札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2010年3月31日水曜日

クリティカル・シンキング

医学概論Vのプロフェッショナリスムの講義・WSの第2弾。3月31日、寺田豊助教が「プロフェッショナリスムとクリティカル・シンキング」という講義を行った。「パッチ・アダムス」「赤ひげ」「ディア・ドクター」等の映画を観ながら、考えてもらうように企画された。
 講義終了後、「臨床実習開始に当たっての決意」を学生それぞれに書いてもらった。
こんな言葉が書かれている。「常に学ぼうとする姿勢」「謙虚」「初心に戻る」「○○という人の病気ではなく、○○という人を診る」「苦しんでいる人に寄り添う」「時間を守り、挨拶をし、身なりを正す」「たくさんの声を聴く」「記憶の片隅に残るような経験をしたい」「三省する」「甘えを捨てて望む」「正直」「秘密を守る」「恐れずに質問をする」「実習の成績で学年1番をとる」「いい加減にしない」。
 医学生の皆さん、初心を忘れず、素晴らしい体験をされることを願っています。(山本和利)

2010年3月30日火曜日

プロフェッショナリスム

札幌医大の新5年生を対象に医学概論Vのプロフェッショナリスムの講義・WSが始まった。330日、トップバターとして東京医療センターの尾藤誠司氏に3時間の講義・WSをしていただいた。まず、ご自分の経歴を披露。1990年岐阜大学卒業。長崎中央病院に就職。ここは離島赴任医師の再研修システムを行う病院であった。雲仙普賢岳の大災害のとき救急研修中であり、それを契機に良い医師になりたいと目覚め、東京医療センターに就職。途中、佐渡島に赴任したり、ロサンゼルスに留学したりした。ここの総合内科はベッドが100床であり、マッチング率は全国でもトップとのこと。東京医療センターの基本理念が大好きとのこと。それは「東京医療センターは、患者の皆さまとともに健康を考える医療を実践します。」というものである。

さあ、10班に分かれて、グループ討議が開始された。以下にその内容を示そう。

WS1.「プロフェッショナルと聞いて思い浮かぶイメージは?」「人は?」「どんなところが?」という質問に学生の回答例:NHKのプロフェッショナル、イチロー、毎日コツコツと人知れず練習している、継続しているから。

WS2.「入学した時、どんな医師になりたいと思ったか?」「今、どんな医師になりたいか?」「入学時と今では違いますか?」「違ってきたのはなぜですか?」という質問に学生の回答例:漠然と地域医療をしたい→患者中心の医療をしたい。特になし→後輩の指導ができる医師になりたい。あれもなりたいこれになりたい→身の丈の中で考えるようになった。

次は「社会から信頼を必要とされる仕事」という視点から考えるという課題である。

WS3.「そのような職種にどんなものがあるか?」「共通する特徴は?」学生の回答例:公務員、税金を使っている。消防士、人のために働く。警察官、弁護士、ルールに基づいて誰かのために働く。政治家、助ける。公の人のために働く。まとめると、特別な権利と特別な義務が伴う職種である。

WS4.「信頼を保ち続けるために、自分自身にどんなことを課すべきか?」学生の回答例:勉強し続ける、集団のルールを守る、責任を持つ、惰性にならないようにする、等。

WS5.「専門職に課せられるもの」として、「医師はなぜ国家試験による免許が必要なのか?」専門職集団から利益を得る社会に対して、資格継続教育、情報公開、内部監査・処分が必要である。

WS6.「医師」「ソムリエ」「お笑い芸人」でどこが違うか?学生の回答例:・・・。医師は取り返しのつかない害を与える存在になりうる。「特権と責任」が伴う。医師は人を傷つける道具を使いながら、人を助ける職業である。

WS7.「よい医師とはどんな医者(A)か?」「自分がかかりつけにするならどんな医師(B)がよいか?」「生死にかかわる病気で入院したらどんな医師(C)に担当してほしいか?」「A,B,C,は同じか?」という質問に学生の回答例:人としてやさしい、技術が伴う、の両方が必要、等々。

WS8.「こんな医師にはかかりたくない」という質問に学生の回答例:勉強していない下手くそな医師、口の悪い(言葉に無頓着な)医師、患者の訴えを聞かない医師、金儲け主義の医師、心身の健康が保てない医師、等。

ここで先生からミニレクチャーが入る。医師に必要な4本柱とは何か?「技術的卓越」、「人間性」、「説明責任」、「利他性」である。医師としての10の責務とは何か?かいつまんで話すと「医師の努力義務」と「患者の利益追求」である。

WS9.「男性医師の茶髪、ピアスは駄目か?」「医療専門職とタバコ」についてはどうか?より具体的に考えると、「そもそも問題なのか」「駄目だとしたらなぜ駄目か?」「「どんなこと、状況が駄目か?」「許容できる状況はあるのか?」を考えてもらった。

中略(外来に山本和利が呼び出されため)・・・・。

WS10.「入院を拒む重篤な急性膵炎の患者を強制的に入院させるべきかどうか?」うーん、難しい。パターナリズムは、親心と思って自分の価値を押しつける。それに対する不満が高まったため、パターナリズムは減ったが、一方で、医療者が自分の専門性に基づいた意見を述べなくなり、プロフェッショナリズムの低下を招いている。

話は佳境に入ってゆく。専門職にとって「自分は何ができるか?」「自分に何ができるか?」の違いは何か。自分中心か、患者中心か。「患者のための医療」(してあげる)、「患者の立場に立った医療」(させていただく)は理想の医療か?

話は医療界から離れて、磐石であるように見えた「トヨタとJAL」に飛ぶ。何がいけなかったのか?「手作り自転車に、心をこめて」障害者の方に儲からない自転車を作り続ける堀田健一さんの話。首輪を外すか外さないかで悩む「首長族の娘」の話。

最後に学生へのメッセージ:「揺れながら成長する」ことが大事。人の為にとは「偽(にせ)」である。映画の「ディア・ドクター」を推薦。臨床実習にいってよい医師に出会ったら、どこに感動したか1日考えて、その医師に質問してみる。駄目な医師に出会ったら、どこに失望したか1日考えて、その医師に質問してみる(チョット無理か、笑い)。

学生にとって身近なことを取り上げての小グループでの話し合いであったため、「医療のありかた」について真剣に考えた貴重な時間になったと多くの学生が評価していた。マンガの「ワンピース」や「ゴルゴ13」を題材にしていたのが学生に大変好評であった。「ワンピース」を読んでいないのは医師として失格(?)と言われたので、私も娘の蔵書にある「ワンピース」を読んでみようと思った。

尾藤先生、長時間の講義、ありがとうございました。(山本和利)

 

2010年3月29日月曜日

北海道プライマリ・ケア研究会

3月28日、北海道医師会館で開催された北海道プライマリ・ケア研究会に参加した。一般演題3題の後、JA北海道厚生連丸瀬布厚生病院の平山典保院長が行った「僻地での地域医療を守る取り組み」という特別講演を拝聴した。

 赴任後15年間の活動を話された。冬、暖房も効かない部屋にVIPを入院させてアメニティを改善させた話や町村合併によって支援がなくなりそうになった時に町民が一体となって活動を行い、病院を存続させた話は大変参考になった。また赤字解消のために看護婦集めを町民総出で行ったり、様々な町おこし活動(厚生病院名画座、週刊院潮発刊、遠軽町認知症を考える会等)を行ったりしている。淡々と話される中に、地域に住んで、住民・患者と一緒に学んでゆくという姿に地域医療の原点を見たように思った。(山本和利)

 

2010年3月26日金曜日

歓送迎会

 324日、札幌医科大学地域医療総合医学講座の歓送迎会を札幌後楽園ホテル小石川で行った。宮田靖志准教授が北海道大学病院の特任准教授に、森崎龍郎助教が幌加内町国民健康保険病院に、夏目寿彦助教が松前町立松前病院に転勤となる。宮田靖志准教授には10年間の関わりの中で教育、研究を中心に教室のアクティビティを上げてもらった。森崎龍郎助教には学生の地域医療実習とプライマリ・ケア・レクチャーに関わって丁寧な仕事をしてもらった。夏目寿彦助教は特別推薦枠の学生と関わり、サマーキャンプやランチョン・セミナーの企画をしてもらった。3名の方々の新天地での活躍を期待したい。一方、4月から河本一彦助教が加わることになった。岩手県立久慈病院で5年間の研修を終えての転入である。救急を中心にして総合診療を研修してきたので、一緒に仕事をするのが楽しみである。宴には秘書、外来看護師、臨床心理士の女性群4名が花を添えてくれた。また開業医としての仕事で忙しい中、杉澤憲先生が駆けつけてくれた。和食に舌鼓を打ちながら和やかに会が進み、女性群から3名の方々に花束贈呈、記念品が渡され、最後、杉澤先生の乾杯で宴を閉じた。ワインとお酒を中心とした二次会で、それぞれが新天地での仕事に夢を咲かせていた。(山本和利)

 

 

2010年3月23日火曜日

日本総合診療医学会:国際フォーラム

322日、東京お茶の水で開催された「あるべき総合医を求めて」というフォーラムに参加した。午前中は「認定制度はこう変わる:日本プライマリ・ケア連合学会による後期研修プログラム認定と専門医認定について」というシンポジウムが行われた。

日本家庭医療学会からは竹村洋典氏(三重大学)、日本プライマリ・ケア学会から伊藤澄信氏(国立病院機構本部)、日本総合診療医学会から山城清二(富山大学)がそれぞれの立場でこれまでの経緯を話された。病院総合医を取得するために合意された点は、総合診療の後期研修の初めの3年間は家庭医研修、後半の2年間は病院総合医研修(内科系急性期病棟、一般外来、運営・マネージメント、教育)をした医師に受験資格を与えるということである。病院総合医資格を修得のための他のキャリアパスは追って検討する予定である。現在、病院総合医研修を1年以上にするかどうか最終的な議論が行われている。最後に三学会認定医検討委員会から石丸裕康氏(天理よろず相談所病院)が話された。当初計画していた5年間で行う病院総合医プログラムの再検討すること(家庭医専門医で修得した部分を引き算する等)、具体的な制度設計(認定方式、施設、制度)などが今後の検討課題である。研修施設としては、一般病床を有すること、救急医療の提供をしていること、総合診療部門があること、研修委員会があること等が必要条件となる。指導医の資格をどうするか(会員、経歴報告書、最近5年間の活動報告、教育方針レポート等)も課題となっている。多くの課題に柔軟な対応が必要であるということでまとめられた。

4名のシンポジストが壇上に上がった総合討論では、「研修施設を選べない自治医大卒業生に対する救済措置はあるのか?」という質問がだされた。一人診療所の研修もインターネット指導があれば認める等、前向きに検討したいという返事であった。「地域診療所、中小病院の医療を支える医師を支援する」のが病院総合医を創る意義である。病院総合医は「総合内科専門医+α」である。2014年までは家庭医専門医またはPC学会専門医が受験資格を持つということが確認された。「病院総合医に成りたいという若い医師が少ない」、「それに対する誘導策はないのか」、「社会的なインセンティブが欲しい」「早く専門医制度を確立することが重要」等の意見が出された。

午後、米国の医師からのビデオメッセージに続いて、Scott A. Flanders氏が「北米における病院医療学の15年」という講演を行った。ホスピタリストの価値を示すデータとして「専門医と比較しても死亡率を下げないで費用、入院日数を低下させた」「ホスピタリストの数は増加している」等を示した。ホスピタリストとは「診療の場で定義される総合医」であり、「研修ではなく実践で定義される最初の専門医」であることを強調された。その後、病院での総合医について、山城清二氏が大学の現状を、郡義明が研修病院の立場から発言された。日本内科学会専門医部会から大生定義氏が総合内科専門医とは「内科を中心に他分野と連携性を基本にしている」とし、日本プライマリ・ケア関連学会とは「協力してやってゆきたい」と発言された。総合内科専門医は「認定内科医の上位に位置づけ」「1/2:勤務医、1/4: クリニック、1/4;大学病院」「場において変容する」「知識、技能が主」「内科の横断的な能力:連携する能力」「教育の担い手」「研究者」「内科を中心に他分野と連携性を基本にしている」等の特徴を持つとまとめられた。聖路加病院研究員であるGautam A. Deshpande氏は、広分野について考えることが好きで、他分野の医師と交流するのが好きであればホスピタリストの素質は十分であるが、日本にそのホスピタリストとして働く場がないことが最大の問題である、と発言された。最後に、臓器別グループを廃止して80名の入院患者を内科系医師全員で診ているという徳田安春氏が野球を例にとって「走ってよし、打ってよし、守ってよし」のイチロー型の医師が地域医療の展開に必要であることをユーモアを交えて話された。

 全体的な印象として、参加者の大部分が病院に勤める医師がであったためか、理想的な病院総合医とはどうあるべきかという議論に始終し、今医療崩壊で苦しんでいる国民のために病院総合医をどのように創っていくかという視点が前面にでなかったことが残念であった。(山本和利)

 

 

第二期生:ニポポ終了式

 320日、NPO法人北海道プライマリ・ケアネットワーク後期研修プログラム「ニポポ」第二期生の研修修了式が行われた。代表理事である山本の開会挨拶の後、修了者二名から研修報告が行われた。大門伸吾さん、若林崇雄さんが「3年間のニポポ研修についての振り返り」をしてくれた。3年間、お世話になった3つの研修施設それぞれについて建設的な意見を述べて、お世話になった施設にお礼の言葉を述べられた。その後、修了証書授与および記念品贈呈を行った。「地域こそが最先端!」と山本が書いた色紙を手渡し、北海道に留まって地域医療をしてくれることになった二名に感謝の言葉を贈った(つい涙ぐんでしまった)。その後、祝賀会に移り、乾杯の挨拶を 副代表理事である佐古和廣先生にいただいた。フランス料理を食べながら研修受け入れ施設からのメッセージがパワーポイントで流された。足寄の吾妻病院で研修した大門さんには松山千春のバックミュージックの流れる中、ユーモアあふれるメッセージが出るたびに会場が笑いで満たされた。若林崇雄さんには、公立芽室病院から心温まるメッセージがさだまさしの音楽をバックに送られた。参加者全員からテーブルスピーチがなされ、それを受けて修了生より感謝の気持ちと今後の抱負の詰め込まれた挨拶がなされた。 最後に副代表理事である田村裕昭先生が閉会挨拶をされ、全員で記念撮影を撮って散会となった。笑いあり、涙ありの素晴らしい会であった。(山本和利)

 

 

 

2010年3月18日木曜日

三月三水会:ニポポ・ポートフォリオ発表会

三月第三水曜日に開催したニポポ・ポートフォリオ発表会の様子を報告する。今回は新潟大学の5年生が見学に見えたので参加してもらった。

ニポポ三年生から「複数の疾患を持つ患者(糖尿病、完全房室ブロック、心筋梗塞、心不全、腹水、腎不全)に関する前医とのコミュニケーションの取り方について」の発表があった。透析を施行しないと前医と決めた状態で紹介されたが、その後腎不全、心不全が進行した患者である。このような患者・家族にどのようにアプローチするかについて活発な討議が交わされた。別の三年生は「3年間のニポポ研修についての振り返り」をしてくれた。3年間、お世話になった3つの研修施設それぞれについて建設的かつ奇譚のない意見を述べてもらった。このような意見を活かしてプログラムがさらに向上するよう努力してゆきたい。二年生から「誤嚥性肺炎を繰り返す患者の治療選択について」の報告があった。患者の状況を説明した後、文献検索したデータを示して一般論を述べ、その後このケースについて考察し、最後にクリニカルパールとしてまとめてくれた。クリニカルパール:早期に関係者全員を集めて協議をすること、遠方から来る親戚は要注意。1年生から「複数疾患(COPD,糖尿病、心房細動等)を持つ患者のケアについて」の報告があった。いつも悩ましいケースを発表する研修医が生物医学的な面をスマートにまとめていた。さらに充実させるために患者背景とエンパワーメントを上げるための方策を考察してはどうかという意見が出された。別の一年生から「腎盂腎炎による敗血症疑い患者を血液培養検査までしながら帰宅させたケースについての振り返り」が報告された。尿路感染症を疑ったのに尿所見に乏しかったケースである。その臨床推論の仕方について様々な意見が出された。クリニカルパール:検査所見よりも病歴・身体所見を重要視すること、忙しいと判断力が鈍る。学生さんから「疾患だけでなく患者背景を含めて議論される内容が新鮮であった」という意見をもらった。

終了後、見学に見えた学生さんを含めてススキノの海鮮料理屋での慰労会へ移行した。(山本和利)

 

 

 

2010年3月15日月曜日

Narrative Based Medicine in Hakata

313日、九州基本臨床泌尿器科研究会にまねかれて、『Narrative Based Medicine−患者との対話を重視した治療について—』という講演を行った。私の講演の前に、『去勢抵抗性前立腺がんの治療戦略』というエビデンスを中心とした最新の話題が提供された。その中で、緩和医療についても言及され、治療の初期段階から科学的な対応だけでなく、コミュニケーションを重視した取り組みの必要性を演者が強調していたことが印象的であった。

講演ではCommunication 12TIPSとしてLEARN6つのCを、事例を用いながら紹介した。LEARNは古くから米国家庭医療学会で推奨されている方法で5段階の過程を経る。すなわち、L:Listen(患者の抱える問題に共感し理解を示す) 、E:Explain (医師自身が患者から得た情報について、問題のとらえ方を説明・確認する )、A: Acknowledge (相違点と一致点について話し合う )、R: Recommend(推奨する治療法を示す )、N:Negotiate(妥協点を見出す )、である。6つのCは、Conversations(治療としての会話)、Curiosity(患者への興味、無知の姿勢)、Circularity(循環性、11の因果関係で説明しない)、Contexts(患者のみならず自分自身の対応の仕方も省察する)、Co-creation(一緒に新たな物語を創る)、Caution(ステレオタイプな対応をしない)を説明した。今後の医療を展開するのに、EBM(科学)、NBM(物語)、暗黙に知ること(経験知)の3つをバランスよく統合させることが必要であるとして、講演を終えた。懇親会で、若い先生や高齢の先生から、今後の診療をするうえで大変に参考になったという意見を直接聞くに及び、旅の疲れを忘れることができた。(山本和利

 

2010年3月8日月曜日

日本プライマリ・ケア連合学会理事会

3月7日、東京の医師会館で開催されたプライマリ・ケア連合学会の理事会に参加した。初代理事長の前沢氏より就任に当たっての挨拶があった。代議員制について討議する中で地区によって支部組織の会費の有無・運営の仕方について差があることがわかった。今後、統一する方向で努力することが了承された。

副理事長に山田隆司氏、小泉俊三氏、石橋幸滋氏の三名が選出された。山田氏「若手の意見を反映させ、専門医認定制度を充実させたい。」小泉氏「若い世代のための礎を作りたい。ジェネラルな取り組みをしているが、なかでも病院総合医のことが比重として高い。」石橋氏「現場の開業医や他職種の連携を通じて、医療を改革してゆきたい。プライマリ・ケアの必要性を社会に認知されるように努力したい。」と決意を披露された。

医師会員の年会費は15,000円と決まった(全職種共通会費は10,000円、学生2,000円)。専門医認定医の試験日と会場についてはもう少し時間をかけて決定することになった。内科や外科といった大きな専門性として申請する方向で話が進んだ。各種委員会・部会についてのあり方が活発に討議された。理事会を重ねるにつれ各学会の不協和音が薄れてきて段々と一体感が出てきているという印象を思った。(山本和利)

 

2009年度共用試験医学系OSCE

36日、札幌医科大学4年生を対象に2009年度共用試験医学系OSCEが実施された。札幌医科大学としては今回はじめての土曜日実施である。準入試体制ということで、時間外勤務手当も評価者に支給となり、事務の方々の参加も増えた。教官にあっては遅刻者や欠席者は一名もなく、医学部長が強調していた医学部全体でOSCEに当たると言うことが徹底されるようになった。また、今回から基礎系の教官も少なからず参加している。これまで1日かけて行っていたが、今回は医療面接に12列、身体診察(6課題)に4列を設け、半日で終了することができた。

反省会の場で、医療面接に12列を用意した点、基礎系の教官も参加したことと半日で終了したことを外部の評価者から高く評価してもらった。担当した評価者からの意見として、「具体的に訊くこと」、「促しを増やすこと」等が改善点として出された。また一部の学生に、早口になる、時計を見過ぎる、患者と横になって話すなどの問題点もあったようだ。札幌医科大学の学生は、総じて実直・まじめであると誉められた。OSCEにおいて、外科手技においてほとんどの学生が清潔・不潔の区別ができていない、腹部診察で患者さんに膝を曲げさせないで診察しているという指摘も受けた。学生さんには実習を通じて修得してもらいたい。反省点として、内部と外部との評価者の事前打ち合わせがなかったことを指摘された。今後の課題としたい。

ほとんどアクシデントもなく、円滑に運営された。休日にもかかわらず参加頂いた教官・事務の方々、ありがとうございました。

38日、学生に対して講評を行った。例年になく各課題とも高得点であり、不合格者(要再試験)数も少なかった。(山本和利)

 

2010年3月1日月曜日

EBM & NBM in Kagoshima

227日、第5回鹿児島県出身自治医大(KJS)研究会に呼ばれて講演をさせてもらった。これまでは講演者が得意とする専門領域の講演が多かったようだが、今回は「EBMとNBM」と題して、医療のあり方について講演した(一部、糖尿病治療の最近の動向について言及した)。医療を科学的に展開することは大事であるが、エビデンスは日々刻々変化するものである。最近の報告では約5年間で半分のガイドラインが書き換えられると言われている。様々な人間を対象とした臨床研究ではしっかりとした研究計画に則った研究であってもその成果の25%しか説明できないことなどを解説した。何でもできる・知っているのは無理であり現実的ではなく、それよりも患者さんの問題についてその場で即答できなくても、次回の診察までに調べて答えることが大事であることを強調した。

講演の後半は、すべてが科学的に対応できる訳ではないので、人間的・物語的に対応することが大事であることを、事例を挙げて解説した。

講演後、「日頃感じているが漠然としていたものを言葉にしてもらって、自分たちのやっていることが間違っていなかった。自信が持てた。」という意見をたくさん頂いた。

 懇親の席で、自分自身の得意領域についてだけ科学的に対応し、それ以外の領域については患者さんを診ることをしない医師が多くて困っているという声をたくさん聞いた。医療のあり方について考え直さなければいけないときがきているように思える。

1泊二日の日程で、温泉・鹿児島料理・庭園等、も楽しむことができた。鹿児島県出身の自治医大卒業生の皆さん、呼んでくれてありがとうございました。(山本和利)