札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2013年3月28日木曜日

プロフェッショナリズムのグループワーク

医学部4年生にプロフェッショナリズムのグループワーク授業を行った。

 

プロフェッショナリズムとは、最近多くの医学部で卒前の教育に取り入れられるようになった概念である。

そもそもプロフェッショナリズムとは何か? 学生諸君に聞いてみた。「プロとしての技術」「心構え」などの意見が出てきた。うん、いい線をいっている。しかし、大方の学生は一言で言い表すことができず、回答に困っているようだ。

 

最近、医学の世界だけではないが、「カタカナ語」が氾濫している。「適当な日本語訳がない」という理由で、カタカタのまま使われることが非常に多い。しかし、この「カタカナのまま」の言葉・概念は、この「プロフェッショナリズム」のようになんとなく雰囲気はわかるが、その意味を言葉にすることができない場合が非常に多い。例えば「インフォームドコンセント」や「エビデンス」「ナラティブ」「ジェネラリスト」などなど、我々の業界でもよく意味を説明できない「カタカナ語」が多い。このことが意味するところは、そういう言葉・概念は「真に日本文化に溶け込んでいない」ということであると思う。

 

とある学会で、プロフェッショナリズムの教育セッションに出席した時に東京女子医科大学名誉教授 神津忠彦先生が、まったく同じことをおっしゃっていたことが記憶に新しい。この神津先生は「プロフェッショナリズム=医師のあるべき姿」と訳されていた。

 

すばらしい! なんとなくモヤモヤして、姿があるのかないのかはっきりしないプロフェッショナリズムが、「医師のあるべき姿」と日本語になった途端、輪郭がはっきりと浮かび上がり、その姿・形・その内面までもが見通せるようなすっきり感があるではないか!

やはり、海外の概念はそのままカタカナで使っていてはいけない。日本語に訳す努力をすべきである。

 

さて、グループワークでは、医師は休日出勤すべきか?ということをテーマにしてみた。難しい理論をテーマにしても面白くない。学生諸君が研修医になったその週末から問題になるような身近な話題を取り上げてみた。

 

設定として、5月の4連休に家族と旅行に出かけたところ、病棟から呼び出しがあった。その状況によって、病院に駆けつけるか駆けつけないか?というより、医師として、駆けつけるべきか?駆けつけないべきか?を判断してもらった。

 

設定① 結婚を考えている相手との旅行中。普段は食事くらいしか時間が取れない。

設定② 普段月1回は旅行に行けていたが、今回はちょっと遠出をした夫婦の旅行中

設定③ 2年ぶりに小学生の子供2人との家族旅行中

設定④ 熟年離婚を迫られ、平謝りに謝った後の家族旅行中

 

状況① 当直医にとっては自分が行ったほうがよいだろう。治療薬の選択など

状況② 患者にとっては自分が行ったほうがよいだろう。外来で「いつでも診てあげるよ」と会話をしていた。

状況③ 患者家族は自分に不信感を持っているようであり、重症化する前に、顔を出したほうがよさそうだ。

状況④ 現在の当直医では治療が失敗する可能性が少なからずある。専門医の自分が治療にあたったほうがいいだろう。

 

以上のような自分側の設定①-④と患者側の状況①-④を仮定して、それぞれの場合にどう行

動するか? 行動すべきか?を話し合ってもらった。

家庭の崩壊か? 患者の治療失敗(死亡)か? の選択を迫られる場面ではかなり意見が割れてグループ内で議論が白熱したようだ。

 

グループ発表では、「患者の状態が悪くなる(死亡も考えられる)もしくは、訴訟になる」ような状況では、たとえ家庭崩壊となっても病院に駆けつけるという意見がほとんどであったが、、、果たしてそうすべきなのだろうか? 医師も人間であり、家庭が円満あってこそいい仕事ができるという面もあるだろう。非常に悩ましい。しかし、実際の現場はこの悩ましい状況の中で本当に悩みながらやっているのである。

 

医師のあるべき姿(プロフェッショナリズム)に正解はない。もちろん「患者に害を与えない」とか「患者情報の秘密を守る」など、誰もが認める「あるべき姿」というのはある。しかし、なんかモヤモヤして、何が最善なのか?本音と建前が交錯するようなそういう曖昧な場面は実際の臨床現場ではそこここに転がっている。そういう混沌とした現場に学生諸君はあと2年もすると放り出されるのである。

 

そんな時、頼りになるのは、今同じグループにいるよき同僚であり、良き指導医であり、良きスタッフである。チーム医療といわれるようになって久しいが、チーム医療とは何も患者のためだけの言葉ではない。われわれ医療提供者にとっても、よき理解者の集まったチームが最大の能力を発揮できることは言うまでもない。

 

学生諸君には、常に「医師としてあるべき姿とは?」を自問しながら、正しいと思う道を独善に陥ることなく歩んでいってほしい。 (助教 松浦武志)

臨床推論 各論

総論に引き続き臨床推論各論の講義を行った。

各論では総論で学んだやり方をもとに実際の症例をもとに診断を進める作業をしてもらうことにしている。

 

用意した主訴は 呼吸困難・失神・胸痛・腹痛・頭痛・意識障害・背部痛。

当講座の助教3人で分担し担当した。

どの講義も総論の講義の大枠を外さないよう事前にチェックし、また、総論の知識+αの知識を随所に織り交ぜて、講義が進むごとに徐々に知識技量が上がっていくよう配慮した。

 

松浦が担当したのは呼吸困難・失神・胸痛の患者である。

呼吸困難の患者は典型的な心不全患者で、問診と身体診察からほとんど確定診断できるような患者設定とした。

学生諸君は前日に習った診断学的手法を用い、的確に質問し、身体診察を行い診断にたどり着いていく。総論の授業ではどんでん返しがあったが、今回はそういうこともなくあっさりと診断にたどり着いた。拍子抜けしたようであるが、自信をつけさせるのにはいい講義であったと思う。

もちろん、鑑別の挙げ方や心不全患者の診断と除外に有益な所見の違いなど、抑えるべきポイントはしっかりと強調した。

 

 

翌日の講義では失神患者の診断を行ってもらった。

これまで、主訴から鑑別診断を挙げる方法として、「ABアプローチ」という解剖と病態から疾患を想起する方法を提示していたのだが、今回はあえてそれが使いにくい主訴としてみた。

案の定、学生諸君は困っている。

 

そう、診断学には、ある程度の定石はあるが、すべてに通用する魔法の杖はないのである。

主訴ごとにより使いやすいアプローチ方法を知っていないと、診断にたどり着けない。

そのアプローチには、事前確率が大変重要になってくるのである。

「本質的に稀な原因は実際稀にしか起きない。」

稀な疾患を最初の鑑別に挙げてしまうと、診断に至るまでにずいぶんと回り道をしてしまう。その間に失われる時間は患者にとってはまさに命の時間である。

 

「失神患者の原因は、それが本当に失神であるなら、ほとんどが心疾患である」

 

脳梗塞や脳出血を鑑別の最初に挙げていた学生諸君はこれまた面食らったようである。

脳梗塞や脳出血では、片側の病巣であることがほとんどで、片側の脳卒中では意識を失うことはない。両側の脳卒中に陥らない限り意識は消失しないのである。

 

これまでにやった診断学の基本と基本+αの知識を織り交ぜながら、講義を進めていく。

時に基本通り、時に+αの知識を必要とするという構成にして、基本事項を何度も繰り返させることで、回を重ねるごとに徐々に身につけさせていくことができる。「基本上塗り方式」である。

 

結局この患者さんは前回の講義で診断した、心不全症状があり、それをきちんと指摘することができれば、心室頻拍による失神と診断できるような構成とした。

 

今回は学生さんにとってはかなり難しいとっつきにくい診断推論となったようだが、講義の随所で、「現場で役に立つ知識」と「その調べ方」を紹介している。今後の臨床実習や、研修医となった暁にはぜひ臨床現場でそのやり方を思い出してほしい。

 

この講義は知識だけを与えているのではない。知識の獲得方法を教えているのである。
 (助教 松浦武志)

臨床推論 総論


 
医学部4年生に対し、臨床推論の講義を行った。

この講義は毎年臨床実習に出る前の医学生に対して行われる。

これまで彼らには、病気についての講義は行われているが、一人の症状を持った患者をどう診断していくかということについては全く知識経験共にないといっていい。

しかし実際の臨床の現場では、病気を診断していくことこそが我々医師の使命であり醍醐味でもある。(もちろん治療も大切であるが、診断あっての治療である)

 

教育の方法論から言うと、一方的に知識の伝達を行う講義という形は、最も効率が悪いやり方である。しかし、だからと言って、少人数制のPBLのような形式をとれるほどの教員側の人的余裕は当講座にはない。

 

そこで、少しでも臨場感を持って取り組んでもらうため、講義内で学生をランダムに指名することにし、指名された学生は「何か」答えなければならないことにした。「わかりません」は認めないことにした。

 

この先わずか3年後には彼らは2年目の研修医となり、おそらく多くの病院では一人で当直を任されることになるであろう。そんな時に、患者の「私の病気は何でしょう?」との問いに「わかりません」では済まされない。そういう臨場感を味わってもらうことにした。

 

この方法は例年行っているやり方であるが、講義当初は面食らった学生も、徐々に発言をするようになる。また、いつ当てられるかわからない緊張感は講義に集中させることができ、この授業では居眠りも内職もほぼ0%である。

 

この講義は総論が1コマと、それに引き続く各論が8コマある。

総論で考え方を教え、各論では典型的な主訴を例題に実際に臨床推論を進めていくやり方を採用している。昨年度は各論が4コマしかなかったが、今年から8コマに増やしたのである。

 

まず、総論の講義。ここで、今までの病気中心の講義では診断することは難しいことを身をもってわかってもらわねばならない。また、診断学がいかに学問的に系統だったものであるかについて興味を持ってもらわないと今後の各論に真剣に取り組んでもらえない。

 

そのために講義の構成は練りに練り、症例は厳選にも厳選を重ねて、準備した。

 

症例は40歳の女性。今朝からの腹痛を主訴に来院。

この時点で鑑別は何か?

 

学生はこの時点でかなり面喰っている。なぜ『腹痛』だけで鑑別ができるのか?と。

診断学では、患者の年齢・性別・主訴と簡単な患者背景から、可能性のある疾患をいかにたくさん鑑別に挙げられるかというところでほとんど勝負が決まる。

ここで正解の疾患にたどり着く必要はないが、可能性のある疾患の中に正解が入っていなければ、おそらく永遠に診断できない。

 

「想起できない疾患は診断できない」

 

このことを繰り返し強調した。

 

その後、病歴と身体診察を行い当初の鑑別疾患の可能性を上げ下げし、絞り込んでいく、最終的にMost Likely  Must Rule Out Others に絞り込むのである。

ここまでで2時間を使い講義を進めた。

 

この患者の病歴は典型的な虫垂炎であるが、身体診察をすると典型的なマックバーニーの圧痛がなく、逆にCVAの叩打痛を認めたというものである。

学生諸君は案の定、当初せっかく虫垂炎をMost Likelyに分類できていたのだが、CVAの叩打痛があり、マックバーニーの圧痛がないということで、あっさりと腎盂腎炎と診断を代えてしまった。こちらの思うつぼである。

 

その後、虫垂炎における病歴の感度・特異度や身体診察の感度・特異度などの話をし、

「そもそも若年者の腹痛における虫垂炎の事前確率は25%もある」

という事実を紹介し、身体診察で可能性を十分に下げきれていないところで鑑別診断から外すことの危険性をしつこく強調した。

 

いかに経過が非典型的でも、

「よくある疾患はよく起きる」のである。

以上をTake Home Messageとした。

 

最後に、今後の各論の講義のさわりを紹介して、総論の講義を終了した。

学生諸君の感想を見ると、興味を持ってもらえたようである。

今後の各論が楽しみである。 (助教 松浦武志)

2013年3月22日金曜日

SP憲章

322日、午前かけて山本和利が司会で学生にSP憲章を作成して貰った。

 2013年度 SP憲章

私たちのSP憲章 -学び方はいくらだってある 新しい感動につながる-

第一条 心を込めて、一日を挨拶から始めます。

第二条 向上心を持ち、積極的に学習に邁進します。

第三条 実習を通して人間性を育み、規則を遵守し、患者さんへの配慮を忘れず、チーム医療を行える医師を目指します。

第四条 医療人としての将来を見据えて新たなる自分のステップアップを目指します。

第五条 仲間への『愛』、患者さんへの『愛』、自分と関わる全ての人への『愛』を大切にします。

第六条 仁愛の心を持ち、謙虚さと感謝の気持ちを忘れません。

第七条 人との繋がりを大切にし、すべての出会いに感謝します。

第八条 出会う人々や環境に日々感謝の気持ちを持って誠実に学び続けます。

第九条 共に学び、智に学び、友に学ぶことを誓います。

第十条 時には立ち止り、俯瞰します。

All we have to do is for patients.

4年生最後の授業に愉しんで参加してくれたようだ。

午後SP章,SSS(student surgical staff)授与式・写真撮影が行われた。

今回のSP憲章は各班で作った文言を一つ入れるというコンセプトで作られた(そのため若干長めである)。このSP憲章を忘れず、確実な一歩を踏み出してほしい。(山本和利)

2013年3月19日火曜日

医師のプロフェッショナリスム

319日、医学概論Vのプロフェッショナリスムの講義・WSの第二弾を山本和利が行った。尾藤誠司氏の講義の復習。

3原則は

・患者の福利を第一に考える

・患者の自律性(patient autonomy)を尊重する

・社会正義(social justice)を推進する


「医師の特権」には「社会への責任」が伴うことを肝に銘ずること。

12班に分かれて、以下のテーマについてグループ討議をしてもらった。

  1. ステロイド筋注を要求して受診したアレルギー性鼻炎,喘息の患者
  2. 関連病院への転院を勧めても拒否する嚥下性肺炎治癒後患者.
  3. 製薬会社の勉強会に強制的に出席を求められる某教室
  4. 再三ミスを犯し続ける同僚
  5. 医療崩壊しても全く動かない行政.

正論を強調する「正義」の回答が多く見られた。 

休憩後、後半は医療について。

鎌田實氏の『雪とパイナップル』、映画『ディア・ドクター』を紹介し、SEAの導入とした。SEA(Significant Event Analysis)とは、現実の事例の中で特に重大であると発表者が 感じた点について掘り下げていく方法である(元々第二次大戦中の米国の空軍・航空学領域での心理プログラムとして開発されたCritical incident technique から発展した)。

小グループでファシリテーターのもとに安全な雰囲気で行うことが大切である。

経験を振り返って成長していく人がプロフェッショナルとドナルド・A・ショーンの理論に基づいている。

1.Reflection in action(行為の中の省察)

2.事態が終了したあとに振り返るReflection on action(行為に基づく省察)

*出来ればチームや同僚で忌憚なく話しあうのが重要

3.この振り返りから新たな自分のまとめ

= 実践の理論を導きだす

Reflection for action(行為のための省察)

の三段階からなる。

 
1.10分でSEAシートに記載する。

2.一人ずつイベントの描写の部分のみを発表する。

3.みんなのイベントを聞いて、今回話し合いう。 

     したい事例の人を一斉に指さして下さい

4.一番多く指をさされた人の事例を発表のSEAとする。

5. 司会は司会役が行う。


30分ほどこの作業を行い、各グループから1名が発表を行った。


学生の感想を読むと、SEAのセッションが好評であった。他の学生の人生での感動的な場面を知り得たこと、仲間と意見交換ができて、貴重な体験となったようだ。学生達には、CBT(知識)臨床入門コース(技能)、NBMコース(技能・態度)、プロフェッショナリスムコース(態度)で培った能力をバランスよく発揮して、臨床実習の場で活躍してもらいたい。(山本和利)

2013年3月18日月曜日

プロフェッショナリスム

318日、札幌医大の4年生を対象に医学概論Vのプロフェッショナリスムの講義・WSが始まった。東京医療センターの尾藤誠司氏に導入として3時間の講義・WSをしていただいた。

まず、ご自分の経歴を披露。1990年岐阜大学卒業。東京医療センターの総合内科はベッドが140床であり、マッチング率は全国でもトップとのこと。初期研修医60名(全寮制)。東京医療センターの基本理念が大好きとのこと。それは「東京医療センターは、患者の皆さまとともに健康を考える医療を実践します。」というものである。


さあ、12班に分かれて、グループ討議が開始された。以下にその内容を示そう。

WS1.「プロフェッショナルと聞いて思い浮かぶイメージは?」「人は?」「どんなところが?」

学生の回答例:NHKのプロフェッショナル、イチロー、ゴルゴ13、理由はひとつのことに没頭できる、突き詰めている、から。

次は「社会から信頼を必要とされる仕事」という視点から考えるという課題である。

WS2.「そのような職種にどんなものがあるか?」「共通する特徴は?」

学生の回答例:公務員、消防士、警察官、弁護士、政治家、教師。ルールに基づいて誰かのために働く。命に関わる、助ける。公の人のために働く。

「プロフェッショナルに必要な要件」

まとめると、技術と意識。特別な権利と特別な義務が伴う職種である。

WS3.「医師」「ソムリエ」「お笑い芸人」でどこが違うか?

学生の回答例:・・・。医師はマイナスをゼロに持ってゆく。医師になるのは大変だが、生き残りやすい(国家資格)。医師には「特権と責任」が伴う。医師は人を傷つける道具を使いながら、人を助ける職業である。医師集団に自浄作用が必要である。お笑い芸人はなるのは簡単だが、生き残るのは大変。

休憩後、後半は医療について。

WS4.「こんな医師にはかかりたくない」という質問

学生の回答例:話を聴いてくれない、怒る医師、不都合を隠蔽する医師。技術のない医師。勉強していない下手くそな医師、口の悪い(言葉に無頓着な)医師、患者の訴えを聞かない医師、病院のための金儲け主義の医師、等。

WS5.「こんな医師にかかりたい」

学生の回答例:技術が優れた医師。やさしい医師。誠意のある態度をとる医師。

 ここで「ワンピース」の一場面(弟子が師匠に必死で探してきた薬が毒であったが、師匠はそれを承知で内服して死んでしまう)を引用。Dr.クレハの「医師は優しいだけではつとまらない」。(医師に必要な4本柱とは何か?「技術的卓越」、「人間性」、「説明責任」、「利他性」である。医師としての10の責務とは何か?かいつまんで話すと「医師の努力義務」と「患者の利益追求」である。

患者とどう向き合うか?

2000年までの「理想の医師像」とは中世の騎士像ではないか。弱い住民を守るために鎧に身を固めて戦う。しかしながら、「パターナリズム(保護者)」から「説明責任(専門技術者)」へ移行している。パターナリズムの例として「赤ひげ」という映画を紹介。患者のためになりたいという親心を赤ひげはパターナリズムで行っている。医療は、家中の栗を拾ってゆくような行為である。「患者のための医療」と「患者の立場に立った医療」にゆらぎがある。パターナリズムは、親心と思って自分の価値を押しつける。それに対する不満が高まったため、パターナリズムは減ったが、一方で、医療者が自分の専門性に基づいた意見を述べなくなり、プロフェッショナリズムの低下を招いている。

WS6「医学的に正しいことと、患者にとってよいことは、同一であるか」

学生の意見:必ずしも同一ではない。「医療専門職とタバコ」についてはどうか?元気で長生きだけが唯一の価値観なのか。首輪を外すか外さないかで悩む「首長族の娘」の話。家族・社会が正しいのか、本人が正しいのか。

「正義の味方」と「悪」の特徴を列挙。正義の味方ほど、一人で確信に満ちた信念で頑なに闘おうとする。「自分の守ろうとする人にとって最良は何か」が大切。医療者は専門家でなければならない。一方で患者にとっては素人なので、患者に教えてもらう(無知の姿勢)ことが大切。

最後に「もはヒポ」プロジェクトを紹介。(“もはやヒポクラテスではいられない”21世紀 新医師宣言プロジェクト)

正義を背負っている自分に疑問を抱いて、企画したそうだ。総選挙で決定した「私の新医師宣言」を紹介した(ブログを参照)。

最後に学生へのメッセージ:「ごめんなさい」「ありがとう」といえない自分になってください。患者を支配しようとする自分から脱却しよう。「助ける」ことと共に「助けられる」ことが重要である。

勧めたい毎日の習慣。

「さっきの私どうだった?」「あしたはこうしてみよう」「ちょっと助けて欲しい」「ありがとう、ごめんね」「服脱いじゃう」「あなたのこと、わからない」と言えること。

臨床実習に行ってよい医師に出会ったら、どこに感動したか1日考えて、その医師に質問してみる。駄目な医師にであったら、どこに失望したか1日考えて、その医師に質問してみる(チョット無理!)。

学生の意見を引き出しながらの授業で、学生はいつの間にか講義に引きこまれて、プロフェッショナリスムについて真剣に考える3時間になったようだ。尾藤先生、ありがとうございました。(山本和利)