札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2013年6月24日月曜日

6月の三水会


 
619日、札幌医大で、ニポポ研修医の振り返りの会が行われた。松浦武志助教が司会進行。後期研修医:1名。初期研修1名、他:6名。

 

ある研修医の経験症例。往診と外来の研修が主体である。認知症で診察拒否をする80歳女性。るい痩で入れ歯が合わない。80歳代の慢性の頭痛。精神科から大量の薬剤が処方されている。心不全でペースメーカー在の90歳代女性。おりものがあり婦人科へ。寝たきりの80歳代女性。食が細い。喀痰が多く、微熱があり、入院となった。80歳代女性。徐脈である、心不全、貧血。薬剤性を疑う。多剤内服中の70歳代女性。起立時のふらつき。薬剤の減量を指示。

 

研修医から振り返り1題。

33歳男性。2型糖尿病、知的障害、脂肪肝がある。グループホームでひとり暮らし。169cm,100kg, 両親も知的障害。菓子メーカーに勤務。BP;135/89mmHg, HbA1C:11%。

スナック菓子を食べる。ラーメンのドカ食い。入院することで体重は減少する。退院後、散歩を中止。体重の増加。

外来初回:食事内容を改め、減量の必要性を説明した。(これまでのやり方を踏襲)

 

家庭医の診療の特徴を出そうと考え、新たなアプローチに取り組んだ。

1)ナラティブ・アプローチを用いて糖尿病に対する思いを探ってみた(ナラティブ・アプローチとは、患者や相談者を理解する際に、彼らの主観を含めた全体性を重視するアプローチ。ナラティブとはストーリーや物語という意味)

食べ過ぎによる肥満が原因と思っている。糖尿病は悪いもので、失明、足が腐る病気である。合併症を防ぐには、減量でるということがわかった。

生物心理社会モデルで、それぞれの領域で整理してみた。

病気以外の点で、間食がやめられない心理と自由に食べられる環境が判明した(お金に不自由しておらす、食事量を制限する人がいない)。


重要度・自信度モデルでも検討した。運動、食事が重要と認識しているが、自信がないようだ。短期目標として、週1回行っているバドミントンの回数を増やした。食事のカロリーを減らしてもらった。行動変容の関心期と考えた。

LEARNのアプローチも用いた。

L 共感をもって患者の問題に対する認識を聴く

E 医師の認識を説明す

A 共通点と相違点を認識し、相談する

R 相談した結果できた方針を勧める

N 実施できるように患者と交渉する

これらのアプローチを用いて、行動変容をもたらすことができた。

クリニカル・パール:難治性の糖尿病患者に対して、さまざまなアプローチを用いて行動変容を起こさせることが重要である。改善できる行動を患者自身に述べさせる。

 
研修終了生からの報告。

80歳代女性。後頭部痛。言葉が出ない。血圧が高い。BP;160/90mmHg。はっきりした神経学的所見なし。TIAを疑い、専門医を紹介した。後で脳出血であるとわかった。出血性梗塞の可能性は?

 

研修医は着実に家庭医に必要な知識と技法を身につけている。このペースで頑張ろう!

 (山本和利)

                                                                    

医学史 イリッチ/オスラー


本日の医学史のテーマはイリッチとオスラーであった 

 イリッチはおそらく多くの人にとって馴染みのない人だとは思うが、「医原病」という概念を提示した宗教家(元司祭)である。

 
彼の主張は難解でややこしい。

「健康」は「医療」支配されている。

「病気」は「医療」によって作られている。

一見すると矛盾するような主張である。


昨今の日本では「患者よ、がんと闘うな」を著した近藤誠などに通じる主張である。

 
医療の現場を10年も経験すれば、おそらく彼の主張は、すべてが正しいわけではないが、ある程度身を持って納得できる。しかし、これまで、医療に無縁であった20歳そこそこの若者達にこの思想は理解できるだろうか?

 
こうした新しい概念・難解な概念を短時間で伝える際は、わかりやすい「喩え」を使うことが必須である。どのような喩えを使うかが発表の良し悪しを決めるだろう。

そういう点ではこの班はやや迫力不足な感が否めなかった。

発表班のメンバーも同じ20歳そこそこの若者であるため難しいところではあるが、、、

抗がん剤によって寿命が半年伸びたとして、その伸びた半年が、治療の副作用に苦しむ病室内での半年だったとしたら、これは医療の進歩と言えるだろうか?

出生前診断などという技術が発達し、その検査の不確実性のために、不必要に堕胎される胎児が急増する。これは果たして医療の進歩と言えるのか?

また、病気の概念が新しく生まれるたびに、その病気への恐怖に苛まれ続ける人生は医療の発達と言えるのか?

おそらくイリッチは、多くの人が盲目的に正しいと考えていることに対して、立ち止まって「それは本当に正しいことなのか?」と考えてみる必要性を訴えているのではないだろうか?彼らの発表を聞いてそう思った。

 発表が難解であったにもかかわらず、会場からの質問はかなりあった。大変嬉しいことに、ここ最近の医学史の授業ではこうした傾向が定着しつつある。司会班は討論の時間のためにアンケートを実施するというネタを仕込んでいたが、それを披露する時間がなくなってしまった。嬉しい誤算だろう。いい傾向だ。

後半の発表はオスラーであたt

オスラーの生い立ちと、影響受けた人物を順序よく紹介したあとに、オスラーの功績である臨床現場での医学教育の確率と、内科学書の編纂について述べ、最後にオスラーの死生観について発表していた。

 この班の特徴は、明確な役割分担だろう。おそらくスライドを作る人、発表する人、調べる人、と明確に分かれていると思われた。発表する3人はスライド23枚でくるくると発表者を代えていた。これは今までにないパターンでどのような効果を期待しているのはわからなかったが、マイクの受け渡しにやや手間取るところもあったが、概ねスムーズに行っていた。ただ、残念なのは、発表内容が原稿を読んでいるような印象があったことだ。

 また、この班の発表は非常に盛り沢山で、多くの内容を含んでいたため大変迫力があった。オスラーがいかに医学の教育に情熱を捧げたかがよくわかった。また、セシルやハリソンに並ぶ偉大な内科学書を編纂したこともよくわかった。

 惜しむらくは、どの功績も同じような調子で発表したために、どの点について一番伝えたかったのかという焦点がボケてしまったことだろうか? 

 しかし、30分という短い時間の中でたくさんのことをコンパクトにつたえようという努力は買いたいところである。

発表の最後にオスラーの名言をジョンレノンの「Let it be」にのせて紹介していたのは良かった。ある人物の人となりを紹介するのに、その人の名言を紹介する方法はよく用いられる。簡素にして端的にその人物を紹介することができるからである。

二十五歳まで学べ、四十歳まで研究せよ、六十歳までに全うせよ

医療は、使命であって商売ではない

心に刻んでおきたい。

司会班は、LINEを利用した意見集約の方法を試みていた。日本人は、人前で自分の意見を「発言する」ことが苦手である。そのため「発言する」のではなく、「文字情報で発信する」形態を取ると意見集約はうまくいくことが多い。実際Twitterや掲示板を利用して質問を受けつける講演会もよく行われているし、NHKでもTwitterでリアルタイムの視聴者の意見を紹介する番組もある。

今までにない斬新な試みで、非常にいいと思う。ただ、やはり、相手を不快にさせるような発言なども紛れ込むため、こうした情報をうまくコントロールする技術が司会班には求められる。今回は比較的うまくいっていたように思う。

また、驚くべきことに医学部1学年に115人近くの学生がいるが、ほとんどの学生がLINEに登録しており、使い方も熟知しているのである。

IT技術の若い人への浸透力にはすざまじいものを感じざるを得ない。今後、こうしたIT技術は、その功罪をよく見極めることが必要ではあるが、積極的に活用していきたいものだ。(助教 松浦武志)

2013年6月13日木曜日

医学史 パスツール/コッホ

今日の医学史は感染症との闘いと称してパスツールとコッホの発表であった。

 

前半はパスツールの発表であった。

お決まりの班員紹介から始まった。最近は脳内診断や動物診断などユニークな個人診断サイトがあるようだ。

 

最初にパスツールの主な功績をざっと発表した後に、その中から選りすぐりの3つについて詳しく発表があった。

 

1)それまで信じられていたアリストテレスの生物自然発生説の否定。

2)コレラ菌・炭疽菌・狂犬病ウイルスに対するワクチンの開発。

3)現代のワクチンについての概要の説明。

 

以上の3点であった。

この班は班員5人全員がプレゼンターとなって発表していた。多人数で発表を分担すると統一性がなくなるリスクがあるため、最近は2-3人で発表する班が多かったが、この班は、マイクの受け渡しなどを工夫して、5人で統一感を出す工夫をしていた。

 

この班のスライドは画像が多いことも特徴だが、その画像の動きが多いことが一番の特徴だろう。アニメーションを駆使して、非常に効果的なスライドとなっている。

パワーポイントも使いこなせば、かなり有効な発表が可能なのだと改めて思った。

 

また、この班は、発表の最後で、パスツールとは直接の関係はない、現代の日本と世界のワクチン情勢について調べて発表していた。

乳幼児の死亡率を高めている6大感染症として、はしか・ポリオ・百日咳・結核・破傷風・ジフテリアを挙げそれらによって、サハラ以南のアフリカでは実に9人に1人が5歳未満で死亡してしまう現状を報告していた。それらの感染症の予防に有効であるワクチンは7円から100円程度で供給できるという事実も紹介していた。「寄付をするならいつでしょう?」「今でしょ!」のお決まりのセリフも飛び出していた。

 

厳密には世界の乳幼児の死亡率を高めている一番の原因は、感染性下痢症による脱水や貧困による飢餓だったりするわけであるので、一概に寄付金がこうした状況を改善するわけではないが、パスツールの歴史を紐解く中で、こうした現代の問題にまで思いをはせることができたのであれば、今回の医学史の学習の意義は十分にあったと思う。与えられたテーマのみの勉強にとどまらず、こうした拡張性のある学習こそが、高校生までとは違った大学生の勉強であろう。今回のことを通じて、少しでもワクチンについて興味がわいて、感染症内科を目指す学生が出るかもしれない。

 今後の医学史は現代医学に焦点が当たってくる。是非興味を持って取り組んでもらいたい。


後半はコッホであった。


コッホの班もスライドの文字は少なく、画像を多用し、大変わかりやすいストーリーであった。今年の1年生は非常にレベルが高いと思う。

 

1)コッホの生き様。幼少期の生活からノーベル賞を受賞するまでのエピソードを紹介していた。

2)そのノーベル賞を受賞するに至った偉業の紹介

3)コッホの発見が現代医療にどう活かされているかの検証

 

以上の3部構成であった。

パスツールの班と同じように現代の医療への貢献を検証しているところが素晴らしい。特に結核菌に対するBCGの功績を発表していた。

戦後間もないころ死亡原因第1位であった結核が急激に減少し現在25位になるまでに制圧されている事実などを紹介していた。また、BCGの功績だけでなく、ストレプトマイシンという抗結核薬の登場についても言及していた。えてして、自分たちの調べた業績だけを強調したくなるが、その他の要因についてまで調べてきていることは大変鋭い指摘であると感心した。図や、表が駆使されて非常に見やすい。

ただ、コッホの班は30分の発表に対し、スライドは104枚。120秒弱の計算になる。つまり、スライド1枚当たりの文字数が減っただけという見方もできる。もちろんそれだけでもスライドは格段に見やすくなる。虫眼鏡でしか見えないようなスライドを使っている講演が多い中で、その工夫だけでも意味のあることだと思う。

ただ、途中、小分けにしたスライドの文字を読んでいるだけのような単調な場面も見受けられた。スライドは読み上げる内容を記載するためのものではない。自分たちが伝えたいことを端的に表現したタイトルなのである。

そのことを今一度確認して欲しい。

 

文字(スライド)による情報と音(声)による情報は本質的に異なるものである。

 

来週は大学祭で1週間医学史の授業はお休みとなる。今一度最初の「プレゼンテーションのコツ」の講義を思い出してもらいたい。これまでの班の良いところ・直したほう良いところをもう一度振り返ってもらいたい。そして、来週以降も素晴らしい発表を期待したい。

(助教 松浦武志)

医学史 フロイト/森田正馬



最初の班はフロイトの発表であった。

まずはおなじみとなった班員の紹介から始まった。面白おかしく紹介することが定番となっている。特に今回は発表内容がフロイトなだけに、やや性的な事に偏っている気がするが、これも演出の一つなのだろうか?

 

まず、フロイトという人物が「いかに変態であったか」を強調したうえで、今日の3本柱の発表になった。

1)フロイトの一番の功績である、無意識の発見と夢分析につぃて。

2)ヒステリーについての解説

3)性的発達段階について。

 

以上の3点についての発表であった。

そもそもフロイトの精神分析はそれそのものが難解で、理解するのは大変であったであろう。また、非常に哲学的で、内容によっては現代の思想に合わないところもあり、準備は大変であったと思われる。

そんな中でも図を駆使したり、抽象的な哲学的な言葉を、わかりやすいたとえや事例に置き換えたりして工夫して説明していた。30分という短い時間しかないため、なかなか本質のところまで踏みこめないのは致し方ないかもしれない。

ヒステリーという病気や二重人格という概念も、おそらく普通の生活を送ってきたであろう学生諸君には理解するのは難しいであろう。ましてやその治療法ということになるとたぶん、イメージするのは難しいかもしれない。

そのような新しい概念の説明の時には、わかりやすい「たとえ」を用いるのが大変有効である。発表班は「学校に行きたくない青少年が朝になると本当に腹痛が生じてくる」ことや「病気であることが本人の利益になるような状況での本当の失神」などのたとえで説明していた。

最後にフロイトの研究テーマである性的発達段階について大まかに解説していた。「口唇期」「肛門期」「男根期」「潜伏期」「性器期」など、刺激的な言葉が発表されていく。発表者はなんとなく気恥ずかしくなってしまうところであるが、しっかりと学術的に発表していた。

 

結局最後にフロイトは「すごい変態であった」とまとめてしまっていたが、聞き手に記憶に残る発表とするにはこうした『レッテル貼り』も有効な手段の一つだろう。

「唯物論が幅を利かせている世の中で、無意識を発見したことと、性的なことはタブーとされた世相の中で性的なことについて真面目に研究・発表した」ことなどの功績はちゃんと発表していたので、まぁ良しとしよう。

 

司会班の議論の進め方は、テーマを提示して、それについて答えてもらう形式を取ってはいるが、発表内容が性的な事であるため、なかなか個人的な発言を引き出すのは難しいかもしれない。こういう『個人として発言しにくい』状況で意見を引き出すコツを覚えると様々な集まりでのファシリテーションに自信がつくだろう。今一歩の成長を期待したいところである。


後半は森田正馬であった。

お決まりの班員紹介に始まって、森田の班の発表は、

1)フロイトの生き様→自殺を考えるまでに至ったフロイトの人生について。

2)その中から編み出した『神経質』という概念と治療法『森田療法』の発見

3)現在でも日本発の唯一の精神療法としての森田療法の位置づけ

3つに分けて説明していた。

 

ストーリーは明確で非常にわかりやすい。それぞれの単元で強調したいことが、次の単元へと自然につながっている。また、ところどころに象徴的な格言などを織り交ぜることで各単元を特徴づけている。

ストーリーの作り方としてはかなり洗練された感じがする。

 

神経質=素質×病因×機会

神経質を治すためのキーワード=Not かくあるべし But あるがまま

 

プレゼンターも、ただ聞き手に質問を振るだけでなく、その答えに対して、適切な受け答えを行っている。この「適切な受け答え」は相手の発言に対してなされるものであり、当たり前であるが、事前に準備をするわけにはいかない。その場で考えて即座に言葉にしなければならないため、かなり高度なテクニックといえる。しかし、今日のプレゼンターは非常にうまく受け答えをしている。ある程度社会人経験のある再入学の学生かと思いきや、弱冠20歳との事。いやはや驚くばかりである。

プレゼンテーションは、練習することによって誰もが等しく獲得できる部分と、その人本来の個性がなせる部分とがあると思う。得意不得意と言ってしまえばそれまでだが、得意な人はその個性をさらに飛躍させてほしい。不得意な人は、苦手でも練習で習得できる部分についてはぜひ練習して欲しい。練習なくして、上達無し。練習あれば必ず上達あり。プレゼンテーション技術は必ずや君たちの将来に役に立つであろう。

 

司会班も「自分が落ち込んでいたとき、どうしていましたか?」という身近な話題に議論を誘導していた。「寝る」「音楽を聴く」「絵をかく」「なにもしない」などそれぞれの班の答えが面白い。

森田療法が得意としている「神経質」と司会班の提示した「落ち込んだ時」というのはかなり意味合いが違うが、まぁこうした臨床的なところまで1年生が理解するのは難しいだろう。それよりも「何か質問ありませんか?」という単純な質問ではなく、何とか意見を引き出す方法はないか?と努力している点を評価したい。

 

最近、司会班が特にあの手この手の工夫をしなくても普通に会場から質問・感想が出るような雰囲気になってきている。非常に素晴らしいと思う。

ぜひこの調子で講義を盛り上げていってほしい。  (助教 松浦武志)