札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年2月28日火曜日

臨床推論 背部痛

2012年2月27日、4年生に「臨床推論② 背部痛」を講義しました。

学生の皆さんと一緒に当直していると仮定して、ある日の救急外来の設定で講義を進めました。
76歳の女性、主訴は背部痛、鑑別疾患リスト→病歴聴取→仮診断→身体診察→臨床検査→
診断の流れに沿って、診療(講義)を進めました。以下、講義の要点です。

大動脈解離の予測因子
(1) 破れるような、あるいは引き裂くような痛み
(2) 脈拍欠損、血圧の左右差(20mmHg以上)またはその両者
(3) 胸部X線像での縦隔または大動脈の拡大

大動脈解離の予測因子
n 3つの予測因子が全てなければ解離の診断は否定的(LR=0.1)
n 予測因子が2つあれば解離が肯定的(LR=5.3)
n 3つの予測因子が全てあれば解離が確定的(LR=66)

背部痛患者の診察におけるred flag sign(重篤な疾患の可能性がある徴候を示す。)
① 年齢が20歳以下または55歳以上
② 最近の外傷歴
③ 持続進行性であり、安静臥床にて軽快しない疼痛
④ 胸痛を合併する症例
⑤ 悪性腫瘍の既往
⑥ ステロイドの常用者
⑦ 免疫不全患者(HIV陽性など)、薬物乱用
⑧ 全身状態不良例
⑨ 原因不明の体重減少
⑩ 馬尾症候群(膀胱直腸障害など)
⑪ 体幹・四肢の変形を有する症例
⑫ 発熱してる症例を紹介しました。

学生の積極的な発言にも助けられて、背部痛の臨床推論を進める事ができました。学生教育に携わるものとして、より良い講義が出来るよう今後も自己研鑚に努めます。(助教 河本一彦)

2012年2月27日月曜日

核がなくならない7つの理由

『核がなくならない7つの理由』(春原剛著、新潮社、2010年)を読んでみた。

著者は新聞社勤務を経て、現在、米国戦略国際問題を研究している。

核を使った唯一の国は米国である。オバマ大統領は「核廃絶を目指す」という大胆な発言をした。
本書は核廃絶を阻害する7つの点について解説している。

理由
1.「恐怖の均衡」は核でしか作れない。
2.核があれば「大物扱い」される。
3.「核の傘」は安くて便利な安全保障。
4.オバマに面従腹背する核大国。
5.絶対に信用できない国が隣にあるから。
6.「緩い核」×「汚い爆弾」の危機が迫る。
7.クリーン・エネルギーを隠れ蓑にした核拡散。

2010年8月6日、菅首相は「核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を感じている」という発言をしながら、一方で「(米国の)核抑止力が我が国にとって引き続き必要である」とも述べている。日本がこれからどこへ向かおうとするのか、ちっとも見えてこないのは、私だけであろうか。(山本和利)

2012年2月26日日曜日

医療面接実習(2)

2月23・24日両日、医学部4年生に模擬患者さんを使った医療面接の実習を行った。

前回の学生同士の実習の模擬患者さんバージョンである。学生同士の時はそれほど緊張していなかったようであるが、さすがに模擬患者さんを相手に面接するとなると、遠くから見ているこちらにも緊張が伝わってくるほどの緊張ぶりであった。

制限時間はOSCE当日と同じ10分間で実習を行ったが、なかなか時間配分が難しいようだ。
 
今回は1グループ8人で実習を行ったが、人のふり見て我がふりを直したのか、後半の学生になればなるほど、要領を得て徐々に面接も上手になってきているようだった。
 
各グループの指導教官は今年も総合診療科だけでなく精神科の先生方にもお手伝いいただいたが、学生のできているところを褒めて伸ばす指導をしていただいたようだ。ご協力に感謝申し上げたい。

OSCE本番は3月10日であるが、この調子で何とか全員合格し、晴れて病棟実習へと駒を進めてもらいたい。健闘を期待したい。(助教 松浦武志)

2012年2月25日土曜日

医療面接実習(1 )

2月21・22日両日に4年生に医療面接の実習を行った。これはOSCEの試験課題である医療面接の練習でもある。

この数日前の臨床推論の講義の中で、「診断のための情報の7-8割は病歴聴取から得ることができる」「臨床推論の中で病歴聴取は最も大切」と教えたばかりである。

今回の医療面接実習も、基本的には「患者さんの診断のため」に必要な医療面接の仕方を実習することではある。しかし、今回の実習は患者さんから「医学的な情報」を聞き出すための技術にとどまらず、「患者さんの病気に対する思いや心配事」や「生活上のストレス」「不安なこと」など、心理社会的な背景にまで踏み込んで面接をする技術の実習である。

実際、今の医療現場ではあまりにも医学的なことに偏りすぎているため医師と患者さんの間で思いがすれ違うことが多々ある。

たとえば、腹痛と下痢を主訴に来院した患者さんが、「医学的には」急性胃腸炎で特に何もしなくても数日で治ってしまう病気だったとしても、患者さん本人が「癌ではないか?」という不安が第一にある場合、「医学的に正しい急性胃腸炎の診断をつける」ことよりも「癌ではないことをこの患者さんにわかりやすく説明する」ことこそがこの場合に最も求められていることなのである。そういう患者さんの思いに寄り添う面接ができることを目的とした実習である。


今回はいくつかのシナリオを用意して、医学生が医師役と患者役に分かれてそれぞれ練習するのであるが、なかなかシナリオに書かれた患者さんの思いにまで踏み込んだ面接ができない。

こうした面接には「傾聴」や「共感」といった、「こうすればいい」と言ったマニュアルにできないような技術が必要である。学生たちは、「それは辛かったですね」「随分と痛みを我慢されたんですね。」「今回の受診に際して不安なことはありますか?」など、練習の場では「不自然で白々しく感じてしまう」言葉を駆使して、なんとかうまく面接を出来るようになろうと四苦八苦しながら取り組んでいた。

次回の実習は学生同士ではなくSPと呼ばれる「模擬患者」さんを相手に面接の練習をする予定である。模擬患者さんは札幌医科大学病院で院内ボランティアをやっていただいている一般の方々である。SPさんはこの1ヶ月、患者役をうまく出来るよう、ボランティアで当講座に足を運んでもらい練習をしていただいた。皆さん医学生さんの教育のお手伝いをしたいという気持ちからSPを自主的にやってくれているのである。その志には本当に感謝したい。

学生諸君も、自分たちの実習はこうした方々の思いがあってこそ成り立っているということを、肝に銘じて実習に臨んで欲しい。(助教 松浦武志)

2012年2月24日金曜日

浜松医大から視察

2月24日、浜松医大から健康社会医学特任助教の徳本史郎氏が視察に訪れた。

目的は地域医療枠学生の教育の仕方についての意見交換である。

はじめに、5年生に行っている地域医療実習の振り返りに参加していただいた。学生達の地域の現場での気づきに感心されていた。

その後、静岡県の状況や北海道の状況について説明をしあい、取り組みについて意見交換をした。

気候温暖で、住みやすいと思われる東海道沿線の病院にどうやって医師を派遣するかで苦慮しているという話を聞き、地域医療現場での医師不足の深刻さを垣間見ることができた。

これを契機に交流を深め、学生教育に活かしてゆきたい。(山本和利)

海にはワニがいる

『海にはワニがいる』(ファビオ・ジェーダ著、早川書房、2011年)を読んでみた。

アフガニスタンで暮らしていた少数民族(ハザラ人)の少年が、迫害を逃れて、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャと密入国を繰り返し、イタリアにたどり着くまでの物語であるが、事実に基づいているそうだ。この少年の体験を聞き取って、イタリア人作家が本にしたものである。

故郷のアフガニスタンでは、タリバーンが地元の教師を射殺して、ハザラ人学校を廃止している。そんな中で母親からの戒めは、1)麻薬に手を出すな、2)武器を持つな、3)盗むな、である。母親に連れられてパキスタンに逃亡。その後、母親が失踪。途中、トラックの荷台に木の柱が何十本も積まれているが、実は盗むものがないので電柱を盗んでいるのだそうだ。

パキスタンでの給料なしの労働。貯めたお金を使ってイランへ脱出。そこで、建築現場で寝起きして建築作業を続ける不法滞在者の群れ。警官に捕まり収容所へ。警官に捕まりアフガニスタンへ強制送還、等が描写される。

小説としてよりも、ドキュメンタリーとしてとらえて、世界にはこんなにも過酷な人生を10歳から送る少年が居るのだと知る機会になればよいのかもしれない。(山本和利)

2012年2月23日木曜日

情報検索実習

2月16日、医学部4年生に情報検索と題した実習をコンピューター室で行った。

 今回の実習の目的は「Up To Date」や「Dyna Med」といった良質な2次資料を使えるようになろうということであった。

 しかし、こうした資料は英語であるためどうしても言葉の壁が高いハードルとなることが多い。実際、半年前にも同じ内容で、講義を行なっているのだが、その後半年間で、実際にUpToDateやDynaMedを使用した学生はほとんどいなかった。

 そこで今回の実習では、単にUpToDateやDynaMedを使ってみるというだけでなく、英語のハードルを下げるための色々なインターネット上のツールを紹介した。

 まずは「Google翻訳」。これはブラウザにGoogle Chromeを使用する方法を紹介した。実際にUpToDateを翻訳してみと、本文そのものはまだまだこなれた日本語には程遠いが、箇条書き程度の英語や目次やタイトルなどはほとんど申し分ないくらいの日本語となっている。
 また、通常の翻訳ソフトが苦手な医学英語もかなり正確に訳してある。
 DynaMedにいたっては、DynaMedそのものがほとんど箇条書きで構成されている医学教科書であるため、Google翻訳でもかなりこなれた日本語になっている! これは凄い!

 次に医学英語に強い「英辞郎」辞書のアドインの方法を紹介した。
 英単語を検索する際、インターネット上の辞書ならば、コピペするだけで、ほとんどの辞書は使用可能であるが、この「英辞郎」は本文をダブルクリックするだけでその単語の意味を表示してくれるのである。コピペよりもさらに時間短縮になって非常に使い勝手がいい!

 今後、学生諸君が医学を勉強し続けるにあたり、「日本語」だけではなく、「英語」を通じて勉強をしなければならないということはもう間違いないことだろう。
 だからといって、精神論で「英語を読め。読まねばならぬ」という時代はもう終焉したといっていいだろう。というより終焉させねばならない。
 こうした「英語」のハードルを下げる機能を紹介することで、学生諸君が良質な2次資料にアクセスする抵抗感が減って、その機会が増えてくれればいいと思う。


 思えば自分が研修医だった10年前、指導医から渡された英語論文を読むために、通常の英和辞典と医学英語英和辞典(ステッドマン)の2つを用意して、同じ単語を2つの辞書で引きながら訳していた時代を思い出した。なんとも非効率なことをやっていたものだ。その当時のあまりの非効率さに、ただでさえ苦手であった英語は、もはや生理的に受け付けないレベルにまで苦手意識が芽生えたものだ。その頃に比べれば、なんて技術が進歩したことだろう。

 おそらく、「翻訳」機能は今後、指数関数的にものすごいスピードで技術革新が進むだろう。今後の10年、いや5年が非常に楽しみだ。(助教 松浦武志)

2012年2月22日水曜日

臨床推論

2月15日木曜日 医学部4年生に臨床推論入門と題した診断学の基礎の基礎の講義を行った。

 最近の医学生は学年の節目節目にCBTやOSCEなどの試験があり、我々が学生だった頃に比べてかなり勉強している(させられている)。
 しかし、その内容は、主訴や現病歴や検査結果など結果が全て揃った段階で診断するいわゆる「後ろ向き推論」であったり、病気のキーワードをうまく探し当てて、病気あてクイズのような勉強をしていることが多い。
 今回の授業では、我々現場の臨床医が日々行なっている「目の前の患者さんの病気の診断をする」という過程での、臨床医の思考過程を解剖してわかりやすく伝える内容にした。

 まずは、患者さんの訴える主訴(今回の授業では「腹痛」)から考えられうる病気をできるだけたくさん挙げてもらい、その中かから、目の前の患者さんに起こっている症状の変化などから、最もそれらしい病気(Most Likely)と、見逃したら命を取られてしまう病気(Must Rule Out)と可能性のある病気(Others)に分ける作業をしてもらった。


 今回の授業は、「講義」という名の「実習」に近い内容としたので、学生にどんどん鑑別診断を発言してもらうことを期待したが、やはり、挙手して発言をする学生はひとりもいない。

 そこで、こちらから指名し、指名された場合は起立しての発言を求め、「解りません」は認めないことにした。実際、臨床に出れば、研修医だからといって、自分が未経験だからという理由で診療を拒否することは法律上出来ず(応召義務)、患者さんを目の前にして「解りません」では済まされない。こうした臨床の緊張感を少しでも経験してもらうために、このようなルールとした。
 こうすることによって、授業に緊張感がうまれ、授業中寝始める学生はひとりもいなかった。

 主訴「腹痛」から鑑別疾患を考えていく際のコツとして、「個々の臓器を中枢神経系・肝胆膵系・腸管系・心血管系などのように臓器系に分けて、系統的に疾患を挙げていく方法と、発症時期からの時間経過で、突然発症・急性発症・亜急性発症・慢性・繰り返し等によって分ける方法と2つを紹介した。(A/Bアプローチ)
 またこの2つを縦軸と横軸として表を作り、最初に挙げた疾患をその表の中に分類していく方法を紹介した。

 そうして、挙げた膨大な鑑別疾患から、目の前の患者さんの病状経過と最も合うものはなにかを考えるために患者さんからどのようなことを聞き出せばいいのか?
 その効率的な聞き方として、「COMPLAINTS+AMPLE」を紹介した。この方法以外にもいろいろな人がいろいろな方法を提案しているが、まずは基本の基本として、紹介した。

 そうしていた情報から、目の前の患者さんに
 1)最もそれらしい病気
 2)見逃したら命を取られる病気
 3)可能性のある病気

の3つに絞り込んでもらった。

 ここで、
1)疾患を確定させるための身体所見・臨床検査
2)疾患を否定するための身体所見・臨床検査

 について考えてもらった。
その検査は「疾患を否定すために行うのか?疾患を確定するために行うのか?」

 要するに検査特性の「感度」や「特異度」のことなのであるが、
学生諸君はこれまでそのような視点で臨床検査を考えたことがあまりなかったようで、かなりの驚きを持って受け入れられたようだ。


 ここまでで約2時間半が経過。
 このあと、もう1例主訴から鑑別を考えていく例題を解いて講義は終了とした。
 
 今回の講義では、現場の臨床医が、診断を確定(もしくは除外)するために検査を行うまでの思考過程をじっくり分解して教えたが、学生諸君にとっては、ここまで一つの症例を掘り下げて勉強したことはなかったようで、かなり好評であった。

 今後のベッドサイド実習での応用を期待したい。(助教 松浦武志)

2012年2月21日火曜日

診療録とプレゼンテーション

臨床入門講義 診療録の書き方と臨床プレゼンテーション
実は助教となって初の授業でした。
これから臨床医として歩み始める学生に向けて、臨床入門としての一連の講議のうち診療録と臨床プレゼンテーションを担当しました。

一見無味乾燥になりがちな基礎的な内容であるので、より分かり易く楽しく学べる講議を目指しました。

資料作製中に学んだ事ですが、診療録、いわゆるカルテは実は和製ドイツ語です。由来は文明開化の明治初期にドイツ医学を導入した際に造語され、本家ドイツではpatianten akte、または kuraken akteと言うようです。英語ではMedical recordまたはMedical chartです。

全体を総論と各論の2つに分けました。総論部分ではカルテの重要性、法的な位置付け、存在意議について。近年の医療現場では診療録が多職種の医療従事者にとって医療情報共有の要となっていること、キチンと書かれた診療録は医療の労働生産性を上げ、医療チームをリスクから守る事を理解して貰うように、判例や自身の経験談を交えて説明しました。

各論では次の臨床プレゼンにつながるようにPOMR方式の診療録の基本的なフォーマットについて解説した後に電子カルテのメリットとデメリットについても述べ、電子カルテ自体が発展途上のものであり、ならばこそ基本的な診療録の記載能力が大切になってくる事を強調しました。

しばらくの休憩の後に臨床プレゼンテーションの講議にうつりました。
冒頭に少し実験を行った。
① 学生同士2~3人で何も見ずに自己紹介してもらう
② 学生の中から無作為に指名し、「自分の相手の事を他己紹介する」
③ 次に各自に自己紹介のフォーマットを渡し、自分で記入した後に仲間に渡して、さらに何も見ずに自己紹介をしてもらった。その間仲間はフォーマットに更に情報を埋めていく。
④ ②と同様に学生の中から無作為に指名し、「自分の相手の事を他己紹介する」
プレゼンテーションをおこなってもらった。
指名された学生は少々面食らったようでしたが、当然ながら後者の場合の方で情報量が多く、プレゼンテーションもスムーズで皆の理解度も高かった。プロの情報伝達の上で、語り手聞き手双方に、まず共通の「型(フォーマット)」とが重要であるという事を体験してもらえたとおもいます。

その後は臨床におけるプレゼンテーションの意味や重要性、基本的な流れに続き、臨床で用いる実践的なプレゼンテーションの技術(3秒、30秒、3分以上)について解説しました。

プレゼンテーションはきちんとした共通のフォーマットがあり、臨床医はそれに基づいて情報を共有し、医学的ディスカッションの土台とします。本来は何科の医師でも初期研修のうちに身につけておくべきものです。(実際に米国ではそうしている。)良い臨床プレゼンテーションは聞き手の理解の棚の中に情報の詰まった箱を並べてゆくように理路整然としている。プレゼンテーションの共通フォーマットというのは前の講議で述べたPOMR方式の診療録に基づいている。その流れを学生には理解してもらいたいと思います。

診療録をきちんと書く事は医療者としての基本ですが、自分の受けた初期研修では上級医から白紙の用紙を渡されて記入頂日も含めて全て再現し、暗記してプレゼンテーションする事が当然、でした。ところが最近は初期研修を電子カルテの完備された大規模病院で受ける事が多いためか、コピペを多用して書くのみで研修医によっては明らかに情報整理ができなかったり、プレゼンテーション能力に差がある人が目立つ気がします。

医師になってから日常臨床の忙しさ、慣れ、個人の専門性によって診療録の記載は簡略化されていく事は否めません。しかしながら学生時代からくり返し意識して教育を受けていってもらいたいと思います。

助教 稲熊良仁

2012年2月20日月曜日

無言歌

『無言歌』(ワン・ビン監督:香港・仏・ベルギー 2010年)という映画を観た。

本作は、「反右派闘争」という現代中国の政治的な過去と、右派とされた人々の収容所における苦難を描いた映画であるが、中国映画として登録されていない。その内容の過激さから、現在も中国本土での上映を禁じられているという。この映画を観ると、中華世界では手段を問わず権力を握った者がすべてを握り、庶民を虐げるという政治哲学が脈々と息づいていることがよくわかる。

1956年「百家爭鳴、百花斉放」で毛沢東は自由の発言を許し、1957年に一転して言論の自由を奪ってしまう。これ以後、党と毛沢東を称える言論以外は抹殺される。本作品は、その政策の犠牲になった者達の物語である。描かれる飢えの状態が半端ではない。ネズミや他人の吐瀉物、人肉まで食べる極限状態が描かれている。一方で、所長は暖かい湯気を立てた麺をすすっている(全く食料がないわけでないのだ)。

中国西部ゴビ砂漠のあるガンスー省にある右派の収容所が舞台である。風がビュービューと吹き荒び、砂が舞う。樹木はほとんどない寒々とした光景が映し出される。到着したばかりの綿布団を背負った男達に寒々とした半地下の部屋(壕)があてがわれる。彼らの使命は痩せた広大な大地を開墾することである。男達の半分以上が飢餓で、歩くことが出来ない状態である。配給の食事は水のようなお粥だけである。そして、同室の仲間が次々に死んでゆく。

映画の後半、死んだ男の妻がやってきて、死体を引き取ろうとするが、服をはがれ、死体の一部を(囚人の誰かが食べるために)切り取られた死体をこの女性に見せられない。愛する夫の死体を探す姿が痛々しい。

この女性の出現に刺激を受けて、外の世界に生きる可能性を見いだそうと、逃亡を企てる輩も出てくる。その数日後、あまりに死者が出る(その数は2000万人とも5000万人とも言われる)ので、当局は囚人達を一度故郷に帰すことに決める。

まるでドキュメンタリーを見ているようで、寒さや飢餓の状態がヒシヒシと伝わってくる。中国にも米国にもロシアにも希望が見えない。「全うに生きる」お手本は、世界のどこにもないのか?(山本和利)

2012年2月19日日曜日

酸関連疾患をめぐる話題

2月18日、内科学会地方会の専門医部会教育セミナーで、2名の演者の講演を拝聴した。

札幌医科大学篠村恭久教授。
胃食道逆流症の原因は食道括約筋の弛緩。GERD4割、NERD6割である。ピロリ菌感染の低下(除菌で増加)、肥満(欧米化、運動不足)と関係している。除菌で酸分泌が増加(皺壁肥大型)と言われるが、実はピロリ菌の感染部位によって、除菌効果は異なる。前底部型は正常化するが、その他は酸分泌が増加する。

症状は胸やけ、呑酸。診断はGIF,pHモニター(日常診療では難しい)、Fスケール問診表(8点以上で可能性が高い:感度62%、特異度59%)、PPIテスト(感度75%、特異度83%)等。

治療は生活指導(タバコ、アルコール、チョコレートを避ける、体重を減らす、腹圧を減らす、ベッドで頭部挙上、就寝前の食事を避ける)、薬物(PPI, H2ブロッカー、消化管運動改善薬)。GERDの方がNERDよりもPPIの治療効果は高い。

Barrett食道から食道センガンが発生しやすい。定期的な内視鏡検査が必要である。

北海道大学光学診療部間部克裕氏
「消化性潰瘍と胃癌の対策」
胃潰瘍の原因;ピロリ菌、NSAIDs,ストレスである。内視鏡治療が主流。治療翌日の再検も重要。絶食は無意味?(エビデンスがない)ピロリ菌陽性者は除菌をする。検査後、アスピリンを中止したままでは潰瘍による出血よりも、心血管死が増えるので、すぐ再開することが重要である。除菌はPPI+AMPC+CAM400、PPI間で治療効果に差はない。除菌直後の抗潰瘍薬は必要だが、その後は不要(1年以内)である。除菌率は80%。二次除菌では90-95%。抗菌薬にアレルギーがある人はPPIのみでゆく.
ピロリ菌の胃潰瘍発症リスクのオッズ比は18倍,NSAIDは19倍,両者では60倍。NSAIDsの投薬経路で差はない(座薬でもリスクは同じ)。NSAID潰瘍の治療中は除菌しない(治癒後に行う。治癒が遅れるというデータがある)。

ビフォスホネートは潰瘍を増やす。一方、ステロイドでは潰瘍のリスクは高めない!

ピロリ菌と胃癌
慢性胃炎→鳥肌状胃炎、分化型胃癌0.4%/年の罹患。日本では毎年11万人が胃癌になる。除菌で胃癌発症が1/3になる。胃癌の原因はピロリ菌感染である。胃粘膜委縮の進行が胃癌発症と相関する。
血液検査のABC検診(ピロリ検査+ペプシノーゲン法)が有用。A群はリスクなし(一生変化しないので、胃癌健診は不要である)。B群は年に一度内視鏡検査を。C群は高リスク群。除菌後の人はE群とする。これをもとに胃癌撲滅プロジェクトが進んでいる。無症状の若者に検査、除菌することに対するコンセンサスはない。日本では、現在ピロリ菌の感染率は大幅に低下している。

胃潰瘍や胃癌に対してエビデンスに基づいた対策が進んでいるということが非常に印象に残った。(山本和利)

2012年2月18日土曜日

山梨県から視察団

2月18日、北海道プライマリケアネットワークの研修プログ「ニポポ」について、山梨県の方々が視察に来てくれた。参加者5名に事務局3名で対応した。山梨県が一丸となって我々のプログラムを参考にして、総合医養成のための研修プログラムを作るためという。

まず、北海道プライマリケアネットワークの設立経緯や研修プログラム、三水会について説明した。その後、具体的な問題について質疑応答をした。

我々の経験を活かして、素晴らしいプログラムを作って欲しい。(山本和利)

ナラティブ

2月17日、NBMの授業。月寒ファミリークリニックの寺田豊医師の講義を紹介したい。

ナラティブ、NBMって?
患者中心の医療って本当にそうなのだろうか? 患者の「語り」を通じて、患者の「思い」にアプローチしようとするのがNBMという実践法 である。EBMという実践法が唱道されたが、EBMのみでは不十分でありNBMで補完する必要がある。

語られざる物語を聞き取る
• 病いの語りは、明快に言動的な語りとして語られることは少ない
• 医療者の物語を強引にあてはまようとすると、治療関係は崩れる
• 物語は、非合理的で、矛盾に満ちているが、寄り添いながら聴きつづける態度にある。

なぜ、と問いかけることが重要。「物語は何故から始まる」からである。
• 患者さんの言葉を自分のことばで語り直す;語りの生成力→生成継承性
• 生成継承性(generativity); 調和的な方向に変え、前向きに生きていく力に回復させ、生成力強める働きを意味する
            (Erik Homburger Erikson) アイデンティティの概念の創始者

医療者のナラティブ
• 医療者は、いくつかの物語を頭に浮かべて診察する
• 検査によって、疾患を見出して、治療すれば、問題は解決すると考える
• 治療者自身の物語を問われるようになり、治療者自身の姿勢も問われるようになる
• 相互変容していく覚悟が必要である

NBMとは
1.客観的なとらえ方は「事実」と言えるのか?
2.客観的でないものは,主観的なものか?
3.客観的な事実は主観の多数決にすぎないのではないか?
4.治療者は客観的か?
5.治療者も当事者であれば、客観的はどこにあるのか?
6.そもそも、なぜ客観的な事実にこだわるのか?
今まで当然とされていたこと、前提としてきたことを疑問視していくところが、NBMの意味がある。

医療に与えられている大きな特徴(「病いの語り」アーサークラインマン)
• 患者によってその人生の内奥への接近を許されていること
• 患者の物語がケアの一部となる
• 患者の経験に耳を傾ける経験によって、医療者は、そのケースに積極的に関心をもち続けることになる。
       
ライフストーリーとは、その人が生きている経験を有機的に組織化し、意味付ける行為である。人生の物語は、ある特定の人に向かって語られるとき、ある意味において、語るものと語られるものとの協同の産物である(Bruner,J.S. 1990)。

ライフストーリーとは; 自分の生に対する意味づけを反映した言葉による織物=ナラティブ

ライフストーリーの意味は、
1)私たちは論理モードではなくて、物語モードで生きている
2)物語モードが記憶など認知情報処理に優れている
3)物語モードは出来事のつながりを問題にして新しい意味を作り出す
4)物語モードは問題を複雑なまま、それをまるごと一般化して、モデルとして代表させる方向性を持つ
5)振り返りの循環に物語モードは有効
6)物語モードは論理知ではなくて、感性知にかかわっている

ナラティブ・メディスン(Rita Charon)
• 物語能力(Narrative Competence)が医療を変える
• 物語的な行為がなければ、患者は自分が体験していることを他者にあるいは自己自身に伝えることはできない
• 読むこと、書くこと、省察することを通して、医療者は患者の病いの物語の誠実な力強い読者となり、患者の苦境を意味のあるものにする
• そして深い共感を持って、彼らが見てとる苦悩に名前を与え、理解し、ケアする者として、自分を謙虚に差し出すことが出来る

患者の語りと医師の語り
• 説明モデルとは、「患者が思っている」と医師が思うことの一つの解釈であり、患者の実際の言葉を直接描写したものではない。「病いの語り」アーサークラインマン
• 病いの語りを正しく理解するためには、言葉を深く分析しなければならない
• また同時に自分自身も省察しなければならない

アンテナ感覚
・面接者は毎度の面接の「正式接遇」の際の自分の言動すべてに鋭いアンテナ感覚を向けて正確に想起できるようにしなさい。
・そうすれば上達のこつをつかむことができる。

Illness is a foreign country.
• 多くの患者さんはガイド、通訳を必要とする。
• (EBMを用いる)臨床医は、治療などに関して事実よりむしろ友人、家族またはインターネットなどの患者体験に影響を及ぼされるとき、フラストレーションを感じることがある
• しかし、患者体験「患者の語り」は、患者の見解、行動を理解するのに医療者にとって不可欠である。

説明モデル
• 医師患者関係の問題の改善に役立つ可能性を秘めたアプローチである。
• 治療者が自身と患者とそこから解放するための手助けとなる。
そのためトレーニングが必要である。

(やや羅列傾向があるが、責任はまとめた山本和利にある)

このような授業を通じて、患者の思いを汲みとることができる医師に是非なってほしい。(山本和利)

2012年2月17日金曜日

シネマ・メディスン

2月17日午後、NBMの授業の一環として映画を用いた教育を試みた。

今回は「ドクター」というウイリアム・ハート主演映画の開始から60分間分を観てもらった。(恵まれた家庭と高い名声を誇る心臓外科医が、突然の病に倒れることで一転、一人の無力な患者になる。患者になってはじめて気づく事務的で冷たい病院システムや医師の態度。家族との頼りない絆。そんな状況の中で一人格闘を続ける・・・)。

その後、映画を観て感じたことを小グループに分かれで話し合って貰った。病気にならないと反省しない医師のあり方や違和感のある病名告知のあり方等、たくさんの指摘があった。123分すべてを見たいという意見も多くあった。

休憩を挟んで60分間、まとめの授業をして締めくくった。

今年度はNBMの5回の授業を通じて、患者さんの話を聴いて本当に素晴らしい体験をすることができた、等の好意的な意見が多く寄せられた。生物医学的・科学的な側面だけでなく、物語も大切にしたいという気持ちを抱くようになったようだ。学生各自が様々な気づきを書き綴っている。

二人に一人が映画の続きを見たいと綴っていた。講義直後に、DVDを貸してほしいという学生も現れた。これまでの教育の成果が現れたのか、若者の持つ潜在能力の高さなのか。若者に期待したい!(山本和利)

難病患者さんの病いの語り

2月17日、NBMの授業の一環として患者さん二名から患者体験を語っていただいた。導入・司会役は月寒ファミリークリニックの寺田豊医師。

学習目標は、1)患者医師関係についての基本を理解する、2)患者心理を理解し患者中心の医療を展開する、である。

Patient の本来の意味は、疾患を持っている人ではなくて、苦しみに耐えている人である。
患者さんからでしか学べないことがある。
• 医療の現実を知る
• 病気に関わる社会、制度などの問題
• 教科書にはない患者さんの生活、病気への思い
• 物語として医療、疾患を見直す

患者会のいうものを紹介。
• 当事者の会;がんの患者会、COML
• 家族の会;がんの子供を守る会
• 集団療法としての会;AA、断酒会、くろぱんの会(慢性疼痛)、レタスの会(拒食症) 等。
「患者会の、3つの役割」は、 1)病気を科学的にとらえること、 2)病気と闘う気概をもつこと 、3)病気を克服する条件をつくりだすこと、である。

患者会には、「セルフ・ヘルプ・グループ」としての役割 もある。
• 病気の悩みを共有したい
• 同じ障害を持つ人と話をしたい
• 自分の経験を役に立てたい
• 健康制度における修正要素ならびに「第4の柱」としてのセルフヘルプとして

セルフ・ヘルプ・グループの役割は、a) 問題の解決や軽減、 b) 問題とのつきあい方を学ぶ 、c) 安心していられる場所、環境を作る、d) 情報交換 、e) 社会に対して働きかけをする 、等がある。

北海道脊柱靭帯骨化症の会から2名の患者さんをお迎えして講演を拝聴した。

詳細は、割愛させていただくことにした。

最後に学生に向けて
「いつも患者のそばで、
患者と共に病に向き合い
患者が病と折り合いが付けれるように
支える人でいて欲しい!」
という言葉で講義を締めくくられた。

学生にはタイトルをつけて、ライフストーリーとして書きとってレポート提出してもらった。(山本和利)

2012年2月16日木曜日

ショック・ドクトリン(下)

『ショック・ドクトリン(下)』(ナオミ・クライン著、岩波書店、2011年)を読んでみた。

『ショック・ドクトリン(上)』として既に、北米の経済理論が現在世界の荒廃を招いているということを報告した。「ショックの時こそ、市場原理を売り込むチャンス」と捉えて、世界を破壊してきたフリードマン一派。今回はその続きである。

ロシア問題。
ソ連崩壊によるショックに国民が驚く間もなく、エリツィンはショックプログラムを採用し価格統制を廃止した。その結果、インフレによる貨幣価値の暴落で住民は老後の蓄えを失った。そして権力を握ったエリツィンは予算を削減し、国民の暴動を抑えるために警察国家へ走り始めた。そして一部の新興億万長者オルガルヒだけが「シカゴ・グループ」と手を組んで価値ある国家資産を略奪した。・・・エリツィンは権力にしがみつくため、独立を訴えるチェチェンと戦争を始めた。その後を継いだプーチンはエリツィンを免罪することを条件に権力に着き、大飢饉や天災もないのに恐怖国家へ突っ走った。シカゴ学派のイデオロギーが忠実に実行されたロシアでは、誰もが金儲けに血走るような社会に突き進んでゆく。そして10年後、ロシア対策に関わったメンバーの多くが、イラクでも同じような暗黒世界を作り上げてゆく。

アジア略奪。
アジア諸国はパニックの犠牲になった。解決には、迅速な融資を決然と行うことであった。しかし、米国財務省は、メキシコには行ったのに、アジアに対してその行動をとらなかった。そして、アジアの慣習を一掃した後、シカゴ方式が取り入れられ、基幹サービス事業の民営化、中央銀行の独立化、完全な侍従貿易を実現した。

ショックの時代。
チェイニーとラムズフェルドを惨事便乗型資本主義者と元祖と著者は呼んでいる。彼らの行動が、9.11の惨事に経済対策も関係している。フリードマン流の改革で、航空交通網が民営化され、規制が廃止され、人員が大幅に削減された結果、労組に属さない未熟な契約社員がセキュリティ・チェックを行っていた。そのような利益優先の安全対策が、簡単に米国内でのテロを引き起こしたとも言える。9.11後、ブッシュ大統領は、戦争から災害対応に至るすべてを利益追求のベンチャー事業にしていった。セキュリティ産業が一つの経済分野になった。

イラクへのショック攻撃。
「問題のある地域に自由を広める」と謳って、米国はテロとの戦い、資本主義世界の拡大、選挙の実施を掲げた。そこでは、復興資金をイラク人から取り上げて、米国企業を誘い込むため、ブッシュはありとあらゆる手を尽くした。国家公務員は解雇され、イラク国営企業200社は稼働停止を余儀なくされていた。一番必要な国家の修復と国民の再結成はおざなりにされた。このような政策によって3つの結果をもたらした。第一に専門技術者を解雇したことで国家再建の可能性が損なわれ、第二に世俗派イラク人の発言が弱まり、再三に抵抗運動が人々の怒りで燃え上がった。そしてこれらのことが、イスラム原理主義台頭と宗派対立の激化を招く直接の原因の一つとなった。惨事複合型資本主義にとっては繁栄を意味した。この種の企業には、同じ会社の中に破壊事業と復興事業の二つの部門が併設されている。ブッシュ政権は、イラクで戦争民営化モデルを生み出した。

アジアを襲った津波。
2004年12月26日、スマトラ沖地震発生。25万人が死亡し、250万人が家を失った。津波以前には、政策でスリランカを富裕層御用達の行楽地に生まれ変わらせようと躍起になっていたが、住民の反対が強くて進行していなかった。しかしながら、津波で一掃された海岸線の周りを警察官が立ちふさがり、居住者たちが同じ場所に家を建て直すことを拒んだ。バッファーゾン設置のためだという。これを津波被害者への義援金130億ドルでまかなうのだ。津波のおかげで、数年はかかる住民排除作業が数ヶ月で終わった。これまで反対されていた水道事業が民営化された。そして米国企業に巨大は契約をもたらす。モルディブも同様であった。このようにしてさらに底辺層が固定化し、拡大している。

ハリケーン・カトリーナの被害。
ここでもイラクと同様、契約企業が潤った。契約企業は地元労働者を使おうとしなかった。175ドルの仕事が作業員には2ドルしか手元に残らない搾取構造ができあがっている。惨事便乗型経済の大部分は国民の税金を投入することで形成されてきた。企業に払った契約金で膨らんだ予算を削減するため、一方で400億ドルの福祉予算が削られた。民間の軍事産業、災害産業が潤い、災害を受けた国家は無力のままで、住民には何も届かない。しかし、このような姿勢が米政府の財政を悪化させているという。

米国では「民間運営の市」がブームになっている。大惨事が巨大な利益をもたらすことを見せつけられると、意図的に大惨事を起こそうとする動きがでるのではないという疑念も沸く。実はそんな必要はなく、市場の見えざる手にゆだねれば、大惨事は次々に発生するのだそうだ。

最終章で、小さな希望が語られている。フリードマンの死後、民主主義の拡大と規制強化を人々が求め始めた。各国が地域統合の絆を強め、ラテンアメリカでは国際金融機関への依存をやめようとしている。IMFと手をきる国も続出している。レバノン国民はショック・ドクリリンに対して抵抗を示した。その場にある者を有効に使った、住民による自力復興が起こっている、という。(山本和利)

2012年2月15日水曜日

高橋北海道知事を迎えて

2月15日、札幌医科大学に高橋知事が来学された。

ます、20分間、札幌医科大学の最先端の研究についての説明を2名の教授から受けられた。

その後、40分間、黒木由夫医学部長の司会の下、地域医療に関する取り組みの報告があった。

最初に、山本和利が「地域医療マインドを育む」と題して、特別推薦枠学生を中心とした4年間の活動について報告した。

続いて、地域合同セミンー「4年間の学び」と題して医学部4年生の代表から報告がなされた。

その後、高橋知事からの挨拶があり、引き続いて、予定時間を超過しているにもかかわらず各学部の学生3名に対して地域医療実習についての感想を求められた。

最後、島本和明学長の挨拶で締めくくられたが、終始和やかな雰囲気であった。学生の地域医療従事へのモチベーションを維持し、さらに高めるためにも来年度以降も引き続き、知事の来学をお願いしたい。(山本和利)

2月の三水会

2月15日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は11名。稲熊良仁助教が司会進行。後期研修医:4名。初期研修医1名。他:6名。

研修医から振り返り4題。病棟、外来で受け持った患者について供覧後、SEAを発表。

ある研修医。外来症例の報告。小児インフルエンザが蔓延。小児科・発熱外来化している。点滴できる抗インフルエンザ剤が著功。インフルエンザへの過剰な処置を要求してくる。母親に予防の啓発、教育が大切。牛に突かれて転倒。慢性硬膜下血腫から水腫になった症例。

66歳の男性。山好きなターミナル患者さん。胃癌術後、2年。胃癌の転移・再発。アルコール依存症傾向。低栄養とジョクソウで入院した既往がある。入院精査をしたがはっきりした異常を指摘されない。6kgの体重減少。食欲不振が強く、経胃管注入量が増えると嘔吐を誘発する。透視で通過障害あり。CEA、ALP高値。骨転移を考える。IVHポートで対応。信頼関係ができていない。良好な医師患者関係が構築できない。病室へ足が遠のく。難しい宿題を出されている感じ。病棟カンファにかけている。

ある研修医。外来。除雪後の腰痛。インフルエンザ。「口の中が塩辛い」患者。腰痛で経過観察された腎盂腎炎。「排便時に上胸部がしびれる」男性。

胸水貯留の62歳男性。狭心症、糖尿病あり。土木工事に従事歴あり。肩が痛む喫煙者。咳と労作時呼吸困難。胸部XPで胸水を指摘される。CTで胸水、無気肺。呼吸音が減弱。貧血、低栄養、心房細動あり。血性胸水であり、クラスVで悪性中皮腫を疑った。精査加療のため転院待ちとなった。貧血、胸水が悪化。そのうちにせん妄が出現。急変しBiPAP装着したまま転院。死亡し剖検の結果、肺がんであった。転院のタイミングはどうであったのか。診断についての振り返りがあった。

途中、高橋知事との会に参加するため中座。

ある研修医。23歳男性。胸部違和感で受診し、心電図でST上昇があった。どうやって心筋炎を鑑別するのか?チャウグ・ストラウス症候群を受け持つ。胸部違和感があり、上部消化管内視鏡で食道は異常なし。狭心症ではないのか?インスリンを自己中断している糖尿病患者の高血糖。ただインスリンを渡せばいいのか?

41歳女性。喘息発作と肥満(160cm,125kg)、脂質異常症、脂肪肝。喫煙者。インフルエンザ罹患(タミフル内服)後、喘息大発作となる。SpO2:77%(PaO2;52mmHg)緊急入院。人工呼吸器装着。
喘息と肥満の関係について考察。スレロイド吸入合剤についての振り返り。アドヒアランスがあったのか。

来年度からはこの振り返りの会をもう少しシスタティックにすることを計画している。(山本和利)

2012年2月14日火曜日

医療面接

2月14日、チョコレートがあちこちで行き来する中、医療面接の導入の講義を行った。

授業の最初に、職業人としての心得を話した。プロフェッション(専門職)として、利他主義、社会・人類に対してのミッションを持って業務を遂行すべきこと、を強調した。この心構えに加えて、患者さんに奉仕するのだという気概、患者さんから教えてもらうのだという感謝の気持ちを忘れないことを話した。
 
臨床入門コースのオリエンテーションをした後、津田司先生監修のビデオテープで医療面接について解説をしながら授業を進めた。このビデオには故田坂先生が医師役で出演している。
ポイントは
・身だしなみ、言葉づかい、礼儀
・医療面接の目的、意義
1. 患者と良好な関係を構築する
2. 患者から情報を収集する
3. 患者への働きかけ(治療・教育)

・面接の手順と把握すべき情報
はじめはOpen-ended questionを用いること、その後にClosed questionに移ること。

・基本的コミュニケーション技法
1. 導入
2. 主訴の把握
3. 共感
4. 説明モデルを知る
5. 不足分を直接質問法で補う
6. 既往歴・家族歴・患者背景を聞く
7. 要約と診察への導入
8. 患者教育・治療への動機付け

今回は、特に面接のはじめにOpen-ended questionを使うことを強調し、その後にピンポイントでClosed questionに移ることをしつこく伝えた。そして、既往歴、家族歴、患者背景(家族、職場、アルコール、たばこ、薬剤)を訊き、患者の説明モデル、要約、聞き漏らしの順で訊くことを述べた。

最後に二人一組になって簡単なシナリオを用いて医師役・患者役のロールプレイをおこなってもらったが、実際に実践してみると難しいということを参加した学生達は実感したようだ。(山本和利)

2012年2月13日月曜日

患者の語り

2月13日、NBMの授業の一環として患者さんから患者体験を語っていただいた。

前説として、私の出会った患者さんを紹介する意味で拙著『医療における人間学の探求』の冒頭の数ページを朗読した。(途中、突然のめまい感に襲われ、5分ほど中断した。過労?)
 
初期対応に問題があり診断がつくまでに10年間苦しんだAさん。冒頭、不定愁訴の患者が多い、ということを学生さんには知ってほしい、と訴えた。患者の言葉の中には、鍵となる言葉がある。それを見逃さないように。

小児喘息の持病を持っていた。その時代は、心が弱い、精神修養ができていないという風潮があった。そう言われて傷ついた。長い通学路、喘息の発作を悟られないように気をつかった。今すぐ治してもらえる手段がなかった。皆も我慢しているのだろうと思っていた。誰にも助けてもらえないという不安感がいつもあった。

中学に入って喘息も落ち着き、気管支拡張薬を使うことが減った。大学生になって夕焼けを見ていても青空を見ていても涙が出てくる自分に気づいた。鬱なのかなと思っていた。

24歳になって動悸がひどくなった。階段を登っても症状が改善しない。食欲があり一見元気のため、誰も取り合ってくれない。喘息が再度悪化した。処方されたβ刺激剤を内服するとドキドキして死にそうであった。恐怖感がひどかった。寝付きが悪く、目が見開いて目がランランとした状況であった。いつも腹ぺこ状態であった。食べても太らないので皆にうらやましがられた。早朝の脈拍が90/分。排便後120/分であった。

あるとき過呼吸症候群で病院に救急搬送されたが、心が成熟していないと言われ、2時間放置された。
親戚にバセドウ病がいたので、バセドウ病ではないかとかかりつけ医に訊いてみた。首を触ってもらい、血液検査をしてもらった。コレステロールが低いといわれたが、「肩こり・ストレス」と診断され、ビタミン剤を処方された。少しも治らないので奇病と思っていた。健診で心臓に雑音があると言われ、大学病院を受診したが、不整脈はあるが心臓に異常はなく、気のせいといわれた。その結果、自分を責めるようになった。そのうち飲み込めなくなり呂律が回らなくなった。ひとりでご飯を食べられなくなった。海の底でおぼれているような感じであった。

ある日、地下鉄で動けなくなった。暑い日が続く夏、母親に大学病院に連れて行ってもらった。担当医師ははじめ甲状腺疾患を疑ったようだが、以前の開業医での話をしたら、気のせいということになった。あと受診するとしたら精神科と言われた。その頃、JALのジャンボジェットが墜落したニュースを聞いて恐怖にかられた。喘息が悪化し始めた。気管支拡張剤を上限まで使っても喘息が治らない。市中病院を受診し入院を勧められたが仕事の関係で断った。夜間救急では医師の指示通りの処置を受けると心臓がドキドキするので、いい加減に吸入をした。その場面を看護婦に見つかって仮病と言われた。その後たまたまよい医師に出会って甲状腺ホルモンとシンチ検査を受けた。そこではじめてバセドウ病と診断された。米国で生活。薬がなくなり受診したら、南欧出身の医師に無視された。半年後に血液検査の異常の報告を受けた。現在、再発寛解を4回繰り返している。喘息は薬剤でうまくコントロールされている。

10年間、診断がつかずに苦しんだ経験をAさんが語られた。学生さんにはAさんに宛てて感想文を書いてもらった。患者さんの想いを生で拝聴して、医療の難しさ、医師の態度、構え等、学生の心に訴えかける授業であるという意見が多数寄せられた。(山本和利)

2012年2月12日日曜日

地域医療マインドを育む

2月11日、群馬大学で開催された「医学生のための地域医療体験セミナー等協力病院検討会」に参加した。

「群馬県の医師状況と地域枠の概要」について群馬県医務課医師確保対策室から発表があった。県内研修医数が減少している。マッチ率72.7%。必要医師数が469名。10万人当たり206.4名(全国30位)。

地域医療枠。貸与額6年間で1,100万円。1学年当たり18名に貸与。10年間の義務年限。産休・育休、留学、国内留学での中断可能。

群馬大学の学生への取り組み。地域医療の対語は何か?地域とは。地域に実習に行くときにはバスでゆく(距離・時間感覚を実体験する)。他分野の人の話を聞く。県医務課の職員が同行する。首長との面談。自治医科大学生との交流。大学病院で体験できないことを実習する。地域についての事前勉強をしてゆく。(特産物、歴史、偉人、等)。実体験を通じて地地域医療へのモチベーションを高める。医師は医療だけに関わっているのではないことを知って欲しい。余裕を持って考える教育をしたい。医療現場が全国に開かれていることを発信する。感謝される職業であることを教えてほしい。医療関係者と対話する。

受け入れ病院での取り組み。高校生の医師・病院体験(病院の中で体験)を紹介。白衣を着て将来の医師像をイメージして記念撮影。病院からプレゼント。各高校へのフィードバック。医学生は学年を問わず、柔軟な受け入れ。多職種が連携して対応。専属職員を配置。現在、研修医が零の病院の医師から哲学的な発表がなされた。

総合討論後、講演をした。まず地域で望まれる医療の内容はどのようなものか。地域の現場では複雑で複数の健康問題に対応する必要があることを述べた。(専門分化すればするほど健康問題を単純化して考え、画像や血液データを中心に診断しようとする傾向にある。)それに一番うまく対応できて且つ喜んで診療するのはどのような診療科であるかを考える必要があることを強調した。地域医療を再生させるには、個人の資質やコンピテンシィに頼るだけでは無理があり、国や県レベルでシステムに関わるレベルでの大英断が必要である。将来、地域枠学生の診療科や配置が地域医療再生の契機になる可能性は少なくない、と。(山本和利)

2012年2月10日金曜日

語りえぬものを語る

『語りえぬものを語る』(野矢茂樹著、講談社、2011年)を読んでみた。

著者は東京大学教授で、物語論で有名である。本書は講談社のPR誌『本』に連載したものへ加筆したものである。語りえぬものというと、暗黙知を思い浮かべるが、ここでは問題にしていない。
日常的な言語で書いたと著者は述べているが、そもそもテーマが難しいので、簡単には理解出来ない。ウィトゲンシュタインの引用も頻繁に登場する。

26タイトルと74の註から構成されている。「言葉がなければ可能性は開けない」「文節化された世界」等、について考察。

相対主義のパラドックス「世の中、絶対的に正しいものなんてありえない」と言った途端、「絶対に?」と返ってくる。そして、相対主義について考察が続く。

霊魂は実在しうるのか?では「電子」は実在するのか?話は益々難しくなっている。この問いに対して、著者は「決定不全性」「反実在論」を用いて説明している。次に、二色しか色彩語を持たない部族の場合を提示し、議論を深めてゆく(もうついて行けない)。

物語について興味がある者には、相貌についての考察が興味深い。観点と相貌の違いは、「観点によって相貌は異なる。そして観点は複数ありえ、いま自分がとっている観点も唯一のものではない」フライパンを調理用具と見る場合と楽器と見る場合で相貌が異なる。なるほど。相貌は中側から把握される。相貌とはあるものをある概念のもとに知覚することである。相貌は、それをどのような物語の内に位置づけるかに応じて変化する。一枚の写真は、前後にどんなストーリーをもつかによって、劇的に異なる相貌をもちうるのである。相貌には物語が込められている。

「うまく言い表せない」という不満は相貌に関わっている。手持ちの言葉ではその相貌を表現できない。しかし、それでもうまく言い表したい。そこで隠喩を用いる。隠喩とは、既成の言葉に自分の持ち分を超えて仕事をしてもらう。隠喩はあらたな物語を開く。そして新たな相貌が生まれる。

最後は、科学が世界を語り尽くせないのは、科学の限界ゆえではない。そもそも世界は語り尽くせないのである。実在は、自然科学を含め、言語によって語り出されたあらゆる理念的世界からずれてゆく、実在とは、語られた世界からたえずはみだしていく力にほかならない。その力を自分自身に、人間の行為に見てとるとき、そこにこそ、「自由の物語」を語り出す余地も生まれる、という文章で締めくくられている。

患者さんの多くが抱える症状に対して独自の相貌を与え、修正しにくいストーリーを形成して当科の初診外来を訪れる。対話を通じて、患者さんと一緒になって新たに「自由な物語」が形成されるかどうかが、問題解決に導く鍵のような気がする。(山本和利)

2012年2月9日木曜日

Narrative Medicine

2月9日、富山大学保健管理センター斎藤清二教授のNarrative-Based Medicine(NBM)の講義を拝聴した。

医療は患者さんのために役に立つことをする。導入で医療崩壊の話が出され、その防止のためには信頼の構築、信頼の保証が重要であることが強調された。現在、医療者と市民の間で信頼関係が失われている。昨今の原発事故についても同様なことが言える。専門家の発言に信頼を置けない。
 
うまくいっている時には信頼関係を意識しない。友人関係、先輩・後輩の関係。信頼関係は空気のようなもの。問題は息苦しくなったときである。一端失われた信頼を取り戻すのは難しい。

「患者さんはなぜ安心できないのか?」について、講義が進んでゆく。はじめは薬の副作用について、安心を与える保証編。一番手軽な方法は保証を与えることであるが、一方的なやり方に納得しない患者さんも多い。ならば、次に行われるのが説明である。まれな副作用を説明してゆく(情報提供)と患者さんの不安はかえって募ってゆくこともある。不安は身体症状が増強させる。不安を安心に変えることが大切。感冒薬による無顆粒減少症の例。風邪薬で死んでしまうことばまれに起こる。説明し保証を与えようとしても、この方法では限界がある。

医療実践の避けられない特質は3つある。
・不確実性(uncertainty):完全には予測できない
・複雑性(complexity):複数の要因が関与する
・偶有性(contingency):おおよその見通しを立てることができる

そこで大切なのが対話である。
対話編。副作用のあるかないかを知りたいのではない。(感情・不安に焦点を当てってみる)。心配があるらしいので、相手に訊いてみる(無知の姿勢)。開かれた質問で訊く。不安にはきっかけがある(家族の病気等)。そして相手の不安を正当化してあげる(共感の表現)。アンビバレンス(二つの気持ち)の両方を言語化してそのまま返すことが大切。共通基盤の共有化。葛藤表現(先取り表現)。オウム返しで答える。「はい、その通りです」と相手が答えるような質問の仕方をするとよい。最後に遠慮なく訊いてください、で締める(関係の強化)。

患者満足度を高める対話の構造
・抱える技法
非言語的メッセージ
傾聴技法
共感表現
・揺すぶる技法
保証
説明
自己開示(commitする)
抱えてから揺すぶる。(神田橋先生)

ここからナラティブ(物語の交流・対話)の話。NBMという言葉は1998年にBMJで提唱された。基本は対話の医療である。全人的医療を提唱するムーブメントの流れを汲む。EBMの過剰な科学性を補完する。学際的な専門領域との広範な交流を特徴とする。

ナラティブとは意味づけつつ語ること。動詞的であり、名詞的でもある。ことばをつなぐことによって「意味づける」行為。
その特徴
1)意味づけは複数ある。その意味付けは多様である。その背景(context)、困難(trouble)、人物(character)、時間配列(chronology)によって意味が違ってくる。
2)一端形成されると拘束力を持つ。
3)変わりにくいが変わることができる(書き換え)医療におけるナラティブは、私たち医師に反省的思考(reflective thinking)を促す。

NBMの定義:病い(illness)を患者の人生という大きな物語の中で展開する一つの物語であるとみなし、患者を物語の語り手として尊重する一方で、医療者側にも物語(うつ病に対するセロトニン仮説、気で説明する漢方理論、等)があり、両者が対話を通じて摺り合わせ新たな物語を創り出す。

腹痛、下痢、無気力を繰り返す悪循環にはまっている40歳男性例。うつ→慢性膵炎→「悪循環」というように語りが変化していき、それを患者と医師とが共有する。検査をやめた。検査は手段であって、患者さんは治してほしいだけである。「心身症」ではないかと自らラベリングした。

NBM実践のプロセス
1.Listening:「患者の病い体験の物語」の聴取
2.Emploting:「患者の物語についての物語」の共有
3.Abduction:「医療者の物語」の進展
4.Negotiation and emergence of new story:「物語のすり合わせと新しい物語の浮上」
5.Assessment:これまでの医療の評価

R. Charon(医学博士、文学博士)の提唱するNarrative Medicineを紹介。

物語能力(narrative competence)by R. Charon (2006)
・患者への傾聴、理解、解釈、尊重
・(患者の視点からの)想像力、共感力
・物語を紡ぐ
・患者のために心動かされて行動する

46歳のドミニカ出身男性の事例を紹介。黙って患者の話を聴いた。・・・患者は話終わると泣きながらこう語った。「今まで誰もこのように話させてくれなかったのです」

患者の視点からの想像力、共感力を鍛える方法として、パラレル・チャートを紹介している。学生の視点と別に患者の視点でもう一つカルテを書く(富山大学総合診療科での実習)。

Narrative Medicineのプロセス
1.Attention:配慮、対話的な関係を形成
2.Representation:表現、新しい物語を共同創出
3.Affiliation:参入、患者とともに行動

最後に夏の夜のトラブル例を提示。救急現場で点滴を要求する殺気だった男性。何とか点滴をして帰し、次回出会ったときには患者が前回の失礼な態度を謝った。共感的対応の大切さを振り返っている。医師は患者の体に触れることができるという特権を持っている。それを患者が許してくれるのは信頼関係ができているからである。

8年間近く、年に一度拝聴している講義であるが、毎回得るものがある貴重な機会である。(山本和利)

2012年2月8日水曜日

バカヤロー経済学

『バカヤロー経済学』(竹内馨著、普遊舎、2009年)を読んでみた。

著者は市中の物理学者であり、科学についてのわかりやすく解説した著作が多数ある。今回は、「知識ゼロから始める」経済学についての著作である。竹内氏と先生との対話で話が進んでゆくので読みやすい。(先生は実在するらしいが、スキャンダルで社会から抹殺されたため、共著ではなくなったと後書きに書かれている。先生って誰なのだろう?)

経済学の本を何冊読んでも、内容が頭に残らない。読む方に問題があるのか、経済学が科学ではないからか?(前提となっている情報の公開はされないし、人は合理的に行動しない。前提が狂っているのに理論が一人歩きして、かつ予測があてにならないとしたら、これを科学と呼べるのか。)

まず、冒頭で、経済学を勉強してもお金儲けにはつながらない、と宣言されている。ある方法が世間に広まったら、それは必勝法ではなくなるから。情報は決して教えてはいけない。こういうのを「情報の非対称性」という(これを理論化してノーベル賞を取ったのがスティグリッツ)。

経済学が教えているのは、世の中ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリタンであるということ。何かをするためには何かを犠牲にしなければならない。これを機会費用という。相対的に有利なことをしろ。これを比較優位の原則という。これによって分業が促進される。

お金には、実際に紙幣として存在するお金(通貨)と、紙幣になっていないヴァーチャルなお金(準通貨)がある。通貨と準通貨を合わせたものをハイパワードマネーと呼ぶ。銀行に預けたお金を、銀行が誰かに貸すとそれでハイパワードマネーは倍になる。お金が増えることを信用創造という。これが世界のお金の大部分を占めている。

固定相場はドルを基軸に考える(金ドル本位制)。今は世界中が金本位制をやめて、管理通貨制度に移行している。

物価の上昇率がプラスの場合をインフレーション、マイナスの場合をデフレーションという。お金が増えるとインフレに、お金が減るとデフレになる。

合成の誤謬:ミクロ経済の中で一つ一つ正しくても、マクロ経済で考えると駄目になることがある。

税金。寄付をすると税の全額控除に近い。社会システムというのは、インセンチエィブに働きかけるように作るべきである。

日本の財政赤字が膨らんだのは、1990年代に、金融政策もままならないのに、効かない財政政策をやったからである。

交付税とは、使い方に制限がないお金。補助金は核省庁が使い道を指定して配っているお金。

経済成長を遂げるか少子化対策が進まないと、年金は大問題になる。年金制度を維持するためには、保険料を上げるか、貰うのを少なくする。

権力の闘争とは、官吏任命権の争いである。官僚は選挙に晒されないから、常に力を持つ。
審議会のメンバーになった人は、まず間違いなく御用学者である。

内容の羅列になってしまい、うまくまとめることができなかった。

本書は自民党政権時代に書かれたものだ。民主党に政権が変わっても、経済学理論に基づいた良策は提示できないということだけは確かなようだ。(山本和利)

2012年2月7日火曜日

本の魔法

『本の魔法』(司修著、白水社、2011年)を読んでみた。

著者は画家であり、装幀家、作家。装幀家としての本との出会い、作家との関係が述べられている。装幀を通じて、文学者から「生き方」を学んだという。表紙に、著者が関わった15冊の本がきれいに掲載されている。

吉井由吉『杏子・妻隠』では、読了後のイメージから「女の木」を描く。それがユングや渋澤龍彦等がいう「哲学の木」や「生命の木」「知恵の木」「錬金術の木」に似ていることに気づく。

ときにテキストを深読みしてかえって不評を買うこともあったそうだ。

島尾敏雄の『死の棘』について語られる。私にはこの夫婦の関係や会話が恐くて読めなかったことが思い出される。

高尚な本が並んでいるので、読了するには少し敷居が高いかもしれない。(山本和利)

2012年2月6日月曜日

人道的帝国主義

『人道的帝国主義』(ジャン・ブリクモン著、新評論、2011年)を読んでみた。

著者はベルギーの理論物理学者、科学哲学者。科学哲学の相対主義を批判した『知の欺瞞』をアラン・ソーカルと執筆し、世界的に有名となった。

本書の緒言でノーム・チョムスキーが50ページにわたって執筆している。これでは共著ではないか?

本書の主張は単純で、民主国家といわれている米国のやり方は欺瞞であり、人道的といわれるお題目で好き勝手なことをしている、ということである。怒りが収まりきれずに、欧州のメディアや左翼反戦・平和運動にまで矛先を向けるという勇み足までしている。これでも初版よりも本書第2版は市民運動や平和運動への批判を和らげたという。

世界の中で行動するにはイデオロギーが必要である。最近ではそのイデオロギーが「人権擁護」となっているというのだ。

本書では、ラテンアメリカ、ユーゴスラビア、イラク、アフガニスタン等で行った(進行中)干渉政策の偽善を豊富な資料をもとに暴き出している。

米国・西欧の第三世界政策がもたらした損害は、4種類の違う効果に由来する。
1.直接の被害をもたらす
2.希望を殺す
3.バリケード効果:閉じこもり、外の世界から孤立させる
4.依存を助長し未来を奪う

3.11後の(米国の核政策に追従している)日本は、どう行動すべきなのだろうか?「人権擁護」の御旗の下で、世界の不幸が広がっているのであるとしたら、私たちは誰を信じて、何をしたらよいのだろうか?本を読めば読むほどわからなくなる。(山本和利)

2012年2月4日土曜日

楚漢名臣列伝

『楚漢名臣列伝』(宮城谷昌光著、文藝春秋、2010年)を読んでみた。

著者は中国の歴史に基づいた小説を多数執筆している。本書は項羽と劉邦の時代にリーダーに仕え、乱世を戦った十名のNO2の物語である。

はじめは、張良。劉邦を飛躍に貢献した。すごい策謀家であるが、その言を拒まず取り上げた劉邦も偉い。

項羽の軍師であった笵増。劉邦と対比させて、項羽が助言を取り入れず、最終的に四面楚歌となって滅んでゆく姿が描かれる。生き残るためにはNO2の助言に耳を傾けること。

人の友情の篤さや交際の深さを表す「管鮑の交わり」。頸を刎ねられても悔いのない親交を「刎頸の交わり」というが、本書によると最後は離反している。

多くの人間が登場して、1行後に死んでいる。本書を読むと、人間いずれ死ぬということ、安易に生きながられるよりも、毅然と問題に立ち向かって死んでゆく方が後世に名を残すということ、成功するには諫言に素直に耳を傾けることが必要であるということがよくわかる。それが簡単にできないのが人間の性か。(山本和利)

2012年2月3日金曜日

武器としての決断思考

『武器としての決断思考』(瀧本哲史著、星海社、2011年)を読んでみた。

著者は京都大学准教授。本書は、大学1-2年生を対象に行った「意思決定の授業」を本にしたものである。

著者のいう武器とは何か。ディベート能力のことである。もう一歩すすめて、ディベートすることを通じて、論理的な能力を涵養することである。

「知識」「判断」「行動」の3つをつなげて考えるが重要。知識だけの人間は「コモディティ人材」と呼ばれ、他の人材と交換可能なので使い棄てられる。3つをつなげて考える人材こそが交換不可能な優秀な人材である。

ここではエキスパートとプロフェッショナルの違いを強調する。エキスパートとは、ある分野についての専門的な知識・経験が豊富で、それを売ることで生きている人たちのこと。一方、プロフェッショナルとはその上位概念であり、専門的な知識・経験に加えて、横断的な知識・経験を持っていること、そして、それらをもとに、相手のニーズに合ったものを提供できる人のことである。要は、相手の立場に立って、相手の代わりに考えてあげることができること。これからの時代、エキスパートの価値は暴落してゆくという。

私たちがよく行う議論では、慣れていることを重視し、成功体験を踏襲しやすい。限られた情報や枠組みで考えてしまう。これまでのコストを過大に評価してしまう、等の傾向が見られる。それを打ち破るには、ディベートが最適という論旨である。それについての方法は本書を読まれたい。

ポイントは、「「いまの最善解」として結論をだすこと、自分自身の意見を修正する態度を身につけること。どうでもいい議論はやめること。漠然としたテーマでは話し合わないこと。「メリット」と「デメリット」を比較すること(それぞれ3つある)、である。

本書を読んで、わかったことはどの分野であれ、医療における総合医のようなジェネラリストが求められているということである。総合医を目指す人で、アイデンティティに自信が持てなくなっている場合には、特にお勧めである。(山本和利)

2012年2月2日木曜日

モラルのある人はそんなことはしない

『モラルのある人は、そんなことはしない 科学の進歩と倫理のはざま』(アクセル・カーン著、トランスビュー、2011年)を読んでみた。

著者は医師で遺伝学者。パリ・デカルト大学学長。

徹底した人間中心主義。「自分自身であるためには他者が必要である一方、他者も他者自身であるために私を必要とする」。著者の意味する善とは、他者の人間性を自分の人間性と同等に扱い、これを保護する目的から生ずるすべての思考や行動である。

著者はユダヤ系。両親は離婚。ヒステリーの既往。父親が自殺。臨床医から研究者へ。離婚したことや性癖などがまず、第一章で語られる。ここまで暴露する必要があるのだろうかとも思った。

道徳とは、善と悪を認識する知恵であり、各自に課せられた要請である。一方、倫理とは、個人的な側面が強く、「正しい道筋」およびそれをつくりあげる価値観についての考察である。

その後の章で、様々なテーマが論じられる。医薬用の子どもをつくってよいのか。白血病の子どもを救うために、その患児と同じHLAの型が一致した胚を選別するという医療行為は許されるのか?ヒト胚の位置づけが論じられる。ヒト胚の死後の委譲は可能か?

他人の精神に介入することは、それが救済につながるのであれば、正当化されるのか?

臓器移植と臓器提供。臓器提供に同意に関する本当の自律とは何か?

科学技術を用いれば、不完全な人間を「改良」できる。これは脱人間化社会につながってゆく。このような考え方が問題であると主張する。

「医学は非人間性を育む」ということばが出てくる。日常の忙しさにかまけて思索を疎かにしていると、知らぬうちに「非人間性」の医療に流されかねない。(山本和利)

2012年2月1日水曜日

六ヶ所村ラプソディー

『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ監督:日本 2006年)というDVDを観た。

2004年、原発から出たプルトニウムを取り出す再処理工場が青森県六ケ所村に完成した。2兆円以上をかけた巨大なプロジェクトである。そこには様々な立場・思いを持つ人々が関わっている。農民、漁民、クリーニング店店長、建設業者、村長、賛成派学者(斑目氏)、反対派学者(小出氏)等、様々な人が発言している。

監督は被爆の問題を扱った作品を作り続けている。2003年に監督したドキュメンタリー映画『ヒバクシャ―世界の終わりに』で多数の賞を受賞した。これも必見の映画である。2010年、『ミツバチの羽音と地球の回転』を製作(このブログで紹介済:2011年6月19日)。原発建設反対を28年間にわたり訴え続ける瀬戸内海の祝島(いわいじま)の島民の姿を追ったドキュメンタリー。ここで扱った原発は建設中止が2011年末に決定した。

本作品は2006年の作品なので、2011.3.11の東日本大震災前に、日本に生きる人々が原発について、どのように必要性や安全性を考えて行動してきたかが検証できる貴重な記録でもある。
「中立という立場は楽だ。しかし核問題に関しては賛成と同じである。だから、今、反対の行動をする」という無農薬農業を営む女性から発せられる言葉が重く響く。

この映画を観て一番に感じたことは、本気で子どもたちの未来を考えて生きている人たちの顔は輝いているということ、一方、原発を推進している人の顔はどこか引き攣っているということである。本音では信じられない内容(危険があるのにないと発言しなければならない立場)を話そうとすると人間はそうなるのだろう。私もせめて引き攣った顔だけはしたくないものである。

このDVDを2011年6月に購入(5040円)してから、安心してしまって半年ほど放置していたが、もっと早く観るべきであった。特典としてこの映画のその後を記録した「六ヶ所村通信no.4」という映像がついている。無農薬農業をする若者夫婦の言葉や歌手のUAの発言も注目である。(山本和利)