札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2009年6月11日木曜日

偶然性

本を読むことが習慣になっているため、手許に読みたい本がないと落ち着かない。我が家では二度以上読まない本は原則買ってはいけないことになっている。経費節約と読後の収納スペースを我が家に確保することが難しいからである。そこで専ら札幌市立図書館を利用している。市民であれば2週間に一人10冊まで借りることができる。娘や妻の分を借りるとさらに20冊追加できる。先日たまたま手許に本がない状況が生じたため、時間を作って札幌市立中央図書館へ出向いて本を物色することにした。トルストイの新訳「アンナ・カレーニナ」を借りようとしたら第2巻から4巻はあるのに1巻が貸し出しになっていたため、前回出向いたときに諦めたのだが、今回は第1巻が戻っていたため借りることにした。貸し出しカウンターに向かうところで、カラフルな本が並んでいる棚を見つけた。そこの一角を池沢夏樹氏編集の世界文学全集が占めていた。その中の藤色できれいな装丁の「存在の耐えられない軽さ」を借りることにした。そのそばに若島正氏の書評を集めた「乱視読者の新冒険」を手にとってみると最初に「アンナ・カレーニナ」取り上げているのでそれも借りた。

数日かけて「アンナ・カレーニナ(1)」を読み終わって、「存在の耐えられない軽さ」を読み始めて驚いた。作中の女性主人公が読んでいる本が「アンナ・カレーニナ」なのである。「存在の耐えられない軽さ」の解説を読むと哲学的内容を小説にしたものであるとあるが、最初に言及しているのが主人公二人の出会いに関する「偶然性」である。

私が暇に任せて選んだ二冊がたまたま同じ「アンナ・カレーニナ」に言及していて、その中で「偶然性」に言及しているのは偶然なのであろうが、何か縁を感じてしまう。

 偶然について私の場合で考えると、高校入学までは都会の高校で勉強したいと思ってがむしゃらに人生の方向性を自分で決めようとしたが、大学入学から今に至るまで「存在の耐えられない軽さ」の主人公たちのように偶然の積み重ねで人生の方向が決まったような気がするのである。たまたま私が高校を卒業する年度に自治医科大学が設立されなければ、今ほどには私も「地域医療」に関わらなかっただろうし、(栃木出身の)妻に出会うことはなかったであろう。田舎を苦にする妻であったら地域医療との出会いも長い付き合いにならなかったかもしれない。「存在の耐えられない軽さ」の中で主人公二人が会うには「一連の六つもの偶然が」が作用したと男性主人公は考えている。しかしながら、この小説を読み進めてゆくと、単に偶然ということではなく、主人公たちの抱える背景が影響してその中で自己決定した結果であるようにも思えるのである。私に引き寄せて考えると、様々な偶然の出会いの中で、今の運命を選択したような気がするのである。作者クンデラは、哲学者のニーチェのいうような人生の永劫回帰を否定している。クンデラは言う。繰り返しのない1回の人生なので人生上の決断は軽いのだと。はたまた一回性ゆえに逆に重いのか。クンデラの言葉は反語と受け取れないこともない。

 今日も本の中に出会いを求めてさまよっている。今、池沢夏樹氏編集の世界文学全集の黄色のきれいな本を手にしている。それには中国の作家、残雪の「暗夜」とベトナムの作家バオ・ニンの「戦争の悲しみ」が載っている。文化大革命やベトナム戦争を体験した作者たちの苦悩に比べると、「地域医療崩壊」で日々悶々としている自分が小さく見えてくるのである。このように自分の抱える悩みを相対化して、新たな行動へ向かわせてくれるというのも読書の効能のひとつかもしれない。

山本和利