札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2009年5月19日火曜日

時間を遡ることで見えてくるもの

 日々総合診療科で診察をしていると、複雑な背景をもった患者と出会うことが多い。検査を繰り返し、様々な科を渡り歩き、それでも診断がつかない患者たちである。そのようにして総合診療科にたどり着いた患者たちは皆、何とかして診断名をつけてほしい、せめてこの苦痛を取り除いてほしいと切望している。

あらゆる生物医学的検査をやり尽くして私の前に現れたそのような患者に、同じような検査を繰り返すことはもはや意味がない。遠回りのようでも患者の背景を丹念に探り、答えを見つけてゆくしかない。そのために私たちは患者に語ってもらいヒントを引き出そうとする。そんなときに、たまたま観た映画が示唆を与えてくれることがある。韓国のイ・チャンドン監督による『ペパーミント・キャンディー』という映画がある。映画の構成上、長い引用になるが以下に取り上げてみたい。

『ペパーミント・キャンディー』

この映画が通常の映画と異なっているのは、冒頭に現在が映し出され、そこから時間の流れが逆戻りしていることである。物語は主人公が自殺をしようとするところから始まり、話は、3日前、5年前、10年前・・・とこの男の過去にさかのぼっていく。人生を線路に置き換え、それを逆走するようにある男の人生を振り返る構成である。

映画はいきなり冒頭から、ひどく打ちのめされ人生に絶望している主人公ヨンホの姿で始まる。それが何故なのか、もちろん観客にはさっぱり分からない。3三日前に彼は初恋の女性スニムの病床を見舞っているが、この女性とどんな経緯があったのかはもちろんのこと、その時見舞いに持って行ったペパーミント・キャンディーがどんな意味をもつのか、帰り際に右膝が痛んだのは何故なのかについても、観客には全く説明されていない。スニムの夫から、スニムが大事にしていたというカメラを手渡されるが、このカメラが何であるかも謎である。映画は5年前に遡り、ヨンホが事業をしていて騙されたことや、家庭が上手くいっていないことなどが描かれ、少しずつこの男の輪郭が見え始める。12年ほど遡ると、それ以前に刑事をしていたことも判明してくる。取調室で残酷な拷問を慣れた手つきで加えながら訊問を繰り返すシーンから、この時点ですでにヨンホの精神が荒廃していることも分かってくる。そこからさらに3年遡ると、新米刑事のヨンホが、先輩刑事の行う容疑者への激しい拷問に怯える様子が映し出される。そのように映画が過去に遡っていくたびに、ヨンホの心の軌跡が次第に鮮明になってくる。それに従って、謎であったペパーミント・キャンディーやカメラなどのもつ意味が解明されていく。映画が19年前の兵役時代まで遡って、ヨンホのその後の人生に大きな陰りを与えることになる衝撃的な出来事が明かされたとき、初めて観客は右膝の痛みの持つ意味、ヨンホのその後の人生が狂っていく理由を知ることになる。20年前、そんな人生が待っているとは知らず、写真家になることを夢見ながら、冒頭シーンと同じ場所で淡い恋心を寄せ合うヨンホとスニムを映し出して映画は幕を閉じる。この映画は、観終わった後で全てが分かるというしかけになっているのである。

この映画で特に注目したいのは、身体が語る物語性である。重大な場面に直面したときこの男には必ずといってよいほど右膝痛が起こる。瀕死のスニムを見舞った直後に襲う右膝痛。刑事として張り込みを続け、容疑者を追い損なったとき起こる右膝痛。列車でスニムを駅で見送るとき、スニムにプレゼントされたカメラを無言で返すヨンホ。列車が遠ざかるとき、突然起こる右膝痛。自分の人生を狂わせた出来事がきっかけとなってその後幾度も右膝痛が現れる。身体症状もひとつの物語を伝達する。そこには個人を越えた歴史(兵役時代に遭遇した光州事件)も埋め込まれている。破局を向かえている家族、失業、友人の裏切り、意に添わない仕事、社会に対する怒り、兵役時代に遭遇した事件・・・様々なことが非線形的に右膝痛に集約されてゆく。ヨンホが現在の日本に現れて右膝痛の原因精査を受けたとき、担当した医療者が病院内でできる血液検査、膝のX線、MRIを駆使したとしてもどれだけの医療者が右膝痛の成因にたどり着けるだろうか。なぜこの男が自殺をしたかを理解できるだろうか。

医療場面

医療の現場は、この映画であれば「右膝痛」を愁訴に来院した患者との出会いから始まるといってよいだろう。映画の観客はここに至るまでの顛末を観てきているので、何故ヨンホが自殺するのか、何故右膝が痛むのかを、理解できるとは言わないまでも推測することはできる。ところが医療の現場では「右膝痛」だけをもって医療者の前に現れるのだ。このような患者を前にして、医療者はどのようにその原因を探り診断をつければよいのか。この男のここに至るまでの人生の軌跡を知らなければ、それは不可能である。この映画をとりあげたのは、この映画の手法が、医療の「語り」を通じながら患者の背景を探っていくプロセスによく似ているからである。

例えば別の例で、「胸が痛む」といって患者が来院したとしよう。まず医療者は一通り生物医学的アプローチで原因を探ろうとするだろう。急性に起こったもので重篤なものは、急性心筋梗塞、肺塞栓症、緊張生気胸、解離性大動脈瘤、心タンポナーゼなどの命に関わる疾患を考慮する必要があるだろう。しかしながらそのような緊急の状況でなければ、「胸が痛む」原因は別のところにある訳で、それを探るためには患者にここに来るに至った経緯や思いを「語って」もらわなければならない。患者に語ってもらい、それを医療者が聴くことを通じて、またその内容を積み上げてゆくことによって初めて、核心に近づいてゆくことができるのである。これは患者自身が「病い」の意味を見つけてゆくプロセスでもある。

医療の現場で語られる言葉

患者の訴えがどのようなものであれ、往々にして、重篤度に関係なく客観的な裏付けを求めて検査が組まれてゆく。そこで運よく診断が下ればよいが、そうでない場合には、客観的な裏付けを求めて患者はドクターショッピングを繰り返すことになりかねない。このような科学的裏付けが得られない愁訴に対処するためには、医療そのものを患者の側にさらに引き寄せなければならない。これまでの科学的裏付けだけを求めるようなアプローチを改めて、非線形的に様々なことを考慮せざるを得ない。すなわち様々なことが複雑に絡み合って症状が惹起されたと考えて背景を重要視するということである。そこで重要になってくるのが患者に「語って」もらうということなのである。

繰り返しになるが、医療において「語り」が重要なのは、「語る」ことで「語り手」と「聴き手」がつながり、患者は自身の「病い」に意味を見いだすことができるからである。ストーリーもナラティブも'語り'と訳されるが、厳密には大きな相違がある。ストーリーとは直線的で完結した言語構造体、ナラティブとは複雑で他者へ向けられた言語行為である。病者と医療者のかかわりは、相互の「語り」を通じて展開してゆく。ストーリーは、科学的説明では描ききれないような時間的、空間的な広がりをもって世界を描き出すが、現実の理解を一定の方向へ導き、制約もする。医療者はできるだけ科学で説明できるような診断名を付けて病態生理学的に矛盾のないストーリーを作ろうとする。一方、患者は症状や苦悩の中に人生の意味を見いだせるようなストーリーを作ろうとする。それゆえ、そのそれぞれ両者のストーリーは容易には一致できない。患者の持つストーリーを少しでもポジティブな「自己物語」に書き換えるためには、少なくとも聴く耳をもつ誰かに向かって語られなければならない。そしてストーリーとしての一貫性は現在がストーリーの結末になるように組織化されることで得られるである。

しかしながら一口に「語り」といっても、一筋縄ではいかないものである。患者自身、痛みに生物医学的以外の意味があるなどと意識してはいないことが多い。ヨンホの右膝の痛みは10年以上前から起こっている。その後何度も繰り返され、3日前に危篤状態の初恋の人を見舞ったときにも起こっている。ヨンホは医療従事者の前に立つことなく別の理由で自殺してしまうが、医療従事者のもとへ向かう多くの人々は、右膝の痛みに別の意味があるなどとは考えずに純粋に器質的なものだと考えている。生物医学的検査でわからない場合には、患者との対話を通じて新たなストーリーを創り上げてゆくが必要があるだろう。そうすることによって患者の「語り」も変化してゆく。「語り」にも段階があるのである。

「語り」

アーサー・W・フランクは語りを、「回復の語り」、「混沌の語り」、「探求の語り」の3つに分けて考察している。「回復の語り」は病気になって間もない人に多く、治癒する可能性が高いため健康を取り戻すという筋書きを具体化しやすく、幸福な結末が待ち受けているのだということを確信させる。タルコット・パーソンズの"病者役割"の理論がそれである。原因が生物医学的な説明で納得できる病者が回復の語りを好むのに対して、「混沌の語り」は聴く者の不安をかき立てるものである。『傷ついた物語の語り手』の中でフランクは次のように述べている。「身体は沈黙しているわけではない。しかし、その声ははっきりと語られていない。身体は言葉を利用するのでなく、それを生み落とすのである。身体が生み落とす言葉の中に、病いの物語が含まれている。」混沌の語りにおいては、患者自身が混沌としていて言葉によって語ることができず、聴きとりがたいものである。ヨンホが診察室を訪れたならば、混沌の物語が語られるであろうことは容易に想像がつく。聴き手が混沌を否認しても、語る者の恐怖を一層深めてゆくだけである。そうであれば私たち医療者に求められることは、混沌を人生の語りの一部分として受容する力を高めることである。

 「探求の語り」は、「混沌の語り」を新たな形に組み換えて苦しみに真っ向から立ち向かおうとするものである。それは病いを受け入れ、病いを利用しようとさえする。「探求の語り」は、病者であることの新たな在り方の追求について語る。その中には、回想・連帯・励ましが含まれる。そして「探求の語り」をすることで、生存のための闘いが始まる。フランクは、"生存者"よりも"証人"という言葉を好む。生存という概念には、生き延びるということ以外には何ら特別な責任は付随しないが、証人になるためには、起こったことを語るという責任を引き受けなければならない。証言は、それを証言するものの中に他者を巻き込むのである。「探求の語り」は、病いは旅であったのだというとらえ方をしており、病者であることの新たな在り方の追求についてをも語る。それは「語り」の最高段階であり、患者も医師もここを目指しているのだといっていいだろう。

暗黙に知ること

今後の医療は、生物医学的アプローチとナラティブなアプローチを融合した形で実践してゆく必要がある。だがそれを実践することは言葉にするほど簡単ではない。「暗黙に知ること」とは、言葉で説明するのは難しいけれどその行為等を繰り返すことで自分のなかで自動化されることをいう。私たちは、外部にある事物に意識を向けることによって自らの身体を自覚する。超音波専門医を例にあげよう。超音波のプローベに触診・聴診の役割を与えるとき、その行為を繰り返すという暗黙的認識によって、その専門医はそれを自らの身体に取り込み、もしくは自らの身体を延長してそれを包み込んでしまう。その結果として、その専門医はその事物を内在化するようになる。その専門医は超音波と一緒にあれば優秀な診断医ということになる。膝痛や様々な関節痛を診断するために、X線検査やMRI検査を繰り返す専門医にはそれが内在化されてゆく。現在のあらゆる専門医はこのように科学的裏付けをもたらす医療機器を内在化しながら日々鍛錬に余念がない。精神科医でさえ、画像診断を求める時代である。しかしながら、その内在化されたものは非常に狭い領域であり、その領域を外れたものに対しては全く無力である。医療者の前に現れた患者の問題を解決するために、医療者は自分の中の内在化した知識・技能・態度すべてを動員する必要がある。しかしながら、動員すべき内在化したものが狭い領域であれば、限られた患者に対してしか力が発揮できない。そのためだろうか。巷では納得する診断や解決を求めて患者が右往左往している。このような内在化した知識・技能・態度に裏付けられた「直観」は広い領域に対応できるものでなければならない。「直観」とは、内在化したものを駆使してさまざまな要素を絡み合わせて瞬間的に判断することである。患者のストーリーを訊きだし、自分のストーリーと重ね合わせて、対話しながら新たなナラティブを創造するためにはそれなりの暗黙知が要求される。実際に治療を行う場合には医療者側に相当な技量や感受性がなければ、患者の問題に対応しきれないことになる。

患者は結末から始まる映画のようなものである。患者の傍らで医療者は、患者の「まだ語られない」話や身体症状から暗黙裏に患者の病いを探らなければならないのである。そしてそこから結末にたどり着くまでは至難の道のりである。映画を観て最後に感動するほどには簡単なことではない。それは一生かかっても修得できない技・態度であるかもしれない。とは言えそこに向かって一歩踏み出すことはできる。よい映画を観るとふとそんな気にさせられる。(MARTA, 2006,vol4,no.2から一部改変し転載した)

山本和利

2009年5月12日火曜日

講義・講義・講義の4月

4月13日(月)、札幌近郊の病院で新患外来。疾病(disease)を持つ患者さんが思いの外多い。大学で行うときと診療スタイルを変える必要があり、かえって新鮮な体験である。心不全の70歳代女性、虫垂炎疑いの60歳代男性、糖尿病コントロール不良(HbA1c:10%)の慢性咳そうの60歳代女性、など20名ほどを担当。

午後、保健医療学部2年生50名に「医療経済学」の講義。これは5年以上前に、当時企画をした経済学の教官が栄転してしまったため札幌医科大学内部に講義を担当できる者がいなくなり、急遽、EBMで費用効果分析を私が行っているという話を聞きつけた保健医療学部の教官に頼み込まれ引き受けたという曰く付きの講義である。学生に調べさせて発表させればよいだろうと安易に引き受けたが、当時は4年生対象の選択授業であったためあえて選択する必要性がないらしく、選択した学生はたった1名であった。結局私自身が本を数十冊買い込んだり図書館で借りたりしながら急場しのいだのであった。

「あなたがインフルエンザに罹患したらタミフルを服用するか」という問いかけをして、グループ発表をしながら講義を進めていった。後半は、エンデの「モモ」を引用して、利子が本当に必要なのかどうかを考えてもらい、世界・日本各地の地域通貨を紹介して講義を終えた。保健医療学部の講義は一方通行の講義が多いらしく、私のやり方は非常に好評であった。内容についてはホームページを参照のこと。

4月14日(火)、午前は大学で新患外来。インフルエンザ検査の医学生が1名。午後、教室スタッフが行う医学史講義(「プレゼンテーションの仕方」を学ぶ)を見学。

4月15日(水)、午前は再診外来25名。午後、カンファでニポポ研修医向け講義を行う(教室長の提案で本年度より突然、私がやるように言われたため)。1年間、毎月1回、12回に分けて30分程度行う次のような企画を立てた。また、重要な論文や総合診療に必要な書籍を紹介するようにした。

■日常的な診療能力

1.医療へ越境する住民ニーズに応える

2.疾病はないが虚弱な高齢者を診る                                      

3.疾病を求めて受診する患者を診る

4.予防・健康増進もする

5.小児も診る

6.緩和ケアもする                                                    

7.在宅ケアもする

■問題への対処力

8.臨床疫学的な判断をする

■コミュニケーション能力

9.家族との良好な関係を構築する:

■医療マネージメント力

10.地域を活性化する

■臨床現場での教育力

11.教育方法に精通する

■生涯学習能力

12.EBMを実践する

第1回目なので、家庭医療・総合診療の基本となるEngel GL: The need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science 1977;137:535-44、を図書館でコピーし配布し、概説を述べた。恥ずかしながらこれまで何十回と講義・講演の場でこの文献を取り上げながら全文に目を通していなかった。書籍としてはJoachim P. Sturnbergsomato-psycho-socio-semiotic modelとして提唱し、EngelBiopsychosocial modelを発展させた理論書である「The Foundations of Primary Care daring to be different」(Radcliffe, 2007)を紹介した。詳細はホームページ資料を参照。

 講義終了後、札幌駅付近の自治労会館に移動し、北海道内市町村の民主党議員に「地域医療の課題」についての講演をした。早めに行って北海道では非常に有名な国会議員の講演も拝聴した。威圧感はなく、やわらかな口調で、道路・住宅・教育・医療など様々な質問に答えてゆく内容は門外漢の私にも大変に勉強になった。私の講演はつかみとして、ドキュメンタリー映画の話から入った。眠る議員も少なく、時には笑いもゲット。終了時には大きな拍手をいただいた。「医師は20%の時間を公共のために割くべきである」という私の主張が政策に反映されることを祈りたい。具体的な内容についてはホームページを参考にされたい。

 4月16日(木)、予定は会議が一件のみ。一日講義資料作成を予定していたところ、突然、札幌医科大学の卒業生から学会発表論文の統計処置について問い合わせの電話が来る。「心臓カテーテル治療であるバルーン拡張後の突然冠動脈血流が低下(slow flow現象)を予測できるかどうか後ろ向きに検討する研究であり、3つの要因がslow flow現象と単層間があると結論づけて演題を出してしまったが、その後よくよく考えてみると幾つか疑問点が生じたので、意見を求めたいというものである。臨床疫学の診断の章をFAXしたり、その後、FAXで統計処理をしたデータをみながら電話で会話をしたりと忙しい時間となった。

 FAXへの取り組みが一段落したところで、北海道医療大学から頼まれた「エビデンスに基づいた医療提供とは何か?」という講義の原稿、e-learning課題の作成を行った。そして少し時間に余裕があったので、数ヶ月放置していた「日本学術振興会審査委員候補者データベース」にアクセスして入力を行った。

 4月17日(金)4年生にEBMの授業。診断編1を行う(詳細はホームページを参照)。午後、修士課程の入学者に「臨床疫学入門 科学的とはどういうことか」を講義する(詳細はホームページを参照)。

 4月18日(土)、NPO北海道プライマリ・ケアネットワークの理事会・代表者会議・総会・研修発表会・懇親会に11時から19時まで参加。その後、反貧困映画祭と銘打った映画を2本観て、23時帰宅。

 4月19日(日)、たまたま何も予定がないので、市立図書館に立ち寄った後、途中休憩を入れて4時間に及ぶ映画を鑑賞する。

 4月20日(月)、午前の診療支援を12時で打ち切ってもらい、札幌に急いでもどる。1330分より「医療経済学」の講義。外来で診療した女性患者を提示してグループで話し合ってもらう時間をとった。保健医療学部の学生にはこのスタイルが好評である。夕方、学長、医学部長を交えた特別推薦枠入学1年生のオリエンテーション。その後、反貧困映画1本鑑賞。

 4月21日(火)、午前、新患外来を担当。昼休みに医学史の発表について指導担当となった1年生と打ち合わせ。夕刻、道東地区の町立病院院長と面談。

 4月22日(水)、EBMの診断編の講義。ベイズの定理を元に、2×2表から検査後確率を算出する演習と検査前オッズと尤度比から検査後オッズ算出の実習を行う。教室を変えて修士課程の新入生に当教室の研修内容について英語のスライドで説明を行った。一部を紹介すると

Our Department was established in 1999.

 Its mission is to make a significant contribution to community medical care in Hokkaido.

The Department has two primary goals:

one is to produce primary care physicians through sound, systematic, undergraduate and graduate medical education;

the other is to promote research on community medical care, general medicine/practice, clinical epidemiology and holistic medicine.

 4月23日(木)、朝、プライマリケアレクチャーに参加した後、講義資料作りに勤しむ。札幌市内の病院長の面談を終えて、病院運営協議会、教授会に出席した。

 4月24日(金)、4年生にEBMの授業。診断編3を行う(詳細はホームページを参照)。夕刻、寺島実郎氏の講演会の後、特別推薦入試合格の学生と食事をしながら利尻町中央病院院長中川紘明氏の地域医療の講義を拝聴した。

 4月27日(月)午後、保健医療学部で「医療経済学の講義。

 4月28日(火)、日帰りで和歌山医大の5年生の「地域医療の現状と取り組み」の講義。

 4月30日(木)、午前は地域の病院の診療支援をし、午後、1年目の臨床研修医と受け持ち患者の問題に答えながら、総合診療について講義。

 4月中、いろいろな形式のものを合計すると15回講義をしたことになる。講義に始まり講義で終わった1ヶ月であった。

(山本和利)