドリゲス島のロドリゲスオオコウモリ。

貴重とはだれにとってだろう。またそれはなぜなのか。(山本和利)

2011年9月15日木曜日

教室説明会

9月14日、札幌医科大学地域医療総合医学講座の教室説明会を行った。
参加者は、2年目研修医1名と5年生が4名。(そのうちPCLSに参加している学生が2名)。

教室の方針、活動と併せて、教室員の自己紹介をパワーポイントを使って行った。

終了後は懇親会場で、食事をしながら和気藹々とした雰囲気の中、情報交換が行われた。様々な活動を通じて地域医療・総合診療に興味ある学生たちと親交を深めてゆきたい。(山本和利)

EBMの試験

9月14日、4年生に「EBMと臨床研究」の試験を行った。
10問を90分間で解く試験である。
英語文献を読んで答える問題が3題ある。
ほとんどの者が時間いっぱい真剣に取り組んでいた。
不合格者がいないことを祈りたい。(山本和利)

2011年9月13日火曜日

科学性と人間性

9月13日、兵庫医大での講義、第2日目。

昨日から数えると4コマ目。医療分野を離れて、他の分野での科学的アプローチについて述べた。まず考古学の世界「神々の捏造」という本を紹介。「イエスの弟の骨箱が発見された」がそれが本物かどうか考古学でも学者の意見がわかれた。本物と認定されれば数億円の研究費がつき、偽物となると捏造の疑いで逮捕されかねない(天国か地獄か)。

次に「狂牛病」の経緯を紹介。1985年4月、一頭の牛が異常行動を起こす。レンダリング(産物は肉骨粉)がオイルショックで工程の簡略化により発症を増やしたと考えられる。1990年代に英国で平均23.5歳という若年型症例が次々と報告。経営論理を優先させた対応のしかたが、十数年後に医療に悲惨な影響をもたらした事例である。

次に農業の話。Rowan Jacobsen「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」を紹介。2007年春までに北半球から四分の一のハチが消えた。何が原因か科学的に検証してゆくが、その結末は?

このような先例で忘れてはならないのは、農薬の害を告発したレーチェル・カーソンの「沈黙の春」であろう。ほとんどの学生がこの本の名前もレーチェル・カーソンも知らないということであり、少し寂しい気分になった。

医療における科学的なEBMについては時間の関係で割愛した。NMBの6Cアプローチを紹介した。

5コマ目は、腹痛患者のシナリオを提示し診断プロセスを解説した。鑑別診断の仕方に重点を置いた。ABアプローチ[Anatomy(解剖)とByoutai(病態)]を強調した。問診の重要性を実感してもらうために、途中2人1組になって医療面接の実演をしてもらった。学生は真剣に取り組んでくれた。最後に米国の家庭医療学の本からとった16例のケーススタディを行った。

兵庫医大の授業の内容は、数年前のそれと比較して6割以上が入れ替わっている。75分間の授業をぶっ続けで5コマ行うことは、声も枯れ、負担も少なくないが、自分自身の医療哲学を学生に伝えることができる貴重な機会である。この企画をしておられる鈴木敬一郎教授にあらためて感謝したい。両日ともに授業終了後、大きな拍手をもらい、疲れも吹き飛んだ。(山本和利)

医療と社会

9月12日、兵庫医科大学医学部5年生を対象に「医療と社会」という講義を行った。
今回も昨年同様1コマ75分授業を2日間でまとめて5回行うハードスケジュールである。

導入はドキュメンタリ映画の一場面から入り、学生に問いかけた。「洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真」「フランスの癌多発地域のこと」「家の前に山のような堆積物の前に立つ少年」等。その後、映画「ダーウィンの悪夢」を例にして、それぞれが最善を目指した結果、「ミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する。」「個々にとってよいことの総和は、全体にとって悲惨にある。」と結論づけ、地域医療にも当てはまるのではないか?と学生に問いを投げかけた。次に、「世界がもし100人の村だったら」(If the world were a village of 100 people)という本を紹介した。数人の学生は読んでいる。
 
ここから、医療の話。1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。日本も北米も大学で治療を受けるのは1000名中1名である。次に、「医療とは」何かを知ってもらうため、ウィリアム・オスラーの言葉を引用した。「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。医師は特定の技能をもつ者として権力から守られるという特権が与えられている。一方で公共に尽くすという使命があるということを強調した。

2コマ目、3コマ目の授業では、食料と貧困の話。PCLSで研修医・医師向けに行った講義を学生向けにアレンジして行ってみた。ここの学生はあまり、アジア・アフリカ等の地域へ旅行はしていないようだ。そのためか物乞いの収入を増やすため手や足を切断する話や貧困の原因が政治の腐敗であるという話を真剣に聴いていることが私にも伝わってきた。

3コマ目の最後で、私自身の静岡県佐久間町の地域医療活動を紹介。その後、オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』に収録されている、診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」、しかし、庭で偶然みた姿は「チェーホフの桜の園にでてくる乙女・詩人」という内容を紹介した。次にAntonovskyの提唱する健康生成論(サルトジェネシス)を紹介。彼は健康の源に注目。健康維持にはコヒアレンス感が重要である。必要とされるところでコヒアレンス感をもって青春時代を過ごすことは、その後に待ちうける中年クライシスを乗り越える際にその経験が支えになるという持論を展開して講義を終えた。(山本和利)

2011年9月11日日曜日

9.11から10年

『BS世界のドキュメンタリー 9.11から10年 世界を変えた日(前編)(後編)』(NHK/brook lapping製作、2011年)を観た。

映像は当時の大統領、ブッシュのランニング姿から始まる。フロリダの小学校生徒への講義中にハイジャックの報告が届くが、席を立つことなく授業に参加し続ける。米国が攻撃にさらされていても、大統領はまだ教室にいた。一方、国防省のレーザーでは軌道を外れた飛行機を追跡できないようだ。(アルカイダのテロ活動についてCIAは把握していたという。政策担当者は聞く耳を持たなかった)。8時46分、貿易センタービルにハイジャック機が激突したとき、戦闘機はマンハッタン上空で待機したままであった。現場にいるニューヨーク市長の携帯では救急車、警察、消防と連絡がとれない。

9時3分、2機目が貿易センタービルに激突。200人以上の人が飛び降りてゆく映像と衝撃音。救済への打つ手がない。火災現場より上の階にいる人を救う手立てがない。5万人はいると言われるビル内の人々を救うために、300人の消防士がビルに入る。45分後、大統領がテロ攻撃であることを演説する。ワシントンが襲撃される危機が迫る。大統領は危機管理センターへ避難。

3機目のハイジャック機がペンタゴンに激突。国防長官が救助活動に向かったため、25分間大統領と連絡が取れなかった(指揮権の空白)。大統領はエアフォースワン機で避難。ハイジャック機と区別するため、米国上空を飛行中の全飛行機に着陸を命ずる。

4機目のハイジャック機があることが判明。70分後、はじめに攻撃を受けてたビルが崩れ落ちる。105分後、二つ目のビルも崩壊。火山の爆発のように粉塵・砂埃に包まれる。辺りが真っ暗になり、居合わせた者は「核戦争を見ているようだ」「月での出来事を見ているようだ」と。ハイジャック機への撃墜命令が出される。4機目はペンタゴンに激突する前に墜落したが、その原因は勇気ある乗客たちがハイジャック犯に抵抗し進路を変更させたためであった。

いたずら電話でエアフォースワンが標的であるという連絡が入る。大統領機は軍事訓練予定中の空軍基地に着陸する。ニューヨーク市長は現場から1.6km離れたところに救援基地を設ける。バラバラな遺体が多数で、収容の仕方に困惑。大統領は9時間かけてワシントンに戻る。そして、地下壕に避難。首脳部が会議をし、ブッシュ・ドクトリンを声明。

この時、2876人の犠牲者がでた。義援金は22億ドル集まったという。映像は外国から攻められたニューヨーク市民の一日の恐怖と混乱を伝えている。確かに悲惨な映像である。この一日に体験した恐怖を、ブッシュはすべて怒りに変えて、その後の10年間、復讐に邁進する。

この映像は、残念ながら毎日殺戮の恐怖に曝されているアフリカやパレスチナ住民に対する思い(中東の不条理)までは言及していない。9.11以後、米国は紛争地で逃げるしかない住民の恐怖を醸成し続けている。ブッシュの復讐の矛先は、アフガニスタンのアルカイダではなく、まずイラク(のアルカイダを攻撃すること)に向けることになった。その結果、たくさんの米国の貧困にあえぐ若者が戦地に向かい、死者・障害者となって戻り、職もないまま冷遇されている。戦費がかさみ、国の財政は傾いてゆく。それでも米国大統領たちの怒りは収まらないようだ。2011年5月11日、ついにパキスタンの主権を侵してウサマ・ビンラディンを殺害した(ノム・チョムスキーは最悪の選択と嘆いている)。

報復では紛争が解決しないことは明らかである。南アフリカのマンデラや北アイルランドのIRAが採った報復を捨て和解を選択する術を模索して欲しい。

「理想論は言葉を信頼し、現実論は権力や金に依る(池澤夏樹)」。(山本和利)

2011年9月10日土曜日

ふしぎなキリスト教

『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎、大澤真幸著、講談社、2011年)を読んでみた。

著者は2名の社会学教授。本書は、キリスト教を踏まえないと、ヨーロッパ近現代思想の本当のところはわからない、まず勉強すべきはキリスト教である、という考えから執筆されている。二人ともイエスは実在したという前提で語っている。

キリスト教は二段ロケットのような構造になっている。ユダヤ教があってキリスト教が出てきた。ふたつの宗教の関係は、ほとんど同じであるが、イエス・キリストがいるかどうかの違いがある。ユダヤ人にとって一番危険なのは、神様自身である。「厳密ルール主義」である。イスラム教は勝ち組の一神教。ユダヤ教は負け組の一神教。キリスト教はイエスという存在がいることによって、ユダヤ教・イスラム教よりも「ふしぎな」宗教になっているというのが本書の力点でもある。

一神教の神が何を考えているかは、預言者に教えてもらうしかないようだ。預言者は一神教にしか存在しない。神の声を聞くのが預言者。隔絶した神を絶えず人間に関係づけるため。神を信じるのは、安全保障のためである。福音書はイエスについて証言する書物であるが、キリスト教が成立したにはパウロの書簡によってである。

キリスト教を考える上で、「神」と「キリスト」と「精霊」の3つの関係をはっきりさせなければならない。三位一体説。イエスの死後、もう預言者が現れることはない。人間と神との唯一の連絡手段が精霊である。精霊は、ネットワークや相互感応みたいな作用であるが、精霊の作用は垂直方向である。一神教の特徴は、「人間のもの」と「神のもの」を厳格に区別する。「人間のもの」に権威を認めない。「人間のもの」かどうかを解釈するかを公会議である(これまでに6回開催されている)。公会議の結果がなぜ重んじられるのか。それは公会議には精霊が働いているからだそうだ。

一神教の神様の歴史的な起源は、軍事的に一番強い民族や部族や共同体によって進行されていた神であろう。一神教は神の視点からこの世界を視ることである。究極の原因は神であり、責任者である。

神が人格的な存在だから対話が成り立つ。「神様、人間はなぜこんな苦しみを味わうのですか?」と。神との不断のコミュニケーションを「祈り」という(しかし、神は答えないので一種ので、ある意味ディスコミュニケーションであるが)。

イスラム教の祈りは外から見えるが、キリスト教のそれは見えない。悩んでいくら考えても答えは得られない。残る考え方は「試練」だということしかない。試験とは、現在を将来の理想的な状態への過渡的なプロセスであると受け止め、言葉で認識し、理性で理解し、それを引き受けて生きることである。信仰とは、そういう態度を意味する。

人間そのものが間違った存在であることを、原罪という。そもそも原罪があるので理屈から言って神との契約を守れない。そうなると神に救ってもらえない。では救われる者はだれか。イエスを神の子、救い主だと受け入れた人のみが特別に赦される、ということらしい。

次に誰もが抱く疑問。「全知全能の神が創った世界になぜ悪があるのか?」世界が不完全なのは楽園ではないからであり、人間に与えられた罰だからである。このへんについては、私自身よく理解していないので、うまく説明できない。この問題への回答は様々であり、何世紀に亘り関係者が話し合い、結果として解釈の違いから様々な派に分かれるようになってしまった。


イエスとは何者か?「神を冒涜した罪」で処刑された。「神の子」とは?イエスは完全な人間であって、しかも、完全な神の子である」という結論になった。

聖書に記載された不可解なたとえ話について少なからぬ紙面が割かれている。

キリスト教を信仰しながら、西洋がなぜ自然科学を発展させたか。キリスト教と資本主義がどのようにしてつながったか。イスラム教・ユダヤ教で禁止されている利子をなぜキリスト教は解禁できたのか。等々が解説されており、興味深い。

久しぶりに図書館で借りずに購入した本である。読み終わったときには、少しわかった気になったが、しばらくすると忘れそうである。対談形式なので、読みやすくわかりやすい。本ブログで省略した第3部「いかに「西洋」をつくったか、はどの専門分野の者にも読む価値があると思われる。15万部売れているそうだ。是非、一読を!(山本和利)

2011年9月9日金曜日

アライバル

『アライバル』(ショーン・タン著、河出書房新社、2006年)を読んでみた。

著者はオーストラリアに住むイラストレーター・作家。本書は文字なし絵本である。題名のアライバル(arrival)とは到着、新参者等を意味する。

新たな土地に移住した者の様子を鉛筆書きで、心象風景を入れながら丹念に描かれている。
表紙をめくるとその裏に60人の顔が描かれている。百年以上前の日本女性と思われる絵もある。

妻と娘を残して異国へ旅立つ男性が時間経過に沿って描かれている。絵の中に出てくる文字がロシア語(?)のようである。やっとたどり着いた異国で部屋を探す。表紙に描かれている奇妙な動物が部屋に置かれた壺から出てくる。妻と娘と一緒に撮った写真を屋根裏部屋に飾る。

仕事探しに出かけた街には三角の建物や宇宙船が浮かんでいる。漢字の書かれたプラカードを持つ男もいる。そこで一人の女性に出会う。画面が女性の回想シーンとなる。強制労働のために拉致された女性らしい。

住民は奇妙なモノを売っている。動物のような、植物のような。尻尾にとげのある動物がいる。それがそこで出会った男の目の中に映り、そこから過去に経験した災害や戦争の様子を思い出す。その男の家に招かれて、奇妙な楽器や奇妙な動物、料理に囲まれた暖かいもてなしを受ける。

困難を極める就職活動。軍隊の行進。泥と足。突撃場面。屍の数々。杖をつく片足の男。奇妙な動物。奇妙な植物。奇妙な街並み。現実なのか夢なのか、荒涼とした土地に置かれた箱のようなモノから出ると不安げな妻と娘に再会。娘の顔が歓喜の表情に変わる。

三人で幸せに暮らす生活。大きな鞄を持った見知らぬ女性に娘が出会う。親切に道案内をしている場面で終わっている。

絵本を文字で解説することは無理がある。この素晴らしさを体感するには、この絵を見るしかない。絵本であるが、SF小説でもある。読む者によってそれぞれに様々なことが想起されるだろう。本書はセピア色の表紙のA4版であり、家の居間に飾っても遜色ない。友人や高学年の子供への誕生日プレゼントに最適かもしれない(2500円)。(山本和利)

2011年9月6日火曜日

未来を生きる君たちへ

『未来を生きる君たちへ:IN A BETTER WORLD』(スサンネ・ビア監督:デンマーク 2010年)という映画を観た。 デンマーク語のタイトルは「復讐」であるが・・・。

スサンネ・ビア監督は、『しあわせな孤独』、『ある愛の風景』、『悲しみが乾くまで』という傑作を世に送り出し、世界で高い評価を受けている。彼女の映画は、判断の難しい状況の中で「あなたならどうする?」と観客に倫理観を問う作品が多い。本作は第83回アカデミー賞、第68回ゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞をダブル受賞。

今回は、デンマークとアフリカの難民キャンプが舞台である。平和主義者の医師が暴力のはびこるアフリカで難しい決断に迫られる。住民を面白可笑しく虐殺する男が大けがをして担ぎ込まれてきた。その男を治療すべきかどうか。一方、デンマークで母親と幼い弟三人で暮らしている男児は、毎日学校で執拗なイジメにあっていた。両親は別居中である。ある日、男子生徒が、この男児のクラスに転校してくる。その転校生がいじめっ子を殴り倒し男児の仕返しをする。イジメに対して、はやり返さなきゃだめだという確信的行為であり、反省する素振りが見えない。

帰国した医師が、自分の子供とよその子と公園でケンカになったのを仲裁するが、駆け寄って来た相手の子の父親に、理由も訊かれずに殴られてしまう。これを見ていた転校生は怒りを抑えられず、復習のための反社会的な計画を実行し始める。

テーマは、世界に蔓延する暴力に対して、「許し合う」ことで私たちは歩み出すことができるのだろうか、である。理性でわかっていても、感情がついてゆくだろうか。(山本和利)

2011年9月5日月曜日

あしたが消える

『あしたが消える』(平形則安、溝上潔、里中哲夫制作:日本 1989年)という映画を観た。
副題は「どうして原発?」で、ビデオテープからおこしたデジタルリマスター版である。

チェルノブイリ原発事故の3年後に制作し、あまり上映される機会がないままお蔵入りしていたものを、本年3月11日の東日本大震災による福島第一原発事故をきっかけに再上映が決まった作品である。

原発建設労働者であった父親を骨癌でなくした娘さんから新聞投書があり、それをヒントに企画を立て、彼女に交渉の末、その家族を中心にドキュメンタリー取材を行っている。

その中で印象的であったことは、労災認定に関わった医師が慢性放射線皮膚炎と診断しても、科学技術庁長官や学会の権威の力で押しつぶされて裁判で負けてしまうこと。

原発設計者が「機械は崩れる。原発も例外ではない」と発言し、告発をしているが、問題にされなかったこと。

最大の驚きは、22年前に作られた本作品が福島原発事故を予測した映画になっているという点である。すなわち、チェルノブイリ原発の立地点に福島原発を重ね合わせているのである。そして日本地図をその上にかぶせるとチェルノブイリ原発事故汚染地区といわれる範囲がすっぽり日本全土を覆ってしまうことが示される。たくさん日本にある原発の中でなぜ「福島原発」なのか。単なる巡り合わせ・偶然なのか。

私たち庶民が政治家や官僚を信じて平凡に生きようとしても、明日を消されてしまう時代に突入したのかもしれない。「消されない」ために私たちは何をしたらよいのだろうか。(山本和利)

2011年9月4日日曜日

2011年度Advanced OSCE

9月3日、札幌医科大学6年生を対象に2011年度Advanced OSCEが実施された。

前日の台風の影響で道内の交通網は大混乱。旭川医大から見学に見えた事務の方々は札幌に着くまでに6時間かかったそうだ。評価者が参加できない状況を心配したが病欠以外、影響は見られず。

今回も土曜日実施である。当教室からは4名が参加。今回も昨年同様に6列、4課題。4グループに分けて実施。内容は少しずつversion upされている。学生、評価者、模擬患者に遅刻者、欠席者もなく、半日で無事終了することができた。

年々事務の方々の関わりが増え、事前の評価者講習会、模擬患者講習会が充実してきている。評価者マニュアル、評価表、当日の配置表、実地要綱なども整備された。

9月6日に講評を行い、9月8日まで再試の予定である。全員合格して卒業試験に臨んでほしい。(山本和利)

2011年9月3日土曜日

チンパンジーから学ぶ

『想像する力 チンパンジーが教えてくれた人間の心』(松沢哲郎著、岩波書店、2011年)を読んでみた。

著者は京都大学霊長類研究所教授。1978年から「アイ・プロダクト」(天才チンパンジー・アイの研究)と呼ばれるチンパンジーの心の研究をはじめ、野生チンパンジーの生態調査も行っている。本書は、チンパンジーの観察を通して、人間と比較し、人間独自の心に迫ってゆく。

人類はいつも複数いるのが普通であった。猿人、原人、旧人、新人はそれぞれが同時代を生きた別の人類であり、それぞれが死に絶えた。

チンパンジーはヒト科である。ヒト科は4属で構成され、ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オラヌータンが含まれる。ゲノムの違いは1.2%。(98.8%は同じということ)。人間とサルでは6.5%の違いがある。稲のゲノムと人間のそれは約40%が同じであった。

人間とは何か。生活史や親子関係からみたとき、その答えは「共育」ということだそうだ。共育こそが人間の子育ててあり、親子関係である。

子育ての中身が5段階の変遷を経ているそうだ。1)母乳を与える、2)子が母親にしがみつく、3)母親が子を抱く、4)互いに見つめ合う、5)親子が離れ、子が仰向けで安定していられる。

社会的知性発達の4段階。1)生来、親子でやりとりするように出来ている、2)1歳半で同じ行動をするようになり、行動が同期する、3)新しい行動をまねる、4)模倣を基盤として、相手の心を理解出来るようになる。

チンパンジーに決してみられない行動は、進んで他者に物を与えることである。利他性、互恵性、自己犠牲。これこそが人間の特性である。

言語を獲得した。言語の本質は携帯可能性にある。「子育て」と「言語」を結びつけるキーワードが情報を共有するという人間の暮らしにある。

チンパンジーは絶望しない。一方、人間は容易に絶望してしまう。それは人間に想像する力があるからである。それを駆使して希望が持てるというのが人間でもある。

緑の回廊プロジェクトを紹介。
チンパンジーの生息地の自然が破壊されている。それを回復させるため、苗木をつくって、サバンナへ持って行って植えるという企画である。

一つの仕事を成し遂げた人の言葉には説得力がある。この著者には60歳を過ぎても大きな夢がある。サバンナが緑の森になってほしい。(山本和利)

2011年9月2日金曜日

ヤバい経済学

『ヤバい経済学』(アレックス・ギブニー 、 モーガン・スパーロック 、 レイチェル・グラディ 、 ハイディ・ユーイング 、 セス・ゴードン 、 ユージーン・ジャレキ監督:米国 2010年)という映画を観た。

スティーヴン・D・レヴィットとスティーヴン・J・ダブナーの世界中で400万部売れたヒット本『Freakonomics(ヤバい経済学)』を映画化したものである。本作は監督5人によるオムニバス形式をとっている。

内容は5つのテーマに分かれている。自宅を30万ドルで売りに出したとき、29万ドルの買い手が現われたら、売るか、高値がつくまで根気よく待つか。仲介業者のインセンティブに対する反応を示して問題提起している。

名前が子供の人生に及ぼす影響を分析している。結論は、「環境の影響の方が大きい」である。

「純粋さの崩壊」というテーマで、日本の相撲界を扱っている。本場所のデータ分析の結果、相撲界にはびこる秘密を突き止める。映画制作の時点では、八百長はないということで終わっていたらしいが、その以後、八百長問題が再燃し、本場所が中止になったことは記憶に新しい。

1990年代のアメリカ全土で、犯罪発生率が劇的に下がった。その原因は?「あること」と犯罪の相関関係に着目して分析している。結果は観てのお楽しみ。

シカゴ大学が高校1年生の生徒たちに、「成績が上がった生徒は毎月50ドルのご褒美がもらえ、さらに抽選で500ドルが当たるチャンスを得られる」という金銭的インセンティブを与えると成績が上がるかどうかを探る実験。

スティーヴン・D・レヴィットはシカゴ大学経済学教授であるが、学生時代から変わり者であったようだ。「雑学スレスレ」の研究を経済論文誌に投稿を続けて教授に上り詰めたという。映画を観ながら経済学を学ぼうという方には期待はずれかもしれない。一番の核になる問題設定は「インセンティブ(報酬)を与えると人間はどう行動するか」ということである。(山本和利)

2011年9月1日木曜日

語学試験

8月31日、札幌医大大学院入学(学位取得)のための英語語学試験の試験監督を仰せつかった。

医学英語の翻訳が主であり辞書持ち込み可である。正味2時間。十数人の受験者が真剣な面持ちで試験に臨んだ。緊張した空気が漂う中、コトリとも音がせず2時間が過ぎてゆく。

全員が合格し、学位取得に邁進してもらいたい。(山本和利)

東日本大震災

9月1日は防災の日。
『東日本大震災を解き明かす』(NHKサイエンスZERO著、NHK出版、2011年)を読んでみた。

地震はなぜ起こるのか。地球の構造を知ることが大切。コア(内核、外核)、その外側にマントル(下部、上部)、プレートから構成される。プレートは「地球の皮」であり、沸かした牛乳に張る膜のようなものである。プレートはマントル対流によって動かされ、プレート同士が押し合いへし合い「喧嘩」したのが地震となる(プレート理論)。

日本は4つのプレート(北米、ユーラシア、太平洋、フィリピン海)が境界を接するところにある。世界でも例を見ない特殊な位置にある。あるプレートが別のプレートの下に沈み込みこれが地震につながってゆく。プレート境界型の地震。マグニチュード8以上になり、日本では10年に一度起こる。これと別にプレート内にある亀裂に発生する「プレート内地震」がある(阪神・淡路大震災はこれである)。弱い部分を「活断層」として認知される。

マグニチュードが1大きいとエネルギーは32倍。0.2大きいと2倍。その5乗なので32倍。

通常の波と津波は違う。津波は地震により海底面が大きく盛り上がったことにより発生する。海上に突如現れる洪水のようなもので、海面から海底まですべての海水が水平方向に流れてゆく。それゆえ波高が低くても強いエネルギーを持っている。津波には「一度やってくるとなかなか帰ってくれない」という性質がある。水深の浅い場所に集中する。

まだまだ不明の点も多く、完璧な地震予測ができるわけではない。我々にできることは、地震によって危険をもたらす可能性のあるものを極力減らしてゆくこと、防災訓練に参加すること、津波に遭ったら一人で逃げること、くらいだろうか。(山本和利)