札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年6月30日木曜日

1年生 医学史 講義 その8

 本日は医学史の講義を行った。

 今日のテーマは「日本での医療の展開」と題して、花岡青洲と貝原益軒であった。


 まず花岡青洲の班の発表。

 冒頭、本日の発表についての3つの要点が発表され、教室みんなで復唱した。なんか、小学校の授業のようで新鮮な感じである。その要点とは、
1)内外合一 活物窮理
2)臨床と研究の並行
3)犠牲を伴う医学  であった。

東洋医学と西洋医学の融合をはかり、また内科や外科の領域の知識を融合させようと努力をしたのであった。それを内外合一・活物窮理というそうだ。

その当時、妹が乳ガンで亡くなり、中国の皇帝が全身麻酔で手術をしたとの事実に接し麻酔の勉強をようと思った。しかし、ただ研究だけするわけではなく、地元和歌山で実際の診療も継続して行っていた。臨床と研究を並行して行なった彼の大きな業績である。

麻酔薬のないそれまでの手術についてはイギリス聖トーマス病院の記録がのこっており、
「全臓器が絞り出される思い」「手術が終わったという一言がものすごくうれしかった」
など、熾烈を極める当時の手術の様子が学生によって語られた。

青洲は様々な研究の末、「通仙散」という麻酔薬を完成させる。猫で実験を繰り返した後、妻と母を人体実験に使った。その結果、妻は失明、母は死亡。青洲自身も下半身麻痺が残った。
麻酔薬の開発という輝かしい業績の影には犠牲も伴っているのである。
このあたりの記述は、「花岡青洲の妻」という小説に詳しいようだ。

また、青洲は医学校「春林軒」を開校し、そこには多くの医学生・医師が集まったようだ。しかしその学校では、麻酔薬を他人に広めるな。と教えたそうである。それは麻酔薬は医療にも使えるが、犯罪にも使えるため、無用に技術が拡散するのを恐れたようだ。

最期に冒頭の3つの要点を再度みんなで復唱して発表を終えた。


この班のプレゼンはスライドをみんなで復唱したり、過去の班の発表の内容を適宜取り入れた発表をしており、これまでにない新しいタイプの発表であった。またプレゼンターの声も良く会場に届き、締りのある発表であった。

最も素晴らしいと思ったのは、青洲が開校した医学校に多くの医学生が集まったのは、青洲の技術が素晴らしかったことのたとえに、

「松浦先生のプレゼンの授業が素晴らしかったから、こうして僕達も医学史のプレゼンを頑張ってやっているのと同じです」と引き合いに出してくれたことだ。

すばらしい!!!。
感極まって、、、、、、、目頭が、、、、、、、、。



次の班は貝原益軒であった

江戸時代の健康ブームについての話から始まった。健康でありたいという気持ちは今も昔も変わらないようだ。ただ、現代はダイエットや運動などを積極的に行って健康を取り戻そうとする積極的に健康になろうとする思考があるが、江戸時代当時は体に悪い行為を避けようという視点が強かったようだ(=養生)

益軒は福岡出身。幼くして家族が亡くなったことで、健康への意識が芽生えたようだ。そのせいかどうかは分からないが、当時の平均年齢40歳と言われた時代に85歳まで生きたようだ。

それまでの学問は過去の偉大な先人の教えを忠実に学ぶことが主体であったが、益軒は実証主義の立場で、自分の経験に基づく事実を積み重ねていくスタイルであったようだ。


当時の本草綱目(中国の動植物図鑑)に異を唱え、大和本草(日本の動植物図鑑)という本を著した。これには1362種の動植物が収載されている。益軒の功績で当時の大名に本草学がはやった。結果的に本草学を博物学にまで高めた。

養生訓とは体を損なうものから遠ざけることを意味し、欲が寿命を削るため、欲を捨て去り忍びを保つ(我慢する)という教えを説いた。
医は仁術であり、医師は人を救うことを志すべきで、仁術を尽くしていれば幸福は勝手についてくると説いた。
医師に必要な心構えは読解力・学問・技術であり、医学生に必要な心構えは、大志を抱く・博く(ひろく)・精(くわしく)であり、「広く浅くではない」ことを強調していた。

最期に現代でも通じる食べ合わせの悪い食品を紹介していた。

ウナギと梅干し うなぎの脂が分解される
トマトとキュウリ トマトのビタミンCをキュウリが壊す
大根と人参    同上
サンマと漬け物 発ガン物質が生まれる。

最期の食べ合わせの件は大変興味深かった。
発表自体はやや早口で、30分の発表にしては情報量が多い気がした。しかし、非常に良く調べられているので、薄っぺらな知識のような感じはしなかった。スライドの内容と喋る内容のバランスをとれば、非常に情報量が多いがコンパクトな発表になったであろう。

講義が終了した後、今回も自分の発表のフィードバックが見たいと学生が医局を訪ねてきた。すばらしい!。彼らのやる気を感じる。その学生とは1時間ほど次回へ向けた課題などを話しあった。


次回以降の講義も楽しみだ。

                             (助教 松浦武志)

2011年6月29日水曜日

食の問題

6月29日、地域医療支援学講座主催のプライマリ・ケア・レクチャー・シリーズで番外編講義(医療以外のテーマ)をした。

3本の映画を紹介した。まず、『キング・コーン』アーロン・ウルフ監督:米国 2007年。米国の二人の若者がアイオワ州に移り住み1エーカーの土地を借りてトウモロコシ栽培に挑むドミュメンタリー映画である。

 “コーン”は、過剰栽培であること、食べても不味く牛の飼料に回していること、さらにコーンシロップの材料に回ること、清涼飲料水に大量に含まれていること、それが原因で米国の肥満・糖尿病の原因になっていること、農家の人たちは自作のトウモロコシを食べないこと、コーン栽培のほとんどを石油に依存していること、等がある。栽培農家の収支を計算すると赤字になるが、政府から制裁策として補助金がでるため何とか農家がやっていける。米国の食料の源はほとんどがコーンにたどり着く。化学肥料並びに農薬、遺伝子組み換え、政府の補助金、健康問題なども扱っている。農業者が誇りを持てない米国農業(「我々農家はカスを作っている」)は病んでいる。大企業の関わりについてこの映画では全く触れられていない。

『ありあまるごちそう』エルヴィン・ヴァーゲンホーファー監督:オーストリア 2005年(著書もある)。

徹底した利益追求と経費削減が世界中に蔓延し、需要の供給のバランスを崩し、世界中で貧富の差が広がっている。人類は今や120億人を養えるだけの食料を生産しながら、毎日10万人もの人が餓死し、10億人が栄養失調になっている。世界中の大都市で大量の食糧が毎日捨てられている。日本人が廃棄している食糧(一般家庭から1100万トン:2005年)は、途上国の約5000万人分に匹敵する。ブラジルのある地区では食べ物がなく汚れた水を危険と認識しながら摂取している。一方で、まだ食べることのできるパンが毎日山のように棄てられている。
 映画は漁業や農業、酪農等の生産現場に密着して、レポートされている。何万羽もの鶏が生産ラインにのって消費者にわたる形の商品になるまでの10分近く続く流れ作業が生々しい。東日本大震災の被災地のような状況が世界の各地で日々続いているのだ。この原因は大部分、政治的な誤り(アマルティア・セン)であるといわれる。

『フード・インク』(ロバート・ケナー監督:米国 2008年)。

多国籍企業が政治家を取り込んで、食を独占できるように法制化して、健康に悪い食品を安く提供するシステムを形成している。メキシコの大豆農家を破綻させて、彼らを不法入国者と知りながら低賃金で3K労働に従事させる。遺伝子組み換え大豆以外は栽培できないような法制化された米国の農業、等々。

これに対して我々ができることは
・労働者や動物に優しい、環境を大事にする企業から買う
・スーパーに行ったら旬のものを買う
・有機食品を買う
・ラベルを読んで成分を知る
・地産食品を買う
・農家の直販で買う
・家庭菜園を楽しむ
・家族みんなで料理を作り、家族そろって食べる
・直販店でフードスタンプが使えるか確かめる
・健康な食品を教育委員会に要求する
・食品安全基準の強化を議会に求める

メッセージ
「システムを変えるチャンスが1日に3回ある。世界は変えられる。ひと口ずつ。変革を心から求めよう。」「放射能汚染だけでなく、日常の食に関心を向けよう。」(山本和利)

2011年6月28日火曜日

破壊する創造者

『破壊する創造者』(フランク・ライアン著、早川書房、2011年)を読んでみた。

著者は進化学者であり医師である。本書は、「ヒトゲノムはどんな力によって今のように進化したか」について考察したものである。

ウイルスは破壊もすれば創造もする。ウイルスが破壊者になるか創造者になるかは、宿主となる生物との相互作用で決まるから、なかなか予測はできない。生物はそんなウイルスと「共生」している、という視点で書かれている。ウイルスがコアラのゲノムの一部として親から子へ行き継がれるようになってしまったという、ウイルスがコアラと共生している例を紹介している。一方、HIVと呼ばれるレトロウイルスはリンパ球の中で何年間も潜伏する。AIDSウイルスは、まだ人類という宿主に適応するように進化していない、と想定している。

2001年2月12日、ヒトの全ゲノムの一通りの解読を終えたが、ヒトゲノムのサイズが予想以上の小さくて、誰もが驚いたという。約2万個に過ぎないのだ。癌や自己免疫疾患とウイルスの関わりが医療者にとっては興味深い。

進化に関する論述は難しくて歯が立たない。自然選択と突然変異だけでは、生物の進化は説明できない、ということのようだ。

「ウイルスを中心に論じた進化論」であるが、ウイルス研究の最前線を知ることができよう。(山本和利)

2011年6月26日日曜日

花形演芸三人会

『花形演芸三人会』で春風亭昇太、柳家花緑、柳家三三の落語を札幌市民ホールで楽しんだ

開口一番の前座の後、柳家花緑(かろく)の登場。マクラはタクシーの中での会話や弟子の教育、アンティークの話。聴き始めてすぐに、この人はこんなに滑舌が悪かっただろうかという印象をもった。演目はマクラのアンティークから予想した通り「火焔太鼓」であった。古今亭志ん生や志ん朝と比較するのは酷かもしれないが、それにしても滑舌が悪すぎる。「~じぁないですか」という今風言葉を頻発。消化不良の高座であった。

二番手は柳家三三(さんざ)。なよなよと歩いて登場。すらっとした優男。マクラから滑舌よく、リズムがいい。演目は初な若旦那を花柳界につれてゆくという『明烏』。これが落語という流れるような進め方。途中、前に出て話した落語家の内容を絡めて笑いをとる芸も挿入(これは柳家喬太郎が得意にしているが)。人物の演じ分けもよくできている。何度でも聞きたい落語である。さすが小三治の後継者。

トリは春風亭昇太(しょうた)。私と同じ静岡出身。新作を中心に活躍し、若い女性に圧倒的な人気を誇る独身男。今回は何と古典の『宿屋の仇討ち』であった。江戸へ帰る途中のはしゃぎ回る3人連れと前夜周囲が騒がしくて眠れなかった侍との一夜の騒動。これは威厳をただした侍と騒がしい男たちの演じ分けが難しい。一歩間違えると騒がしいだけの落語になってしまう。立川志の輔のCDを聞いてもうまく演じ切れていない。小三治の『宿屋の仇討ち』は絶品である。昇太の『宿屋の仇討ち』は、自分の個性を活かして騒動しくもおかしみが混じり、うまく演じきっていた。昇太の古典落語を生で聞くことができたのは儲けものであった。

妻の趣味につきあっているうちに、生の落語を聴くことが楽しみになった。いつも苦労して切符を手配してくれる妻に感謝、感謝!(山本和利)

2011年6月25日土曜日

1年生 医学史 講義 その7

遅ればせながら、6月23日木曜日に1年生に医学史の講義を行った。
本日は午前の診療が長引き、講義に10分ほど遅刻してしまったが、
学生たちはすでに要領を得たもので、自主的に講義は始まっていた。

本日の一人目はイリッチであった。


イリッチは医師ではなく哲学者であるが、医原病を提唱した人である。
病院にかかることで新たに病気が作られているというのである。
1976年ボゴダで医師がストライキを行った際、死亡率が35%低下したのだそうだ。
理由はいくつかあるが、日常診療を停止し、救急救命が必要な人だけに治療が専念できたことで死亡率が下がったとも解釈できるし、普段の外来で行われていた医療が不必要なもので、それがなくなったために死亡率が下がったともとれる。
理由の解析はいくらでもできるが、その点に対する考察はやや弱い気がした。

最近日本で盛んなピンクリボン運動であるが、海外でも同様の取り組みがある
ノルウェーで乳ガン検診を地区ごとに導入し、その地区ごとの死亡率の差は誤差の範囲であった。むしろ、マンモグラフィーによる放射線障害の方が害が多いと結論付けられたと。
この研究も詳細が分からないので、何とも言えないが、マンモグラフィーの害が多いと断言するにはやや危険な気がするが、このあたりはまだ1年生ということもありしょうがないか?

最近日本で、乳がん検診の低年齢化が進んでいるが、少なくとも、20-30代はマンモグラフィーによる擬陽性が多く、余計な精査とそれによる検診者の不安などを考えると害が多いという結論であったと記憶している。

イリッチは、病院で行われる医療を全否定はしておらず、むしろ患者が医療に全部お任せとなり、自律的にいきる力を失ったことがその弊害であると述べている。ガンの告知をしないという選択肢があること事態が社会全体が医原病にかかっているのではないか?と言っている。

学生は、我々医療者は「思いあがることなかれ」という教訓を導き出して発表を終えた。


2班目はオスラーであった。

クリニカルクラークシップや、ベッドサイド教育・早期体験実習など1990年代後半になって初めて日本に導入された教育方法を、1800年代にすでに開発した人である。

また、医学部の名門であるジョンズホプキンス大学の設立に関わり、この大学でのクリニカルクラークシップは全米の医学教育の手本となった。大学から病棟へ学生を連れだした教育者として有名である。

ノーベル医学生理学賞受賞者は、日本は過去に1人きりだが、ジョンズホプキンス大学は11人もいるそうだ。

彼の名言に
「患者を診ずに本だけで勉強するのは、全く航海にでないに等しい。本を読まないで患者を診ることは
海図を持たないで航海に出るに等しい」というのがある。
まさにその通りだと思う。学生諸君は深く胸に刻み込んでほしい。

また、オスラーは自分の墓標に刻む文言を生前に考えており、
「学生を病棟に連れ出した人、ここに眠る」
まさに、医学教育のために奔走した人であろう。


最後に
オスラーは医学教育に革命を起こし、学生を臨床の現場で教育しようとした人である。
医学は一生勉強し続けなければならない

をまとめとして発表を終了した。


この班のプレゼンはこれまでとは一線を画し、スライドの背景に、タイトルを想像させるイメージの写真を多用し、視覚に訴える発表であった。また、白地の背景に文字をいっぱいに表示して、それを読みながら発表していく戦略もあった。(「高橋メソッド」とよばれる方法である)

「プレゼンテーションのコツ」の授業の時に参考文献として紹介した、「プレゼンテーションZen」を参考にして造ったようだ。授業の参考文献にまで目を通してくれるというのは講師としては非常にうれしいものだ。


さらに今回は授業後にもう一つ驚くべきことが起きた。

これまで授業の最後には出席として「授業で最も勉強になったことを3つ」と、「授業の感想(プレゼンテーションに対する建設的フィードバックも含めて)」を書いて提出してもらっているが、冒頭から学生諸君には「発表した班にはその班に対する皆さんからの感想は見せることがある」と言ってあったが、これまで自分たちの発表の感想を見に来る学生はいなかった。

ところが、今回は自分たちの発表の感想を見せてほしいと名乗り出てくる班員がいた。彼らは感想文を読んで、「結構いい評価だね」「いやーこれはきついね」「ここはこうしたほうがよかったな」などと話し合いながら、自分たちの発表を振り返っていた。

こういう自分たちに対する客観的評価を振り返ることから次への進歩が生まれる。学生諸君には、松浦からのフィードバックも含めて次なる課題を話し合った。

彼らに「医学史」の授業の中での次の発表の機会はもうないが、さらなるプレゼンテーションの機会を自分で探し得てどんどん練習に励んでほしい。それがプレゼンがうまくなる唯一の道だから。彼らの今後が楽しみだ。

                          (助教 松浦武志)

My Back Page

『My Back Page』(山下敦弘監督:日本 2011年)という映画を観た。1960年代後半3年間を描いた映画である。川本三郎による同名ノンフィクション小説を基にしている。

彼の経歴:東京大学法学部に入学。二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞自衛官殺害事件で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『Have You Ever Seen The Rain?』を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝い、犯人から証拠品を譲り受け、これを焼却した。後日、犯人が逮捕されると川本の行為も露見し、川本も逮捕され、会社を懲戒免職となった。同年、川本は浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯を映像化したのが本作である。

ジャーリスト役の妻夫木聡と革命家に扮した松山ケンイチが熱演している。『リンダ リンダ リンダ』をとった山下敦弘が監督というのも面白い。

60歳前後の者であれば、自分自身の青春と重ね合わせ、ノスタルジアに浸れるかもしれない。青春とはやり場のない怒りやエネルギーを発散させる場なのであろう。その場は時代によって、改革を目指す学生運動であったり、ロック音楽であったりするのだろう。

学生運動にもビートルズにも乗り遅れた・・・少しさみしい私である。(山本和利)

2011年6月24日金曜日

データからみる医療事情

6月24日、松前町立松前病院の八木田一雄副院長のランチョン講義を拝聴した。講義のタイトルは「データからみる医療事情」である。学生参加者は4年生が1名、3年生が3名、1年生が3名。

はじめに医師不足についての時代背景を説明。新医師臨床研修制度導入され、医師供給システムが激変した。民間病院、後期研修に入る人が増えた。北海道内は内科医が不足している。派遣医師の引き上げ、偏在、科による医師不足がある。原因として、労働過重、医療訴訟、高度医療化、都市化、立ち去り型サボタージュ等が考えられる。世界の基準でみると絶対的な医師不足。これまで医学部入学定員8000人が、急遽増やし8800人となった。

医師数は224.5人/ 10万人[2008年]北海道は全国平均並である。小児科は増えているが、産婦人科は減っている。70歳代は10%。女性医師が増えている。人口は現在1億2700万人であり、2025年に医師数は1.32倍になる。参考として看護職員は増えている。

道内では医師数は224.9人/10万人。一般内科が減っている。小児科は増え、産婦人科は減っている。ただし、札幌圏に集中している。女性医師は13%。診療所数が増えて、病院が減っている。これは開業医志向を反映している。

OECDのデータ。医師数は2.2人/1000人。急性期病床は世界一。CT,MRI保持率は世界一。医療費は平均以下。平均寿命は世界一。自殺率は3位。肥満率は高くない。喫煙率は4位。年間診察回数は多い(13.8回/年)。少ない医師で多くの患者を診察している。入院日数が長い。

死亡率:癌が第1位。次いで、心疾患、脳血管疾患、肺炎。平均余命:男性は79歳、女性は86歳。医療費は30兆円で、そのうち70歳以上の費用が50%を占める。

日本は国民皆保険、フリーアクセス、現物給付、医療機関は非営利・民間主体、一律の点数表による価格統制である。比較として英国、米国の医療制度を紹介された。

受療行動としてWhite K.の住民健康調査データを提示。

学生の質問:
Q.地域医療の現場で小児科専門医になれるのか。

地域でも十分にやりがいはある。可能ではある。ただし、若者の地域居住数が減少し、子供の数も減っているため、需要が少なくなっている。小児を小児科医しか診ることができないことを前提にしている専門医制度に問題がある。小児受診者の95%は軽症例であり、その患児を総合医・家庭医が診るシムテムにすれば、小児科医は残りの5%の重症例だけを診ればよいことになり、小児科医の労働条件も改善される。しかしながら、このような意識改革が行政にも医師にも住民にも浸透していない。総合医・家庭医のレベルを上げて、我々の活動を通じて啓発してゆきたい。

医療事情について医学生時代から知っておくことは大切なことである。(山本和利)

2011年6月23日木曜日

前向きにとらえて、全科診療を

6月23日、松前町立松前病院の木村眞司院長の地域医療合同セミナーI~IIIで企画したランチョン講義を拝聴した。講義のタイトルは「松前町立松前病院の挑戦」である。

まずは軽く自己紹介。北海道生まれ、北海道育ち。空手道部、スキー部。様々な研修をして2005年から松前町立松前病院で家庭医・何でも科医で働いている。ここで松前町の紹介に移る。北海道最南端。函館まで95km、救急車で1時間半。松前名物「あん五目ラーメン」の紹介。北海道の地方の医療の充実。家庭医・総合医の養成が目標。

全科診療医が診る範囲。
内科、小児の疾患、外傷や整形外科的疾患、精神疾患、等。朝7時半開始。医師の紹介。「松前塾」。

医師の一日・一週間を、写真を使って紹介。
朝礼、外来風景を紹介。書類の決裁。病棟回診。症例カンファランス。診療録チェック。医局勉強会。老人ホームの回診。医師看護師連絡会議。透析室ミーティング。病棟カンファランス。研修医と回診。松前ケア会議。レセプト点検。ときに当直。繰り返しである。消耗することもあるが、単調の中に喜びを見出す。
「プライマリ・ケア・レクチャー・シリーズ」:インターネットで日本中をつないでカンファランスを行う。札幌医大情報センターが支援している。全国65か所が参加。遠くにいることを感じない。

学生や初期研修医の受け入れ。松前家庭医研修プログラム。
いろいろな職種の紹介。ほぼ地元の人である。看護師は慢性的不足である。派遣の看護師をお願いしている。病棟業務が精いっぱい。PT,OT不足である。病院は様々な人たちによって支えられている。大切なことは面倒くさがらず意思を伝える。

トップとして考えること
・トップが方向性を示す。
・お仕着せは根付かない。
・自分たちがやりたいものでないとうまくいかない。
・時間をかける。

松前病院が目指すもの
・もっとup to dateに
・寝かせきりを少なくする
・医療従事者が研修したくて行列ができるように
・リハビリができるように
・もっと素敵な病院に

最後に学生さんに考えてもらいたいことを述べられた。「前向きにとらえて、前向きに努力すること。」

学生からの質問:
Q1.地域医療の現場で赤字を解消するには。
つぶれない・発言力を持つためには「目先の黒字を追っかける」ことになる。日本は出来高払い制。一人当たりの単価は上げない方針をとっている。病床利用率が下がると赤字につながる。全体としてみると、このような姿勢が日本全体の医療費を押し上げている。難しい。

Q2.全科診療医になるにはどうしたらいいか。
よくある疾患をよく診るという覚悟も必要。幅広く診るための研修・環境が必要。

Q3.今の医療とは?
標準的な知識・技能・態度をもつということを目指したい。

1年生を中心に様々な科の学生が熱心に聴講してくれた。(山本和利)

2011年6月22日水曜日

感染遊戯

『感染遊戯』(誉田哲也著、光文社、2011年)を読んでみた。

4つの短編を集めた警察小説である。製薬会社サラリーマンの殺人事件。路上殺傷事件。それらには繋がりがあった。厚労省、外務省、等の元官僚であった者たちへの怒りである。

読む者によって、共感するものと反発するものに分かれる内容を抱えた警察小説である。(山本和利)

FLAT症例勉強会(5)

6月22日、4年生のFLATのメンバーと第5回目の症例を用いた勉強会を行った。4年生6名、3年生1名が参加。教室員3名。

8時間前に始まった悪寒、発熱、痰を伴う咳、血痰を主訴に受診した64歳女性。胸膜痛がある。30年前に摘脾をしている。39℃、右背部に湿性ラ音を聴取。WBC:15,000/mm、XPで右肺野にエアーブロンコグラムを伴う陰影あり。

典型的な肺炎球菌肺炎の症例あった。「脾臓は重要ではないので、摘出しても問題ないと教わった」と話す学生に3人の教官は思わず絶句した。その後、感染症の話となり、教官が過去に経験した壊死性筋膜炎症例のことなどで会は盛り上がった。

次回は、7月6日12:30から地域医療総合医学講座で行う予定である。(山本和利)

2011年6月21日火曜日

激変!中東情勢

『激変!中東情勢丸わかり』(宮田 律著、朝日新聞出版、2011年)を読んでみた。

本書は、現代イスラム政治の専門家が現在の中東情勢を分析したものである。中東の激変は10年周期で起こるという。

東日本大震災によって原発事故後、火力発電への回帰がすすむことが予想される。その石油の宝庫中東では民主化ドミノ、独裁体制の崩壊が進行している。実際、食料価格の上昇が、エジプト、チェニジア、イエメンなどの性情不安をもたらした。また、当事国の権力者にイスラムの平等思想が欠けていたことも原因であろう。王族の奢侈や腐敗が国民の反感を招いてもいる。

自民党政権から現在まで方針が見えないのが日本の中東外交のようだ。日本の中東政策はその時々の情勢で漂流するという特徴がある。日本は最も中東における石油依存度の高い国である(90%)。日本の石油輸入全体の約30%を構成するのはサウジアラビアであるが、そのサウジアラビアの動静が注目される。王政を揺るがすシーア派(90%)とスンニ派(10%)の対立。民主化要求運動がスンニ派の少数派支配を終わらせる絶好の機会ととらえている。

情報は今やモスクからインターネットで取得する時代になった。現在、様々な火種があり、そのひとつがイラン対イスラエル・米国。戦争勃発の可能性もあるという。

著者は、日本には他国の追従を許さない技術や分野がある(エネルギーや資源の節約、環境保護、観光ノウハウ、水、電力、廃棄物処理、資源リサイクル、交通・運輸、職業訓練、等)ので、それをうまく活用して、中東との友好的な関係を築いてゆくべきであると説いている。

大災害に見舞われた最中に、内輪もめをしている今の日本の政党政治に、長期的な視野に立ったエネルギー政策を構築できるのであろうか。本を読むたびに気がめいってゆくのは私だけであろうか。(山本和利)

2011年6月19日日曜日

ミツバチの羽音

『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督:日本 2010年)という映画を観た。
原発建設反対を28年間にわたり訴え続ける瀬戸内海の祝島(いわいじま)の島民の姿を追ったドキュメンターである。

6月18日は震災100日目だそうだ。この日、懲りることなく、海江田経済産業大臣が停止中の原発の稼働を促す発言をし、原発立地県知事たちや住民から猛反発を浴びている。そんな中で観た映画である。

映画は監督で決まる。鎌仲ひとみ氏の作品は必見である。TVでは『エンデの遺言‐根源からお金を問う』、映画では『ヒバクシャ‐世界の終りに』、『六ヶ所村ラブソディ』を作っている。『エンデの遺言‐根源からお金を問う』はTVドキュメンタリーの中では3本の指に入る傑作である(YUTUBEで見ることができる)。

海藻を採る男女。ヒジキを干すおばちゃん。枇杷を作る青年。米を作る老夫婦。島での生活のための様子が丹念に撮られている。そんな島での生活の合間に、対岸や東京に出向いて原発反対運動に邁進する。海や山の幸を大切にして、第一次産業で生き残ろうとする住民と、先行きのない「老人の島」として切り捨てようとする国家と中国電力の闘い。その中での無償で28年間継続して闘う住民パワー、特におばちゃんパワーには圧倒され、感動する。笑いと涙で顔がクチャクチャになる。

映画の中では、原発建設を一日でも先に引き延ばそうと島民が奮起しているが、田ノ浦に上関原発建設許可が下りたという映像が流される。しかしながら、2011年3月11日の福島第一原発の事故後、風向きが変わったように思う。彼らの思いが叶うよう祈りたい。

映画の中間で、持続可能な社会を目指す人々としてスエーデンのオーバートーネオ市のことが紹介されている。スエーデン一のへき地で地域自立型エネルギー政策を実践している。非常にうまくいっているらしい。またスエーデンではきれいなエネルギーを自由に買う保証もなされている。日本は一社独占である。ここより日本の自然資源(風力、地熱、等)ははるかに恵まれているので、是非参考にして日本でも取り入れてほしいと思った。

大変素晴らしい映画なのに観客が私と妻を含めて6名しかいないというのが少し寂しい。多くの人に是非この映画を観ていただきたい。文藝エロス路線を一時中断してまでこの映画を上映してくれたこの映画館を何としても支援したいものである!(山本和利)

北海道地域医療研究会

6月18日、北海道地域医療研究会の第2回運営会議に参加した。

2011年10月29日に行われる総会・定期研究会のことを中心に話し合いが行われた。村上智彦氏の司会で会は進められた。

これに参加して、北海道大学が国際活動の戦略的課題と位置付けている『持続可能な社会づくり(サステナビリティ)』に関して2007年から毎年サステナビリティ・ウィークを開催していることがわかった。それに関連して、北海道地域医療研究会の総会・定期研究会の日程と合わせて、10月30日に医療に関連した会議が北海道大学の学術交流会館で予定されている。

総会・定期研究会を企画する中で、夕張市長の鈴木氏と村上智彦氏のトーク・ショウ等、の案が出された。(山本和利)

2011年6月18日土曜日

内科学会 北海道地方会 専門医教育セミナー

 本日は日本内科学会の北海道地方会が開催された。
 その中に、専門医部会教育セミナーという90分の企画があり、今回は松浦が担当した。

 内容は「ヒヤリハット症例から学ぶリスク管理」と称して、私が以前勤めていた病院で3年間にわたり毎月開催していた、後期研修医の発表による「ヒヤリハットカンファレンス」の実演を行った。

 このカンファレンスは、研修医が経験した、いわゆる「ヒヤリハット症例」をじっくりみっちり振り返るカンファレンスで、おもに後期研修医の「症例を基に振り返る勉強法」の教育のために実施していたカンファレンスだが、ヒヤリハット症例から得られた教訓が多くの人(主に初期研修医)と共有されることや、長く続けることによりヒヤリハットを隠さない文化が病院内に根付いてくるという効果も認められたことから、「医療安全管理」や「リスクマネジメント」の面からも有用ではないかと思い、そういう切り口で紹介することとしたものである。

 はじめに、多くの病院でインシデントレポートの提出が義務付けられているが、医師からの提出は全体の2%しかない(都立病院での調査より)ことを紹介し、医師がインシデントレポートを出さない理由として、「責任を問われるから」があることを紹介した(広島大学での調査より)。これはインシデントが重大になればなるほど顕著な理由となる。医師にインシデントレポートを書いてもらうためには、その「非懲罰性」がポイントとなる。

 また、重大な出来事の振り返りの方法として、「SEA=Significant Event Analysis」という方法を紹介した。会場には、一見して中堅からベテランの医師と思われる方々が出席していたが、知っている人は殆どいなかった。起こった事実だけを振り返るのではなく、その時の感情について振り返ることが重要であることを紹介した。

 続いて、そのSEAの「感情面の振り返りをする」という方法を取り入れた、「ヒヤリハットカンファレンス」の準備の仕方を紹介し、準備の段階やカンファレンスの司会進行をする際に気をつけることとして、以下の10か条を紹介した。特に1.発表者を責めない事が重要である。

 1.No Blame Culture 発表者を責めない
 2.発表者の自己批判をさせない。
 3.出来事の中で湧き上がる感情についても取り上げる。
 4.振り返り学習の意義に焦点を当てる。
 5.正解・不正解はないことを強調する。
 6.学習者(発表者)がS発表を自分のものと思えるようにする。
 7.出席者の意見を引き出すようにする。
 8.発表者・出席者の力量に合わせた質問や意見を引き出す。
 9.次に活かせる一般化された教訓(Clinical Pearl)をうまく引き出す。
 10.最後に全体のまとめをするようにする。


 その後、実際のヒヤリハットカンファレンスの実演を行った。
 症例は、ちょうど3年目になりたての後期研修医が経験したヒヤリハット症例であった。
 概要は、買物途中に突然左足の脱力が生じ、救急搬送されてきた高齢女性であるが、病院到着時は症状は全くなくなり、ケロッとしていた。様々な診察・検査を行っても、特に異常を指摘できず、その研修医は「TIA」疑いとし、早めに脳外科を受診するよう指示して、その日は帰宅とした。
 後日、脳外科から届いた手紙には、「脳梗塞」という診断名が書かれていた。「脳梗塞」を起こさないように脳外科の受診を指示した後期研修医にとって、「実際に脳梗塞を起こしてしまった」ことは大変にSignificantな出来事であったようだ。そのため、TIAを疑ったときにどのように対応すればよかったのかという点を中心に勉強し、得られた教訓を共有することにした。

1)TIA=一過性脳虚血の「一過性」には時間的定義はない。
2)一過性の「脳梗塞様」症状をTIAといい、両側に症状が出ることもある。
3)TIAであっても画像上(MRI)、所見があることもある。
4)ガイドライン上はTIAで症状が消失していてもMRIの撮像を推奨。
5)TIAの10-15%は90日以内に脳梗塞を発症し、半数は48時間以内。
6)48時間以内の脳梗塞発症予測因子としてABCD2スコアがある。
7)TIAを疑えば可及的速やかに「治療」を行うべきである
8)24時間以内に治療を開始すると脳梗塞発症が6%→1.2%に減少。
  (NNT=21)
9) アスピリン単独・アスピリン+ジピリダモール・クロピドグレル単独を推奨。
10) AfやAMIに伴うTIAには基本的にはワーファリンが推奨されている。

 以上を紹介し、得られた教訓を一言でまとめて
「TIAは不安定狭心症のようなもの」
「ACS=Acute Cerebral Syndromeとして警戒せよ!」を紹介した。


 最後にこうした形式のカンファレンスを行うことにより、発表者の研修医にとって「症例をもとに振り返る勉強方法」が身につくことは当然として、カンファレンスの参加者に有用な教訓が広く共有できる点を強調した。また、こうした形式のカンファレンスを定期的に長く続けると、「このカンファレンスでは失敗を発表しても責められない」という院内文化が形成され、後期研修医からのヒヤリハット症例の自己申告が増え、カンファレンスが充実し、院内全体の医療安全にも貢献することが予想される締めくくり、90分のセッションを終了した。

                          (助教 松浦武志)

clinical pearl

6月18日、第259回北海道内科地方会に参加した。

血液・内分泌・神経・感染症・アレルギー関連の一般演題を聞いて得られたclinical pearlを以下に紹介する。

・抗血小板薬を内服中の患者にTTP症状が出現したら、副作用を疑う。頻度は低いがクロピドグリルでも起こりうる。

・発熱、浮腫、呼吸困難等の症状で、血液・画像精査をして確定診断ができないときには、血管内リンパ腫を疑う。

・健康成人に突然みられた血小板減少症に遭遇した時には、リンゴ病(ヒトパルボウイルスB19感染)を疑う。

・非定型抗精神薬内服中の患者の意識障害をみたら、耐糖能悪化による糖尿病昏睡を疑う。

・原因不明の低血糖、心室細動の原因として副腎不全が隠れていることがある。

・ミオパシーの原因として副腎不全も鑑別に入れる。特に好酸球増多や高K血症がみられるときには。

・治療効果のでない急性咽頭炎に出会ったら、HIV感染を考慮する。

・高タンパク血症、低アルブミン血症をみたらJgG、特にIgG4関連疾患を考慮する。

・下血、発熱など激烈な症状を呈する疾患として顕微鏡的多発血管炎があるが、生前診断は難しい。

一般演題終了後、専門医部会は『ヒヤリハット症例から学ぶリスク管理』という企画を実施した。企画を松浦武志助教が行った。(山本和利)

第2回 IDATEN 北海道クリニカルカンファレンス

1)静岡県立静岡がんセンター
  感染症内科 大曲貴夫先生レクチャー
 肺炎のマネジメント(市中肺炎/院内肺炎)
 豊富な経験と文献的な考察を元に肺炎治療のむつかしさを
 現場目線でわかりやすくレクチャーしていただいた。
 
2)北海道の臨床現場からのクリニカルケースカンファレンス

ケースカンファレンス 1
 34才 女性 感染性心内膜炎に伴うSeptic embozaition
 pitfallから多くのc1inical Pearl を導いた症例。

ケースカンファレンス 2
 93才 女性 胸苦 総胆管結石の既往あり

過去の症例、特に重症化した症例は振り返ると非常に
勉強になるのですが、その道の大家や多くの上級医に
囲まれて自らの経験を発表するのは辛いものです。
特に感染症の有名な先生と多くのギャラリーの前で
発表された先生の勇気には頭が下がります。
また昔のようにボスの方針や流儀に従って、経験則
のみに頼らず、積極的に他流試合をして臨床力を
高めようという若い先生が多く参加されている事に
頼もしさを感じました。

2011年6月17日金曜日

富山大学地域医療支援学講座


6月16日、富山大学医学部で開催された地域医療支援学講座主催(有嶋拓郎教授)の勉強会で講義をした。

この前に富山大学の総合診療部と救急部が主催している複数の地域支援病院との間で行っているテレビ会議に参加した。

座位で失神、痙攣を起こす中年女性事例と関節痛と軽い浮腫で受診した中年女性事例であった。最終診断は「血管迷走神経性失神」と「SLE」であった。病歴と身体所見からどこまで診断に迫れるかを試みる有意義な勉強会であった。

講演では、まず医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介した。研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。その根拠として、Shojania KGの論文How Quickly Do Systematic Reviews Go Out of Date? A Survival Analysis. Annals of Intern Med 2007 ;147(4):224-33の内容を紹介した。効果/治療副作用に関する結論は,系統的レビューが発表後すぐ変更となることがよくある.結論が変更なしに生き延びる生存期間の中央値は5.5年であったからである。(5年間で半分近くが入れ替わる)

N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。
その中でbiopsychosocial modelの提唱者のGeorge L. Engelを紹介。(he need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science 1977;137:535-44)

最近の理論Joachim P Sturmberg ( The Foundations of Primary Care)も紹介。

後半は、「外来における研修医指導のための5つのマイクロスキル」を紹介した。マイクロスキルは5段階を踏む(考えを述べさせる、根拠を述べさせる、一般論のミニ講義、できたことを褒める、間違えを正す)。腹痛、血尿を訴えるシナリオで具体例を示した。

講義後、たくさんの質問をいただき、参加者の関心の高さを窺わせた。今回は新たに診療所実習を受け入れる指導医の方々が参加している。富山大学の臨床実習がさらに充実することを期待したい。(山本和利)

2011年6月16日木曜日

I love you !


 真昼間から夢をみていたわけではありません!
皆さんは図のような手話をご存知でしたか?僕は全く知りませんでした。実は「I love you!」
という意味だそうです。しかもこれは世界共通だそうです。本日のプライマリケア・レクチャーシリーズは西伊豆病院 仲田和正先生の「手と肘の診かた」でした。この手話は講義の“つかみ”で仲田先生が使われており、これはそのぱくりです(ごめんなさい)。
普段”なんとなく”診ていた手根管症候群、Colless骨折や嗅ぎタバコ入れ、など解剖をきちんとおさえた講義はわかりやすくまさに目からウロコでした。学生時代(だけでなく、今現在も、、)あれだけ大嫌いだった筋肉の名前を覚えようとする自分も意外でした。ま、きっと、研修医の先生に「あれ、こんなことも知らないの~?」なんて知ったかぶりするためなのでしょうが・・・・。
 このブログを書いていても思うのですが、「人にものを伝える」って本当に大変な作業です。①誰に、②何を、③どのように、④何のために、ということがはっきりしてないと伝えたい自分のほうもわけがわからなくなってしまいます。
 そのような点においても本日の仲田先生の講義は整形外科という面でも、また「誰かに何かを伝える」という面でも魅力的でとても勉強になりました。
 只今、プライマリーケア・レクチャーシリーズの参加者を募集しておりますので、ご興味のある方は“札幌医科大学 地域医療総合医学講座”のホームページをご覧下さい。(武田)


 

乳児健診・発達健診

6月15日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は江別市立総合病院小児科の梶井直文院長である。テーマは「プライマリ・ケア医の乳児健診・発達健診」で,参加者は22名である。

<現在的意義>
1955年:疾病の早期発見・早期治療
1990年~:こころの健康
2001年~:「健やか親子21」→育児支援

乳幼児健診の役割
・発達障害の早期発見・支援
乳児健診(先天性疾患、脳性まひ)→1歳6カ月(重度精神遅滞、自閉症)→3歳時健診(中等度精神遅滞、自閉症)→就学前発達相談(注意欠陥多動性障害, 学習障害, 等)

<ポイント>1)子どもの成長には個人差が大きい。2)定期的な経過観察が必要である。3)母親に不安を与えない。4)母子手帳、成長曲線、発達検査(円城寺式・乳幼児分析的発達検査表)の活用。5)十分な事後健診、小児神経科医、児童精神科医に紹介。6)育児支援システムを知っておくことが重要である。
1) 身長・体重・頭囲の成長のチェック。①成長曲線を利用する。頭囲の大きい患者。親も乳児期に頭囲が大きかった。「家族大頭症」(両親の乳児期の写真を見る!)②肥満度曲線を利用する。3歳児健診では重要。+50では肝機能障害がでる。(ジュースを控える)
2) 身体疾患に注意した診察
3) 運動発達についての神経学的検査を取り入れた診察。脳性まひの原因は出生前・周産期が80%。

4か月健診のチェックポイント①頚定、②笑い反応、③追視、④喃語

7か月健診のチェックポイント①寝返り、②座位、③おもちゃの持ち返る、④人見知り、側方へのパラシュート反射

10か月健診のチェックポイント①這い這い、②つかまり立ち、③小さなものを指でつまむ、④イナイイナイバーのまね、前方へのパラシュート反射、聴力検査が重要!(早期に内耳手術が可能である)
いざり這い乳児(shuffling baby)坐ったままいざって移動する。独り歩きが遅れるがその後の発達は順調。家族歴がある(40%)

1歳6か月児健診のチェックポイント①歩く→小走り、②一語文→二語文。

3歳児健診のチェックポイント①片足たち、両足飛び、②三語文→会話。円城寺式・乳幼児分析的発達検査表を活用する。「言葉は知恵の窓」である。

軽度発達の問題→問題の顕在化→学校不適応・心身症→社会への不適応
軽度発達障害児が5歳児になって発見される率が高い。5歳児健診の必要が叫ばれている。
フロアから、「成長・発達に問題がある子が来ない。虐待が隠れていないか。」等の質問がだされた。梶井先生はこれまでの健診業務について、「チームで診ることが大切。スタッフに育てられた。」と振り返っておられた。

次回7月20日は「小児科救急」、次々回9月21日は「小児科感染症」を予定している。
(山本和利)

2011年6月15日水曜日

6月の三水会


6月15日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は18名。大門伸吾医師が司会進行。初期研修医:3名。後期研修医:6名。他:9名(見学の医学生1名)。

研修医から振り返り7題。

ある研修医。83歳の男性。労作時左前胸部圧迫痛で精査入院。既往歴;腰椎ヘルニア、アルコール依存症。左腎臓摘出術。喫煙20本/日。やせ型。心雑音なし。検査データ:HbA1c:8.0%,FPG>300mg/dl。その他はほぼ正常。
病歴を掘り下げてみると;指差す、刺されるような痛み。体位変換で増悪。持続は数分間。嘔気が強い。GIF;胃角に巨大潰瘍と粘膜下腫瘍。インスリン導入。尿路感染症を併発。
胸痛をきたす消化器疾患について調べた。
今後、どのように経過をみてゆくかが重要であるという意見が出された。このような患者に対してどうするか、多職種カンファランスが必要ではないか。家族に意向はどうか。どのような病歴なら心疾患を否定していいのか報告して欲しかった。
クリニカル・パール:「胸痛についても消化器疾患を鑑別に挙げなければならない。」

ある研修医のSEA。68歳女性。ポリオ、肺結核の既往があり側湾症。喫煙もあり、COPDと診断されている。HOT導入中。自覚症状はない。BIPAPマスクをつけることによる不快感を訴える。円滑なコミュニケーションがとれない。装着を望まず退院となった。
振り返り:患者自身の意思がわからず、医療者と配偶者だけで治療方針を決めてしまった。長期化した入院期間を早く打ちきりたかった。実は本人の意思を引き出せたのではないか。
時間をかけて対応してゆくしかないのではないか。受け入れができるようになるのに時間がかかる。医師自身が一度BIPAPマスクをつけてみるのもよいのではないか。
クリニカル・パール:「患者の唯一の味方として他の医療者を説得する必要もあった。日ごろから良好なコミュニケーションを心掛ける必要がある。」

ある研修医。春がなくて夏が来た。病院に冷房がない。17歳女性。右下腿に痛み(虫さされ?)。刺し口あり。虫さされと診断し、ミノマイシンを処方した。4日後も変化なし。皮膚科のアトラスを調べる。3日後に症状消失。
「ブヨかな?」「山に行くとこんなことよく起こるよ」「冷やすことが一番」
クリニカル・パール:皮膚疾患に出会ったら写真を撮ろう」

1歳の女児。発熱、咽頭痛。39度台の発熱が続く。川崎病、膠原病が頭を過る。WBC;3500, CRP;1.8。インフルエンザ陰性。関節痛はなし。1週間後に再受診。小児科で抗菌薬を処方され、解熱した。親が心配する。熱よりの患児の元気度が大事。
クリニカル・パール:「繰り返しの受診を促す。紹介するタイミングを間違わない」

40歳女性。項に湿疹。獣医に「牛の湿疹が移った」と言われた。google調べた結果、牛の白癬菌(Trichophyton)が人に感染するらしい。皮膚科アトラスをみると「たむし」そのものであった。
クリニカル・パール:「googleは役立つ。特殊な疾患名がでやすいので注意。知っているものしか見えないので、知っているものを増やすしかない。」

ある初期研修医。夕刻、救急車が来ますと連絡を受ける。78歳男性が意識障害で搬送。JCS2ケタ。発熱。血圧:180/110mmHg,PR;123/分。呼びかけに眼を開ける。血糖値200.血ガス:異常なし。麻痺なし。事務員から特定疾患「多発性動脈炎」で大学病院にかかっているという情報が入る。ステロイドはしっかり内服している。上級医が到着し、まず検査をして医大に送るかどうか決めると家人に説明。CT,MRIは異常なし。ここまで2時間かかる。結局、21時30分に医大に搬送となった。
化膿性髄膜炎であっただろうか。
クリニカル・パール:「患者さんに救急搬送システムを知ってもらう必要がある。意識障害の老人に化膿性髄膜炎を疑ったら、30分以内に治療する。ステロイド、抗菌薬、髄液穿刺の順に」

ある研修医。89歳女性。肺がんを宣告されているが未治療。歩行ができなくなった。反応が鈍くなった。Sa2;90%。CRP:10。胸部XP;変化なし。抗菌薬治療を開始。発熱が続く。血培養、尿培養は陰性。
患者家族への説明の難しさを痛感した。自分の中で診断に自信がなかった。説明した部屋が汚かった。「先生にお任せします」と家族は言っていたが、納得していなかった。PMRとして説明した。「胸のつかえがとれました」と返事あり。
クリニカル・パール:「患者の話を聴くこと、環境を整えて、相手の感情にも配慮することが大事である。」

ある初期研修医のSEA。列車脱線事故の患者への対応。夜中に電話連絡を受ける。救急専門の上級医の仕事ぶりに圧倒された。検査・治療の補助ができた。手技・診察面では戦力不足であった。来年に向けて、一人の医師としての気概をもつべきであると思った。

ある研修医のSEA。84歳女性。腹部膨満感、食欲不振。大腸線腫の切除を拒否。家族と疎遠。娘は関東に居住。腹部膨張、下腿浮腫。貧血、CEA125:504、CT;胸水、腹部に腹水。腺がん細胞あり。卵巣がんによるがん性腹膜炎と考えられた。化学療法をするか。するとしたらどこでするか。癌の告知をすべきかどうか。結局、本人と家族に癌を告知し、癌治療または緩和治療という2つの選択肢を示した。予後については明確にしなかった。緩和治療を選択ししばらく外泊となった。相手が病状についてどう思っているか引き出すことも重要である。
クリニカル・パール:「末期がん患者への告知、残りの人生をどこでどのように過ごすか決めることは難しい。結果がでる前に患者に告知についての意思を確認することが重要である。」

今回は、18名も参加者があり、熱気がムンムンとした熱い雰囲気であった。(山本和利)

2011年6月14日火曜日

科学的とは?

6月14日、4年生を対象にした「EBMと臨床研究」シリーズの最終回の講義を行った。

科学的に現象を説明しようとする場合、医療ではy=ax+bという一次関数にしたモデルを採用している。健康でいる率をY軸、喫煙年数をx軸にとるとS字型をとる。それを一次関数(直線)にしようとするには、Y軸の健康でいる率をオッズに変換してグラフを書くと指数関数に近くなる。そこでそのオッズをさらに対数にすると直線に変換できるのである。この手法が多重ロジステック回帰分析である。

そして現象がどのくらいその直線に乗るかみるのが寄与率である。このような多変量解析を用いて計算しても、生身の人間を対象とした研究では相関係数はせいぜい0.5にしかならない。つまり統計学的には、寄与率は0.5×0.5=0.25であり、人間を対象にした場合25%しか説明できないのである。とは言え、科学的であるためには、絶えず勉強して25%の科学性を確保する努力が必要であることを強調した(人間性だけでは宗教と変わりがないことになる)。

後半は「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」、「奇跡のリンゴ」(石川拓治著:幻冬舎 2008年)など、科学的に農業に取り組む話をした。

ある学生の感想を次に示す。「全体を通して思ったことは、医師として科学的であり、また人間的でもなければならないということである。このような医師になるため、患者のことを常に考え、知識を増やし、人間的に成長するよう経験を積んでいかなければと思った。」

講義を通じての私の思いが少なからぬ学生たちに伝わって本当にうれしい。(山本和利)

2011年6月13日月曜日

レジナビin TOKYO

6月12日、当日、夏服にして自宅をJRの一番バスに間に合うように出発。車輪の上に作られた極端に足を挙げて座らなければならない座席に陣取る。JRの列車に乗ってから、JRバスに携帯電話を落としたことに気付く。予約の飛行機に間に合うように祈りながら公衆電話でテレフォンカードを使って、携帯電話の落ち着き先を探すことになった。朝が早いので営業所は留守電対応。羽田空港でやっと携帯が営業所に届けられていることを確認。出足から気が重くなる展開である。

会場のビックサイトでニポポプログラム事務局の日光さんと研修医の敦賀医師と合流。12時開始から1時間、一人も来訪者なし。勧誘用のテッシュペーパーも手渡せない状況。合間の時間に各ブースを訪ねて知り合いの指導医たちと情報交換をした。そのうち、沖縄・鹿児島の研修医が訪問してくれた。15時ころ東京の某大学研修医4名がまとめて訪問。

最終的に8名の研修医、1名の医学生の訪問があった。例年に比べて総合診療を志向する研修医が増えている印象を持った。今後は彼らにアプローチして病院見学に北海道に来てもらえるように働きかけていきたい。(山本和利)

2011年6月11日土曜日

呼吸器内科に強くなるカンファ(1)

6月12日、江別市立病院で18時から行われた「長崎大学感染症内科の土橋佳子先生による呼吸器内科に強くなるカンファランス」に参加した。はじめに参加者の自己紹介から始まった。院外から私を含めて3名が参加した。年長者は私と江別市立総合病院の梶井院長、阿部副院長。

2つのチームに分かれて内容を披露し合う形式の参加型ディスカッションである。

症例
胃がんによる胃全摘出、結核による胸郭形成術の既往のある70歳代男性。12kgの体重減少。微熱と右顔面・両下肢の腫脹を主訴に紹介となった。

ここで時間をとって鑑別診断をグループ毎であげる。
鑑別診断:「結核、悪性腫瘍、肝硬変、腎不全、膠原病、上大静脈症候群、蜂ヶ識炎、糖尿病」等が挙がった。

現病歴:4か月前から右顔面・両下肢の腫脹。その後、咳、微熱。12kgの体重減少。
既往歴:狭心症、甲状腺機能低下症(チラジン内服中)。喫煙20本/日。陰性所見を沢山挙げて、その情報から疾患を除外することを強調していた。

次は優先順位をつける。

鑑別診断ランキング:①悪性腫瘍(悪性中皮腫、悪性リンパ腫、上大静脈症候群)、②結核、③膠原病となった。

身体所見:右肺野で呼吸音低下、fine crackleあり。遠位優位な筋委縮あり。ガワーズ兆候あり。温痛覚低下。

60分経ってもまだ胸部XPが出てこない。1例に90分以上かけて行うカンファランスに企画者の根性を感じる。

次に前医からの情報を披露。胸部CT;右中肺野・下肺野の胸膜肥厚・石灰化。腹部CT:転移所見なし。GF:R-Y吻合。

ここでプロブレム・リスト作成し、それからアセスメントをした。
ひとグループのものを提示すると
① 結核の脊椎浸潤
② 悪性中皮腫
③ 血管炎
であった。

ここで検査計画を立てる。
勉強会はまだまだ続く。
終了後は懇親会も用意されている。

このようにして総合医としての実力を若い医師たちが養っている。心強い限りである。
大変勉強になるので、学生や研修医には是非参加していただきたい。(山本和利)

チーム医療の構築

6月12日、第62回日本東洋医学会学術集会の中で開催された第27回臨床東洋医学会に招かれ、基調講演「北海道の地域医療の現状とその課題~よいチーム医療の構築に向けて」を行った。

北海道における医療の現場の医師不足を報告した。このような地域には現実に対応できる総合力を持った医師が求められる。地域医療再生の5つの作業仮説を述べた。後半はチーム医療について総論を述べた。不可欠な4要素は「生活者の視点」「目的の共有」「コミュニケーション」「コミットメント」である。

基調講演に続いて、「緩和ケアの立場から」「在宅医療の立場から」「看護師の立場から」「薬剤師の立場から」と題して4名の方からチーム医療における漢方の役割についての講演があった。

緩和医療:久留米大学の恵紙英昭氏(精神科医)
ある末期がん患者の言葉「最期には人がよく見えます。」患者の悔い「美味しいものを食べておかなかった。」を紹介された。西洋薬が効かないとき、六君子湯を氷にするとよい(セロトニン受容体に拮抗する)。スタッフで試食してみた。美味しい。バニラアイスクリームやヨーグルト、杏仁豆腐に混ぜると評判がよい。口の中がすっきりする。吐き気、嘔吐が減る。院外カンファランス(飲み会)を大切にしている。繊細さと鈍感さを併せ持ち、人間力を高める努力が大切である。

在宅医療;大澤誠氏(精神科医)
認知症を専門にしている。特養、グループホーム、老人ホームの嘱託医。BPSD(認知症に伴う周辺症状)のある患者へのサービスについて解説された。生活のしづらさを支えてあげることが重要である。生活者の視点(生活者モデル)が重要である。漢方医学が適している部分が多い。

看護師の役割:飯塚病院漢方外来の小池理保氏。
診察前のオリエンテーション、教育ツールを使って患者を教育する、健康調査票をチェック、診察介助、診察終了後の補足、患者の不安や訴えに関わる(傾聴と医師の言動へのフォロー)、パンフレットの作成・配布、漢方薬試服の観察、電気温鍼の実施、煎じ薬の服用に関わる、副作用への対策、老人施設入所者への関わり、看護教育、他科との連携、他職種との関係。外来の柱に四季折々の模様替えをしている。

薬剤師の役割:近畿大学の森山健三氏。
処方の提案と副作用のモニターリングが重要である。副作用軽減の提案と副作用の回避が必要。医療従事者間での情報の共有。配合生薬での注意。注意が必要な自覚症状。皮膚症状が悪化する生薬。妊婦等に注意が必要な生薬。(寒、熱)(緩、緊)を覚えてほしい。漢方薬の副作用チェックに薬剤師の役割が重要になると思った。

他職種の活動や知識についてお互いに共有し合い、生活者本位に医療を実践することが重要であると再認識させられた会であった。(山本和利)

2011年6月10日金曜日

1年生 医学史講義 その5・6

昨日と本日1年生に医学史の講義を行った。
来週は札幌医科大学の学校祭のため講義がお休みとなるため、変則的に木曜日と金曜日の連続の講義となった。

6月9日木曜日はフロイトと野口英世であった。
奇妙な組み合わせだが、本来はフロイトと森田正馬の組み合わせであったのが、発表の班の都合で変更となったためだ。


フロイトは意識と無意識を研究し、器質的異常が認められる統合失調症ではなくヒステリーの治療・研究を行った。
無意識の例として、「鼻歌が自然にでてきたとき、どんな歌を歌うかは無意識が決めている」「朝起きたとき、しらないうちに目覚ましが止まっている」ことなどをあげていた。なるほど。

また、夢についてフロイトは、通常自分ではどうにもならない欲求は、できる範囲で代償し、「無意識」に押し込められることはないが、それが無意識に押し込められ、大きくなるとそれが夢となって出現すると考えた。その夢は歪曲され、修飾されて本来の欲求とは違う形で現れることがあるので、夢から本人の押さえ込まれた欲求を調べるにはその夢を解釈しなければならない。

また、人間には本来「異性の親を愛してしまう」エディプスコンプレックスというものが存在し、通常は成長するに従って解消されていくが、それが解消されないと、マザーコンプレックスやファザーコンプレックスとなっていく。

また性的な欲求や破壊欲求なども本質的に人間に存在し、それが顕在化すると、ロリコンやSMなどとなることがある。らしい。

フロイトは高校の倫理の授業で習う学生が多いが、フロイト=無意識という受験知識のみしかないが、本来はこういうことなんだろう。しかし、ただでさえ精神科領域の概念は難しいところへ、外国語の訳であることなどから、その理論は難解で非常に難しい。そんな中で分かりやすいたとえを用いてよく頑張ったと思う。


2つ目のグループは野口英世であった。
Google検索件数第1位ということで、調べる情報には事欠かないテーマであったが、逆にどの点に絞ってストーリーを組み立てるかということについては腕の見せ所である。

冒頭、学生に質問をふっている発表者がいたが、講義後の学生の感想によると物まねをしているようであった。仲間内では受けるんだろうが、教員である松浦にはよくわからなかった。ジェネレーションギャップなのであろうか?

野口英世は黄熱病の研究で有名だが、実は、梅毒の研究でも有名なのである。結構知らない人が多いようだ。
発表では梅毒の臨床経過について、写真付きで解説していた。1期(3週間)2期(3か月)3期(3年)4期(10年)と国試的な対策まで披露していた。う~ん、確かにいまからこの授業でいわれれば3ー3ー3ー10は忘れないかもしれない。

野口英世は、結局、黄熱病の原因がウイルスであることは突き止められなかったし、自説の中で主張した病原体は実はワイル病の病原体であった。そのことを他の学者から指摘された際には、自らの間違いをきちんと認める潔さも持っていたようだ。

ここまで、野口英世の業績を中心に発表していたが、その後の発表は、野口英世の裏話的な発表であった。金遣いが荒いことであったり、結婚詐欺的な振る舞いであったり、もとは野口清作という名前であったが、その名前を改名するに至る経緯などを紹介していた。意外なことが多く、興味を惹かれる内容であった。一般に思い描く「お札の肖像画にまでなった人」のイメージからは程遠い。


発表後の質問・感想の中で、「スライドの背景と文字のコントラストが悪くて、強調して色を変えたところが逆にかえって見難くなっている」という意見が出た。

そう! そうなんだよ! 
「音情報」としてのプレゼンテーションは良くても、「文字情報」としてのプレゼンテーションが出来ていないと効果半減となってしまうんだなぁ。
そういったところにも目が行くようになってきているんだねぇ。医学史の講義の最初に「プレゼンテーションのコツ」と題して、ほんと「基本のキ」を教えたんだけれども、他人の発表を見ながら、徐々に基本→応用と技術が身についてきてますね。こうした参加型の講義の効果を改めて実感した。



6月10日金曜日の臨時の医学史の講義は
北里柴三郎と森田正馬であった。


今日のファシリテーションは福山雅治の物まねから始まった。ちょっとスベっているところもあるが、まぁ、つかみはこれでいいだろう。

北里柴三郎は、親にいわれて医学部を目指し、東京大学医学部に入学した。幼少期から医者を目指していたわけではないらしい。それなのに、ドイツに留学して当時細菌学の権威であるコッホに師事する。中国に出張した際にペスト菌を発見するなど、非常に優秀な研究者であった。
日本医学史に様々な功績を残しているが、その代表的なものは慶応大学医学部を創設したこと。


北里柴三郎は当時ある程度存在が予想されていた破傷風菌の研究を行った。当時破傷風は発症すれば30%は死亡する恐ろしい病気であった。破傷風の培養の工夫をして。寒天の上からではなく、中に直接植え付けたら寒天の中で繁殖していた。つまり、破傷風菌は嫌気性菌であることを発見したのであった。

培養に成功したため、その培養によって得られた破傷風菌を使い治療の研究も行った。一度破傷風菌を植え付けたマウスの中で、運良く生き残ったマウスに再度破傷風菌を植え付けてもそれらのマウスは発症しないことがわかった。これはマウスの体内で抗体ができていると考えられていた。この抗体を利用した血清療法を確立し、この治療法は今でも使われている治療方法である。

北里柴三郎はノーベル賞を受賞し損なった。当時の日本への差別意識があったといわれている。へぇ、、、、


最後に、プレゼンテーションを3つにまとめてそこから得られる教訓を紹介していた。

1)予防医学の大切さ
2)研究だけをやっていたのではダメだ。どうやって世の中に役立てるのかを考えろ。社会に貢献を
3)勉学に励め!

以上でプレゼンテーションが終了した。

今回のプレゼンテーションはかなりレベルの高いものであった。
この班は、発表者を一人にして、30分の発表を行ったのであるが、発表者の彼は、全国ディベート大会に何年間も連続出場しているとのことであった。さすがと思わせるプレゼンテーションであった。

ディベートによって得られる技術というよりは、人前で発表することに慣れていることから得られた技術なのだろう。声のトーンや、抑揚・間の取り方など、「相手に自分の考えを伝える」ための小技がすでに身に染み混んでいるといった感じであった。



2つ目のグループは森田正馬(もりたまさたけ)であった。

森田正馬は高知県出身で、東京大学医学部卒業。当時入局する人が極端に少ない精神科に進み、後に森田療法の創始者となる人物である。彼は、幼少期の頃からパニック発作・神経衰弱・脚気など発症し、中学高校と卒業までにかなりの時間を要した。そうした経験が、森田療法を生み出したのである。

その森田療法の核となる考え方は「ありのまま+恐怖突入」
老子の思想(無為自然)に似ているとのことであった。

これは、入院を基本とした神経症治療方法であるが、現在は外来通院もあるのだそうだ。

不安・神経症・軽度鬱・パニック発作などの治療法で、不安や恐怖を「あってはならないもの」として排除しようと思うのではなく、それらをあるがままに受け入れて治療していくのだそうだ。森田正馬には「あるがまま」という言葉が常に付いて回るようだ。

我褥期 自分をあるがままに受け入れる
軽作業期 庭の植物を育てたりする。
作業期 より日常生活に近い作業を行う
社会復帰期 外出などを繰り返しより日常に近づけていく

と具体的に治療内容を紹介していた。現在は慈恵医大病院森田療法センターで行われているようだ。

その後、幼少期に両親の離婚を経験し、学生時代にいじめにあい、精神科通院歴のある20才の男性の神経症の患者さんが来院したとの設定でどのように対応するかを会場に意見を求めていた。

医学部1年生ということで症例呈示の仕方としてはやや稚拙だが、その答えとして学生からは「話をよく聞く」「もっと時間をかけて対応する」などの意見が出ていた。

その後、ファシリテーション担当の班からは、「この問題についてもっと掘り下げて意見を聞いてみたいと思います」とテーマを決めて、意見交換をしていた。「すぐに薬を出して終診」とする医師に対して疑問を投げかけていた。

ファシリテーションのやり方としては、一工夫あってよかったと思う。また、その過程で自分の意見をちゃんと発表していたのもこれまではなかなか行われていないやり方であった。



最後に松浦から、
「こうした若い患者はおそらく、頭がいたい・お腹の調子がわるいといった症状を訴えてみんなの前に現れる。その時に決して、過去のイジメのことや、両親の離婚のことなどを自分から語ってくるようなことは絶対にないし、カルテにも書かれていない。その患者の背景について「聞ける」かどうかにかかっている。ともすれば「繰り返す腹痛」や「検査で異常のない頭痛」と片付けてしまいがちなことでも、こうした背景に配慮出来れば、森田療法に限らなくても、じっくりと話を聞き、それまでの患者の辛い人生に想いを寄せることが出来れば、おそらく患者の苦痛は半減するだろう。それが、病気を診て患者も見ることにつながる。今日の皆さんの「患者の話をじっくり聞く」というその気持を今後も持ち続けて医師になってほしい」というメッセージを伝えて講義を終了した。


                             (助教 松浦武志)

FLAT  ランチョンセミナー

本日はFLAT ランチョンセミナーが行なわれました。
今回は「ディベートを体験してみよう」をテーマにした
シリーズの第1回です。

中高6年間、競技ディベート部に所属していた医学部1年生の
W君からディベートの基本的知識について説明を受けました。
ディベートのお題は
「日本は原子力発電から火力発電に再び転換すべきか」
その後1年生を中心としたチームと4年生を中心としたチームに
別れ、1ヶ月後の本番に向けて資料を集め、想定される議論に対
する答えを準備し、実際の議論に臨みます。

私たち教官に印象的だったのは、こういった参加型のセミナーは
講義に比べ意欲的に取り組め、また個々人の成長度合いが大きく
一昔前の教育スタイルで育ってきた人間からは非常に新鮮でした。

今回は松浦助教のアイデアで医学以外の経験もしてみようと決定
されましたが、実際のディベート競技のように本格的なものでは
なくても、論理だてて説得力のある説明を行う事は、科学者
である医療者には必須の技術であり、若いうちにその片鱗でも
体験できる事は非常に有意義です。
また臨床では非論理的な相手や不条理な事実の説明をする事も
多いのですが、ディベートで筋の通った議論の訓練をする事で、
それらの事態でも落ち着いて説明をする事に役立ちます。

また、競技ディベートのトレーニングを積んだW君の説明は
声のトーン、目線の配り方、テンポなど非常に堂々としたもので
教える側としても参考になりました。

本番でどの様なディベートが展開されるか今から楽しみです。

助教 稲熊 良仁

2011年6月8日水曜日

ヒマラヤのドン・キホーテ

『ヒマラヤのドン・キホーテ ネパール人になった日本人・宮原蘶の挑戦』(根深 誠著、中央公論新社、2010年)を読んでみた。

ヒマラヤに魅せられた山男が、ネパールのために尽くしている話である。彼は若くして日本の職場を離れ、ネパール政府の家内工業局に就職し、その後、観光事業を立ち上げた。

王制が倒れてマオイストに支配されたネパールで、「貧困の一番の理由は政治腐敗である」という持論をもって、負けるのを承知で選挙を戦う現在の記述から始まる。

青春時代の生き方やその後の他者への協力を惜しまない起業家としての生き方も魅力的である。航空路の開拓でも苦労する。利潤は二の次で、夢の実現が先行する。常日頃の交友関係に根差す部分が大きい。それが強みであり、かつまた限界であるようだ。

60歳にしてエベレスト登頂を目指し、残り高度差数十メートルのところで、視力が低下してしまい引き返す決断をする話などが紹介されている。

70歳を過ぎてもネパールで夢を追い続ける人生の軌跡は、日本で今後の生き方に迷っている私には大変参考になるものであった。(山本和利)

2011年6月7日火曜日

稲熊良仁助教 着任の御挨拶

皆様初めまして。6月1日より助教に着任しました
稲熊良仁です。卒後11年目になります。

 実はこの教室に着任するのは10年ぶりになります。
卒後1年目にこの教室で1年間初期研修をさせて頂き、
その後は道内各地の市中病院に勤務しました。
2年前に栃木県の自治医科大学に縁あって赴任する事に
なり、そこで様々な経験をさせて頂きました。

 札幌のキレイな町並み、美味しい食べ物、安全、
久しぶりの北海道の暮らしを楽しんでいます。
やはり北海道は素晴らしい。

 趣味は旅行、料理、日曜大工、自転車等アウトドア一般です。
地方に赴任していた頃は乗馬三昧でしたが、しばらく乗っていま
せんでしたので、久しぶりに行ってみたいと考えています。
 専門はプライマリケア全般で、教育も含め今後も研鑽を積んで
いきたいと考えています。
最近の関心は地域作りを含めたヘルスプロモーションの手法と実践
についてです。
 
 将来的には道内の地域医療機関で臨床と地域づくりの両方に
取り組んでみたいと考えています。

当教室では地域医療を経験した助教が4人揃う事となりました。
お互いに年齢も近く、協力して仕事ができる事が今から楽しみです。
これからよろしくお願いいたします。

医局にて 稲熊 良仁

FLAT症例勉強会(4)

6月7日、4年生のFLATのメンバーと第4回目の症例を用いた勉強会を行った。4年生2名、3年生2名が参加。教室員3名参加。

発熱、全身倦怠感を主訴に受診した63歳男性。点状出血、胸部痛がある。38.6℃。口腔内の白苔。下肢の点状出血あり。

汎血球減少がある。

急性白血病の症例あった。3年生が身体所見からカンジダ症の併発を指摘して4年生が驚いていた。
次回は、6月22日12:30から地域医療総合医学講座で行う予定である。(山本和利)

日本臨床救急医学会

6月3日(金)~6月4日(土)札幌コンベンションセンターで、第14回日本臨床救急医学会総会・学術集会が行われました。

僕は共同演者として「久慈ウツタイン研究報告2010」の発表に携わりました。また久慈病院救命救急センターの救急看護認定看護師が「救急搬送された患者の家族のニーズと看護師の意識調査」を発表し、会場は大いに盛り上がりました。以下、今回発表致しました「久慈ウツタイン研究報告2010」の概要について報告致します。

今回、我々は久慈広域連合消防本部と岩手県立久慈病院救命救急センター間で、多職種の連携を図り、院外心停止症例について地域特性を踏まえた救命の方策を検討しました。救急隊出動のあった院外全心停止例の60%で蘇生処置が行われ、救命救急センターに搬送となっております。久慈医療圏における地域特性のひとつとして、一般市民よる心肺蘇生術の実施率が高いことが挙げられました。背景には久慈広域消防を中心とした心肺蘇生法普及事業などの成果が考えられ、ますますの活躍が期待されております。また今後も引き続きデータの解析・検討を行い、その結果を地域にフィードバックしていく必要性を感じております。

来年の臨床救急医学会は熊本の予定です。今回のような充実した学会発表が出来るよう頑張ります。(河本一彦)

2011年6月6日月曜日

布川事件

『ショージとタカオ』(井手洋子監督:日本 2010年)という映画を観た。 今年観た中で一番印象深いドキュメンタリー映画である。

2011年5月24日に布川事件再審無罪が言い渡された。冤罪で二人の男性の44年間もの長い年月、自由が奪われた。東日本大震災の影響で裁判日が延期されたため、判決が出るのを待ってこの映画の上映期日を延ばしたそうだ。

自堕落な生活を送っていた20歳の青年二人が別件で逮捕され、29年間牢獄生活を送ることになる。1996年の仮釈放で刑務所を出てきたところから14年間にわたり二人を撮り続けた記録である。本人も語っているが「もし冤罪で牢獄に繋がれなかったら、ヤクザな生き方のせいでとっくに誰かに殺されていただろう」と振り返っている。そのような二人が、仮出所後、汗水たらす仕事や日々の何気ない風景や出来事に喜びを見出し、配偶者を得て、子育てや冤罪活動家として生きがいを見出してゆく。

彼らを手弁当で支え続けた人々の姿が清々しい。本当にいい顔をしているのである。艱難辛苦をものともせず、明るく生きる姿に心打たれる。

その後、検察は控訴せず、無罪が確定した。(山本和利)

2011年6月5日日曜日

十万年後の安全

『100,000年後の安全』(マイケル・マドセン監督:デンマーク 2010年)という映画を観た。

福島第一原発の事故後、関心が高まり日本でも緊急上映となった。放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリーである。

フィンランドのオルキルオトでは世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、工事が始まっている。既に建設が始まっている施設に潜入し、原子力の専門家に未来の安全性について問いかけている。

一番の焦点は、十万年後の人類に、その地域で暮らす人たちに危険性を健康できる方法があるのかどうかである。

「この施設は人が誤って侵入しないかぎり安全である」という現代科学に信頼性を置いてシナリオが進行していくが、強大な地殻変動等で、この施設が崩壊する危険性はないのだろうか。我々の生き方を問いかける映画である。(山本和利)

2011年6月4日土曜日

初期研修医への講義

6月4日、診療支援をしている病院の研修医3名に「治療閾値」について講義をした。(外来診療教育も行っているが、急速にレベルが上がってきている)

「診断はある一つの疾患であるかどうかに的を絞る.方略は治療をするか,しないかの選択肢のみとする.」と仮定して話しをすすめた.その治療に関わる分岐点の値のことを治療閾値(t)と呼ぶ.今回はこの求め方について解説した.

治療閾値(t)は治療で得られる利益(Benefits: B)と不利益(Costs: C)の割合によって決まる。BとCとで書き換えるとt=C/(C+B) または t=1/[(B/C)+1]と表すことができる。

「B/Cすなわち損失に対する利得の比率が大きければ,病気の確率が低くても治療を選択し、患者への利得が少ない場合はかなり病気の確率が高くないと治療を選択すべきでない」という常識的な答えが導かれる。

中級編として、複数検査を行ってその結果が陰性と陽性に分かれたとき、どのように判断するか?

決断科学の文献や教科書に載っている解答を提示した。これも常識的な答えが導かれる。

研修医たちが私の講義や指導を楽しみにしているのがヒシヒシと伝わってくるので、やっていて大変楽しい。ナラティブの話もしたいし・・・企画は膨らんでゆく。(山本和利)

落語物語

『落語物語』(林家しん平監督:日本 2011年)という映画を観た。

落語家林家三平の弟子である林家しん平が、本物の落語家を使って製作した落語家についての映画である。内気な新人落語家の成長を通じて、師匠である落語家と妻のほのぼのとした愛情と子弟愛を描いている。
様々なエピソードが盛り込まれ、個性豊かな落語家たちの生きざまが描かれている。芸に厳しい若手真打や許されぬ恋愛に走る女性落語家、等。

生きることの楽しさ、辛さを教えてくれる映画である。落語ファンでなくても楽しめます。柳家小三冶が絶賛する映画でもある。

6月3日、立川志の輔独演会で新作落語「ハナコ」「メルシーひな祭り」で久しぶりに生の落語を堪能した。(山本和利)

臨床研究

6月3日、札幌医科大学4年生を対象に「臨床研究」という講義を行った。

はじめに科学の特徴は1)実験、2)理論(二元論、要素還元主義)、3)反証性、にある。科学が背負う問題として、論文捏造につて紹介し、科学社会の構造的問題について説明した。途中、これまでの復習を織り交ぜた。

「暮らしの手帖」を例に科学的な姿勢について解説した。PECOについて解説し、臨床研究のプロトールの書き方などを紹介した。その中で二十世紀最良の論文と言われるCAST(Cardiac Arrhythmia Suppression Trial)studyの復習をした。

後半、臨床研究のプロトコールに作成法や統計の話、研究のデザイン・バイアスについて言及した。(山本和利)
 

2011年6月3日金曜日

いねむり先生

『いねむり先生』(伊集院 静著、集英社、2011年)を読んでみた。

著者は27歳の若さで急性骨髄性白血病のため死去した夏目雅子の配偶者。代表作に山口県防府市を舞台とした自伝性の強い『海峡』三部作などがある。弟の死や新婚早々の妻の死によって、アルコール依存症、精神不穏状態となった著者が、「いねむり先生」に出会って、絶望から再生へと向かう話である。

「いねむり先生」(ナルコレプシーの兆候)の名前は本文には出てこないが言わずと知れた阿佐田徹也・色川武大である。競輪やマージャン、飲み屋、旅館等の場で、「いねむり先生」と一緒にいるうちに著者の気持ちが少しずつ癒されてゆく。(ミュージシャンIとして井上陽水もでてきて、著者の相談役になっている)

勝手に「いねむり先生」を師と仰いで、接する著者の姿が清々しい。

私も阿佐田徹也の本は20冊以上学生時代から読んでいた。氏の「欲張りすぎず、今の地位で九勝六敗を狙う」という哲学に共感してきた(「幸運が続きすぎると危ない」という考えで、自分の人生の本質と離れたところで「あえて不運をつくる」とした。)。

本書を読むと、人が癒されるにはかけがえのない人とそれなりの時間が必要であることがわかる。(山本和利)

2011年6月2日木曜日

1年生 医学史 講義 その4

本日は医学史の講義を行った。
もうすっかり学生による授業運営が定着してきたため、教員はゆっくりと彼らの発表を見ていればよくなった。

本日は、感染症との戦い 「ジェンナー」と「ペニシリン」である。

ギリシャ時代から医学史を振り返ってきたが、そろそろ、現代医療にも多大な影響を及ぼした人物がテーマとなってきており、学生諸君も一度は名前を聞いたことがある人物であろう。


ジェンナーは天然痘ワクチンを発明したことで有名だが、
そもそも天然痘とはどういう病気なのだろうか?
そういう疑問に対する説明から発表が始まった。

天然痘とは、特異的な治療方法がないウイルス疾患で、
紀元前1500年くらいのエジプトの王ラムセス5世のミイラからもその痕跡が発見されているそうだ。
その致死率は30-40%にも及び、かつて人類が最も恐れる病であった。

古くはコロンブスの時代にアメリカ大陸に持ち込まれ、免疫のないアメリカインディアンの一部族が全滅するほどの猛威をふるい、日本には、奈良時代に渡来人によって持ち込まれ、そのあまりの死者の多さに浄土信仰が発達し、奈良の大仏の建立のきっかけとなったそうだ。また、北海道にも本州人から持ち込まれ、アイヌ民族は天然痘にずいぶんと苦しめられたそうだ。

古くから天然痘の予防に「人痘接種」という、感染者の水泡の中身などを非感染者に摂取して、軽く天然痘にかからせ、本格的な天然痘になるのを防ぐという方法が取られていた。効果はそれなりにあったようだが、運悪く、本格的な天然痘を発病し、そのまま死亡する人もたくさんいたようである。


そんな中、ジェンナーの生まれたイギリスバークレー地方では「牛の乳搾りをする女性は天然痘にかからない」という言い伝えがあり、ジェンナーはこれを「牛の天然痘である『牛痘』にかかると、天然痘を発病しないのではないか?」と考え、牛痘に感染した牛の水泡から摂取した液体を健康な8歳の子どもに接種し、その後に、実際の天然痘患者から摂取した液体を接種して経過観察をしたところ、この子どもは、天然痘を発症しなかった!

これを契機に天然痘の予防としての牛痘接種が全世界に広まっていった。

このバークレー地方の言い伝えから、多くの人が何となく「牛痘にかかれば天然痘にはかからない」ということには「気づいていた」のであるが、ジェンナーはそれを「実証してみせた」ことに彼の凄さがある。これは若き日のジェンナーが師事した外科医の教えであった。


以上の発表に対し、ファシリテートをする班からは、いつものファシリテーションと違い、講義室の学生に対し、ある疑問が投げかけられた。

「結果的に人体実験をしたことになるジェンナーは、ほんとうに素晴らしい人なんだろうか? このようなことは現代でも通用するのだろうか?」と。

教室からは様々な意見が出た。やはりおかしいという意見と、結果的に良かったのなら認められる。その結果について自分で全責任を負ってのことであれば許される。などなど。

う~ん、これは正直難しい。現在の臨床試験にも通じるものであり、当時は「同意書」なるものなどなかっただろうし、、、、意見が割れるのは当然だろう。

ただ、教室の雰囲気はいつもと違い、活気に満ちていた(ちょっと言いすぎか・・・?)。手を挙げる学生がちらほらいるではないか!!

あるテーマに絞って議論を投げかけるやり方は、そのテーマが適切であれば、会場を盛り上げる方法としては有効だろう。問題は、他人の発表の時間内にその適切なテーマを見つけられるかどうかである。

これは、ファシリテーションの経験を積まないとなかなか難しいし、口で教えられるものでもない。しかし本日の学生はそれをやってのけた!!。しかも、適度に笑いを誘い、きちんと時間通りにセッションを終了した。
素晴らしい!!

毎回授業をやるごとに学生のプレゼンテーション・ファシリテーションの技術が向上していくのを肌で感じる。彼らは、確実に他の班の発表・司会から毎回すこしずつ知識・技術を吸収して成長していっているのだ。

我々教員の仕事は、知識を大上段から彼らにバラまいて植え付けることではなく、知識・技術を獲得する方法を教えることなのだ。最近改めてそう思う。


2つ目の班は「ペニシリン」であった。

冒頭、「必要は発明の母かもしれないが、偶然は発明の父なんだ」という言葉を紹介し、ペニシリンが「偶然」によって発見されたということへの伏線を引いた。そのほか、ポストイットや瞬間接着剤・電子レンジなど、偶然によって開発された商品をいくつか紹介していた。


フレミングは自身の夏休みにの間にうっかりそのままにしてしまった、ブドウ球菌の培養シャーレに青カビが生えているのを見て、それを「失敗」と取らず、よくよく観察して、その青カビのコロニーの周りにブドウ球菌のコロニーが全く生えていないことに気づき、「青カビがブドウ球菌を殺す物質を作っているはずだ」と考え、この青カビの名前からとったペニシリンという物質を発見した。

しかし、細菌学者であったフレミングはこのペニシリンを大量に分離する技術までは開発できなかったようだ。

その10数年後、フローリーらにより青カビを大量に分離培養し、ペニシリンの大量生産に成功し、彼らは1945年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

当時、第2次世界太戦では戦争による死傷者よりも、簡単なカスリ傷から破傷風となり死んでいく兵士のほうが圧倒的に多かったのである。
それがこのペニシリンにより感染症による死亡が激減し、人類は感染症の恐怖から解放されたのであった。

しかし、撲滅されたと思われた感染症であるが、抗菌薬の大量使用や、不適切な使用により、耐性菌が出現するようにあった。ペニシリン耐性肺炎球菌の出現に対しメチシリンの開発。それに対抗するようにメチシリン耐性黄色ブドウ球菌の出現。それに対抗するバンコマイシンの開発。それに対抗するバンコマイシン耐性腸球菌の出現。と最近と抗菌薬開発のイタチごっこは永遠につづくのである。


また、現代の新薬開発でも、基本はフレミングが開発した、自然界の生物で作られる天然の抗菌物質を抽出し、様々な化学修飾を加えて製品にしていく方法が取られていることが紹介された。
身近なところではメバロチンも同様の方法で開発された薬であることが紹介されていた。この薬は全正解で4000万人が服用しており、年間売上は5800億円にものぼる。産業としての製薬の一面も強調されていた。

最後に、
偶然を偶然で終わらせない事実をしっかりと観察する力の重要性を強調して発表が終了した。


この班の発表には、クイズを入れたり、正解者に(何故か)うまい棒を配ったり、非常に面白い喩えを使って説明したり(5800億円を100万円毎日使っても1500年かかるなど)、スライドにキャラクターを入れたりと、発表の随所に分かりやすくする工夫が施されていた。内容はかなり専門的な部分もあり、ともすると眠たくなりそうなものであったが、そうした工夫で、非常に締まった発表になっていた。


まだまだこの医学史の授業は続くが、どこまで学生の技術が向上するか?
毎回非常に楽しみだ!!

                              (助教 松浦武志)








第11回全国大学総合診療部連絡協議会

6月1日、つくば国際会議場で開催された第11回全国大学総合診療部連絡協議会に参加した。

主幹校筑波大学の五十嵐徹也病院長の開催挨拶の後、文科省高等教育局医学教育課新木一弘課長から「大学病院の諸課題について」の講演があった。
モデル・カリキュラムの改訂について。基本的診療能力の習得、地域医療を担う意欲、研究マインドの涵養、社会的ニーズへの対応(チーム医療、少子高齢対策)、評価システムの確立(臨床実習の評価)、充実した指導体制、等を目指す。
大学病院による被災地への医療支援へのお礼。
大学病院における総合診療部の役割。62大学。昨年と同じ内容のため資料のみで割愛となった。大学病院は節電の対象とならないと報告。

<議事>
・総診部門の講座化の提案が名古屋大学伴信太郎氏からなされた。救急部と一体化しようする動きがあるが、それが総合診療という学問領域を弱体化させかねない。
・岐阜大学から「総合診療で病棟を持とう」という提案がなされた。
・横浜市立大学から「総合外来実習を組み込む」提案がなされた。
・大阪医科大学から「近畿地区大学病院総合診療部連絡協議会」開催の報告がなされた。

後半はパネルディスカッション形式で、「大学総合診療部の目指すべきもの」を討議した。東京医科大学大滝純司教授、九州大学林純教授、富山大学山城清二教授、札幌医大の山本和利がパネリストとして発言した。

「大学の総合診療部が発展しても、国民が不幸になるような議論だけは避けてほしい」と山本は発言した。全国の大学総合診療部の実態は、トップの経歴が様々であり求められている機能も個々に異なるため、雑居状態といえそうだ。医療制度の改善を求めてゆくためには、全国の大学総合診療部が分裂したりせず大同をもって小異を棄てて、一団結して行動できるようにしたいものである。

来年は三重大学が主幹校に決定した。(山本和利)

2011年6月1日水曜日

原子炉時限爆弾

『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』(広瀬 隆著、集英社、2010年)を読んでみた。

本書のすごいところは、東日本大震災によって原発被害をもたらされた半年以上も前に書かれ、その内容が現実と一致している予言の書となっていることである。メディアで頻用される「想定外」が実は想定外ではなかったという点にある。

原発を考える上で知っておくべき地質学の最低限の知識。地球は生きている、ということ。対流と重力が作用してプレートを動かす。硬い層が動くことをプレート運動という。マントル層の上の方から溶岩のプレートがわき出してゆっくりと地球の表面を動いており、また深いマントル層に戻って沈み込んでいる。ヴェーゲナーが大陸移動説を提唱。分裂と移動、成長して拡大することを繰り返してきた。今も移動が続いており、太平洋プレーチは最も速く動くプレートであり、1年に10cmも動くそうだ。

これまでの原発に関する重要に事項。まず、1979年3月28日、米国スリーマイル島原発2号機でメルトダウン事故の発生。1986年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所で原子炉を吹き飛ばす爆発事故が発生。そんなことには無頓着に、民主党政権は2030年までに原発を14基以上新増設する計画を立てていた。一番可能性の高いのは「大地震」に襲われた時の原子炉の機械的な破壊であると予測があるにもかかわらず、日本政府は、大量の死者が出るという、あまりにおそろしい被害が予測されたため、国家くるみでその報告書を葬り去った。

原発震災の被害を誰も償えないという理由で、外国の保険会社は日本との契約を放棄した。
日本は地震多発地帯で4枚のプレートがひしめき合っていて、このような危険地帯は世界中探してもここしかないという。そして日本は地底の激動期に突入した。

本書には、東海大地震が襲い、浜岡原発が大被害を被り、東京・名古屋に大規模な被害をもたらす様子が書かれているが、これは地域を東北に移した以外2011年3月11日の被害にそっくりである。

日本の地盤について。日本は海底が盛り上がって生まれた島である。そして現在も海底火山の噴火が起こり、造山活動が続いている。日本には「強固な岩盤」が存在しない。日本の海岸線にある陸土はほんの数千年前の縄文時代には海水で覆われていたという。

なんとも信じられないことであるが、日本(政府?、学会?)は大陸移動説とプレートテクトニクスを認めなかった、と。建設地を選んでから地質調査をした。日本で正しく地質学を適用すると、原発を建設できる安全な土地がどこにも存在しないからである。現在運転中の原子炉は、すべて改訂された原発耐震指針を満たさない欠陥原発である。改訂された原発耐震指針以前に建設された原発ばかりだからである。

地域医療を再生する前に、日本が消滅してしまわないか心配になってきた。政治が、学会の在り方が問われている。我々ひとりひとりにどのような生活をするかどうかの選択が迫られている(山本和利)