札幌医科大学 地域医療総合医学講座

自分の写真
地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年7月30日土曜日

渡航医学会と第14回札幌GPカンファレンス

週末に参加した第 15回日本渡航医学会と
第14回札幌GPカンファレンスについて。

午前中は第 15回日本渡航医学会に参加。
今回は東日本大震災の影響で会場が関東から札幌医科
大学へ会場が変更になっての開催となりました。

日本では移民が少ないのであまり知られていませんが
移民や難民の多い海外では割合知られている医学領域
です。例年は日本国内もっぱら海外への渡航者や海外
在留法人への演題が主になるのですが、今回はNZでの
大地震と続く東日本大震災の発生により災害医療が
大きなトピックとなりました。
31日午前まで開催されるので明日も参加してきます。

午後3:00より同じく札幌市内で第14回札幌GP
カンファレンスに参加。

渡航医学会の行われている札幌医科大学から会場まで
自転車で行ったのですが、夏の札幌は爽やかで気持ち
良いですね。

本日の演題は2題

最初は手稲渓仁会札幌クリニック続木康伸先生
「ステロイド恐怖症」
アレルギーのある小児の症例シナリオを元にして臨床医の
思考をひもといていく。患児だけでなく家族背景を踏まえ、
治療態勢を構築していった過程を披歴されました。
若い先生には現場でのリアルなやり取り、臨床判断、総合医
として患者、家族の将来のQOLを改善する事など、多くの
学びの糧が含まれていました。

「研修が楽しくなるポートフォリオの作り方」
勤医協 札幌病院 佐藤健太
ポートフォリオが医学教育に取り入れられたの意外な
ことに1990年代。成人学習理論を用いた学習アウトカム
を重視した研修評価です。
振りかえれば自分が研修を受けた10年前は指導医
も研修医も手探りでやっていた気がします。
指導医と研修医の相性など、指導評価は主観的であり、
お互いストレスになったりしていました。
自分が指導医になってみると、指導医も方法や方針に
悩みながらやっていたのだと気づきます。
ポートフォリオを使用した指導法は学習者と指導医双方に
メリットがあり、有効なツールと考えます。
しかしポートフォリオを用いた学習法は学習者にある
程度の自律性を求めますので、必修スキルの修得に
追われる初期研修時代よりも後期研修に向き、臨床
での問題の多様性、複雑性のより多い総合医、家庭医
の教育に親和性が高いのだと感じました。
ポートフォリオも万能ではないので教育のツールとして
上手く利用する事が大切ですね。

講師のお二人の先生とも、スライドもプレゼンテーションも
こなれていて、素晴らしかった。非常に刺激になりました。

(助教 稲熊)

2011年7月29日金曜日

錯覚の科学

『錯覚の科学』(クリストファー・チャブス、ダニエル・シモンズ著、文藝春秋、2011年)を読んでみた。

著者らは心理学者で、本書に登場する「見えないゴリラ」の実験は人間の認知メカニズムの陥穽を鋭くえぐり出し、心理学における重要論文の一つになっている。

私たちに影響を与える日常的な錯覚は、6つあるそうだ。注意力、記憶力、自信、知識、原因、可能性にまつわる錯覚である。

ここで有名な実験を紹介しよう。
白黒2つのバスケットチーム試合をする短いフィルムを作成。実験者は参加者に白シャツ選手のパスは無視して、黒シャツ選手のパスの回数を数えるように依頼した。ビデオの途中にゴリラの着ぐるみを着た女子学生が登場し、選手の間に入り込み、カメラに向かって胸を叩き、そのまま立ち去った。その間9秒。半数の参加者がゴリラに気づいていなかった。何回場所を変えてやっても同じ結果であった。「人は予期しないものに気づきにくい」。
”invisible Gorilla” でYouTube検索をするとこのビデオを見ることが出来る。「エェ、本当にこんなゆっくりとはっきりとしたゴリラが見えないの?」というのが正直か感想である。

記憶も捏造される。話している相手が一瞬で入れ替わっても気づかない。そんな実験が2つ紹介されている。

自分自身の実力ほど客観視出来ないものはない。未熟なものほど自信過剰である。自信のある態度に人はだまされやすい。

知識の錯覚。科学者は自分の知識を過大評価する。人間の遺伝子数の予測を大きく外している。

脳トレをしても脳の衰えは予防できない。数独やクロスワードなどのそれ特有の問題を解く能力が鍛えられるだけである。それよりも有効なことは、毎週3日に1回、45分間の歩行をすることであり、それにより前頭葉の脊髄灰白質の減少が止まるという。

原因の錯覚につながる3つの傾向がある。
1. 偶然のものにパターンを見いだし、そのパターンで将来を予測すること。
2. 2つのものの相関関係を、因果関係と思い込むこと。
3. 前後して起こったことに、因果関係があると思い込むこと。

言及してきた6つのどの錯覚にも共通していることは、自分自身の能力や可能性を過大評価していることである。また、直感を強調する書物が多いようだが、多くの場合、直感は現代社会の問題を解決できない、と著者らは結論している。

日常的な錯覚を意識して世の中を見渡すと、前ほどに自信がもてなくなる。しかし、自分自身の心の働きについて新たな見方ができ、他人の突飛な行動も新たな目で眺められるようになるだろう。人間とは何とだまされやすい者か!(山本和利)

2011年7月28日木曜日

ナージャの村

『ナージャの村』(本橋成一監督:日本・ベラルーシ 1997年)という映画を観た。

監督は写真家。制作統括は鎌田實氏である。

ベラルーシ共和国ゴメリ州ドゥヂチ村。そこは放射能汚染の村である。この映画は声高にチェルノブイリ事故の怖さや哀しさを主張しているわけではない。汚染されていることを承知で住み続ける6家族、15人の日々の暮らしを映し出している。

この映画が作られた当時は、日本人には縁のない遠い異国の話であったはずが、2011年3月11日を境にまさに日本の現実になってしまった。

豊かな自然の中で生きてきた農民が、見た目には何も変わらない景色なのにそこに暮らすことができないという不条理。

日本でもこのような映画を作ってもらいたいものである。(山本和利)

2011年7月27日水曜日

鯨人

『鯨人』(石川 梵著、集英社、2011年)を読んでみた。

著者はカメラマンで、写真集『海人』で日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞などを受賞している。

鯨の島ラマレラでの鯨捕りの様子を記載している。カメラマンという触れ込みなので写真がたくさん掲載されているかというとそうではない。しかし、掲載されている鍵となる写真は白黒であるが、非常に印象的なものである。

鯨を捕ることの大変さ、それゆえ島民たちの鯨を畏怖し大切にする気持ちも伝わってくる。
本書を読むと、捕鯨禁止を訴える白人たちより、はるかに鯨のことを考えていることがわかる。

本書は文庫であるが約20年間の取材をまとめたものであり、捕鯨の準備から鯨との死闘、解体、分配、物々交換等の一連のプロセスが目に浮かび、知らず知らずのうちに島民に感情移入してゆく。

時代の流れで、このような捕鯨の仕方が変遷しているそうだ。読後、少し寂しい気持ちが湧いてきた。(山本和利)

2011年7月26日火曜日

生きる意味

『生きるってなんやろか?』(石黒浩、鷲田清一著、毎日新聞社、2011年)を読んでみた。

アンドロイド研究における世界的なロボット工学者と介護からファッションまで幅広く論じる哲学者との対談集である。

本書は、ロボットやファッションの話を通じて人間の「心」とは何かに迫ってゆく。
ロボット工学者からのメッセージ。
1. 人間は自分自身のことをあまりわかっていない。自分自身のことを他人ほどには知らない。
2. 人には歴然とした心はなく、相手に心があると思うから、自分にも心があると信じている。
3. 心とか感情といった意識は、社会的な関わりの中でこそ確信できるもので、実態はない。

自分探しについて。
「自分とは何か」それは「他者の他者」である。他人を意識してはじめて自分の定義ができ、公共的なものになる。「自分の価値は自分で決められない」「自分らしさというそんな属性をいくら探しても、自分にはいきつかない」「自分を知るためには、人と関わるということが大切である」

参考になる言葉。
「価値なんて20年でひっくり返る」「いまが頂点の仕事に就こうとしないこと」「イチャイチャは幸福の原風景」そんな気がする。私も朝、寝床で妻と無駄話をすることが愉しみになってきた。

ゆとり教育について。
「ゆとり教育」は本来、学習者を揺るがすためにあるはずであった。日本の「ゆとり教育」は「教える側のゆとり」であった。教える側の時間がそぎ落とされたので、全部マニュアル化されてしまい、学習者はソツなくこなすが、深く考えなくなってしまった。

心という難しい問題を対談形式で、わかりやすく展開している。(山本和利)

2011年7月25日月曜日

医師教育を変革すべきか?

7月23日、広島市で行われた日本医学教育学会の招聘講演「Should Japanese Medical Schools and Teaching Hospitals Change How They Train Physicians?」を拝聴した。演者はOregon Health & Science UniversityのGordon L. Noel教授である。

まず日本と北米の医学教育を比較された。
日本は学業以外経験のない18歳の学生が入学してくる。日本の研修を一言でまとめると、総合的な臨床研修が欠けている、ということである。日本人には、忍耐力がある、学ぶ熱意がある、医療以外の生活に気が散らない、指導医に敬意を払う、という良い資質がある。しなしながら、鑑別診断能力が低く、複雑な判断ができない、時間管理ができない、治療計画を立てられない、反論能力が低い、医療チームでうまく働けない、といった不十分な研修結果となっている。

一方、米国は競争率が高い。面接・経験・実践がテストと同様に重視される。患者を第一に考えるが、生活のバランスも重視。幅広い人生経験。強い好奇心。成人学習理論を採用されており、自分の力で推論して解決することを求められる。EBMの実践も求められ、それなりの責任を持たされる。指導医がしっかり監督し、新しい教育手法を取り入れて、絶えずレベルアップを図っている。米国の研修医は総合的な研修を受けている。

結論としては、混ざり合い(hybridization)が重要であるということであった。

レベルの高い医師を育てても制度が不備であれば、国民全体に恩恵をもたらさないことは米国の例で明らかである。

コストは米国の1/3で、平均余命は世界一というのが日本の医療がある。そのような成果に対して、「日本の医学教育をどうして変える必要があるのか」という反論にどう答えるのか?

変革は必要であることは誰もが気付いている。医師の意識・マインドが変わるような制度の変革を求めたい。「医師の50%を総合医にする」が私の提案である。(山本和利)

地域医療教育の新たな展開

7月23日、広島市で行われた日本医学教育学会の「地域医療教育の新たな展開」のシンポジウムを拝聴した。

松本正俊氏:地域医療教育のエビデンス。
世界中で「都市部への医師集中、地方での医師不足」は認められる。地方の居住者は50%、そこにナースの38%、医師の24%が住んでいる。
日本で医師数は増えている。具体的には20年で1.5倍になったが、相対的に地方に医師が少ないのが問題である。
へき地に定着しやすい医師とは次の4つの者である。
1) 地方出身者:2.9倍
2) 総合医:3.1倍
3) 早期に地方勤務を経験している:4.7 倍
4) へき地医師養成プログラムの医師:4.7倍

このエビデンスから言えることは、1)へき地出身者の医学部入学比率を向上させること、2)卒前の地域医療教育を充実させること、3)総合医を重点的に育成すること、4)卒後早期のへき地医療経験を増やすこと、である。

長谷川仁志氏:地域基盤型教育体制の構築。
秋田県は2次医療圏が医師不足であり、日本中県庁所在地以外は医師不足である。日本では中年後、専門医を続けている医師は少ない。
そこで学生には螺旋的に基本診療、総合力をつけさせることを目指す。現在、カリキュラムを改変して低学年から地域基盤型学習を実践している。医療連携にかかわる能力を低学年から実践する。なんと1年生から医療面接をし、OSCEもしているそうだ。高校生にもアプローチしている。

井口清太郎氏:新潟県の地域医療実習。
5年生に必修、3泊4日の泊りがけ実習、在宅医療実習、夏季実習、ワークショップ
将来新潟県で地域医療を担う医学生が一体となって活動している。

大脇哲洋氏:キャリア教育の重要性。
県内研修医数の低下、中核医療機関への医師が低下、地域枠を作って県内出身入学者が増加。住民の求めるのは、専門医と総合医の両タイプである。
研修医時期に、自分自身のホームタウン・ホスピタルを決める。専門医になる道も探す。

谷口栄作氏:島根県の卒後キャリア支援の取り組み。
生涯教育研修部門、6年生にキャリア面接をする。しまね地域医療支援センター、キャリア支援と生活支援。島根県全体での総合医家庭医育成ネットワーク会議を行っている。

地域医療に関係する講座がたくさんできて、様々な試みがなされるようになっている。成果を出すには長い年月がかかるが、このような講座が一体となって日本の医療を変革して欲しいものである。我々もその一役を担いたい。(山本和利)

2011年7月24日日曜日

幸福な生活

『幸福な生活』(百田尚樹著、祥伝社、2011年)を読んでみた。

著者は1作ごとに全く異なるジャンルの作品を発表し、読者の意表を衝く作風の持ち主である。

「最後の1行がこんなに衝撃的な小説はあっただろうか」と帯に大きく書いて購買欲をそそる。

認知症の「母の記憶」、夫の寝ごとと夫そっくりな人の意味を問う「そっくりさん」、取り柄のない男と結婚した美女の結婚を決めた理由がわかる「生命保険」等、本書は18の短編からなる。どの短編の結末も、ページをめくると最後の1行が出てくるように工夫がされている。

不思議なもので、予想が当たるとがっかりする。どのくらい驚きがあるかあなたの推理力を試してみてはどうでしょうか。(山本和利)

2011年7月22日金曜日

放射線障害

7月21日、広島市で行われた日本医学教育学会の緊急報告「放射線障害‐医学教育の中で伝えるべきこと」を拝聴した。演者は広島大学原爆放射線医学研究所の神谷研二所長である。(福島県立医科大学の副学長でもある)

東日本大震災・福島第一原発事故後、日本中の住民が放射線について不安を持っている。放射線被害について、国民は本当に理解されているのか。放射線基礎医学教室は激減している。基礎教育が医学部でできていない。環境放射線が高いと、癌のリスクがどのくらい上がるのか。医師は科学的根拠に基づいて医師には答えてほしい。

それには広島・長崎の原爆被爆データが参考になる。被ばく後、白血病を発症するが、ピークは3年目で、6-8年続く。固形がんは、10年目から増加する[1.5倍]。白内障、精神発達遅延、甲状腺機能亢進症、心筋梗塞、脳梗塞等も増加する。免疫機能の低下が問題である。1Gyの被ばくで1.5倍のリスクと想定すればよい。幸いなことに、遺伝的影響は認められていない。

チェルノブイリ原発事故データ。
原発勤務者:134名が急性放射線症候群になり28名が死亡した。皮膚障害、白内障が著明。
清掃業務に関わった者が24万人で、白血病、白内障が多かった。
住民の被ばく:50mSvレベルが27万人、10mSvレベルが520万人であった。汚染牛乳による放射線ヨウ素により小児甲状腺がんが6000人発症した。

事故対応の基準は3つに分かれる。
1)事故直後の避難の基準。2)緊急時の状況:20-100mSv/年。3)汚染による基準:1-20mSv/年

日本の被ばく量の平均は3.8mSvで、世界よりも多いのは医療被曝のためである。日本のがんの3%以上が医療被曝に由来するという報告がある。

日常生活と放射線被ばくは、一人当たり2.4mSv/年である。健康に影響が出るのは、100mSvで癌が増える。「閾値なしの直線モデル」(どんな微量でも癌を引き起こすという仮説)で計算すると、現在の日本人のがん死亡は30人/100人であるが、それが30.5人/100人となる。

ゲノムに傷がつくと、修復されるか排除される。この損傷応答が起きないと癌になりやすくなる。低線量の影響を統計的に証明するには限界がある。とは言え、このモデルは実務的で思慮深いモデルである。実際には直線・二次モデルがよい(低線量では2で割って計算する)。同じ線量なら一瞬の方がリスクは高い。

福島での事故後の支援活動について話された後、最後に、放射線障害についての医学部教育の必要性を訴えて講演を終えられた。(山本和利)

医学教育の国際化

7月21日、広島市で行われた日本医学教育学会の「医学教育の国際化」のシンポジウムを拝聴した(途中退席した)。

3つの潮流がある。
1)医療者の国家間移動(physician migration)
2)患者の国家間移動(medical tourism)
3)医学校の増加:25%以上。

ここでは医療者の質保証について討議する。日本では分野別評価になっている。

4人の発表。
・米国から:医療者輸入国としての医療者の質保証
国によって様々である。標準化が必要である。米国のある洲では78時間の臨床経験を求めている。
・ヨーロッパ共同体から:教育のハーモナイゼーション
・世界医学教育連盟から(体調不良で欠席):医学教育の評価基準
本部はコペンハーゲン。5つの支部。質的評価である。卒前教育、卒後教育、生涯教育の3部門。時間などに制約はない。基本的水準と質的向上のための水準の2つに分かれる。
・韓国と西太平洋地区から:その実践
詳細は省略・・・。

以上の流れで、英語を中心に講義・討議が行われた。世界の医療の潮流を考えると、医学教育の国際的な標準化を求める動きがすぐそこまで迫っているということである。(山本和利)

地域医療教育

7月21日、広島市で行われた日本医学教育学会の「地域医療教育」の口演を拝聴した。(途中から)

地域医療に関する学生の意識調査:岡山大学
興味は1年生より4年生の方が高い。4年生になると働く場所は大学病院がなくなる。先端医療から遅れているというイメージを持っているものが多い。地域医療の講義後、イメージが変わった率70%、興味の保持率は52%であった。

地域医療奨学生への入学動機に関するアンケート:筑波大学。
現在、対象者は1171名で全医学生の13.2%を占める。2010年に入学した38大学の1年生、対象542名中440名が回答。
入学動機:医師不足に貢献:30%であった。奨学金の影響がある;60%
意欲を見るため、終了後にも地域医療従事を聞いた:50%が従事すると。義務がないとしても:90%が従事する、とモチベーションはかなり高い、と解釈している。

地域医療奨学生の男女間における意識の違い;琉球大学。
5年生32名。女性は専門医志向傾向あり。女性は母校の大学病院や民間病院を挙げているが、男性は母校大学を1人も研修病院候補に挙げていない。公立病院希望者が多い。離島・へき地には男性の方が積極的である。

見学型から達成型へ:福島医大。
ホームステイ型、長期休暇型課外実習。地域密着型。心電図を自分で取り判読する。懇親会で地域住民と接する。

家庭医療集中セミナー参加者へのアンケート:長崎大学
同じような実習を受けた医学部5年生と比較。
セミナー生:総合医を目指す。へき地・離島の診療所・小病院を希望。不安は医療レベルなど、技術面の不安が多いが、生活面の不安は少ない。

学生主導型ヘルスプロモーション実習;長崎大学
68名。学生が11講話を行う。実習未実施学生よりも疾患の理解を深める可能性あり。

在宅ケアコースの質的研究:筑波大学
医学部2年生111名。教員が体験した症例をシナリオにして検討。1)医師は病院で治療。2)医師は治癒を目指す。3)患者中心の医療、4)医療連携を尊重、の4つのモデルがあがった。学生の中でも様々な視点があることがわかった。

地域医療教育の全国調査:鹿児島大学
カリキュラム外で「地域の魅力を伝える」実習が多い。奨学生だけに地域医療教育をしている大学はない。

アンケートを中心とした実態調査が多かった。今後は、どれだけの医師が地域医療に従事するかが問われることになる。教育の効果を短期で評価することは酷であろうが、我々はそれに応えなければならない使命を負っている。(山本和利)

2011年7月21日木曜日

小児救急疾患

7月20日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は札幌徳洲会病院小児科・血液部長の岡敏明先生である。テーマは「小児救急疾患」で,参加者は20数名で、学生さんが多かった。
「子どもは嘘をつかない。機嫌がよく笑顔の見られる子に、重症者はいない。」という言葉で始まった。
水分、食事摂取ができているか。3カ月未満の38.5℃以上は原則入院。「痙攣・意識障害」「嘔吐・脱水」「喘鳴、呼吸困難」を伴ったら入院。ぐったりした2歳児。Hibによる髄膜炎、敗血症であった。

様々な事例を写真で提示。「溶連菌感染の口腔所見」。溶連菌感染を疑う母親の意見をむやみに否定してはけない。「アデノウイルス3型」庭石に水をまいたような所見。「突発性発疹」。6か月から1歳児。「伝染性紅斑(リンゴ病)」「水痘」「はしか」。頬膜のコプリック斑が有名。「手足口病。(夏風邪)」。「川崎病」。イチゴ舌。不定形発疹。硬性浮腫。BCG瘢痕の発疹。

痙攣・意識障害のみかた。
有熱性が無熱性か。痙攣が30分以上続く、意識がもどらない、と痙攣重積である。Time will tell you.30分待つ。痙攣が止まっていない場合、ダイアップ座薬、アンヒバ座薬で時間稼ぎ。人を集める。ルートを確保し、ドルミカム静注。頭部CT.挿管。実際には、ほとんどが熱性痙攣である。
「軽症胃腸炎関連痙攣」という病態がある。痙攣が群発する。ジッゼパムが効かない。デグレトールが効く。
「揺さぶられっこ症候群」。身体虐待。脳CTを撮る。

消化器疾患のみかた。
「ロタウイルス、ノロウイルス」白色便。終生免疫は得られない。経口補水液(OS1)がお勧めである。母乳は禁止しない。止痢剤は使用しない。「腸重積症」。間欠的に泣く。不機嫌。血便。Target sign、蟹爪状陰影。「ヘルニア陥頓」腹部を痛がる子は鼠径部も診る。「虫垂炎」。初診医は虫垂炎ではないと言うな。翌日、再評価すること。イレウスも頭の片隅におく。虐待ということもある。

呼吸器疾患のみかた。
「気管内異物」呼吸音の左右差。気になったら、迷わずXPを。SaO2<95%は帰宅させてはいけない。喘息と思ってもXPを撮らないと「ウイルス性心筋炎」を見逃すことがある。「クループ症候群」。オットセイのような声。吸気性喘鳴。

今回は内科医への教育を目的に、道内の小児科医が協力して作成されたスライドで講演が行われた。このような講演会でたくさんの医師や学生が学ばれることを期待したい。(山本和利)

7月の三水会

7月20日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は16名。大門伸吾医師が司会進行。初期研修医:4名。後期研修医:5名。他:7名。

研修医から振り返り5題。
ある研修医。92歳の男性。ADL低下、発熱、下痢。CHF,CKD,肺結核後遺症、アルツハイマー認知症、5回の入院歴。10日間のショートステイ。38℃の発熱、下痢。立てない。検査でBUN:115, Cre;4.5, CK;482,補液を開始。翌日、BUN:138, Cre;5.2,CK;1794,その後、症状は改善し補液は中止とした。一番の問題は「家族のケア」と思った。トイレがない2階に居住。「ネグレクト」状態であることがわかった。家族の意見がばらばらであった。話し合いを持つため家族をできるだけ集めた。施設に移すことに意見はまとまったが、その間、家でどのように対応するか。居室を1階に移す。食事・飲水の確認、エアコンを入れる。体調不良時に早めにデイケアスタッフに連絡、を提案。
「セルフ・ネグレクト」を調べた。能力がなく自分自身の世話が出来ない者の50%が家族内孤立をしている。本人の性格、心理社会的要因、親族との関係性などが原因として挙げられる。

ある研修医。90歳代男性。胃癌術後。うつと認知症との識別が難しい患者。被害妄想、罪業妄想、心気妄想があったが、SSRIが有効で食欲が出て来た。
「超高齢者に抗鬱剤治療を処方すべきかどうか?」を調べる課題が出された。

ある研修医。90歳代男性。非典型的な急性腹症。電話での内容はイレウス、穿孔の疑い。胃切除後でイレウスを繰り返している。膀胱がんの治療考慮中でもある。採血し、腹部XPでは二ボーなし。右側正中の痛み。CVAにも圧痛。WBC:8700,CRP:3.0であった。血清クレアチニン値が高いので単純CT撮影を依頼。結果は尿管破裂であった。最後は敗血症で死亡された。
クリニカル・パール:「検査閾値を下げて、よくある病気から否定してゆこう」
参加者のコメント:尿管破裂はまれ、超高齢者の急性腹痛にどう対応するか。この患者の場合、最初はイレウス、穿孔をやはり疑うべきである。高齢者は濃縮尿になりにくいから尿路結石にはなりにくい。珍しい病態を間違えても悲観する必要はない。

ある研修医。90代男性。食欲不振、倦怠感。肺結核の既往。左胸水があるが経過観察中。入院加療。左主気管支閉塞、右肺炎、無気肺。気管支鏡をやらないことにした。「生き死に」を誘導していないか、疑問をもった。
参加者コメント:結核ではないのか?胸水のADAは高くなかった。肺外結核の診断は難しい。家族も医師も不確定要素に耐えられない。主治医は家族の決断を支える覚悟が必要。

ある研修医。90歳代女性。直前まで畑仕事をしていた。腹部膨満。橋本病、ITP。皮下出血、紫斑、両側下腿浮腫。蜘蛛状血管腫なし。PLT;1万。T.bil:1.5,抗ミトコンドリア抗体陽性。腹部エコー:肝硬変所見、食道静脈瘤あり。原発性胆汁性肝硬変による腹水貯留と診断。利尿剤治療直後はよかったが、その後体調不良。患者本人は自宅へ帰ることを希望。家族は当初、転院等を拒否したが、最終的に在宅看護することになった。その後、家族に見守られ永眠された。
参加者からコメント:素晴らしい人生ではないか。

ある初期研修医。34歳男性。発熱、頭痛、咽頭痛。抗菌薬、NSAIDで対応したが、軽快しない。肺炎、感冒、尿路感染症を考えた。CRP;1.7,GOT/GPT:45/68,その後、非定型肺炎を考え、ジスロマックを処方した。腹部エコーで脾腫があり、異系リンパ球出現。伝染性単核球症(サイトメガロウイルス)であった。次の一手が浮かばなかった。
参加者からコメント:外傷性の脾臓破裂に注意。

今回は、指導医からこれまで以上に建設的なコメントが出された。次回はより質の高い報告を期待したい。(山本和利)

医学史 最終講義

 本日は医学史の最終講義でした。
タイトルはそれぞれ
21班「若月俊一」
22班「五十嵐正紘」

 両先生とも日本の地域医療に足跡を残した先生です。
それぞれの寸評と共にまとめてみたいと思います。

まずは22班 若月俊一先生

 現在では全国区の有名病院となった佐久総合病院を
創り上げた方です。
 現在は信州は男女とも平均寿命で沖縄と方を並べる
長寿県でありながら、一人あたり医療費は最も低い
レベルに抑えられているという、日本の医療の優等生
的な県になりましたが、若月先生が赴任された昭和の
頃は山奥の寒村のような地域だったんですね。
そこで若月先生はじめ、佐久病院の先生方は地道に住民
教育を行い、生活改善を行い、地域と一体となって医療
を創り上げて行きました。ここでは医師や看護師が健康
演劇を行ったり、実際に減塩食を振舞ったりして、今で
いうヘルスプロモーション活動を行いました。
この手法は発展途上国の保健医療にも取り入れられ、後に
若月先生らはアジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」
を受賞しました。

 若月先生は東大入学時からマルクス主義者となり、社会主義
運動に携わって2回も治安維持法違反で逮捕されています。
さらに医師になってからも軍医ではなく衛生部の一兵卒として
中国戦線に従軍し、戦病者として帰還しています。
筋金入りの社会主義者だったんですね。
 21班はこの若月先生の社会主義的人間観が後の僻地地域医療に
どのように結びついていったのかをうまく掘り起こしていました。
 また最後にはグループの一人からのコメントで
「自分は若月先生を超える地域医療の医師になりたい」
と、意欲的な発言も飛び出しました。
 彼には是非とも若月先生60年の地域医療を超える活躍をして
もらいたいと願います。

続く22班は五十嵐正紘先生

この先生は若月先生ほどには、あまり知られていない
かも知れません。
なぜなら、2008年にお亡くなりになったばかりで生前の功績が
他の医師たちほど文献などでは出ていないからです。
しかし北海道の地域医療にはとても縁のある方です。

 東京大学卒業後同小児科医局から、米国留学し遺伝性変性疾患の
Adrenoleukodystrophyという難病の研究で全米でも認められた
科学者となりました。
超長鎖脂肪酸が患者の脳内に蓄積している事実を発見したのです。
 帰国後しばらくして自治医大小児科にいた後、成長する子供たち
と地域医療に歩みたいとの事で道東の町立厚岸病院へ院長として
赴任されます。
ここで地域医療を10年行い、自治医科大学地域医療学教室へ帰任、
後に教授となります。

 自治医科大学卒業の武田助教の話によると、五十嵐先生は
見かけによらず、かなり豪快な先生であったらしく、発表の中でも
先の難病研究が全米学会で表彰されたおりに、五十嵐先生は受賞を
知らずに表彰式を欠席してしまったエピソードや、地域の赴任先を
決めようと何件か打診して最も早く返事をくれたのが、たまたま
厚岸で、当時縁もゆかりも無かった北海道の病院に行くことを即答
した、など先生の豪快さを感じるエピソードが散りばめられていました。
 後半は総合医と地域医療について五十嵐先生の「地域医療10の軸」
を中心にまとめられていて非常に理解しやすかったです。
 個人的に22班の発表で最も素晴らしいと感じたのは
「総合医(ジェネラリスト)と専門医(スペシャリスト)は言葉上
対義語として存在するが、実際の臨床ではお互いの力を引き出す
ベストパートナーだ」
という一言でした。
 大学に入学したばかりの彼らが、五十嵐先生について学ぶなか、
この言葉を紡ぎ出した事は、今後の大きな希望です。

 最後に医学史全体を講義してきた松浦助教からのまとめがあり、
医学史の講義は終了となりました。
 講義全体を指導されてきた松浦助教はじめ、地域医療総合医学
講座の教員の皆様、学生諸君、お疲れ様でした。

(助教 稲熊)

ニポポ スキルアップセミナー

札幌徳州会病院 小児科部長 岡先生
「プライマリケア医が見る小児救急」

私の初期研修時代の指導医でもある岡先生による
ニポポスキルアップセミナーが三水会に引き続き
行なわれました。

岡先生のお話しは非常に分かりやすく、実際にあった
豊富な症例を踏まえて、まさに『明日から使える』
レシピの豊富な小児救急レクチャー、若手の先生には
マニュアルだけでも相当勉強になるのではないでしょうか。

自分も道東の自治体病院に赴任した時には、先生の
元で研修した知識と技術で大変助けられ、そのおかげで
転送先の小児科の先生とのコミュニケーションも随分
よくなった思い出があります。

10年前には研修医室でワープロ打ちのプリントを
みんなで車座になって教えて頂いた事が懐かしく
思い出されますが、10年を経てプリントはマニュアル
として冊子になり、講義もとても綺麗なスライドに
なっているのはやはり時の流れを感じずにはいられません。

小児科臨床のpearlsが満載の、とても素晴らしい
レクチャーで、10年前に戻ったような懐かしさ
とともに、このレクチャーが受けられる現在の
研修医の皆は幸せだなぁ、と感じました。

(助教 稲熊)

ニーズ主義のプライマリケア

7月20日のPCLSは我が地域医療総合医学講座の同門会長で
苫小牧で開業されている合田先生にPCLSレクチャーを
行って頂きました。

中核病院からの常勤専門医の退職により在宅での難病患者
を引き受けられた経験をお話しくださいました。
地域にある医療者やハードの連携を作り上げ、在宅での
診療を行ったこと、心理的な葛藤、心身の負担までを
率直に綴られました。

柔らかな語り口でお話しされる中に、先生の地域に
生きるプライマリケア医しての矜恃、信念、情熱を
感じました。

プライマリケア医の仕事は地域の医療ニーズに合わせた
ニーズ主義がありますが、合田先生のレクチャーは、
ひとりの患者さんの『日常』を守るというニーズ主義の
プライマリケアの実践の姿であると思います。

プライマリケア医としていつか携わるかも知れない
事例ですが、プライマリケア・マインドと勇気を
頂いたレクチャーでした。

(助教 稲熊)

2011年7月20日水曜日

失敗に学ぶ

7月19日、札幌医科大学で開催された医療安全講演会の講義「不祥事の失敗学」を拝聴した。講師は警察大学校の樋口晴彦氏。

1. マニュアルが増えると現場の業務が杜撰になる。上層部から不要なマニュアルを10%減らすように指示するくらいの働きが重要である。
2. 短期的な業績向上ばかりに執着すると、安全性に問題が起こる。
3. 外部委託にはリスクが付随し、その管理には相応のコストを要する。
4. 過度の成果主義は、組織と個人との利害が相反する状況を作りやすい。
5. 世論におもねった不祥事対策は、あらたな不祥事を誘発しやすい組織環境を作り出す。
6. 組織のトップは70%くらいの力で仕事をして、残りは現場を回るくらいが丁度良い。

現場の意見を吸い上げ、外部対策用のマニュアル作りはほどほどにというところか。(山本和利)

2011年7月19日火曜日

Alarm bells in Medicine(2)

7月15日、支援病院で研修医にAlarm bells in Medicineの講義を行った。参考書はALARM BELL MEDICINE(Blackwell , 2005)。呼吸器疾患の10のポイント。

1. 40歳以上の喫煙者の血痰:精査が必要である。2%に腫瘍が見つかる。必ずしも重大な疾患があるわけではない。危険因子がなければ、胸部XPで異常がなければそれ以上の精査は必要ない。血痰を繰り返す者:胸部XPに異常がなくとも精査。
2. 40歳以上の喫煙者の肩痛:Pancoast’s tumor。胸部XPで見逃がされやすい。
3. 体重減少、盗汗:結核を鑑別診断に入れる。R/o lymphoma。
4. 運転・仕事中の居眠り;Sleep apnea syndrome。
5. 喘鳴すべてが喘息とは限らない:R/O 肺癌、COPD、心不全、咽頭狭窄など。過呼吸症候群。
6. 咳と喘鳴で夜間覚醒する喘息;コントロールできない喘息には定期的なステロイド吸入。即、専門医へ。
7. 呼吸器疾患患者の早朝の頭痛;二酸化炭素の蓄積を考慮する。COPD、著しい胸郭変形
8. 胸部症状と鼻閉:Wegener’s granulomatosis (咳、血痰、腎症、皮膚血管炎、ANCA)
9. 急性感冒症状で訊く環境要素:インコの飼育
10. 鼻ポリープを持つ喘息患者:NSAIDs過敏、女性、不安定な喘息。アスピリン喘息患者:60%に鼻ポリープを持つ。
(山本和利)

2011年7月17日日曜日

指導医養成講習会

7月16、17日、第6回札幌医科大学付属病院 臨床研修指導医養成講習会にチーフタスクフォースとして参加した。当日、同会場で7:15から打ち合わせ。参加者は31名。

まず堤裕幸センター長の挨拶、タスクフォースの紹介後、堤裕幸センター長から「札幌医大の初期臨床研修」の講義。本年度の初期研修医数は32名。続いて山本和利のリードで「アイスブレイキング」。偏愛マップを使って、雰囲気を和らげた。1時間の散歩や能楽鑑賞を趣味とする参加者もおり、医師の趣味の多彩なことに驚いた。

続いて北大の川畑秀伸氏の主導で「カリキュラム・目標と方略」を150分。アウトカム基盤型カリキュラムのミニレクチャー後、competency(その職業に期待される態度・思考・判断の特性)をグループで設定してもらった。研修環境を独自に設定してもらったためか、各グループから個性的な意見がだされた。

昼食後、江別市立総合病院の日下勝博氏の主導で「上手なフィードバックをしよう」のセッション。自己分析能力の高い研修医、生真面目だが気づきの少ない研修医、能力以上に自己評価が高い研修医という3シナリオを用いたロールプレイを行った。3人一組でのロールプレイは研修医役、指導医役、評価者役をそれぞれ1回ずつ。受講生として参加した教授も准教授も役になりきって熱演していた。

続けて勤医協中央病院川口篤也医師の主導での「教育の評価」は、3シナリオを準備していずれか1つのシナリオに沿ってロールプレイを行った。最初に初期研修医評価のための指導医会議(指導医、看護師長、看護主任、ソーシャルワーカー、等)を模擬体験した。患者ケア、医学知識、症例に基づいた学習とそれに伴う向上、コミュニケーション技術、プロフェッショナリズム、システムに応じた医療、の6項目について評価をしてもらった。

続いて「北海道における地域医療の現状と道の取り組みについて」と題したセッションで北海道庁の杉澤孝久参事が講演された。医師数は西高東低。道内は全国並み。2010年6月現在、医師は道内では1,007名不足。質疑応答後、第一日の日程を終了し、写真撮影となった。

第二日目は、幌加内国保病院の森崎龍郎氏の主導で「5マイクロスキルの実践」セッション。一番の問題は、研修医が考えて答える前に、指導医が答えを言ってしまうことである。今回お勧めのマイクロスキルは5段階を踏む(考えを述べさせる、根拠を述べさせる、一般論のミニ講義、できたことを褒める、間違えを正す)。外来患者シナリオ8つを用いて2人一組になってロールプレイ(シナリオの読み上げ)を行った。最後は、自分たちでシナリオを作成してもらい、ひとつふたつの自信作を発表してもらった。

続いて、札幌医大松浦武志助教の主導で「医療安全」セッションを行った。はじめにリスク・マネジメントについてのミニ講義。人は何から学ぶか?先輩の背中、プロジェクトに参加して、挫折から、という意見がある。その後、「発熱・腰痛を訴える高齢女性」についてヒアリハット・カンファランスを研修医に実演してもらった。クリニカル・パール:「いつもと違う高齢者:心疾患、感染症、慢性硬膜下血腫、貧血を考える。高齢者のAfは塞栓症のハイリスク。高齢者に尿管結石は少ない。側腹部痛では、大動脈解離、腎梗塞を疑う」。最後に自分の施設でSEAセッションを行うにはどうしたらよいかをグループで話し合ってもらった。

昼食後、武蔵国分寺公園クリニックの名郷直樹氏の「EBMの教育」。高血圧を放置している83歳男性というシナリオでWSが行われた。文献はAntihypertensive therapy with indapamide and perindopril reduced mortality in patients >= 80 years. N Engl J Med. 2008;358:1887-98.を使用。薬が欲しい患者と処方したくない研修医という設定のロールプレイも行われた。

最後は勤医協家庭医療センターの寺田豊氏の主導で「ティーチング・パールを共有しよう」のWS。参加者各自が得意ネタで10分間講義を白板で行い、そのやり方へのフィードバックをしてもらった。テーマは、耳鼻科医を呼んでほしい喉の痛み(口腔3か所をチェック、喉頭蓋炎を見逃さない)、小児のアレルギー(食物アレルギー、牛乳・卵・大豆・小麦、年齢とIgEで考える)、メニエル病(反復する20分以上続くめまい・難聴)、胸部X線読影(まず撮影条件:電圧・体位、肺野は最後に読む)、緊急対応が必要な胸痛(痛みの問診:PQRST)、自己免疫性膵炎(IgG4関連硬化性疾患、膵がんとの鑑別、ステロイド治療)、糖尿病の診断(FPG>126mg/dl、HbA1c>6.1%、国際基準より0.4%低く表示される)、腹部診察の仕方(問診、経過観察が大切)、災害時のトリアージ医療、脂肪肝(非アルコール性脂肪性肝疾患に注意)、胃食道逆流症、等。

最後に総括として、参加者の感想をもらい、受講者代表として参加した紅一点の医師に終了証を手渡して解散となった。来年度はさらにブラッシュアップして講習会に望みたい。(山本和利)

2011年7月16日土曜日

Alarm bells in Medicine(1)

7月15日、支援病院で研修医にAlarm bells in Medicineの講義を行った。参考書はALARM BELLS in MEDICINE(Blackwell , 2005)。循環器疾患についての10のポイント。

1. 背部へ放散する突然の引き裂かれるような痛み;大動脈解離
2. 動悸を伴う失神ですぐ回復したら:不整脈
3. 発熱、体重減少、盗汗:細菌性心内膜炎をいつも鑑別疾患に入れる!
4. 前胸部中央の圧迫感(痛み):まずは急性心筋梗塞として対応する
5. 労作時の胸痛を診たら:まずは心筋虚血を除外するため専門医に紹介する
6. 不安感、顔面紅潮、動悸の高血圧:褐色細胞腫の可能性。R/O パニック障害
7. 突然の息切れ、胸膜痛:肺塞栓症を考える
8. 歩行時・安静時息切れ:心不全を考える
9. 動悸のある甲状腺機能亢進症;心房細動、脳塞栓の予防を考慮する
10. 65歳以下での脳梗塞発症:R/O ASD, 先天性弁膜疾患、心筋症、myxoma

(山本和利)

2011年7月15日金曜日

1年生 医学史 講義 その9

今日は医学部1年生に医学史の講義を行った。

今日のテーマはEBMとNBMであった。
この概念は、まさに私の研修医の頃から一般に広がり始めた概念であり、特にNBMはNarrativeという言葉の適切な日本語訳もないほどまだまだ日本には根づいていない概念である。これを学生諸君がどうまとめてくるか非常に楽しみであった。


最初の班はサケット(EBM)であった。

サケットは1934年生まれカナダ人で亀田興毅と同じ誕生日らしい。
EBMのパイオニアでそれまでの医療にパラダイム転換を起こした。

EBMの目標は患者さんの利益を追求することで、本当にこの治療法でいいのか?を常に問い続けることである。経験や、権威に惑わされず、良質なエビデンスに基づいて、治療するようにする。ここでいうエビデンスとは質の高い臨床研究から得られた証拠のことである。

エビデンスが得られる質の高い臨床研究として、
1)ランダム化比較試験
2)コホート研究 
3)症例対象研究
を紹介していた。
それぞれの特徴をイラスト入りで紹介していた。

これまでの「経験則」はランク外の評価のようだ。


次にEBMの4つのステップを紹介していた。
1)問題の定式化(PECO)
2)研究デザインを考える
3)批判的吟味
4)患者へ適応
5)1ー4の再評価

このあたりは1年生には難しいかもしれない。
プレゼンは、非常に滑舌よく勢いがあったが、やや早口な感じで、概念を深く理解することは難しかったかもしれない。まぁ、心配しなくても、4年生になったら、半年かけてEBMとNBMの講義がありますから、楽しみにしていてください。

EBMの成果として、CAST Studyを紹介していた。これは、それまで当然のように行われていた心筋梗塞後の抗不整脈薬の予防投与について、本当に死亡率が下がるのかどうかを検証したものであるが、実際は抗不整脈薬の非投与群の死亡率が一番低かったという意外な結果となった研究である。この研究のおかげで、心筋梗塞後の抗不整脈薬の一律投与は行われなくなった。

また、EBMだけでは片付かない問題もあることを紹介し、そういった問題に対する方法として、この次の班のNBMの発表を紹介していた。
次の班への配慮を見せた班ははじめてであった。



予告編を出してもらった、次の班はグリーンハル(NBM)の発表であった。

まったく新しい概念で「物語に基づく医療」と訳されるが、いまいちピンと来ない。現時点では確固たる定義は存在しない。

ナラティブとは

会話(対話) 
好奇心(患者の話に興味を示す)
循環性(患者主語の話に終わらせない)
背景(家族背景など)
共創(共に治療を創っていく)
慎重性(すべての患者についていえるわけではない)

の6つのCを紹介していた。このあたりも原語を適切な日本語訳にするのは非常に難しい。まだまだ日本に定着していない概念なんだなぁと痛感させられる。

患者の語りを通じて患者に全人的にアプローチする医療であると紹介し、閉ざされた質問と開かれた質問の違いを説明していた。患者の「病の語り」を聞くためには、「開かれた質問を行わなければならない」

このあたりのスライドは、以前の班でもあった、イメージを表した写真を多用しており、非常に良い感じである。


その後は
眠れないと訴える患者の診察風景を実演医師と患者役に分かれて実演をしていた。
ビデオで撮影していた班もあったが、その場で実演は新たな展開であった。

また、会話の中身などは別途資料を作り、全員に配っていた。これも、今までの班ではない新しい試みである。これまでの医学史の発表の中では、発表内容をスライドにまとめて、発表するのみで終わっている班ばかりであったが、別途資料を作って配布するという方法は実はプレゼンテーションではよくやる方法である。

しかし、この配布資料というのはスライドをそのまま6枚並べただけのものを配ることが多く、わざわざ配るほどの意味を成さないことがほとんどである。

むしろ、自分の発表の中の最も覚えていてほしいことについてもう一度簡潔にまとめたものや、発表だけでは言い表すことができなかった詳細な資料などをいれて、発表の一助とすることが理想である。

今回の班では、発表だけでは流れてしまう医師と患者の会話の内容を詳しく解説した全く別個の資料を配っていたので、資料を配布するという目的を充分達成したものであったと思う。

プレゼンテーションのコツの授業では特に紹介しなかったが、こうした工夫が自然と自分たちの努力でできてくるところがこの授業のすごいところであろう。


医学史の授業はあと1回だが、最後の班の発表も十分に参考にしてこれからもプレゼンの技術の向上に努めて欲しいものである。

                           (助教 松浦武志)

2011年7月14日木曜日

ソフィアの夜明け

『ソフィアの夜明け』(カメン・カルフ監督:ブルガリア 2009年)という映画を観た。

東京国際映画祭のコンペティション部門で三冠に輝いたブルガリア映画である。スキンヘッドの17歳の若者が誘われて入れ墨を入れるシーンで始まる。両親と揉めてばかりいるようだ。芸術家を目指しながら木工所で働く青年が映し出される。スキンヘッドの若者とどうやら兄弟らしい。病院通いからしてどうもドラッグ中毒で治療を受けているようだ。ドラッグから逃れても、アルコールに頼る日々を送っている。現代のブルガリアで、社会の中で自分の居場所を見出せない若者たちがたどる運命をリアルなタッチで映し出している。

場面が代わって、ソフィアで一夜を過ごすことにするトルコ人家族。夕食を堪能している。だが、その夜に悪夢に変わる。このスキンヘッドの若者が加わったギャングの暴行を受けたのだ。偶然現場に居合わせた兄は、トルコ人家族を守ろうとして一緒に暴行を受けてしまう。怪我をした父親が病院へ担ぎ込まれ、そこでトルコ人の娘と兄は言葉を交わす。

自分たちと異なる者を暴力で排除しようとする風潮が世界中に蔓延しているのだろうか。

次第に惹かれ合ってゆく2人。その一方で弟と兄はその事件をきっかけに初めて心を通わせる。兄のお蔭で自分が陥っていた狂気と妄想に気付く弟。やがて娘の両親は、娘と救った男性の関係に気付く。だが、トルコ人の父親は民族的な違いを理由に、娘とブルガリア人の交際を認めない。理不尽な決断から、イスタンブールに連れ帰られる娘。

男は再び孤独に向き合うことになるが、絶望はしない。娘を追ってトルコの町に到着したブルガリア人男性の画面で映画は終わる。かすかな希望が見て取れる。

主演の男優は撮影終了目前に不慮の事故で帰らぬ人になったという。実話に近い話を本人が主演したという。不慮の事故がドラッグがらみではないことを祈りたい。「他者への寛容」、「居場所探し」について考えさせる映画である。(山本和利)

2011年7月13日水曜日

FLAT症例勉強会(6) 三つ子の魂 百まで

遅くなってしまいましたが、以下報告です・・・。

7月6日、FLATのメンバーと第6回目の症例を用いた勉強会が行われました。学生5名、教室員2名。

30代白人女性。1年前からの光過敏症と、2-3ヵ月前から口腔内潰瘍、それに引き続く全身倦怠感と関節痛、発熱。
身体所見では発熱と顔面、首のVネック部分の皮疹、口腔内潰瘍以外は所見なし。血算など一般的検査では所見なし。結局は自覚症状の訴えから全身性エリテマトーデス:SLEを診断する症例であった。

関節リウマチをはじめとする膠原病は初期では診断が難しく、そのため疾患毎に診断基準があることが多い。医学部4年頃にSLEを講義でならったことを思い出した。今でもはっきり覚えている。
蓑田清次教授から、「Minota AIDS ORPHAN」 と。意味は、「優しい蓑田先生は孤児を助けている」というものである。これはM:malar rsah, A:arthritis,I:immunologic abnormality … etc.などSLE診断基準11項目の頭文字をとったものである。自分は今でも使っている語呂合わせであるが、ふと気付けばMは蓑田先生でなくてもよいのかもしれない(当教室の松浦先生など)。ただやはり初めに教わった先生のことは忘れられない。

そんな人との出会いを大切にしたいと思った1日でした。

夏休みと試験のため、次回の勉強会は10/12の予定です。(武田真一)

2011年7月12日火曜日

感情労働


7月3日、札幌で開催された2011年度3回プライマリ・ケア連合学会で、当教室にて研修をされた山上実紀さんが、一橋大学の宮地尚子教授の指導を受けた研究『医師が「冷静さ」を身につける過程に関する考察』を発表した。

要点
冷静さを保つための方法
1)患者との距離化
 医師たちは、1人の患者に深く関わらないことによって冷静さを保っている。
2)自らの感情の抑圧
 医師たちは、自分の感情を抑えることによって、冷静さを保とうとしている。

「冷静さ」を学習する構造
1)暗黙の学習
 冷静さという感情規則は公には教育されず、医師たちの暗黙の学習に
 よって習得されている。
2)医師の役割規範
 プロは患者に巻き込まれない、という役割を自ら確認すること、また、感情を抑えなければ医師としての役割を果たせない、という役割規範が冷静さを学習する医師個人を支えていた。
3)職場の特性
 一人の患者にゆっくり関われない業務実態、医学的知の優先、責任の分
散、という職場の特性が、冷静さを保つための環境的な要因となっていた。

結論。
○医師は冷静さを保つために、「患者との距離化」「自らの感情の抑圧」という2つの方法をとっていた。
○感情の管理は、公に教えられるものではなく、医師の役割規範と、職場の特性によって支えられていた。

今後、注目されるであろう研究領域であり、内容も素晴らしいと次期大会長となる丸山泉先生にお褒めの言葉をいただいた。(山本和利)

2011年7月11日月曜日

北大で講義180分


7月11日、北海道大学医学部2年生を対象に「医療と社会」「科学性と人間性」という90分講義を2コマ続けて行った。

導入はいつもの如く、映画の一場面から入った。写真を提示して、学生に問いかけた。
問1:洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真。

女工哀歌(エレジー)と映画の一場面である。「睡眠不足で瞼が落ちてこないようにするため」。中国の山間の農村に暮らす16歳のジャスミンは、家計を支えるために都会の工場に出稼ぎに出る。彼女の仕事は、欧米諸国へ輸出するジーンズ作りの「糸切り作業」。時給7円という低賃金だが、ほとんど休む間もない忙しさだ。一方、工場長のラム氏は、海外の顧客からコスト削減を迫られていた。きびしい条件の中、納期に間に合わせるために、徹夜の作業が続く。しかし給料の未払いが続き、工員たちの不満はつのっていった…。

問2:小児悪性腫瘍がフランスの農村で増えているという話。町長が「小学校の給食をすべてオーガニックにするという試み」をした。フランス南部のバルジャック村の約1年を追いかけた映画。ここに登場するのは、風光明媚な村で暮らすごく普通の人々ばかりだが、その一見のどかな風景とは裏腹に、土や水の汚染による病が彼らに静かに忍び寄る。だからこそ食の豊かさを自らの五感で学ぶ子どもらの笑顔が胸にしみる。

問3:家の前に山のような堆積物の前に立つ少年。これは何でしょう?何をしているところでしょうか?

「ゴミの山、まだ使えるゴミを拾って売る仕事をしている」。ドキュメンタリー作家四ノ宮浩監督が、自作の『忘れられた子供たち スカベンジャー』と『神の子たち』で取材したフィリピンのマニラにあるゴミの街“スモーキーマウンテン”を再訪。約20年前から見つめ続けた東洋最大のスラムと呼ばれる同地でかつて出会った人々の現在を追う。世界に厳然と存在する貧困について大きな問いを投げかける1本。

その後、「井戸を掘る医者」中村哲先生の言葉を紹介した。「人生思うようにはならない」、大切なことは「人間として心意気」、必要とされていることをする「何かの巡り合わせ」でする。

開始30分後、映画「ダーウィンの悪夢」を例にして、それぞれが最善を目指した結果、「ミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する。」「個々にとってよいことの総和は、全体にとって悲惨にある。」と結論づけ、地域医療にも当てはまるのではないか?と学生に問いを投げかけた。

次に、「世界がもし100人の村だったら」(If the world were a village of 100 people)という本を紹介した。その一部は「もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致に おびえていなければ そうではない20人より 恵まれています」。学生のかなりの者が既に読んでいた。

ここから、医療の話。
1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。大学で治療を受けるのは1000名中1名である。

次に、「医療とは」何かを知ってもらうため、ウィリアム・オスラーの言葉を引用した。
「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。
すなわち、頭と心を等しく働かさねばならない天職である。
諸君の本来の仕事のうちで最も重要なのは水薬・粉薬を与えることではなく、強者よりも弱者へ、正しい者よりも悪しき者へ、賢い者より愚かな者へ感化を及ぼすことにある。信頼のおける相談相手、・・・
家庭医である諸君のもとへ、父親はその心配ごとを、
母親はその秘めた悲しみを、
娘はその悩みを、
息子はその愚行を携えてやってくるであろう。
諸君の仕事にゆうに三分の一は、専門書以外の範疇に入るものである。」
一部割愛・・・。

後半の90分。
導入は私自身の若かりし日に実践した静岡県佐久間町の地域医療の紹介から入った。その後、オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』に収録されている、診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」、しかし、庭で偶然みた姿は「チェーホフの桜の園にでてくる乙女・詩人」という内容を紹介した。サックスは言う、「医学雑誌の支配的テキストは苦しんでいる人を必要とする。しかし、その人々の個別的な苦しみは認知されえないのである」と。

次にAntonovskyの提唱する健康生成論(サルトジェネシス)を紹介。病気になりやすさではなく、逆に健康の源に注目。健康維持にはコヒアレンス感が重要らしい。1)理解可能であるという確信「こんなことは人生にはよくあるさ」。2)対処可能であるという確信「なんとかなるさ」。3)自己を投げ打つに値するという確信。「挑戦してやろうじゃないか!」

医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介。

研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。その根拠として、Shojania KGの論文How Quickly Do Systematic Reviews Go Out of Date? A Survival Analysis. Annals of Intern Med 2007 ;147(4):224-33の内容を紹介した。効果/治療副作用に関する結論は,系統的レビューが発表後すぐ変更となることがよくある.結論が変更なしに生き延びる生存期間の中央値は5.5年であったからである。(5年間で半分近くが入れ替わる)

N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。

ここで医学を離れて、考古学の世界「神々の捏造」という本を紹介。2002年10月、イスラエル。イエスの弟、ヤコブの骨箱が「発見」されたが、本物かどうか科学的に検証できるのか。

次に「狂牛病」の経緯を紹介。1985年4月、一頭の牛が異常行動を起こす。レンダリング(産物は肉骨粉)がオイルショックで工程の簡略化により発症を増やしたと考えられる。1990年代に英国で平均23.5歳という若年型症例が次々と報告。社会のちょっとした対応の変化が医療に影響する。

次に農業の話。Rowan Jacobsen「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」を紹介。2007年春までに北半球から四分の一のハチが消えた。何が原因か科学的に検証してゆくが、その結末は?

授業の後半は、ナラティブの話。6つのNarrative要素:Six “C”を紹介。以下割愛・・・。

最後に、大好きな映画「ペパーミント・キャンディ」を紹介した。

学生さんの講義に関する感想文を読むと、2,3名、あまり良い印象を持たない学生さんもいたようだ。とは言え、大部分の学生さんには好評で、特に医学以外の話が評判良かった。

北大のカリキュラムが変わり、北大での私の授業も今回で最後とのこと。今回の授業が彼らの医師人生の何らかの糧にならんことを祈りたい!(山本和利)

2011年7月9日土曜日

FLAT ランチョンセミナー 「ディベート」

今日は、FLATのメンバーの昼休みを利用した学習会のファシリテートをした。
FLATとは、札幌医科大学の地域枠で入学してきた学生諸君である。地域枠の制度ができたのが4年前なので現在のところ1年生から4年生まで在籍している。最近、道新の連載記事で紹介されたため、ご存じの方も多いだろう。

ランチョンセミナーは2週間に1回、昼休みの時間を利用して様々な学習会を行っているが、これまでは身体診察や医療面接の仕方など講義が中心の内容であった。

今回は松浦のアイデアとして、ディベートを行ってみることにした。ディベートは理論的な議論の仕方を学習するにはもってこいで、最近では企業の新人研修などにも盛んに導入されている。しかし、どちらの意見がより理論的か?という基準で試合を行うため、当然、勝ち負けができる。あうんの呼吸で和を以て貴しとなす日本人にはどちらかというと苦手な分野である。

今回は、事前にディベート経験者から、その基本的なやり方や、試合のルールなどをひと通り説明してもらったあと、1ヶ月の準備期間を置いて実際の試合を行ってみた。
論題は「日本は原子力発電を火力発電に転換すべきである」とした。

ディベートのルールは独特で、論題に対して肯定側の立論→否定側の質疑→否定側の立論→肯定側の質疑→否定側第一反駁→肯定側第一反駁→否定側第二反駁→肯定側第二反駁と、発言の順序と発言時間とそれぞれの間の準備時間がきっちりと決められている。

学生は、1ヶ月の間に自分の理論を述べる立論を考えるだけでなく、相手の反論を予想した反駁をある程度考えておき、さらに当日出てきた予想外の意見に対しても臨機応変に短時間で的確に反論できなければいけない。

松浦は、ジャッジ(審判)として、本日の議論を聞いていたが、恥ずかしながら途中でどの論点にどのように反論しているのかということが分からなくなってしまった。こんなんではジャッジなんてできるわけがない。

しかし、メインのジャッジをお願いした、ディベート経験者の学生さんは、的確に試合中の議論の流れを整理し、それに対して、的確にジャッジをくだし、かつそれぞれのチームにフィードバックを行っていた。

「すごい……」「さすが……」たぶん、彼の頭の中では議論の流れが、一枚の絵のように理解されているのだろう。これは相当な訓練が必要だ。言い出しっぺでありながら、自分の実力不足を思い知った。俄然やる気が出てきて、次回からの試合にはディベーターとして参加しようかとも思っていたが、

残念なことに、今日の参加者は実際の試合に出る(ディベートをする)学生以外はひとりしか参加者がいなかった。う~ん、出来ればもっと多くの学生さんに参加して欲しかった。

ただ、いきなり本物の試合をしてしまったことで、初めての学生さんはずいぶんと戸惑ったかもしれない。そんな中で本日試合に出てくれた学生さんはホント頑張ったと思う。また、自分が勝ち負けを決める試合に出なければならないとなったら、参加に二の足を踏んでしまうかもしれない。今後そうした心情への配慮は必要だろう。


次回以降は(夏休み・試験などのため次回は10月第2金曜日)、少しやり方を変えて、もう少し学生さんが気軽に参加で来るような学習会にしていきたい。

2011年7月8日金曜日

禅修行

『迷える者の禅修行』(ネルケ無方著、新潮社、2011年)を読んでみた。

著者はドイツ生まれで、曹洞宗・安泰寺住職。彼の「仏教とは何か」というホームページが出版社の目にとまり、発刊となったという。

進路に迷いながら、禅宗の住職になることを選択し、現在に至るまでの経緯や思考の変遷が書かれている。日本の修行制度は、実の父親の元で出家することに問題があるようだ。また、葬式仏教になりはててしまった現状も批判している。

座禅修行を受け入れてもらうまでに、幾多の儀式があることが詳しく書かれている。上下関係が厳しい入門後の修行内容が興味深い(ご飯と汁もので吐くまで食べなければならない。座禅中、背中を腫れるまで叩かれる、等。)

ホームレスになって雲水生活をしていたことも書かれている。

参考になった言葉。

「人生のパズルは一人では解けない。」
「弟子もまた師匠の鏡なのだ。」
「仏様、神様、命をありがとう。こんな私でもお手伝いができれば、どうぞ何でもさせてください。よろしくおねがいします。」
「自分を忘れて、周りの世界に目を向けること。そして初めてもっと広い自己が見えてくる。」

分野が違っても、一生懸命生きている人の話は面白い。(山本和利)

2011年7月7日木曜日

1年生 医学史 講義 その9

本日は医学部1年生に医学史の講義を行った。
先週の講義中(といっても学生による発表が行われているのだが)に、教室の後ろのほうで私語が目立ち、教官が講義の最中に注意をする一幕があった。その後も、だらだらと私語が続き、せっかく発表の準備をしてくれた班には申しわけない状態であった。

本日は授業の最初に、学生諸君へかなりきつく注意した。

「この講義は、担当学生さんが、2週間も3週間も前から準備をして発表に臨んでいる。みんなに聞いてもらうためにプレゼンテーション技術を磨くなど、相当の努力をしている。その発表を聞くに当たり、はからずも寝てしまうというのは、発表する側の技術の面もあるかもしれないが、他人と関係のない話をするというのは、断じて許されることではない。
 そのような学生が医師となった際に、病に苦しみやっとのことで医療の門を叩いて受診してきた患者の心の叫びを、真摯に聞けるとは到底思えない。そんな最低限のマナーも守れない学生には、私が留年というペナルティーを課してもいいが、たとえ、今回はうまくすり抜けたとしても、医師となった際には、必ずや社会からペナルティーが課されるであろう。そうなる前に、私ごときのペナルティーで反省しておくことだ。
 今日、先週と同じようなことが起きた場合は、問答無用で退室を命じる。出席票は提出してもしなくても構わない」
 いつもの調子とは違う発言に、講義室は静まり返ったが、その後の発表では私語は一切無く、学生どうし議論するところは議論し、大変に締まった講義となった。


 本日のテーマは緩和医療で キューブラー・ロスとソンダースであった。

ロスの発表では、
まず、緩和医療とは何かから発表がはじまった。
WHOが2002年に定義し、痛みを和らげるだけではなく心理的な面もケアする。延命治療が目的ではなく、死を自然なものとして考える医療であるとした。
起源は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会が始まりであった。
1967年近代ホスピスが誕生した。その頃に活躍したのがかのキューブラー・ロスである。
1990年日本に概念が上陸した。

ここからが、緩和医療の概念の説明になり、以前はがんに対する積極的な治療が終了したあとの本当の終末期の治療という認識であったが、最近は診断の初期から緩和医療を実施するようになってきているとのことであった。


ここからようやくキューブラーロスについての発表となった。
たくさんの癌末期の患者を看とり死の伝導者と呼ばれ、2004年死去した。
1981年出版された「死ぬ瞬間」は大ベストセラーとなり、死の受容のプロセスが克明に記されている。
1)否認
2)怒り
3)取引
4)うつ
5)受容
であるが、これらを説明するスライドの絵がおもしろい。これまでの班とはちがい、「手書き」の絵を使用している。表情が上記の5つをよく表している。ゴチャゴチャ文字で説明するよりよほど解りやすい。

その後、ロスは、自身の臨死体験などをきっかけに死後の世界のことや神秘的な内容にについても語るようになり、医学的な妥当性などをめぐって多くの同僚や仲間と対立することになる。

ロスは晩年、脳梗塞に罹患し、合併症で亡くなることとなるのだが、その臨終の時は、死へのプロセスの中の「怒り」の段階が激しかったそうだ。


後半の班はソンダースであった。

冒頭はつかみのためのクイズで始まった。
ソンダースの写真を当てるのだが、明らかなボケ選択肢には、カーネルサンダースと阪神タイガースとポケモンのキャラクターが2つ出ていたが、この名前がわからない。これでは、ボケようにもボケられない。このあたりが、ジェネレーションギャップというのか…。

ソンダースは看護師→ソーシャルワーカー→医師として働き、近代的ホスピスの基礎を築いた。「残された時間を有意義に過ごしたい」「苦しまずに死にたい」と考える癌末期の患者のために奮闘した医師である。

それまでは、患者の死=失敗。末期患者=失敗のしるしと考えられており、医師が見放した患者は病院の中でも劣悪な環境の病室に押し込まれていた。末期患者の収容先=病院スラムという言葉があったそうだ。

また、鎮痛薬に対する誤解があり、「毎日投与すると麻薬中毒になってしまう」「使い続けると耐性ができるのではないか」という暗黙の合意があり、末期がん患者は痛みを「我慢」させられていた。

そんな中、ソンダースは「病気を治すだけが医学ではない。医学にはまだなすべきことがある」と考えた。

その当時は、末期ガン患者の痛みに関する研究はほとんどなされていなかったため、自分で研究した。その結果、これまでの麻薬に対する誤解を研究結果を示すことで解き、「痛みを我慢できなくなったら投薬するのではなく、常に痛みを押さえておく」と提唱した。まさに現在の緩和医療の考え方である。

その当時ソンダースの病院を見学に来た看護師は「まだ、末期癌の病室をみていないのですが・・・」と発言したそうだ。それほど、その当時の末期がんの患者とは思えないほどにQOLの上がった患者たちがそこにいたのである。

ソンダースは末期がん患者である2人の男性と恋に落ちるが、どちらも当然であるが死別している。そのひとり、デイヴィッド・タスマは、それまで「自分の人生は無駄だった」としか思えなかったのが、「自分は他の人のためになにができるのか?」と考えるようになり、最期は「僕はね君の家の窓になるよ」と当時家が建つほどの500ポンドを残して死別した。

もう一人のアントーニミ・チュニヴィッチとは、数週間のお付き合いであったが、「数週間といえども人生をいきることができる。人生の意味は長さではない。深さだ」という言葉を残している。

最期に「患者を病としてみるのではなく、病を持つ一人の人間としてみる」医師になりたい。と宣言して発表を終了した。


どちらの班の発表も工夫されており、非常に完成度は高かった。
特に後半の班の発表は、興味の引き方やしゃべり口調などは、アナウンサーのような感じで非常に聞きやすかった。スライドの背景や、強調すべき文言の文字の色など工夫されており、完成度はかなり高いと思われた。

本日も講義終了後には、発表した自分たちの班へのフィードバックを見に来る学生が現れ、その後1時間ほど、今後の課題などを話し合った。

医学史の講義はあと2回で終了だが、学生諸君にはこの半年間で学んだ技術をぜひ今後に活かして欲しいものである。

                             (助教 松浦武志)

 

ロボット兵士の戦争

『ロボット兵士の戦争』(P・W・シンガー著、NHK出版、2010年)を読んでみた。

著者は『戦争請負会社』『子ども兵の戦争』などを過去に執筆している。本書は649ページの大作である。

世界の産業用ロボットの1/3が日本にあるそうだ。ITの応用分野の一つが軍事・戦争である。戦争から人的被害をなくすために開発された無人システムの発展によって、逆に我々は戦争から人道性を奪っている、と著者は考察している。「戦い方」だけでなく「誰が戦うか」が変わるからである。無人機軍団がイラク駐留の将兵の頭上を旋回し、あらゆる部隊に偵察結果を報告している。ロボットが民間の国境警備の仕事もしている。ロボットが戦争に行く時代に入った。9月11日以後、「ロボットは自爆テロに対するわれわれの答えだ」と米国は嘯いている。しかしながら、「科学技術は、人間の道徳的高潔さを置き去りにし始めている。できるからというだけで、やるべきなのだろうか。」という人の声にも耳を傾けるべきではないのだろうか。

ロボットは3つの主要な構成要素からなる人工装置である。それは「感覚(センサー)」「思考(プロセッサー)」「行動(エフェクター)」である。

戦争用のアイロボットは「われはロボット」の警告を見過ごしている。「ロボットの三原則」というものがある。「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、危険因子を看過することによって人間に危害をもたらしてはならない」というものだ。ロボットが人間の主人になる日が来ては困るのだ。

複雑な問題にはすべて、明確で単純で、そしてまちがった答えがある。バートランド・ラッセルの言葉「世界に思いやりが増えない限り、技術の力はもっぱら、人間が危害を加え合う可能性を増大させる」と本書では引用している。

著者は「フィナグルの法則」を紹介。故障する可能性のあるものは、このうえなく悪いタイミングで故障する。

医療にも参考になる言説がある。私の改変版。「医療から誤診をなくすために開発された高度医療システムの発展によって、逆に我々医療者は患者を疎外し人道性を奪っている。」(山本和利)

2011年7月6日水曜日

ナニワ・モンスター

『ナニワ・モンスター』(海堂尊著、新潮社、2011年)を読んでみた。

ラクダ由来の新型インフルエンザ「キャメル」がナニワで発生した、いう設定。つい最近起こった新型インフルエンザの経過をそっくりなぞるように話が進んでゆく。

本書は、新型インフルエンザが本流と思いきや実はそうではない。途中から、橋下知事そっくりの知事と官僚とのバトルが述べられていく。新型インフルエンザ「キャメル」の発生という状況下で、ナニワ独立の企てに対して厚生労働省が反撃の機会を待って、経済的打撃というしっぺ返しをする。厚生労働省局長の特別老人ホームの補助金不正疑惑も取り上げられる。ここでルーレットルールなるものを紹介している。各省庁で重大な疑惑が発覚したとき、別の省庁の小さな疑惑を漏出させて、大きな疑惑への関心をそらす手法だそうだ。お得意のAi診断(死亡後の画像診断)についての言及もみられる。法医学教室が中心で行うと、画像も読まず(読めず)、データが活かされないまま埋もれてしまうというものである(確かに読影料がつかなければ放射線科医はタダ働きになる)。著者は死亡時医学検索といっている。

九州の久山町と思われる町の医療活動を紹介している。人間ドック並みの住民健診や住民の医療カルテ集積センターを提案。「メタボ健診で日本国民の健康状態は向上したか」と疑問を投げかける。「検証なき予防医学はただのバカ騒ぎ」と強調。厚生労働省が旗振りをするメタボ健診よりも死亡時医学検索の推進を訴えている。

本書の中で、ある病理医を「滅びゆく医療という物語の筋書きを描くシナリオライター」と言っているが、その病理医は著者のことであろう。ついでに病理専門医制度の問題点も指摘。認定試験の受験資格を難しくした結果、受験者が激減。病理解剖重視と言いながら、解剖経験は75例から40例に半減されたそうだ。

本書で一番言いたいことは、道州制で導入である。日本三分の計。日本を3つの国家に割る。東日本、西日本、関東に、というものである。その心は、官僚に支配された関東中心の政治に決別するためである。

医療について、大胆で参考になる提言を沢山している。かなり共感できるところも多い。(山本和利)

2011年7月5日火曜日

大学総合診療科外来初診患者の動向

2011年7月2日(土)、3日(日)ロイトン札幌で日本プライマリ・ケア連合学会学術大会が行われました。

私は3日(日)の9:05~患者中心の医療・コミュニケーションのセッションで「大学総合診療科外来初診患者の動向」について発表させていただきました。

大学附属病院は高度先進医療を担う医療機関です。患者さんのほとんどは専門診療を希望して来院すると一般的には考えられますが、現在の日本の医療制度のもとでは様々な愁訴を抱える患者さんが紹介状を持たずに大学病院を受診するケースも多いです。今回このような様々な愁訴について、プライマリ・ケア国際分類(International Classification of Primary Care:ICPC-2)を用いて受診理由のコード化を図りました。幅広い年齢層の患者さんが受診されており、発熱(熱っぽいも含む)が最も多く、次いで倦怠感、頭痛であることが分かりました。今後もさらに多項目でICPC-2のコード化を行い、総合診療科初診患者の解析・検討を深めていこうと考えております。

また同セッションでは前勤務先の臨床研修医が「東日本大震災における病院・医師会・保健所との連携~岩手県久慈医療圏における取組みの報告~」の発表を行い、会場からは多数の質問が寄せられ、多いに盛り上がりました。

2日間あっという間でしたが大変勉強になりました。今後の診療・教育・研究の糧にしたいと思います。(河本一彦)

2011年7月4日月曜日

田坂賞と日野原賞


     日野原賞の横林賢一氏と撮影

7月3日、日本プライマリ・ケア連合学会の学会賞(日野原賞)、大会長賞、北海道プライマリ・ケア功労賞、田坂賞の授与式に参加した。

学会賞は、一般口演の中から学術面で優れた発表に与えられる。「在宅高齢者における発熱リスク実態調査(5施設合同前向きコホート研究)で横林賢一氏が受賞された。

今回から新設された大会賞は地域・都市部を問わず、プライマリ・ケア診療に従事する実地医家を対象に、現場から生み出されたリサーチ・クエスチョンに基づいた現場に還元できる優れた臨床研究に与えられる。「白血球数とCRP値は成人市中肺炎の重症度や予後と相関しない」で片岡義裕氏が受賞された。

北海道プライマリ・ケア功労賞は、開催地のプライマリ・ケアの充実に多大な貢献をされた者に授与される。現在ネパールで活躍中の楢戸健次郎氏が受賞された。

田坂賞は、我が国の家庭医療の発展に貢献しながらも若くして亡くなられた田坂佳千先生を顕彰するため設けられた賞で、日本の家庭医療の質の向上、普及、生涯教育に貢献した者を表彰する。何と、山本和利に与えられた。

厳粛な雰囲気が漂う閉会式の中で授与式が行われた。

田坂賞受賞は、これまで私を支えてくれた教室員と道内の地域医療ネットワークの関係者のお陰である(もちろん妻にも!)。この場を借りて感謝を申し上げます。(山本和利)
 

アセトアミノフェン

7月2日、札幌で開催された2011年度3回プライマリ・ケア連合学会のランチョンセミナーの座長を務めた。演者は独協医科大学麻酔学講座の山口重樹准教授で演題は「プライマリ・ケアに必須の薬“アセトアミノフェン”を語る」である。

「痛みの悪循環」を解除するする必要がある。なぜなら痛みが長時間続くと、死亡率が上がるし、痛みは自殺のリスクであるからである。

痛みへの対応は3段階法が進められている。
1. 非オピオイド:NSAIDsとアセトアミノフェン
2. 弱オピオイド
3. 強オピオイド
とは言え、患者さんは意外と痛み止めを飲みたがらない。「胃がむかつく」「麻薬なんてとんでもいない」「副作用が心配だ」「まず病気の治療をしたい」「中毒になるのではないか」と心配するからである。

患者さんが「焼けつくほど痛む」という帯状疱疹関連疼痛は二面性を持つ。侵害受容性疼痛(危険を知らせるサイン)から神経障害性疼痛(機能性)に変わる。抗うつ薬、抗けいれん剤、オピオイドが効く。まず抗ウイルス薬、初期の鎮痛薬の投与が大切である。

NSAIDsはプロスタグランディン類産生抑制作用、抗炎症薬である。最初に開発されたのはサルチル酸である。日本人の医師・患者に好まれているのは、ボルタレンとロキソニンであるが、副作用が問題となる。特に胃潰瘍、腎機能障害、血小板障害、が問題となる。20%で抗凝固療法が行われている。加齢による腎機能の低下。また骨粗鬆症剤とNSAIDs併用は胃潰瘍発症を増やす。帯状疱疹に用いるアシクロビルの副作用は急性腎不全であるため、併用は危険を伴う。米国での副作用発生数は16,000件/年で、第3位であった。(1999年)。そのような副作用がないと言われたCOX-2選択的阻害剤にも副作用はある。特に心血管系の副作用があることがわかり、失望が広がっている。

アセトアミノフェンを鎮痛薬として使うことが重要である。そのためには現在の使用量は少な過ぎる。世界の潮流は4,000mg/日になっている。先週視察したドイツではアセトアミノフェンが術後痛にルーチンで投与されている。これによってオピオイドの使用量が減っている。オピオイドとアセトアミノフェンの合剤もでてきた。

アセトアミノフェンの長所は、安全域が広い。長期投与が可能。非常に安い。誰にでも使用できる。空腹時によく効く。高齢者に使いやすい。豊富な剤形。NSAIDと鎮痛効果は同等である。癌性疼痛にも第一選択にしてよいと思う。
短所をあげると、少量では効かない。大量服用によって肝機能障害が起きる。注射剤がない、くらいか。

歯切れがよく、エビデンスを踏まえた大変有益な講演であった。またユーモアもあり、出身地の足利市の宣伝もされた。「足利学校」、「Cocoワイン」、「世界一の藤棚」、「あいだみつを」が自慢だそうだ。

NSAIDsの使用を減らして、もっとアセトアミノフェンを使おうと思わせる内容であった。(山本和利)

プライマリ・ケア連合学会 教育ワークショップ

昨日・一昨日とロイトンホテルにてプライマリ・ケア連合学会が開かれた。
開催期間中は数々のワークショップ(WS)や教育講演・シンポジウム・ランチョンセミナー・ナイトセッション・インタレストグループと様々な企画が目白押しだ。

そのなかの一つ、「SEAを用いたヒヤリハットカンファレンス。その実演と運営ポイント」と題した教育ワークショップを企画・運営した。

この「ヒヤリハットカンファレンス」は、研修医がヒヤッとした症例やハットした症例を1ヶ月かけて詳細に振り返り、そこから得られた教訓(クリニカル・パール)をカンファレンスを通して、多くの参加者(研修医や指導医)と共有しようというカンファレンスで、松浦が前任の病院で3年ほど前から始めたカンファレンスのことである。

いわゆるヒヤリハット症例からは学ぶべきことが多く、その経過が重大であればあるほど、多くの病院関係者の間でその教訓を共有して、同じことを繰り返さないようにすることが大切であるが、逆説的に、こうした経験は、その経過が重大であればあるほど「隠したくなる」ものである。

ともすれば、こうした事象の振り返りは「ミスの糾弾」や「犯人探し」に終始し、発表者(経験者)の心の傷となり、発表することで2重に苦しむことになりがちである。そういうヒヤリハット経験者であれば誰もが陥る心の葛藤に配慮し建設的に振り返るための方法として、SEA(Significant Event Analysis)という方法がある。

このSEAは、目の前で起きた事実を振り返るだけでなく、その時の「感情」についても振り返るという点が非常に特徴的である。SEAのセッションを行うだけでゆうに1時間はかかるのであるが、今回のこの「ヒヤリハットカンファレンス」ではこの「感情面を振り返る」というSEAの手法を取り入れた、ヒヤリハット事例の振り返り教育カンファレンスのことである。

WSでは、まず簡単に自己紹介のあと、SEAについての簡単な説明と、人間が経験からどのように学んでいくかということについての理論的なモデルである「Kolbの経験学習モデル」を説明し、経験と業績の間になりたつ関係を詳細に調べた産業界からの研究結果を紹介した。

簡単に言うと、医師やセールスマンのような複雑な事象を扱う職種では、経験すれば業績が伸びるという簡単な関係は成り立たず、経験に加えて、目標設定やその他の要因が業績に大きく関係しているということだ。体育会系熱血指導医にありがちな、「とにかくたくさんの症例を経験して、体で覚えろ!」的な指導では、学習効果には限界があるということである。

少し眠気が誘われる理論的な説明のあとは、具体的にこうしたカンファレンスの準備をどのように行っているかを紹介した。症例の選び方や、発表者の選び方・症例の振り返り方(1ヶ月間の指導の仕方)・実際のカンファレンスの司会の仕方など具体的に説明した。この中で特に強調したのは、こうした振り返りを行う中で常に一番気をつけなければならないのは「発表者を責めないこと」=「No Blame Culture」をいかに実践できるかということである。

その後はいよいよメインイベントのカンファレンスの実演を行った。いつもは初期研修医を主な対象として、カンファレンスを実施しているのであるが、今回の出席者はほとんどが「指導医クラス」であったため、参加者には「カンファレンスで本気を出さないこと」「研修医時代に戻って、発言をしてほしい」「症例について真剣に考えるのではなく、カンファレンスの運営の仕方について真剣に見てほしい」事をお願いした。

とは言っても、実際に症例呈示が始まると、皆さん本気モードで診断推論を展開され、コメントを求めても、「優等生」な発言が相次ぎ、ファシリテートする方は非常にやりにくい。いつもは、初期研修医が「頓珍漢な答え」を連発し、それに対しどのように返答するかで苦労するのであるが(発表自体も責めないことに気をつけるため)、今回はまた別の意味で難しい。この場で、参加者が診断に迷っている発言を引き出せば引き出すほど、発表者である研修医は「みんな迷うんだなぁ、俺だけじゃないんだなぁ」とおもえるので、ここの運営の仕方が、このカンファレンスの一番の難しところであり、醍醐味でもある。

今回、このカンファレンスそのもののファシリテートは松浦の後輩である先生にお願いしたが、全国学会での発表であるという緊張感をものともせず、和やかにかつ、要所要所を抑えたメリハリのあるファシリテートを行ってくれた。カンファレンスがうまくいくかどうかはこのファシリテーターの実力に負うところが多い。

現在、医学部1年生にプレゼンテーションとファシリテーションの講義を行っているが、彼らは(自分も含めて)こうした教育はこれまで(高校時代までに)受けたことがなく、医学部のカリキュラムを見る限り、今後受ける予定もない。う~ん、こうした技術は、医師に限らず、社会人として非常に大切な技術になっているんだけどなぁ。でも、今年の1年生の講義でのプレゼンテーションやファシリテーションの技術の向上を見る限り、彼らには希望の光が差しているように見える。


1時間程度でカンファレンスが終了したが、その後会場から様々な質問を頂いた。参加者の熱意を感じる瞬間である。最後にこれまでこのカンファレンスで扱った症例の一部を紹介し、「継続することでヒヤリハットを責めない院内文化が出来上がり、研修医の方から、カンファレンスに(自らのヒヤリハット)症例を出したいと言ってくるような文化が出来上がってくること」を説明して120分のセッションを終了した。

セッション終了後も幾つかご質問を頂き、大変有り難く思うとともに、こうした文化が全国に広がっていけばいいなぁ、などと大きなことを考えていた。


ちなみに、この「ヒヤリハットカンファレンス」の運営の仕方と実際の症例を1例収めた、医学教育DVDが近日発売予定であることを若干宣伝させていただいた。


                             (助教 松浦武志)

2011年7月3日日曜日

患者中心の医療

7月2日、札幌ロイトンホテルで日本プライマリ・ケア連合学会のシンポジウム「患者中心の医療」を拝聴した。

基調講演はカナダの医師Tomas Freeman氏。カナダでの患者中心の医療の方法について。従来型のアプローチと患者中心の医療アプローチの比較を述べた。後者は病い、個別性、具体的、背景、全人的、養生等に重きを置く。患者中心の医療を提唱した師匠であるIan McWhinneyの話もあった。南アフリカの医師の診療内容をテープにとった内容を自己分析したところから、この技法は発展していった。様々な患者中心の医療の方法を紹介。次に6つの要素を紹介(教科書参照)。この中で最も重要なのは「共通基盤を見出す」である。
次のような誤解もある。家庭医療に特化して通用するモデルだ。時間がかかり過ぎだ。患者の心理・社会的側面に注目することだ、等。
EBMとの関係。患者中心の医療の中でEBMは簡単に実践できる。患者の意向に沿った診療行為は有効性が高かった。患者満足度は上がっている。アドヒアランスが上がる。身体症状の減少。健康問題の減少。医師の満足度の上昇。医療過誤の減少。コストの減少。これは驚くべき医学の飛躍である。これは研修で身に着く技法でもある。患者中心の臨床技法は今のカナダでは当たり前になっている。
「現在はトラウマの時代にあり、その兆候は身体的な愁訴として現れることがある。その時には患者背景を理解し、言語化されたもの以外の手がかりを察知する能力が必要とされる。日本ではまさにこのような医療が必要とされている」という言葉で講演を終えた。

北海道医療大学の石垣靖子氏。「PatientからPersonへの挑戦」。はじめてみたホスピスでは、(患者さんが)ふつうの家で普通の生活をし、ふつうに生きていた。そして、普通に死んでゆく。患者を我慢する人にしない。かけがえのない一人の人間として扱うということを学んだ。医療が先鋭した結果、人間不在の世界をつくりだしてしまった。
ある患者の言葉「透析が私を救い、私を殺す。」先人の言葉「患者のナラティブを理解し損ねると患者の人生を損ねる。」「ナラティブに基づいて患者の全人格をみる」「固有の人生を支える」
「生物医学モデル」から「生活者中心のケアリング・モデル」になることが大切。患者のためにそこにいること。相互交換であり互いに学び合うことである。同じものに向おうとするケアが大切。患者をわかろうとしている医療者の姿勢が大事である。「孤独にしない」「語ることは関係づけることである。」人間は「潜在的な力をもつ存在で」ある。ナースは「傍らにいることを許されたもの」であるという言葉で講演を締めくくった。

COMLの山口育子さん。「患者中心の医療が持つ意義と問題点」総称で語られる患者とはどこにいるのか?時代とともに、患者も医療者も変わってきたことを実感している。故辻本好子氏の療養体験を例に挙げて語った。一人ひとり異なる医療のサポートが「患者中心」である。どちらかだけの努力では実現しない。対立ではなく、協働。受け身から自立を目指す成熟した患者の主体的医療参加を目指す。安全、確かな技術、安心、納得、高い倫理観が求められるが、情報の共有とコミュニケーションで協働する人間関係の創造が必要である。「賢い患者になる」サポートをする試みをしている。

国立医療科学院の松繁卓哉氏。社会学における「患者中心の医療」。「患者」とはどういう存在か?’sick role’という概念をタルコット・パーソンズがかつて提唱した。それは日常義務の免除と医療者の指示に従う義務を負う。最近ではその概念は批判にさらされている。個別性をどのようにしてコントロールできるのか?
患者の認識世界がどのように構成されているのかを探る「解釈型アプローチ」が注目されている。演劇界の平田オリザの言葉「差異の探索」で講演をしめくくった。

会場に入りきれないほど一杯の聴衆であった。学会員の「患者中心の医療」への関心の高さを再認識させられた。(山本和利)
 

論文の書き方ワークショップ

7月2日、札幌で開催された2011年度2回プライマリ・ケア連合学会総会・学術集会で編集委員会主催の論文の書き方ワークショップに参加した。

最初に山本が研究の仕方についての前説をした。
その後、企画責任者の京都大学森本剛氏がミニ・レクチャー。「プレゼンが悪いとよい論文を貶めるが、その反対の悪い論文はどんなにうまいプレゼンをしても救えない。最初の企画が大切である。」

論文の構成は、表題、抄録、緒言、方法、結果、考察、表、図、からなる。
論文を書く順番が大切である。最初に表と図を書く。次いで方法、結果。抄録、緒言、考察の順で書くことが大切。

表について。母集団を書くこと。対象集団が一目瞭然であること。小数点以下の数字は不要。どういう集団を解析したか(脱落の経緯を書く)。表は情報量が多い。図は変化や比較の強調に用いる。

方法の記述で大事なのは「再現性」である。なぜそのエンドポイントを選んだかの理由づけが大事。方法とパラレルな構成で結果を書く。

結果は方法とパラレルな記述にする。そして検証可能な記述をしてから、統計指標を書く。表と図があれば、テキストは不要。ここで他人の論文結果の引用はご法度。

統計指標は平均と中央値。%には件数・分母を書く。サンプル数が20以下なら%は無意味。p値よりも信頼区間を。

抄録では、研究をしたことをアピールする。キーワードを入れる。

緒言と考察とに整合性があることが大切。

考察では、過去の論文との比較をする。診療に与える影響、臨床への解釈を書く。研究の限界を書くことは必須である。結語は、自分のデータからのみ引き出せる内容を書く。

最後に査読者が困る論文。
読みにくい(投稿規定に沿っていない。言葉使いが不統一。)。研究方法がわからない。文章が長い。結論が実際に行った研究内容から離れている。

良い論文をかくためには
・自分で何度も書き直す
・共著者に見てもらう。
・当該の専門家に見てもらう。
・たくさん書いている人に見てもらう。
・臨床疫学者、統計学者に見てもらう。

その後、実際に日本プライマリ・ケア連合学会誌に投稿された論文の初校を4グループに分かれて、問題点と改善策を検討した。各班で5分間成果を発表し、全体討議をした。

沢山の問題点と改善点が出された。大勢の目にさらすことの大切さを再認識した。参加からの評判は上々であり、来年度も企画することになった。(山本和利) 

2011年7月2日土曜日

石垣靖子さんに聞く


7月1日、札幌ロイトンホテルで日本プライマリ・ケア連合学会誌に掲載するため石垣靖子氏にインタービューをした。

まず、石垣靖子さんと山本との接点を述べてもらいながら話をすすめた。続いて、石垣さんの経歴を話していただいた。北大で看護教育に携わった後、緩和医療をしたくて東札幌病院の総看護部長(副院長)に就任したとのこと。現在は、北海道医療大学に移られて管理看護師の教育に携わっている。最後に、日本プライマリ・ケア連合学会に対する期待や要望を伺った。

インタービューの中で、現在の看護実践が「生物医学モデル」に毒されていて、「生活者中心のケア・モデル」になっていないという思いがあることがわかった。このような考えを受け継いだ看護婦長が全国にたくさん誕生して欲しいものである。
また、毎朝7時に出勤し、病棟を回ったり、入院患者さんすべてについて入院時に御迎えしたりと、単なる管理者に終わることなく、現場を大切して仕事をしてきた人でもある。核とした主義を貫きとおす人生を歩んできた石垣さんの話に、心打たれる時間であった。

詳細については9月に発刊される学会誌を是非読んでいただきたい。(山本和利)