札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年1月31日火曜日

ワンス・アホな・タイム

『ワンス・アホな・タイム』(安東みきえ著、理論者、2011年)を読んでみた。

著者は1953年生まれの童話作家。多くの童話に関わる賞を受賞している。

本書には7つの短編が収められている。どれも「むかしむかし、あるところに・・・」で始まっている。
まじめな王妃、王女、王子がでてくる。その国をよくしようと善意から出た決定が不都合な状態を招いてゆく。そして、現実にどう対応しなければならないのかということを読者に訴えかける構成になっている。
物事が完璧に進行しないと嫌な王子。絵日記を先に書いて、それに合わせて行動してみる。

美しすぎる王子。何かにとらわれていると。それを打開するのは「蜘蛛の巣」であると魔女がいう。蜘蛛の巣とは?

肩肘張らずに読めて、参考になる書物である。(山本和利)

2012年1月30日月曜日

手ごわい問題は対話で解決

『手ごわい問題は、対話で解決する』(アダム・カヘン著、HUMAN VALUE、2008年)を読んでみた。藤沼康樹氏が推薦されていたのが読む契機となった。

著者は複雑な問題の解決に向けて共に取り組めるよう、プロセスを企画・促進する第一人者である。南アフリカの民主化移行に多大な貢献をしている。
困難な問題が平和的に解決されることはほとんどない。国際問題であれ、家庭内の問題であれ。本書は、困難な問題を唯一解決する方法を提案している。それは人々が話し合い、互いに耳を傾けることである。

問題には3つの複雑性があるという。
1)物理的な複雑性:その原因と結果が空間的・時間的に離れているため、直接的な経験だけでは解決できない。
2)生成的な複雑性:これまでにない予期できない形で展開する、解決が困難になる。
3)社会的な複雑性:関わる人々が問題に対して異なる捉え方をするため、分裂して行き詰まる。

一般的な話し方は「一方的に伝える(telling, not listening)」だけである。優秀といわれる人たちは、「たった一つの正解が存在する」「自分たちこそが世界がどう動いているかに関して客観的な真実を理解している」と思い込んでいる。これが間違いの元。

南アフリカのモン・フルーでなされた会議。小グループで「何が起きうるか」を話し合う。反論は許されない。「どうして」「その次は」を訊く。第二回目は、最も重要で現実的と思われる4つのシナリオに絞り込んだ。それを検証し、持ち帰り、洗練する。最終的な「フラミンゴの飛行」と呼ばれるシナリオが選ばれた。すべての重要な要素が適切に配置され、社会の全員がゆっくりと共に立ち上がり、政権移行に成功した。このシナリオはシステム的であり、プロセスは創発的かつ参加型であった。

「話さない、聴かない」というパターンは行き詰まりの症状だそうだ。礼儀正しさは現状を維持する(進展のない表面的な話し合いに終わる)。しかし、現状がもはや機能しなくなったとき、私たちは心を開いて率直に話さなければならない。そしてオープンに聴き、内省的に聴く。人は「自分とは離れて存在し、客観的に見たり操作したりすることが出来る」という考えになれてしまっている。そしてできるだけ関わらずに自分自身を守ろうとする。人は個人的な物語を語るときに理解が深まるのである。私たち一人一人が一部となっている「問題状況」が存在するのである(当事者という自覚が大切なのだろう)。聴くということは、話すことをやめることである。

以上のことを実行することは、単純であるが実は容易ではない。

著者からの10の提言を紹介しよう。
1.自分の状態や、自分自身がどう話し、どう聴いているかに注意を向ける。
2.率直に話す。
3.自分は真実について何も知らないということを自覚する。
4.当該システムの関係者たちと関わり合い、話を聴く。
5.システムの中で自分が果たしている役割を振り返る
6.共感をもって聴く。
7.些細なことよりも全体で何が話されているかに耳を傾ける。
8.話すのをやめる。
9.リラックスして、完全にありのままを受け入れる。
10.これらの提言を試みて、何が起こるかに気づく。

世界を変えるには、まず自分自身が変わらなければならない。
本書に書かれていることは、医療面接での心がけと全く同じである。世界中で、相手の話に耳を傾けることができないようだ。たったそれだけのために世界中で悲劇が繰り返されている。まず、自分自身が変わらなければ!(山本和利)

2012年1月29日日曜日

OSCE外部評価

1月28日、東京都内の大学で行われた医学部4年生のOSCE医療面接に外部評価者として参加した。
105名の学生を8列、評価者2名で評価。

最初に開いた質問(「もう少し詳しく教えて下さい」)で始めずに、閉じた質問に切り替えてしまう学生が意外と多く、途中で四苦八苦している様子が目立った。

医療面接の模擬患者を文系の学生(茶髪や耳ピアスの学生もいた)が担当しているのがユニークであった。

外部評価者への対応や点呼について参考になる場面がいくつかあった。集合が13:30 で終了が19:00という日程は、北海道からの日帰り参加者には少し辛いところである。
振り返りを早々引き上げ、空港に向かったが、道内雪空のため、運航が不確定で引き返し覚悟で機内にはいった。道内に着いてもJRの運航の遅れが続き、結局深夜の帰宅となった。

OSCE評価の妥当性はこのような活動の積み重ねで、担保されているのであろう。(山本和利)

2012年1月27日金曜日

介護保険

1月27日、FLATランチョンで松前町立松前病院の八木田一雄先生の講義を拝聴した。講義のタイトルは「介護保険制度」である。参加学生は3年生が3名。

高齢者社会福祉制度の流れを紹介。
高齢化率(65歳以上の比率で決める)1960年代に開始。1970年代に老人医療費が増大。高齢化とは:65歳以上の高齢者人口の総人口に占める率。高齢化>7%。2901万人。日本は23.1%。医療費は9.1%。北海道:一人当たり103.7万円(全国第2位)。高齢者は循環器系、癌、筋骨格系が多い。一人暮らし高齢者が増えており、認知症を有する高齢者が増加している(250万人)。特別養護老人ホームの入所申し込み者の状況:42万人が待機している。施設に入所率4%。施設が不足している。家族の負担が大きい。環境が整備されていない。

介護保険制度は2000年から導入された 5番目の社会保険制度である。市町村に申請し、訪問調査+主治医意見書を書いて貰い、認定審査会で要介護認定をする。被保険者は40歳以上の国民。第1号保険者:65歳以上。保険料は年金から天引きする。第2号保険者:40-64歳。給料から天引き。事業主が半分負担。3年が一サイクル。3年で見直し。総費用が上がっている。市町村によって保険料が異なる。全国平均毎月4,160円。高福祉なら高負担となる。

手続きとして
・申請
・心身の状態調査
・必要な介護労力の審査:8段階に区分される。

要介護状態によって支給される限度額が異なる。

サービス
・居宅サービス:訪問看護、訪問入浴、通所介護、短期入所生活介護、
・地域密着型サービス:グループホーム、入所サービス、1カ月3万円弱。福祉用具貸与。

利用者は1割負担、食費、居住費は対象外。施設に入所すると自己負担が月10万円はかかる。

地域包括支援センター、ケア・マネジャーが重要。訪問調査+主治医意見書(傷病、心身状況、特記、等を記載する。介護の手間、ケアプランに役立てる)、認定審査が必要となる。要介護認定、要支援認定。
介護支援専門員(ケアマネジャー)の業務;毎月のケアプランを作る。一人39人まで担当できる。モニタリング、連絡の調整。

在宅療養を可能にする条件:入浴や食事の介護、介護に必要な用具、訪問診療、等。384万人が利用。

サービス受給者数の推移:脳卒中、認知症が多い。主介護者は配偶者、子、子の配偶者。女性が多い。

学生からの質問:年金はいくらもらえるのか?基礎年金は月に3万5千円。生活保護者は月10万円。施設入所に10万円かかる。

今回は他の大学企画と重複したため、参加者が少なかった。地域医療の実践には不可欠な知識である。講義終了後の質問コーナーで、年金についての学生の質問で盛り上がった。(山本和利)

2012年1月26日木曜日

新たな帝国アメリカ

『新「帝国」アメリカを解剖する』(佐伯啓思著、筑摩書房、2003年)を読んでみた。

9.11後の世界の仕組みを考察している。9.11のとらえ方として、これまで「文明」と「野蛮」の衝突というもの(米国のブッシュ大統領)と「文明」と「文明」の衝突(ハンチントン)という二つあるという。

著者は、まず「文明」と「文化」の違いを考察する。「文明」は、多かれ少なかれ普遍性と抽象性、そして変化といった要素を含んでいる。一方、「文化」とは相対的ではあるものの、特定の国家や地域といった場所性と歴史性に根ざした独自のものである。9.11について、「文明」と「文化」の衝突であるという新たな視点を提供している。9.11の根源には、イスラムから見ると「文明」という名の下に世界支配を目指す驕れる国家米国があり、米国にとってイスラムは、容易に原理化する排他的な独善社会ということになる。

9.11以後、時代や世界がピカソの絵のように混沌としている。そんな中でフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論もハンチントンの「文明の衝突」論も色あせてきている。

このように既存の理論を論破しながら、帝国化するアメリカ、自由と民主主義の帝国、自由と民主主義の帝国、「アメリカニズム」の変容、と章は続く。その中では、「グローバリズム」というアメリカの戦略が論じられる。アメリカ的価値の普遍性としての世界の「マクドナルド化」とは、「食べ方」という文化の変更を迫る(生産、サービス、消費の形の変更)。これをイスラム側は文化への侵略と捉えることになる。

本書は米国を問題の中心に据えて世界の潮流を論じている。本書の後半を読むと、米国(欧州を脱出したピーリタン)と欧州諸国とを十把一絡げに西洋と括ることができないということが理解できる。現在、米国は「自由」「民主主義」「人権」といった理想を失い、ニヒリズムの陥っているという。

著者は、結論として様々なレベルから成る人々の繋がりである「社会共同体」を重視する立場をとる。人は多様な「共同体」に属することで、はじめて他人から評価され、同一性を得、道徳的に方向づけられ、追求すべき価値を見いだす。そうすることではじめて「文明」と「文化」が融合するのだと説く。

人を自分の方に引き寄せて支配するのではなく、相手の価値観を認めて共に生きていくことが大事なのだ。(山本和利)

2012年1月25日水曜日

ディアスポラ

『ディアスポラ』(勝谷誠彦著、文藝春秋、2011年)を読んでみた。

ディアスポラとは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人やソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがある。

本作品は3.11が起きる10年前の2001年に書かれた原発事故を扱った小説である。
冒頭はチベットの難民キャンプ。「事故」のあと、日本人は世界中に散らばった模様だ。事故後の日本の具体的な様子は語られない。誰も帰られないというそのことが、被災の重大さを行間から伝えている。

難民になるということはどういうことなのか。難民が自主帰国に供えてお金を稼ごうとすると、現地では不法就労ということになる。異国の地での高山病にも襲われる。そんな状況下で母親が不審な死を遂げる。そのときの少女の対応を本文で、「悲しみに出会った時に、他人に重荷をあたえぬためにそれを自分の中に受容することなど、あの国にいた時の少女にあり得たことだろうか。」と綴っている。

「事故」は万人の上にふりかかったのだ。まさに「福島」がそうであったように。

本書が予言したように2011.3.11に福島県民はディアスポラとなった。本書との違いは、避難した地が国内ということである。「安全神話」に踊らされた日本人へのつけはあまりにも大きい。

TV番組の被災地報道から推察すると、国レベルの対応は被災現場からたくさんの批判が出ている。一方、被災地では現場のニードに合わせて行動をするリーダーがあちこちに出現しているようだ。現場こそがリーダーを育む、ということか。(山本和利)

2012年1月24日火曜日

ニセ科学

『ハインズ博士再び「超科学」をきる』(テレンス・ハインズ著、化学同人、2011年)を読んでみた。

著者は神経学専攻の大学教授。本書の特徴は、ニセ科学に対する包括的かつ方法論的批判である。

ニセ科学の第一の特徴は、反証不可能性。ニセ科学者は反証を拒むし、反証を受け入れない。また必ず言い逃れをする。すなわち、一貫しているのは反証を受け入れまいとする精神的態度である。第二の特徴は、検証への消極的な態度である。厳格な条件で調べようとしない。第三の特徴は、立証責任の転嫁である。「ウソだと思うなら、科学的に説明してみろ」と批判者に否定証明の責任を転嫁する。本書はその3点に加えて、統計的有意性を重視する。

預言者の秘訣としてノストラダムスの予言が引用されている。そこにあるのは、曖昧でいい加減な予言を事件が起こってから具体的に肉付けするやり方であるという。実は事件後に語っているのに、あたかも事前に予言していたかのように人々に信じ込ませるやり方である。

UFOの写真はちょっとした撮影技術の二重露光を使えば簡単に捏造できるそうだ(フィルムを巻き戻して二重に撮影する)。UFO写真家は常習犯が多いという。

UFO誘拐事件の顛末が語られるが、ほとんどが捏造である。ミステリー・サークルはほとんどが朝方見つかるが、前夜に偽造されたものである。バニューダ・トライアングルにおける失踪事件の真相が語られる。

米国の政府機関が法的に許可しているうそ発見器に科学的な根拠はないという。

本書は第2版であり、新規に付け加えられたのが「なぜ代替医療は流行るのか? ホメオパシー効果の実態」である。これは実害がないから(自然治癒にゆだねている)甘く見られていた。100年前の医療は瀉血療法など、正規の医療の方に実害が多かったため、見た目効果があると思われていたと著者は推測している。医学雑誌『ネイチャー』にその効果が掲載されたが、その後調査団の厳格な評価によって否定された(意図的なデータの削除や二重盲検ではない観察者による主観的な評価等)。

「セラピューティック・タッチ、手かざしで病気が治るか」の章では、なんと9歳の女児(母親が看護師)が反証実験を企画実行し、効果がないことが証明したそうだ。

ハーブ治療の中では、セイヨウオトギリソウが抑鬱に対して効果があることが証明されているが、それ以外は証明されていない。また安全である保証がない。中国産のハーブ植物のある成分は腎障害を引き起こし、泌尿器官に癌を生じさせる危険がある。

自然療法には、水治療法、鍼治療、アロマテラピー、バイオフィードバック、呼吸訓練、銅製ブレスレット、浣腸、信仰療法、断食、ハーブ・サプリメント、ホメオパシー、催眠術、関節徒手整復、磁気療法、マッサージ、ポジティブ・チンキング、セラピューティック・タッチ、ヨガ体操等が含まれる。これらの効果はほとんど科学的に証明されていない。

代替医療の特徴の第一は、患者の体験談に頼ることである。効くと勘違いさせる効果として、プラセボ効果、自然寛解、「平均への回帰」を取り上げている。そしてこれらが複合することによって見かけ上効果があるように見えるのである(対照群が存在しない)。
ここでは触れていないが、臨床疫学的にはこれらに加えてホーソン効果(観察されることで効果が変わる)も見かけ上効果があるように見せる。
その特徴の第二は、科学らしく聞こえる用語や言い回しの多用である。

代替療法の効果のなさについては、『代替医療のトリック』(サイモン・シン、エツァート・エルンスト著:新潮社 2010年)を参照されたい。本ブログでも2010年7月12日に取り上げている。(山本和利)

2012年1月23日月曜日

忠誠心

『忠誠心、このやっかいな美徳』(エリック・フェルテン著、早川書房、2011年)を読んでみた。

著者はウォール・ストリート・ジャーナル誌のコラムニスト・ゲーム理論や倫理学に堪能。カクテルに関するコラムが人気で、ジャズ・ヴォーカル・トロンボーン奏者でもある。

著者は、友情、恋愛・結婚、ビジネス、リーダーシップ、政治、国家等、9つの分野について考察を加えている。

忠誠心とは単なる共同作業を指しているわけではない。それを超えた信頼を指している。忠誠心は基本的に相互補完的に成り立つものであって、信頼がおけるとは、肝心なときに強要されることなく自分の受け持つべき部分を提供することを意味している。

黒沢明監督の『七人の侍』に登場する島田勘兵衛は、野武士の襲撃に備えて村人に戦い方を教えながら、「人を守ってこそ、自分を守れる」と諭す。「おのれのことばかり考える奴は、おのれをも滅ばす奴だ」と百姓たちに活を入れる。忠誠心にもとづく行動は計算に従っておらず、むしろ打算を頑固に拒否しているものになる。

「友情は逆境で試される。」など参考になる。ゲーム理論を引用しながら、合理的かつ利己中心的にふるまうことが必ずしも、自分自身にとっても周囲の者にとっても得にならないことを強調している。同感である。(山本和利)

日本PC連合学会誌編集委員会

1月22日、東京の医師会館で開催されたプライマリ・ケア連合学会誌編集委員会に参加した。

まず、新たに査読を担当する編集委員となった4名の自己紹介がなされた。そして投稿論文の審査状況の説明、2012年度の編集方針の説明が事務局からなされた。次号に2012年1月に行われた病院総合医セミナーのまとめを掲載することが承認された。

続いて、投稿論文審査の更なる迅速化対策について話し合われた。査読者名簿の刷新と充実、査読可能な領域の明確化、査読担当者段階での掲載可否の判断の導入等の意見がだされた。
年間最優秀論文の審査方法が話し合われた。次回総会が行われる9月1日の編集委員で決定することになった。

最後に、学会誌に掲載すべき利益相反規約が話し合われた。
次回の編集委員会は次回総会が行われる福岡で9月1日開催となった。(山本和利)

2012年1月22日日曜日

デザート・フラワー

『デザート・フラワー』(シェリー・ホーマン監督:ドイツ他 2009年)というDVDを観た。

題名は主人公の名前に由来している(砂漠の花)。数々の一流ファッション誌の表紙を飾った世界的トップモデル、ワリス・ディリーの自伝「砂漠の女ディリー」をワリス本人による監修のもと映画化したものである。

ソマリアの遊牧民家庭に生まれ、貧しい少女時代を送った主人公。13歳で意に沿わない結婚をさせられそうになったことを機に家族・故郷を飛び出す。ソマリアから祖母家までの逃避行では、砂漠を裸足で横断し、トラックにヒッチハイクする。途中で暴漢に襲われもする。なんとか辿り着いて、叔父のいるロンドンでメイドになる。

路上生活を送っていた彼女は、一流ファッションカメラマンに見いだされショーモデルに転身。やがて世界的トップモデルとなる主人公だった。インタビューを受けて彼女が語る「運命を変えた一日」とは。国連本部での証言。「女になる」とは?そこで衝撃的な過去が明かされる。

ソマリアの風習、幼児期に女性性器の一部を切り取り、膣を縫合する(女性の割礼)。世界で割礼を受けている女性は1億3千万人。一日6千人に及ぶ。

これは一女性の成功物語ではなく、女性を苦しめる風習の根絶に向けた啓発映画である。患者さんを診るとき、私たちが知らないこと、忘れていることがまだまだたくさんある。(山本和利)

2012年1月21日土曜日

女子プロレス

『1993年の女子プロレス』(柳沢健著、双葉社、2011年)を読んでみた。

本書はかつて女子プロレスが全盛を極めた時代にプロレスに関わった人々にインタビューしてそれをまとめたものである。特に世界最狂軍団といわれた全日本女子プロレスに所属していた者たちへのインタビューが興味深い。ブル中野、アジャ・コング、ライオネス飛鳥、長与千種等をご存じだろうか。

私自身、女子プロレスを観戦したこともないし、テレビ観戦もほとんどしたことがない。今回、ブックレビューに紹介されたのを契機に読んでみた。

本書を読むと、プロレスが好きでそれに青春を賭けた少女達の真剣な思いが伝わってくる。プロレスは筋書きが決まっていて、真剣勝負ではないと思っている読者が多いことだろう。しかしながら全日本女子プロレスのやり方(最後のフォール)は真剣勝負であったそうだ。面白いのは、そこに所属していたプロレスラー達がそのことをあまり評価していないことである(前半戦の筋書きに沿ったアクションと最後の真剣勝負のミスマッチのため)。

いじめを繰り返す者、力なく敗れ去る者、オーラ-を放ってのし上がってゆく者、放漫な経営者たち。どんな分野でもその時代を真剣に生きた人たちの話には、学ぶところが多い。

対談記事なので、読みやすく、一人一人のパートは長くないので、時間を決めて読むことができる。本書を読んでいるうちに、そこで語られる伝説の試合というのをビデオで観たくなった。(山本和利)

日本PC連合学会北海道ブロック代議員会議

1月21日、札幌で行われた日本PC連合学会北海道ブロック代議員会議に参加した。

北海道ブロックの規約作りや今後の会のあり方が検討された。
現在、新理事、新代議員の選挙が進行中である。

6月9日に行われる日本PC連合学会総会で新理事、新代議員の承認後、新執行部に移行する予定である。多くの会員からの意見が反映され、さらに本会が発展することを期待したい。(山本和利)

2012年1月20日金曜日

「地域医療」の試験

1月19日、4年生の受講した「地域医療」の授業に関するペーパー試験が行われた。

終了後、合否を決定するため、教室スタッフ一丸となって夜遅くまで採点に臨んだ。

追試験は1月22日。対象者の踏ん張りを期待したい。(山本和利)

2012年1月19日木曜日

圧迫骨折はコモン

1月18日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は札幌徳洲会病院の森利光院長である。テーマは「圧迫骨折はコモン」で,参加者は10名。

診療録を分析した結果、札幌徳洲会病院では半径3kmの医療圏で患者を診ていることがわかったそうだ。

今回のメッセージ「高齢者の圧迫骨折を診てほしい。」タイトルにあるコモンには“common”’と“come on”の意味を込めている。

一般外来における運動器疾患の頻度は10-20%である。札幌徳洲会病院は脊椎骨折損傷を診ている数が日本で第三位。都会型で救急車を断らない病院に多いからだろう。人口は減るが、高齢者は急には減らない。高齢者6名に1名に圧迫骨折が起こる。骨粗鬆症は増加している。有病者は女性で約1,000万人。

治療の目標:死亡率、疼痛の軽減、変形の予防、骨癒合、QOLの維持。臥床安静は必要か?診断は?予後は?ギブス・コルセットは必要か?入院は必要か?この辺は最近議論になっている。既存骨折があるときの診断は難しい。有病者の18%しか治療を受けていない。T1強調画像、STIR画像を用いた中野の基準というものがある。70歳以上で急な腰痛、骨粗鬆症があったら圧迫骨折を念頭に置くこと。外傷歴が不明のことも多い。腰仙部の痛みでも、胸腰移行部の骨折を考える。

骨粗鬆症リスク要因:既存骨折、骨折家族歴、スレロイド使用の3つのみ訊く。3コラム・セオリー(3つの領域に分ける;前方、中央、後方)。圧迫骨折では前方がやられる。ミドルコラムは破裂骨折が多く、腰椎圧壊の危険が高い。

高齢者の排尿・排便障害を診たら脊椎が原因かもしれないと疑う。転倒後の腹痛も圧迫骨折を疑う。
圧迫骨折の随伴症状としてサブイレウス、呼吸器感染症がある。

変形して治癒するとADLが落ちる。圧迫骨折の数が増えるほど死亡率が増える。

治療の原則は「整復」「固定」「早期リハビリ」ということになっているが、前2つは疑わしい。整復しても最終的にはずれる。固定はできない。早期リハビリは重要。強固な固定を行っても骨癒合は高まらない。偽関節の発生率は減らない。経皮的腰椎体形成術は効果がない等が最近の研究でわかってきた。痛みの原因が圧迫骨折であるということを説明し、自然経過を話してあげる(一時期を乗り切れば軽減する)ことが重要である。入院の適否は自宅のトイレに歩けるかどうかで決めている。

まとめ:圧迫骨折はありふれた疾患であるが、見逃しが多い、治療法では意見が分かれるが、患者さんを苦しめてはいけない。(麻薬の積極利用も可)。

講義の後、たくさんの質問が出された。圧迫骨折へのPC医の関心の高さがうかがわれた。(山本和利)

2012年1月18日水曜日

1月の三水会

1月18日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は13名。大門伸吾医師が司会進行。後期研修医:5名。初期研修医2名。他:6名。

研修医から振り返り5題。病棟、外来で受け持った患者について供覧後、SEAを発表。

ある研修医。放射線科研修で画像全体をみる癖がついた。病棟患者を持たないと楽。88歳女性。ペースメーカー外来で、全身倦怠感を訴える。SSS、心原性脳梗塞、高血圧。肺炎、心不全という診断がついた。治療で改善。施設にもどって即38℃。CRP:5.0。1ヶ月後に退院し、以前の施設に戻る。発熱があるというだけで施設に戻れないというのは不合理ではないか。家族を入れてのカンファランスをもった。介護老人保健施設についての報告。医療保険が使えない。他院の外来を受診すると、施設の10割負担となる検査項目が幾つかある。健康で安価の薬を飲んでいる患者が最適。手のかかる人は置きたくない。スタッフが不安定な患者を診たくないという印象を持った。
コメント:このような患者をどこの施設で内科の医師が診るかが問題になってゆくだろう。

ある研修医。寒い。気温-23℃。国外に居住していた64歳男性。肺がんのターミナル・ケア。糖尿病。ふらつき、めまいで帰国し精査。頭部CTで腫瘍あり。左肺に肺がんを発見された。病状はStage IV。脳にγナイフ治療のみ。脳浮腫にリンデロンを使用し、糖尿病があるためインスリンを使用。入院加療。病室でインターネットをしたい(海外に居る知人と連絡するため)。外出して自宅で喫煙、インターネットをしていた。底冷えがする家で、ターミナルを迎える状況としては不適切であった。背部痛、腹満感。胸水が出現。麻薬を使用して、疼痛対応している。
クリニカル・パール:死ぬ時は自宅というのは短絡的である。 それなりの環境が必要である。

ある研修医。68歳女性。甲状腺癌のターミナル・ケア。頸部腫瘍。気管切開。自宅は寒い、お金が乏しい、夫は病気である、という理由で外泊をしたがらない。疼痛管理はできたが、コミュニケーションが難しい。筆談も難しい。外泊の話も進まない。進行が早く、2カ月で死亡となった。この患者にどんなことができただろうか?

ある研修医。62歳女性。全身倦怠感。眼瞼結膜蒼白。舌乳頭委縮なし。爪の変形なし。Hb:6.3g/dl,MCV:105,徐々に小球化してきている。CFで上行結腸眼があった。術後、食事が摂れず、十二指腸狭窄によるものであった。その後、Hb6.4,MCV 119と大球性貧血となった。フェリチン:1030、ビタミンB12,葉酸:正常。虫卵なし。抗内因子抗体陰性。輸血で当場を凌いだ。最終診断がついていない。何だろう?
コメント:ビタミンB12や葉酸をトライしてみる。MDSはないか。マルクを繰り返す。

ある研修医。糖尿病あり、脳梗塞後にイレウスを起こした78歳男性。脳梗塞後、腹部膨満。心房細動。腹部CTで二ボーを認める。最終的に麻痺性イレウスと診断した。
クリニカル・パール:脳梗塞患者におけるイレウスでは、腸間膜血栓症等を否定する必要がある。
コメント:どういう患者に腸間膜血栓症を疑うべきなのか、が重要である。
ここでイレウスの復習をした。腸管壊死の有無:腹痛増強、発熱、頻脈、腹膜刺激症状、乳酸値の増加、白血球の増加、等で判断する。CTの感度:15-100%、特異度85%。

この時期になって来年度の研修先、就職先が決まってきた(医師が激減している市立病院の内科や教育病院の総合内科)。今回はターミナル症例が多かった。受け持ち症例をエクセルにまとめて提示してもらった中に、複雑な日常疾患がたくさん見られた。(山本和利)

2012年1月16日月曜日

病院総合医セミナー

2012年1月14日 病院総合医セミナー 京都

病院総合医として期待される医師像と題したセミナーに参加した。

まず基調講演として、石山貴章氏の講演があった 氏は1997年新潟大学卒業し外科入局しその後渡米。渡米中にHospitalistの上司に出会い内科に転向自身もHospitalistとなった異色の経歴を持つ。氏によると、Hospitalistとはオーケストラのコンダクターに例えられると。

アメリカにおいては病棟診療は分業体制が敷かれており、アテンディングドクター(上級医)・レジデント(研修医)Nurse Practitiner・PT・CM/SW・コンサルトドクターなどがチームで患者の治療に当たる。
コンサルトドクターが治療方針のアドバイスをしても、それを患者に適応するかどうかはアテンディングドクターが判断することになる。

つまり、LeadingとManagementを行うということだと。94歳で見つかった腫瘍に対し、抗癌剤治療を奨めるのか?緩和医療を奨めるのか?その方向性(Lead)をさだめ、コンサルト医によるアドバイスを受けながら在宅医の手配から急変時の対応・看取りまでのてはずを整える(Management)
アメリカではホスピタリストはここ10年で30倍に増え、医師数としては、循環器内科医と同数いるようだ(2006年)

次にホスピタリストの育て方について話があった。ホスピタリストによる研修医教育は研修医の満足度が高いという調査結果がある。
そのため、すべての入院患者をまずホスピタリストグループに担当させ、、そこに研修医を所属させ、総合内科を学ぶ機会を増やし、おもしろさを研修医にわかってもらう必要がある。
その研修医には1年に数ヶ月は各科専門科を研修してもらい、サブスペシャルを身につけせる。そうしたシステムを構築することで、総合内科の面白さを実感する研修医が増え、興味を持ち、人数が充足し、研修医が指導医となることで、更に総合内科野面白さを伝える人が増えるという好循環が産まれる。

以上が基調講演内容であった。アメリカでもHospitalistの概念が産まれてまだ10年足らずということが意外であったまたその数が増えつづけており、循環器内科医と同数であるという事実には驚いた。日本でも特に地域ではその需要は莫大にあるのだから、システムさえ構築できればその数は指数関数的に増えるであろう。アメリカで起きたことはその10年後必ず日本でも起こることは歴史が証明している。

その後のシンポジウムでは福知山市立病院総合内科川島先生名古屋第二赤十字病院総合内科野口先生川崎市立川崎病院総合内科鈴木先生筑波大学総合診療科の徳田先生東京医科歯科大学総合診療科大滝先生から、自院での総合内科立ち上げから現在までの状況を10分程度ずつで講演していただいた。

どの病院も250床以上の中から大病院の総合内科のモデルだが、それぞれの病院の特徴があり大変興味深かった。逆に言うと、総合内科医、病院総合医はその病院・病院に合わせた形態での働き方があり、その可能性の奥深さを物語っているのだろう。

その後のフロアからの質問では新たに総合内科を立ち上げるさいに、どのようなことに注意をしたら良いかということが議論になった。

それぞれの病院で何が求められているかが違うため一概にいうことはできないが、共通することは
上司(病院長・幹部クラス)の理解。各科専門科がみたくない患者の受け皿だけに成り下がらない。(主張するところは主張する必要性)どのようなことを目指すのかのグランドデザインを明確にする。等が挙げられた。

その中で出てきた意見で「初期研修はアメリカのクリニカルクラークシップレベルであるので、 その後の3年間(日本でいう後期研修)はすべての医師が(病院総合医のように)ジェネラルに行わないと日本の医療はよくならない。 ジェネラルを経験していない専門医だけを養成しても日本の医療はよくならない。」と言う所が印象に残った。

大学病院での総合診療科のモデルとはやや違う感じであったが、今後の総合診療科・病院総合医の具体的なイメージが徐々に形になりつつあって、大変有意義なセミナーであった。

今後、専門医認定や教育病院認定・プログラム認定・関係緖学会との調整などまだまだ先は長いが、気長にだが着実に病院総合医育成のためのステップを積み重ねていく必要があるだろう。
これからの超高齢化日本社会の医療を支えるのは我々である!(助教 松浦武志)

2012年1月15日日曜日

エンディングノート

『エンディングノート』(砂田麻美監督、日本、2011年)という映画を妻と観た。

娘がとり続けた膨大な家族の記録に、父親の死を中心に編集したドキュメンタリー映画である。

会社人間で仕事一筋の男性が退職直後に癌を宣告される。その直後から、この男性は「エンディングノート」と呼ばれるマニュアルを作った。この男性の死ぬまでの過程を、映画を職業としようとする娘が密着して映像化したものである。

残された時間を前向きに生きようとする父親と家族をユーモラスに描いている。死を迎える場面では、館内にすすり泣く音が響く。(でも、癌と宣告されてから、やっと家族の大切さに気づいて死んでゆくことで本当に幸せといえるのだろうか。家族を顧みなかった67年間は何であったのだという、女性・妻からの厳しい意見もある)。

仕事と家庭をどのように両立させるか、老後をどう過ごすか、死をどのように迎えるか等、考えさせられる映画であった。(山本和利)

専門医認定施設のサーベイ

1月13日、日本専門医制評価・認定機構の北海道地区のサーベイに札幌医大の外科系准教授2名と一緒に参加した。

今回は日本外科専門医を目指す医師が研修している研修施設(総合病院)である。プログラムと研修施設を評価したが、症例数や指導医数、カンファランス等は充実しており、研修医の満足度も高かった。そんななかにあって唯一研修医評価が計画的になされていないことが際だっていた。これがどこでも見られる傾向なのかも知れない。

このような活動を通じて、各専門医養成プログラムの実質的な充実を目指したい。(山本和利)

2012年1月13日金曜日

現代イスラムの潮流

『現代イスラムの潮流』(宮田律著、集英社、2001年)を読んでみた。

著者はイスラム地域研究の第一人者。本書は9.11が起こる半年前に執筆されているので、9.11以前のイスラムに対する考え方を知ることができる。

イスラムの最も基本的な宗教義務として五行(5つの行い)がある。それは喜捨、信仰告白、礼拝、ラマダーン、巡礼である。喜捨とは救貧税で、収入の2.5%を貧しい人々のために与えるものだ。信仰告白は、「アッラーの他に神はいない。ムハンマドはその使徒である」と唱える。礼拝は一日五回。ラマダーンは日の出から日の入りまで行う断食。巡礼は一生に一度メッカへ。

別の義務として六信(六つのことを信じる)がある。アッラー、天使、啓典、預言者、最後の審判の日、予定(アッラーが世界の創造主で、その維持者である)。

イスラムの宗派は大きく2つ。大多数はスンナ派、少数派はシーア派(イランでは大多数)。一般に、スンナ派が権力や上級ポストに就き、シーア派は底辺に追いやられている。その圧されたシーア派がクルド人を抑圧するという階層構図ができあがっている。

イスラムと異教徒との最大の紛争として「パレスチナ問題」が語られる。発端は英国のユダヤ人とパレスチナ人の双方に都合のよい約束にあった。その結果、双方が譲らず4度の中東戦争を経て、イスラエルの成立とパレスチナ難民の発生という状況に至っている。

アフガニスタンのタリバン支配に至る経緯も発端は米国がソ連への盾として利用したことが現在の悲惨な状況を招いている(タリバンもアルカイダも米国CIAが武器援助をして軍事指導をしているのだ)。

本書の最終章は、「イスラムとの共存、共生を考える」となっている。本書を通じて、イスラムを少しでも理解し、融和を図ろうとされたものであるが、この半年後に9.11が起こり、米国では、イスラムに対する偏見・差別が増幅しており、何とも皮肉な結果となっている。(山本和利)

2012年1月12日木曜日

北緯10度線

『北緯10度線 キリスト教とイスラム教の「断層」』(イライザ・グリズウォルド著、白水社、2011年)を読んでみた。

著者は宗教家の娘であり、米国のジャーナリストで詩人である。宗教、地域紛争、人権をテーマに世界各地を取材。本書でJ・アンソニー・ルーカス賞を受賞。詩作でローマ賞も受賞している才女である。

北緯10度線は、赤道から1,100キロあまり北をぐるりと水平に取り巻いている。この北緯10度線に沿って、スーダンおよびアフリカ内陸部の大半で2つの世界が衝突している。アラブの影響を受ける北部とキリスト教・土着の宗教を信じる南部。アラブ系の北部人は、色の黒い南部人を見下してきた。この分断には西欧の植民地支配が端緒となっている。過去100年にわたって、非ムスリム少数派の大半は、先祖代々のムスリムによる抑圧から解放を願ってキリスト教(ペンテコステ派で、精霊との交わり等、霊的なものを基盤としている。あなたの敵に打ち勝てと説教する牧師が多い)に改宗した。その抗争に石油資源の管理権を巡る争いが紛争に拍車をかける。

今日の典型的なプロテスタントは、アフリカ女性だそうだ。この地域では国がほとんど行政サービスを行っていない。そこで宗教が集団的安全保障の維持手段となる。さらに一方の利益は他方の損失になる。その追求のために協同体員に命を惜しまい気持ちにさせる(殉教と聖戦)。宗教だけが若者に目的意識を与えてくれる。

各論の第一部はアフリカ。まず、ナイジェリアの様子が語られる。この国には仕事のない若者が6,000万人いる。教育はあるがやることがない。アフリカは気候変動の影響を受けやすい。害虫の媒介による病気や砂漠化の拡大、突然の洪水が拍車をかける。話はスーダンに続く。闘争の根源には大英帝国の存在がある。宗教を政治的支配の仮面に利用した。ソマリアでは、著者が会いたいと思っていた人々は国外逃亡するか死亡している。その元凶は米国(軍閥に資金提供するCIAプログラム)であるという。ここでは治安が酷くて難民キャンプから国際援助団体が逃げ出している(2008年、援助団体職員35名が殺害されている)。国際社会の注目を集めるために自爆テロも横行している。

第二部はアジア。インドネシア、マレーシア、フィリピンの現状が語られる。フィリピンにおける現在の紛争は、20世紀初頭の米国の介入によるところが大きい(移住の強制や法律の施行)。

異なる宗教は共存できないのか。エピローグで、共存を目指す宗教者が取り上げられている。しかしながら、この愚かしい南北対立を解消する策が見えない。これは日本の地域医療崩壊の比ではない。(山本和利)

2012年1月11日水曜日

水曜日のエミリア

『水曜日のエミリア』(ドン・ルース監督:イタリア 2010年)というDVDを観た。

主演は『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマン。「新生児突然死症候群」を扱っている。

水曜日は小学校に子どもを迎えにゆく日。それが日本語タイトルにも関係している。後妻に入った女性は、小学生の継母でもある。家の中に赤ん坊のいないベビーカーが置かれている。それを小学生が中古品市場で売りたいと言い出し、揉める。どうも出産直後に自分の赤ん坊を亡くしているようだ。

話は遡って、夫との慣れ染めの話。ハーバード大学を卒業して新人弁護士として入社。一緒に仕事のために宿泊した際に、同僚の男性と不倫関係に陥る。そして妊娠、結婚。問題は8歳になる連れ子の男児。いつも喧嘩ばかりしている。乳頭不耐症という理由で食べさせてもらえなかったアイスクリームを食べさせてあげて男児との関係がやや改善する。男児にとっては、父親と離婚した母親との関係が微妙である。受験した私立小学校すべてに落ちたため、この実の母親に避難される。そんなとき、嫌がる継子をスケートにつれてゆく。中華料理を一緒に作る。過保護の母親を子どもから遠避ける。少しずつ良好な関係が育まれてゆく。

映画は進行し、過去がフラッシュバックされる。赤ん坊は3日で死亡。赤ん坊の写真を見る。赤ん坊を暖かく見つめる小学生になる継子の写真。

このトラウマを時が癒してくれるのか。赤ん坊はなぜ死んだのか。スピリッチャルな疑問である。追悼ウォークに家族で参加するが、ここで軽蔑していた父親が出てくる。様々な軋轢の中、エミリアは離婚の危機に陥る・・・。

家族の中で、些細なことがいつも起こっている。家族とは何かを考えさせてくれる映画である。(山本和利)

2012年1月10日火曜日

日本PC連合学会臨時理事会

1月9日、東京の医師会館で開催されたプライマリ・ケア連合学会臨時理事会に参加した。熱い議論が6時間以上続いた。

まず、理事長挨拶。
今回は、専門医制度の問題点を中心に話し合う。
・参加プログラム数は増えても、参加者数が増えない。
・プログラムの細則、指導医認定の細則が不明確。
・プログラムの新規申請ができない。
・指導医養成講習会を受けても、指導医の申請ができない。
・144のプログラム中、83名の責任者が認定医(専門医)を持っていない。
・各県の専門医数が公表されていない。

決定事項
施設とプログラムについて。
1)旧PC学会認定施設は2014年3月31日で消滅。 
2)プログラムの細則
・第4条:「定期的な」を「計画的な訪問診療」に変更し、期間や回数は問わずQ&Aで対応する。
・第7条:「認定指導医と研修医の数は1対3」は、「同時に行う研修医に対して1対3」とする。

指導医の認定
・指導医講習会(3時間程度)への参加回数は5年間で2回。
・指導医数を増やす。
・学会誌で広報して、たくさんの会員に試験を受けてもらう。
・学会誌に試験対策を掲載してほしい。
・受験までの学会歴を問わない。
・過去問題を公開する。

病院総合医について
・内科学会と協議:もう少し時期を待ちたい。
・養成プログラム認定の試行についての報告。

話題提供(昼休み)
厚労省の試算では、総合医が9万人必要。研修医、指導医の数を増やしたい。かつ質を担保しなければならない(ポートフォリオのブループリントをどうするか)。

今回の決定で、申請などが迅速になるという。正確で詳細は情報については学会のホームページを参照されたい。(山本和利)

2012年1月9日月曜日

東京やなぎ句会

『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(東京やなぎ句会著、岩波書店、2011年)を読んでみた。

本書は、東京やなぎ句会の42年間でなしえた500回を記念して出版されたものである。冒頭の句会の帰りに遭遇した永六輔の事故話が面白い。

永六輔、小沢昭一、入船亭扇橋、加藤 武、柳家小三治、等、当代一流の俳優や落語家が道楽で始めた句会の模様が綴られている。

句については、本書を参照してください。どれを取り上げていいやら、判断できず。(山本和利)

2012年1月8日日曜日

4つのいのち

『4つのいのち』(ミケランジェロ・フランマルチィーノ監督:フランス 2010年)というDVDを観た(できれば映画館で観たかった)。

始まりから終わりまで88分間、音楽も会話もなく、自然の音とともに映像が流れてゆく。誰もプロの俳優ではなく、カラブリアの村に暮らす人々が演じている。カンヌ、ヨーロッパ最優秀映画賞を受賞。

南イタリア・カラブリア州の山間の町。山羊飼いの老人。杖をつき山羊の放牧をさせている。咳をしている。炭を使って一人料理をする。夜、寝る前に薬を飲む。野原で排便をする。町民がトラックで売りに来た石炭を買ってゆく。

何やらお祭りのようだ。時代がかった衣装で着飾った村人がラッパの音で行進を始める。老人がいつものようには起きてこない。柵を破って、一部の山羊が逆方向の牧草地へ向う。山羊が(心配して)老人の部屋へ集まる。老人は息絶えていた。人々が棺を担いで葬式シーンとなる。

その翌日、山羊の分娩シーン。墜落するようにして世に出た子ヤギが立ちあがる様子が写される。数分後、ヨチヨチと歩き出し、乳を漁る。

子ヤギたちが遊ぶ様子。少し大きくなったところで、大人の山羊の後ろについて牧草地へ向う。溝に嵌って、取り残される子ヤギ。何とか這い出て鳴きながら群れの後を追う。群れを探し続ける。迷子になった子ヤギ。大きな木の下で眠り込む。

季節は変わり冬。そして草木が芽吹く春。大木が切り倒されて、人力で山道を運ばれてゆく。その木を街の広場の中央に村人が集まって立てる。その木に登る青年。行事が終わるとその木は引き倒される。数十メートルあった木は短く切られて、車で山へ運ばれてゆく。井型に組まれてゆく。その周りを細い木で囲ってピラミッド状にしてゆく。天井から火を入れる。そのまた周りを黒い布で覆う。数人の男性で行う作業が淡々と進む。袋詰にされた炭が村に運ばれてくる。小さな煙突から煙が出てくるシーンで映画は終わる。

変わらない自然、人々の暮らし。オーガニックな命が紡ぐ「人間」、「動物」、「植物」、「炭」という4つの命。地球上に共に生きることの意味を、セリフも音楽も排したシンプルかつ力強い映像で伝えてくれる。(山本和利)

2012年1月6日金曜日

万里の長城

『万里の長城は月から見えるの?』(武田雅哉著、講談社、2011年)を読んでみた。

著者は北海道大学教授で、中国文学の専門家である。このタイトルから宇宙論かと思わせる。

命名がうまい。スター・トレックに「万里の長城は月から見える」という会話があるそうだが、それは間違いだそうだ。中国で始めて有人宇宙飛行を遂げた飛行士が「見えない」と発言している。長城は狭いうえに不規則であるからだ。宇宙からは不規則なものは観測しにくい。

「月から見える長城」という観念がいつからできたかを、マルコ・ポーロの『東方見聞録』や『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』等を紐解いて追って行く。そして「見える」伝説は時代の変遷と共に4つのステージから成っていると分析している。

その後、中国における「月と長城」の関係が語られる。月から長城が見えるプロジェクトが実行された話が面白い。さて、見えるようになったのか?

文学者が書いた宇宙論とも言えるし、「月と長城」に絞った中国論とも言えよう。(山本和利)

2012年1月4日水曜日

フェルメール

『フェルメール 光の王国』(福岡伸一著、木楽舎、2011年)を読んでみた。

著者は生物学者。『生物と無生物のあいだ』でサントリー学芸賞、中央公論新書大賞を受賞。

光の魔術師であるフェルメールの絵画を展示されている場所で、生物学者である著者が鑑賞し、それを記事にするという企画である。世界中にある37作中34作を鑑賞している。展示の都合で鑑賞できないときには、日時を替えて出直したりもしている。大変贅沢な企画であると思っていたら、ANA機機内誌『翼の王国』に4年間にわたって掲載された記事をまとめたものだそうだ。

オランダでは顕微鏡の父レーウェンフックとの関係を考察し、米国ワシントンでは野口英雄に思いをはせ、パリでは数学者ガロアを忍ぶ。こんな風に科学と美術を結びつけて考察するところが、本書のユニークさといえよう。

最後に、レーウェンフックの観察記録に付随している絵を、フェルメールが描いたのではないかという著者の仮説もなかなか説得力があり面白い。そのためにロンドンの王立協会に手紙を書いてお願いして1674年の手紙に添えられた観察図を克明に閲覧している。

もちろん一枚一枚の絵について分析も面白い。美術に興味がある人も科学が好きな人にも興味深い本である。
(山本和利)

2012年1月3日火曜日

夢違

『夢違』(恩田 陸著、角川書店、2011年)を読んでみた。

著者は1964年生まれ。数々のファンタジー、推理小説、等で文学賞を受賞している。

皆さん、よい初夢を見ただろうか。

主人公は、夢判断を職業とする。10年前に死んだはずの女の幽霊を見る。あるとき、全国の小学校で食中毒事件が発生。主人公は、10年前に死んだはずの女の夢を見る。リアルな小学校の場面。どうやら死んだ女は予知夢を見るらしい。その内容がいつ起こるのかがわからないという問題がある。過去に起きたことを見ることもあるという。

「夢札」という言葉が出てくる。これは見た夢を機械に記録することらしい。そして、ある機械でしかこの夢札を見ることしかできない。日本では、医療分野に利用が限定されていて、心療内科の治療に用いられている。

子供の引いた夢札を見る。奈良の吉野、白い犬、強大な烏、烏の中の女の顔、とホラー小説風な話が次から次と出てくる。

個人のものであった夢を、夢札によって他人の夢を可視化できるようになったら、何が起こるのか。予知夢を見ることは幸せなのか。

このような小説を読むことに私自身が慣れていないので、作者の意図が読めない。チョット冒険してみましたが、残念ながらついて行けませんでした。SFファンには好評のようだ。夢とは何か、考えるきっかけにはなるかもしれない。(山本和利)