札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2010年2月26日金曜日

患者さんの語りによるNBM教育

4年生101名を対象に、寺田豊助教がNBM教育の一貫として、患者さんの病いの語りを通じて、ナラティブ形成を図る授業を行った。寺田豊助教は過去に気象協会に勤務してしたことや塾経営の経験があり、ユニークな教育実践を展開している。今回は北海道後縦靱帯骨化症友の会から2名の講師を招き、2日間各3時間の講演を学生に聴いてもらい、その内容に対して「物語のタイトルとあらすじ」を記載してもらい、その結果を分析、集計を行った。
「疾患と病い」、「心理」、「人間関係」、「医師患者関係」、「生き方」の5つのカテゴリーが抽出された。
患者さんの病いの語りを学生に言語化してもらう試みは、ナラティブ能力を涵養し、NBM教育として有効な手段になりそうだ。詳細については後日、学会で発表したい。(山本和利)

臨床判断の講義・演習

218日、4年生を対象に臨床入門の一貫として「臨床判断」の講義を3時間行った。

始める前に、4年生前期で行ったEBMの知識の定着率を知るためのテストをしてもらった。「感度」、「特異度」、「検査後オッズ」、「治療閾値」の4つの事項について説明を求めた。対象学生数は101名中66名であり(9時の時点)、正解率はそれぞれ76%75%50%12%であった(正解を知りたい人のために、近々ブログにアップする予定である)。

前半の時間は復習として臨床疫学的診断法、すなわちDL. SackettClinical Epidemiology A Basic Science For Clinical Medicine 2nd Editionを参考にして作った講義資料で、診断パターン・感度・特異度・検査前確率を解説した(3rd Editionが出ているが診断の基本を学ぶには1stまたは2nd Editionの方が優る)。具体的には年齢・性別の異なる3例の前胸部痛患者のシナリオを提示し、学生個々に検査前確率を想定してもらい、提示した感度・特異度・検査前確率を用いて2×2表で検査後確率を算出させた。次にオッズを用いた検査後確率の計算法を解説した。中級編としてHC. SoxMedical Decision Making1988年版)を参考にした講義資料(十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎症例)を基に、離島の環境を設定した場面(治療するかしないかのどちらか一つしかできない)で治療閾値について解説した(注意:Medical Decision MakingAPCから2007年に出版されたが、中身は1988年度板と全く同一である。一字一句変わりがない)

後半は、腹痛患者のシナリオを提示し(Fits-Hugh-Curtis症候群)診断プロセスを解説した。鑑別診断の仕方に重点を置いた。勤医協の後期研修医である佐藤先生の資料を借りて、ABCアプローチ[Anatomy(解剖)Byoutai(病態)Critical(致死的)Common(頻度が高い)Curable(治療法がある)]を強調した。最後に米国の家庭医療学の本からとった16例のケーススタディを行った。

講義・演習終了後に行ったアンケートによると、症例演習を経験したことがほとんどなく、このような授業に飢えていることがわかった。また、鑑別診断が全く挙がらないことを認識し、診断学学習へのモチベーションを高めた学生が多かった。

 225,26日に学生101名を50名毎に分けて、臨床判断実習を寺田豊助教の指導で行った。下肢筋力の低下を訴える中年女性のシナリオを用いて、模擬患者役を学生にしてもらい、医療面接、身体診察、(患者さんのナラティブを訊き出す)、鑑別診断、検査計画についてグループ討議を重ねながら進めていった。この授業を通して、これまで個々にされていた医療面接・患者さんの思いや身体診察、鑑別診断、検査計画などを統合して考える必要を実感し、5年生から始まる臨床実習へのモチベーションが上がったと答える学生が多かった。(山本和利)

 

2010年2月24日水曜日

地域推薦枠医学生の卒前・卒後教育をどうするか?(3)

鹿児島編

休憩を挟んで鹿児島県での取り組みが紹介された。

鹿児島県は南北に長く、離島を入れると600km。全離島数は28でそのうち無医島は14。近々九州新幹線(鹿児島ルート)全線開業が明るいニュース。9つの医療圏があるが、鹿児島に人口の4割が居住し、医師の6割が集中している。鹿児島市とその他の地区では3-5倍の医療格差が生じている。拠点的病院の医師不足が顕在化しており、ある病院では内科37名が21名に減少している。別の病院では神経内科、消化器科が休診となった。県立病院の幾つかは縮小化している。臨床研修医が激減したが、最近やや回復傾向にある(80名を超えた)。鹿児島の特徴として外科医の減少が著しい。

保健福祉部の永山氏から報告。地域枠学生への期待として、義務明け後も県内の地域医療のリーダーとして活躍してほしい。地域枠(義務期間5年と9年の二つあり)と5/6年生枠。奨学金は6年間で940万円。5/6年生枠は2年間で180万円貸与。これまでは毎年2名。現在は地域枠学生22名。以降毎年20名増加。最大114名になる。学生・研修医は最大168名。離島・地域の拠点病院に6年間(離島は最低2年間)。赴任地は県が調整・決定する予定。

鹿児島大学離島へき地医療人育成センターの大脇教授・根路銘准教授より報告。日本全体のことに言及。現在、研修医が偏在しており、医学生の半数が地方から都市部に流出している。特に山陰地方の流出率が大きい。地域枠を持つ大学は61で、学生数は1,064名。他県に依頼する県もある。このままゆくと鹿児島県はピーク時114名になる。2年間研修し、残りの7年間をキャンセル場合の違約金は約1,200から1,400万円と推定される。無策でいると離脱者が多く出ないかという懸念がる。その対策として、繰り返し意識を摺り込むこと、都道府県と大学との連携が重要である(勤務先の調整など)。義務年限後のキャリアについても真剣に考えていかなければならない。

医学生に対する地域医療教育は有効である。地域枠学生は大学の中では少数派なので特別な教育が必要と考えている。実習に際し、元住民との交流を増やし、時間に余裕を持たせ、多くの医療機関を計画に入れ、報告会を行うことを目指したい。知事との面談も重要である。実習を通じて、ロールモデルとなる医師に接して多様なニーズを発見する。地域医療に必要な知識を獲得している。実習が不安を和らげ、初心を再認識し、将来に向けての学習目標が設定できるようになった。問題点として、学生増に伴い実習の場が不足し分散化したことや地元の負担増が懸念される。地域枠の学生には将来、離島へき地・中核病院の総合医、高度医療機関の専門医、研究者、教育者、行政官になってほしい。

その後鹿児島大学2年生の発表があった。不安もあるが想像でしかないので本当のところを知りたい。義務年限終了後、海外・都会での医療を経験し、へき地医療と比較してみたい。大学の授業だけでは初心を忘れてしまう。地域で働きながらどのようにしたら専門医になれるのか不安である。離島で働く医師の「離島に行ってから人間の幅が広がったと患者さんに言われた」という話に感動したと。

最後の総合討論で、

1.      地域枠学生を誰がどのような支援をしてゆくのか、2. キャリアパスをどうするか、3. 支援体制のシステム化の構築、4. 離島・へき地実習の組み入れ、5. お互いの顔の見える関係の構築、等が課題として挙げられた。

フロアから、「何科に進もうともプライマリケア能力を研修2年間終了までに修得させるべきである」「地域枠学生と他の学生と差をつけない、区別しない」という提案があったが、現実としては難しいという意見が多かった(大学では各講座で専門医教育をしているので)。また、「必要な医師数はどうやって求めることができるのか」という質問が出された。

今後の方向性として、「「地域を支えるGPを養成することが重要であるが、ステレオタイプの答えを用意しない。」「単なる医局人事に終わらせないようにしてほしい。」「義務ではなく、地域にゆくと楽しいことがあるのだという視点が大事である。」という意見が出された。同感である!(山本和利)

 

2010年2月23日火曜日

宮崎大学医学部で地域医療の講演




スタッフの夏目です。
2月17日水曜日、私の母校(旧宮崎医科大学)の総合講義と地域医療セミナーで講義をさせていただきました。

総合講義では「地域医療と国際協力」というテーマで、私の経験を交えて国際協力と地域医療の共通点を中心に話をしました。キーワードは”異文化体験”。国の間には文化の違いがあるということはみな想定していますが、日本国内にもその地域、病院、職種間で様々な文化の違いがあるのですが、日本人はみな同じだろうという、無意識の前提に立っているために様々な軋轢が生じることがあります。また、一般に大学病院では患者さんが病院の文化にあわせて行動しますが、地域では医師が地域の文化の中に入り込むことになります。前者は階層的、構造的な文化、後者は協力的、協調的な文化といえます。このような違いがあるのだ、ということを学ぶことも、楽しく地域医療を行うために必要なのではないか、と提案してきました。

セミナーでは「地域医療崩壊の現状とその診断、処方箋について考える」ということで行いました。北海道で起きている医療の崩壊の現実と想定される原因を分析、提示して対策を考えてみました。崩壊の現実は、差しさわりがあるのでここでは言及しませんが・・・

<研修義務化と医局講座制の弱体化>
原因は複合的なのですが、一つは医師を派遣していた医局講座制度の弱体化に伴う研修医のフリーエージェント化。これらは研修義務化の影響なのですが、義務化の理念がわるいのではなく、医局講座制度の代替システムがなかったために起きたのだと考えられます。ここは分けて考えないといけないところだと思います。地方やへき地では医療機関はインフラのひとつとしての役割を担います。であれば、教師や警官のようにどんな田舎でも、離島でも、子供や人がいるかぎり医療もあるべきものだとおもいます。だとすれば、なんらかのシステムで医師も派遣されるべきだと考えます。では、どのようなシステムで行うのか。これは、私には具体策はありませんが、厚生労働省が行うことではなく、私たち自らシステムをつくり、行うべきものだと思います。もし行政の強制力により行われるようなことになれば、医師のプロフェッションとしての立場は失われてゆくでしょう。

<地域で求められる医療と専門性のミスマッチング>
いま崩壊が進んでいるのは地域の中核病院で、そこで求められる専門性は、様々な疾患に対応する能力とシステムの上にサブスペシャリティーを有することが求めら得ると思われますが、能力というより専門以外は診ない、という文化が存在している医療施設もありました。このような施設では、糖尿病、高血圧、腰痛、慢性胃炎の患者さんは一日かけて4人の医師を回り、患者も大変、医者も忙しくなり、でも診療報酬は一人ぶんしか請求できない、忙しくなりかつ経営に結びつかないという現実があります。

<医療機関へのフリーアクセス>
ほかに医療機関、診療科へのフリーアクセスにも大きな問題があるように思います。頭痛でいきなり脳外科、下痢で消化器科、血圧で循環器科、風邪で大学病院を受診される方もけっこういます。各々の医療機関、科には本来各々の役割があるはずなのですが、日本ではなんでもあり、になってしまっています。質のよい医療を提供するには、資源を有効につかう必要があります。医師をいくら増やしたところで、無限の資源を前提とした資本経済のように医療を消費するならば、いつまでたっても現状はかわらないでしょう。


このような話をしてきました。地域の医療機関の崩壊は、その地域、施設によって様々で、私が見聞きしたことも一つの側面にすぎません。多方面から考えなければいけないのでしょうね。

このような機会を与えてくださった宮崎大学医学部 医学教育改革推進センターの林 克裕先生、ありがとうございました。

糖尿病に対する新薬

2月20日、糖尿病に対する新薬の講演会に参加し、秋田大学の山田祐一郎教授の「インクレチン薬を理解する」の講演を拝聴した。インスリンを単に導入してHbA1cは低下してもBMIは逆に増えることもある。生活習慣に介入しないとBMIは低下しない、という話から始まった。以下の4つの観点から講演された。①血糖値を下げる、②糖尿病の成因に応じた治療、③合併症を悪化させない、④患者の視点(アドヘアレンス、金銭的負担)。時間の関係で③、④は省略となった。
インスリンの基礎分泌は血糖値によって調整されているが、一方追加分泌は負荷された食事量に応じて消化管因子(インクレチン)が調整している。その機序としては栄養素が小腸に入るとK細胞がGIPを分泌し、L細胞がGLP-1を分泌する。それによってcAMPが増加(増幅経路)しインスリンが分泌される(この経路は低血糖の危険が少なく食後血糖値を是正するらしい。血糖値が低い時は効果が低く、高い時は効果が高いのが特長だそうだ)。もうひとつ別にグルコースが細胞内のCaを増加(惹起経路)させインスリンの分泌を増やす機序がある。
インクレチン関連の薬剤として、GLP-1受容体作動薬とDPP IV阻害薬とがあり、GIPは体重増加に、GLP-1は体重減少というように相反する膵外作用があるそうだ。
合併症を悪化させないという視点で見てみると、GLP-1は心臓保護作用がり、塩分排泄促進に働くと言われているが、期間が短すぎてエビデンスがあるとまでは言えない。
治療に関しては、SU薬とインクレチンは相乗的にインスリン分泌を促進する。どのような副作用が出るかが今後の課題である!製薬会社主催の講演会であるので、過大評価されている部分が無きにしも非ずであろうから、すぐに飛びついたりせず節度をもって使用するのがよいと思われる。

地域推薦枠医学生の卒前・卒後教育をどうするか?(2)

高知編

高知県での取り組みを医師確保推進室の家保氏が報告した。若手医師の減少が著しく25%減少している。全国でみると802名が 600名に減少しワースト2である。在学生の占める割合は高知県出身者が22%である。医師数は2,000名。大学と行政の連携はよい。県内の教育関連病院は岡山大学、徳島大学系列。県外の大学が引き揚げられた病院が苦しい。高知大学学生の県内への定着を目指したいと。県内高校生のみを対象として地域枠を選抜したら2名であったため、四国瀬戸内に広げ9名まで伸びた。AO入試で30名入学しており、これは二つ目の地域枠と言えなくもない。地元高校へのPRを重視している。高知大学の医局に入ると償還免除としており、専門選択は自由である。政策として派遣型ではなく学生と多く接触できる養成型寄付講座を新設した。学生に高知県に親近感を持ってもらうことが一番の狙いである。この講座に県から年間2,500万円を市町村から1,000万円を負担している。「病院GP養成」専門医と総合医とがクロスオーバーする病院を企画中(安芸地域県立病院)であると。

次に高知大学医学部家庭医療学講座の阿波谷教授から報告があった。現在、奨学生が28名いる。これだけでは医師・診療科の地域偏在は解決しないと思っている。地域枠制度は教員の負担が重く、学生にも戸惑いがあるようだ。自治医大と全く同じではない。すべての学生に地域医療教育をすることが重要であると思っている。地域枠・奨学生をサポートし、自由な学習機会(家庭医道場を6回、県外からも参加希望者あり)を与えたい。1年、3年、5年生に実習をすることにした。大学外の実習が学生には一番評判がよい。5年生のプライマリ・ケア実習も好評である。地域枠学生等アドバイザー制やメーリングリストを活用している。幡多地域医療道場、夏期へき地医療実習(自治医大と合同)を通して将来のロールモデルを見せている。仲間意識の醸成、普段から相談できる体制づくりが重要である。大学から車で30分の土佐山へき地診療所を高知大学で指定管理とし、日常はそこで診療に従事している。アウトカムを地域定着率としてよいのか疑問である。地域・行政・大学というオール高知県で努力することが大事であり、「高知大学は本気である」ことを強調された。

阿波谷教授の本気さがヒシヒシと伝わる報告であり、高知県に残ってくれと学生に一度も発言したことがないとおっしゃっていたが、彼をって少なからずの学生が高知県に残ると思われる。「道場」という言葉を家庭医療に結びつけたのはうまいと思った。北海道も負けずに頑張ろう!(つづく)

 

2010年2月22日月曜日

ピロリ菌をめぐる新しい話題

220日、北海道総合内科専門医グループでHelicobactar pyroliHP)感染に関するシンポジウムを内科地方会学術で企画した(当教室は事務局を担っている)。まず札幌医大生化学講座の豊田実先生から「DNAメチル化を指標とした胃癌発症および再発リスク予測」という講義をしていただいた。HP感染により胃粘膜細胞はメチル化しやすくなる(癌遺伝子抑制の不活化)。メチル化細胞の比率が高いほど癌化しやすい。メチル化が25%以上の患者さんの場合、癌化のオッズ比26であると。メチル化細胞の比率が高い患者さんの場合、厳重な内視鏡による経過観察が重要である。

次に旭川医大消化器・血液腫瘍内科学盛一健太郎先生から「日本人のバレット粘膜におけるHP感染との関連の検討」の講義。バレット粘膜(食道粘膜の上皮化)は日本人では3cm未満が多い。バレット粘膜→腸上皮化生→癌化。食事の欧米化でバレット食道癌が増加している。36カ月での経過観察では腸上皮化生発症は除菌群:26%, 非除菌群13%。一方で差がないという報告もある。バレット粘膜群では対照群に比較しゲノムの不安定性、メチル化率が高い。

北海道大学第三内科加藤元嗣先生から「ヘリコバクター学会ガイドライン2009について」。HPはグラム陰性桿菌でウレアーゼを産生する。5歳以内に胃口感染をし、主に母子感染である。成人の初感染はAGMLとなるが多くは自然消失する(症状が激しいのは排除しようとするからである)。5歳の時の感染率がその年齢層の感染率としてそのまま維持される。慢性胃炎は3タイプをとり、幽門部胃炎は十二指腸潰瘍になるが癌化しにくい。前底部胃炎は胃癌になりやすい。全体部胃炎は未分化癌が多い。除菌で二次発生胃癌の発生率が有意に低下し、感染ルートを抑制し将来の医療費抑制につながるのでHP感染者は全員が治療対象となった。また逆流性食道炎があるからといって除菌を回避する必要はない。現在、胃癌が高齢者で増加している。保険診療上は内視鏡かバリウムで潰瘍を確認しないと、ウレア検査や除菌治療はできないが、消化性潰瘍の場合、除菌すると年間再発予防を1.9%低下させる。HPが原因の一つと考えられているITP患者の半数が除菌に反応する。治療薬の一つであるクラリスロマイシンに対してHP29%が耐性になっている。

認定更新の2単位も取得出来る上に、一般診療を行う上で非常に役立つシンポジウムであった。今後もこのような企画を続けていきたい。

(山本和利)

 

 

地域推薦枠医学生の卒前・卒後教育をどうするか?(1)

島根編

219日(金)、東京にある都道府県会館において鹿児島大学離島へき地医療腎育成センター主催で開催された。はじめに主催者挨拶(鹿児島大学)。

島根県での取り組みを健康福祉部の木村氏(私と大学が同窓)が紹介した。島根県は人口73万人。100km以内に医学部が2つある。松江・米子間に医師が集中し、その他の地区との医療格差が拡大している。隠岐の島の産婦人科不足。「呼ぶ」「育てる」「助ける」を合い言葉に活動している。赤ひげバンクもその一つ。へき地医療奨学金を受けている学生は30名。学士入学者5名であり、一人6年間で750万円。新たの奨学生5名枠で新設し、将来計93名の奨学生となる予定。これまでのところ奨学金を受けた卒業生は全員地域へ行っているという。これまでのデータを分析すると入学者数と同数が8年後、島根県で研修していることが予想される。お金で縛っても返されてしまう可能性があるので、学生・研修医への働きかけ、魅力ある研修病院づくり、プログラム作成支援、高校生医療現場体験セミナー、夢実現神学チャレンジセミナー、地域医療研修などで魅力作りをしている。地域医療再生計画の中で、寄付講座を設置し、専門医、総合医を養成し、若手医師が県内で専門医取得できるよう努力している。様々な試みがなされており、島根県の地域医療にかける情熱が伝わるプレゼンテーションだった。

次に島根大学地域医療教育学の熊倉教授からの報告。地域枠学生交流会を行っており、最高学年5年生で総数は50名。米国のWWAMIプログラムを参考にしている。その成功の秘訣は、�地域に愛着・愛情のある者の発掘と選抜、�地域に密着した実践的な地域医療教育、�地域と大学・都市を結ぶ通信システムの構築、である。また山陰と阪神を結ぶ医療人養成プログラム(島根大学、神戸大学、鳥取大学、兵庫医大)で、質の高い専門医、臨床研究者を育成し、大学病院の機能を強化し、地域医療への貢献を図っていく。

総合討論では、行政と大学の連携が重要であることを強調されていた。島根の医療は、大学に頼らざるを得ないのが実情である。島根県では70%が大学からの派遣である。基幹病院と大学の連携が重要であるが、地元基幹病院の院長は旧帝国大学出身者である。行政が主導した地域医療コーディネーター養成の試みについて賞賛の声が多く出た。実態は自治体からの派遣である保健師、看護師、医療大学系卒業生が務めており、半分仕事、半分研究であるそうだ。

「専門医と総合医の養成比率をどうするのか」が大きな話題となったが、各県の事情が異なるため、統一した意見には至らなかった。(つづく)

 

2010年2月18日木曜日

ニポポ・ポートフォリオ発表会(三水会)

北海道プライマリ・ケアネットワーク家庭医専門医研修医をニポラーと呼ぶ。今回は毎月第三水曜日に開催しているニポラーのためのニポポ・ポートフォリオ発表会の様子を報告する。

最初に、私がIan R. McWhinneyTextbook of Family Medicineの一部からとったIllness, Suffering and Healingについて紹介した。患者の苦悩を考慮するところまで理念に入れているところが、家庭医療と内科学の違いの一つと言えるのではないだろうか。McWhinneyは癒しに必要なことで医師がすべきことが二つあるという。注意を注ぐこと(attention)と寄り添うこと(presence)である。また「貧者を喰らう国」という本(阿古智子著)から民族誌的な研究(Ethnographic study)の「エイズ村の慟哭」を紹介した。保身に走る中国官僚の実態が暴かれている。映像記録を含む写真・フィルムに対して人類学的手法をベースにして特定の民族の特徴を描き出す研究手法である(現代社会における様々な組織や集団、個人にも焦点を当てる)。最後に1月末に参加した第2回近畿ブロック後期研修医ポートフォリオ発表会の様子を紹介し、ポートフォリオ発表会に入った。

三年生から「転記ミスの多い指示簿システムを改善したケース」、「日常診療を継続しながら臨床研究を続けたケース」の発表があった。たまたま今回に限り道庁の保健福祉部より研修内容の評価のための視察があった。その方から道職員として現場で仕事をしながら研究をさせられた経験が語られ、研究経過の苦労について共感をもって評価していただいた。二年目研修医から「突然死した患者家族から医療過誤ではないかと説明を求められ、苦悩しながら説明して納得してもらったケース」、「往診を要請されたが、重症性を考慮し救急車での来院をすすめたがうまく電話でナースが伝えることができなかったケース」の報告があった。プロフェッショナリスムやコミュニケーションの観点から様々な意見が出された。個人を責めるよりも、今後の医療安全に活かすためにどうしたらよいかという視点で1時間ほど議論が盛り上がった。1年目研修医から「なにをやっても改善を認めず死に至ったケース」、「器質疾患か心理社会的問題か判別できないまま様々な病院を回っていた患者を傾聴することで器質疾患の治療につなげたケース」が報告された。報告した研修医の自己評価は思いの外低かったが、他の参加者より結果にかかわらず患者や患者家族に寄り添って傾聴することで十分に職責を果たしているのではないかという意見が大多数を占め、発表した研修医を安心させることができた。

途中休憩を挟んで14時から16時まで発表会は続いた。終了後、ピザとポテトフライを食べながら日常の世間話。一方、道庁から研修補助金を受けている研修医2名は個別面談により研修内容の評価を受けた。総合医・家庭医を養成したい北海道保健福祉部に所属している関係者にとって今回の視察は、総合医・家庭医とは何かを知る貴重な機会となったと高い評価をいただいた。

(山本和利)

 

2010年2月15日月曜日

最後の日本家庭医療学会理事会

本日はバレンタイン・デイ。東京大学の図書館で、最後の日本家庭医療学会理事会が開かれた。会長の挨拶後、議事進行。2010年1月31日現在、会員数2,127名である。1年間で約200名増加している。4月以降移行することになった日本プライマリ・ケア連合学会の運営の仕方についての説明があった。理事59名、監事3名の62名体制。当面代議員制で運営されるらしい(総会の議決権を持つ?)。今回新たに代議員を選挙せず、2年間はこれまでの代議員会を過渡的に2年間に限り温存する(現時点で代議員はPC学会にしか存在しない)。そこでバランスをとるため家庭医療学会から143名、総合診療医学会から会員数の1/10程度の代議員を選出することになるかもしれない。ただしこの内容は定款と一致していないらしいので、法律の専門家に相談後動いてゆくことになりそうだ。

収支決算報告。最終的に100万円弱残って、それを日本プライマリ・ケア連合学会へ移す予定であると。常設委員会からの報告。今後、各委員会の委員をどのように選んでゆくのかが課題。編集委員会から報告。最終号は近日発行予定。4月からの和文雑誌名は「日本プライマリ・ケア連合学会誌」、英文誌名は「General Medicine」。「若手家庭医部会」「夏季・冬季家庭医療学セミナー」の名前(家庭医という部分)をどうするかが問題と。

 家庭医専門医認定試験は918,19,20日を予定しているようだ。今回の冬季家庭医療学セミナーの参加者数は119名。若手家庭医部会としては引き続き予算化を希望。

第1回日本プライマリ・ケア連合学会学術集会は626,27日。この会も最後であるため記念写真を撮って散会となる。

会議が予定通りに終了し時間に余裕ができたため、同じ敷地内で行われている冬季家庭医療学セミナーに数名の理事の方々と顔を出す。さいたま市で開業している飯島克巳先生の『手探りの「家庭医」を生きてみて』という講義の最後の部分だけを聴講できた。学生運動など東大と関連した話題も盛り込まれエキサイティングであった。ニポポ研修医や札幌医大卒業生にバッタリ会って話に花が咲く。ここでも飛び入りで記念撮影に参加し帰路についた。

(山本和利)

 

 

2010年2月12日金曜日

日本プライマリ・ケア関連連合学会

休日であるが、東京の医師会館でプライマリ・ケア関連連合学会の初代会長を選出する会が開催された。50名の理事が集まった。いつもはコの字型に座るのだが、人数が多いため本日はスクール形式である。それぞれが短い自己紹介の後、定款の説明があり選挙に移った。所信表明演説の最中に、道路から軍歌が流れて来て、本日が建国記念日であることを改めて意識した。前沢先生が会長に選任された。3名の監事が選ばれ、会費をいくらにするかで若干の議論があった。結局、医師の会費は15,000円と決まった(初期研修医:10,000円、学生:2,000)。課題は多いが、大同団結後の(国民の視野に立った)発展を期待したい。

その後、三学会統合後の新編集委員会議に出席し、引き継ぎ事項や今後の方針について話し合いがもたれた。

(山本和利)

 

 

2010年2月9日火曜日

医療コミュニケーションとナラティブ・アプローチ

今週から臨床入門の集中講義・実習が始まった。それと同時並行的にNarrative-Based MedicineNBM)の講義・実習も開始。私が「NBMの導入」の講義を1時間した後、富山大学の斎藤清二教授から2時間講義をしていただいた。

導入で医療崩壊の話が出され、その防止のためには信頼の構築、信頼の保証が重要であることが強調された。現在の医療は、患者からの信頼が得られていないからこそ、信頼されることの重要性を強調するというパラドックスに陥っているそうだ。その例として「患者さんはなぜ安心できないのか?」について、事例をあげて講義が進んでゆく。薬の副作用についての不安を持つ患者に対して、安心を与えようとするやり方(保証編)。次は説明編。まれな副作用を説明してゆくと患者さんの不安は募ってゆく。巷に溢れるこのやり方では信頼は得られない。どうしたらよいのか。答えは対話である。患者は副作用のあるかないかを知りたいのではない。心配について相手に直接訊いてみることが大事なのだ(無知の姿勢)。それを開かれた質問で訊くこと。不安にはきっかけがある。その相手の不安を正当化してあげる(「そうだよね」と)。共通基盤を持つようにすること。患者が一見医師を困らせるように思えるのは、葛藤があるからだ。患者の質問にはオウム返しで答えるのがよい。「はい、その通りです」と相手が答えるような質問の仕方をするとよいそうだ。導入部分だけでなるほどと納得させられてしまった私である。患者満足度を高める対話は、「抱えてから揺すぶる」(こうすると赤ん坊は笑う)。揺すってから抱えると赤ん坊は泣き出す(表を参照)。医師には抱える技法だけではなく、揺すぶる技法も求められる。だから医師は大変なのだな。

患者満足度を高める対話の構造

・抱える技法

           非言語的メッセージ

           傾聴技法

           共感表現

・揺すぶる技法

           保証

           説明

           自己開示

抱えてから揺すぶる。(神田橋先生)

本論に入った。NBMという言葉は1998年にBMJで提唱された。基本は対話の医療である。全人的医療を提唱するムーブメントの流れを汲む。EBMの過剰な科学性を補完する。学際的な専門領域との広範な交流を特徴とする。ナタティブとは、意味づけつつ語ること。その意味付けは多様である。次の4つからなっている。背景(context)、困難(trouble)、人物(character)、時間配列(chronology)。

医療におけるナラティブは、私たちに反省的思考(reflective thinking)を促す。そして病い(illness)を患者の人生という大きな物語の中で展開する一つの物語であるとみなし、患者を物語の語り手として尊重する一方で、医療者側にも物語があり、対話を通じて互いの物語を摺り合わせ新たな物語を創り出す。講義はまだまだ続く。・・・。

学生の感想文を読むと何となくではあるが「ナラティブとは何か」が伝わったようだ。今こうして講義内容を文章にしているが、ライブで感じた感動がうまく表現できないのがもどかしい。ライブが一番。興味を持った方は是非、齋藤先生の著書(『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』)や翻訳本(『ナラティブ・ベイスト・メディスン』)をお読み下さい!

(山本和利)

 

2010年2月5日金曜日

地域医療の教育

現在、全国の県庁所在地に医師の半数以上が集中し,中小都市や過疎地では医師数の不足が深刻化していることから、地域の現場への医師の定着を目指して、「地域医療」の教育が注目されている。その試みの一つとして医学部入学早期から地域医療に触れる試みが全国の大学で多数なされている。卒後の地域医療研修期間は1、2ヶ月となっている。現在、その地域の現場で研修医がどのようなことを学んでいるのだろうか。

医師の人数が不足する分、一人の研修医が学ぶ内容は多い。病院内にあっては医療チームの一員として指導医と相談しながら入院患者を直接診る機会が増える。基礎疾患を持ち発熱や腹痛、胸痛を愁訴に入院してくる高齢の患者の担当医として活躍することになる。日中や夜間の救急車への初期対応から後方病院への搬送まで重要な役割を担っている。専門領域だけを担当していたのでは病院全体の機能が麻痺することを、身をもって知るようになる。外来で高血圧や糖尿病といった慢性疾患と咳や痛みなどの愁訴がいかに多いか驚く。肩関節痛を訴える基礎疾患のある患者に、医師が肩関節注射をした後、インフルエンザ予防接種や肺炎球菌ワクチンを勧めたり、高齢者の転倒を懸念して家族に防止策を提案したりしているのを目の当たりにして、日常診療における予防活動の重要性を知るようになる。院外では在宅訪問診療にも指導医・コメディカル・スタッフに同行し、病院内では知ることのできない患者さんの環境や家族に接し、これまでの医療情報とすり合わせて考えながら対応することを学んでいる。このように「地域で学ぶ」ことにより、外来患者のケアを経験し、入院診療だけでは診る機会の少ない患者群を診察し、不確実さのマネージメントをしながら病歴をとって身体診察をし、包括的・継続的ケアを経験できるのである。

しかしながら、このような内容を独り立ちして実践するには1,2ヶ月という期間は短すぎる。この領域の専門資格である家庭医専門医になるためには、認定されたプログラムのもとで3年間の研修が科されている。開業医と家庭医専門医とだけで現状の地域の医師不足を解消することは難しい。そこで私は初期研修終了者全員が1年間地域医療に従事するという案を提案したい。赴任した研修医の10%が地域医療の魅力を感じて、家庭医・総合医を目指してもらえば地域医療も再生されるのではないだろうか。日本は四季の変化が多彩で、自然が豊かである。私にとって若い時期に山間地や海辺で緩やかに時間が流れる中で木々に囲まれて、潮騒を聞きながら住民・患者さんと過ごしたことは貴重で経験であった。いくつかの大学に招かれて行った「地域医療」の授業で、「医師たるものは少なからぬ時間を公共のために尽くす」という原点をアピールし、かつ地域医療の魅力を話すと、1年単位の期間であれば地域医療現場を経験したいという学生が大部分であった。「分け隔てのない公平な提案」であれば受け入れは可能ではないだろうか。私は若者の感性に期待したい。(この一部が日本医事新報の2010116日号に掲載された)

(山本和利)

 

2010年2月4日木曜日

総合診療科選択臨床実習の説明会

2月3日、来年度6年生になる学生さんを対象に総合診療科選択臨床実習の説明会を行った。4名の学生さんが参加してくれた。興味がありながらも都合がつかず参加できない学生さんが数名いるとのことであった。

外来中心の家庭医療コース、遠隔地の医療を担う地域医療コース、中核病院の医療を担う総合診療コースを設けたこと、ポートフォリオを作成し実習の記録とともに日々振り返りを行うこと、各々の実習最終日は大学で全体の振り返りを行うこと、後日行う「実習発表会」で各自が実施した特別課題を発表し、それぞれの地域で展開されている地域医療の特色についてディスカッションを行うこと等を説明した。実習のキャッチフレーズは「ホームステイをしよう!」「健康教育をしよう!」「地域医療の研究をしよう!」「地域医療意識調査をしよう!」である。

今年度の実習協力施設は、以下の通りである。

�総合診療コース:江別市立病院(石狩支庁江別市)

�地域医療コース:湯沢町保健医療センター(新潟県):六合温泉医療センター(群馬県):松前町立松前病院(渡島支庁松前町)

�家庭医療コース:更別村国保診療所(十勝支庁更別村):生協浮間診療所(東京都)

 協力施設の方々には、この場を借りてお礼を申し上げます。

 参加した学生さんはピザを食べながら実習への熱い思いを語ってくれた。たくさんの学生さんが選択してくれることを期待したい。

(山本和利)

 

2010年2月2日火曜日

研究取材:第2回近畿ブロック後期研修医ポートフォリオ発表会

研究取材の第5弾である。

今回の取材地は大阪の新梅田研修センター。発表会は土曜日15時開始。後期研修1年目7名、2年目4名、3年目5名がパワーポイントで一人発表7分、討論4分という形式で行われた。聴講者にはフィードバックシートが全員に配布され、後日発表者に返される。

最初にその発表を選んだ理由を述べ、テーマ・事例を述べる発表形式である。内科学会などのプレゼンテーションとはかなり趣は異なる。たとえば、メタボリック症候群の患者への行動療法を導入した例であれば、患者中心の医療の方法としてまとめ直し提示するなどである。ほとんどが家族ライフサイクルに言及し医療家系図を提示している。ここで取り上げられた家庭医に特徴的な視点を挙げると、生物・心理・社会的アプローチ、臨床倫理4分割法の提示、異文化で育った患者・家族へのアプローチ、家族カンファランスの導入、疾病利得などがあった。生物学的問題点としては誤嚥性肺炎、褥瘡、脳梗塞後遺症、アルコール性肝硬変、アルコール依存症、家庭内暴力などが多かった。外来中心の家庭医の発表の多い中にあって、総合医として精神疾患に病院でかかわる医師の発表は、患者さんを見捨てず関わってゆこうという覚悟が伝わり感銘を受けた。1年目の研修医の場合、患者さんの状況やそれへの対応の提示で終わっているものが多かった。2年目研修医になると簡潔に要点をまとめてプレゼンテーションができている。事例は先天性代謝疾患、長期ひきこもり、治療困難な糖尿病を持つ暴力団幹部などであった。スライドに示す参考文献の中に私が翻訳した『患者中心の医療』や拙著『脱専門化医療』があり驚きもした。3年目研修医は院内の質改善のプロジェクトに関わった発表が多かった。全員の発表の終了後、飛び入り参加であるのに、講評をさせられてしまった。「患者中心の医療の方法」の発表が多いのであえて他の領域の取り組みの発表を増やすこと、文献検索をして症例経験と融合させてClinical pearlへ繋げる作業が必要であることをコメントした。最後に学年毎にベスト・パーフォーマンス賞を選んでその授与式も行われた。19時閉会。

この研究会で出会った印象的な言葉:「性善説でアプローチする」「見捨てない」「家庭医にとって脇役は主役でもある」。

翌日、早朝、伊丹空港から札幌へ。

(山本和利)