札幌医科大学 地域医療総合医学講座

自分の写真
地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年7月11日月曜日

北大で講義180分


7月11日、北海道大学医学部2年生を対象に「医療と社会」「科学性と人間性」という90分講義を2コマ続けて行った。

導入はいつもの如く、映画の一場面から入った。写真を提示して、学生に問いかけた。
問1:洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真。

女工哀歌(エレジー)と映画の一場面である。「睡眠不足で瞼が落ちてこないようにするため」。中国の山間の農村に暮らす16歳のジャスミンは、家計を支えるために都会の工場に出稼ぎに出る。彼女の仕事は、欧米諸国へ輸出するジーンズ作りの「糸切り作業」。時給7円という低賃金だが、ほとんど休む間もない忙しさだ。一方、工場長のラム氏は、海外の顧客からコスト削減を迫られていた。きびしい条件の中、納期に間に合わせるために、徹夜の作業が続く。しかし給料の未払いが続き、工員たちの不満はつのっていった…。

問2:小児悪性腫瘍がフランスの農村で増えているという話。町長が「小学校の給食をすべてオーガニックにするという試み」をした。フランス南部のバルジャック村の約1年を追いかけた映画。ここに登場するのは、風光明媚な村で暮らすごく普通の人々ばかりだが、その一見のどかな風景とは裏腹に、土や水の汚染による病が彼らに静かに忍び寄る。だからこそ食の豊かさを自らの五感で学ぶ子どもらの笑顔が胸にしみる。

問3:家の前に山のような堆積物の前に立つ少年。これは何でしょう?何をしているところでしょうか?

「ゴミの山、まだ使えるゴミを拾って売る仕事をしている」。ドキュメンタリー作家四ノ宮浩監督が、自作の『忘れられた子供たち スカベンジャー』と『神の子たち』で取材したフィリピンのマニラにあるゴミの街“スモーキーマウンテン”を再訪。約20年前から見つめ続けた東洋最大のスラムと呼ばれる同地でかつて出会った人々の現在を追う。世界に厳然と存在する貧困について大きな問いを投げかける1本。

その後、「井戸を掘る医者」中村哲先生の言葉を紹介した。「人生思うようにはならない」、大切なことは「人間として心意気」、必要とされていることをする「何かの巡り合わせ」でする。

開始30分後、映画「ダーウィンの悪夢」を例にして、それぞれが最善を目指した結果、「ミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する。」「個々にとってよいことの総和は、全体にとって悲惨にある。」と結論づけ、地域医療にも当てはまるのではないか?と学生に問いを投げかけた。

次に、「世界がもし100人の村だったら」(If the world were a village of 100 people)という本を紹介した。その一部は「もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致に おびえていなければ そうではない20人より 恵まれています」。学生のかなりの者が既に読んでいた。

ここから、医療の話。
1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。大学で治療を受けるのは1000名中1名である。

次に、「医療とは」何かを知ってもらうため、ウィリアム・オスラーの言葉を引用した。
「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。
すなわち、頭と心を等しく働かさねばならない天職である。
諸君の本来の仕事のうちで最も重要なのは水薬・粉薬を与えることではなく、強者よりも弱者へ、正しい者よりも悪しき者へ、賢い者より愚かな者へ感化を及ぼすことにある。信頼のおける相談相手、・・・
家庭医である諸君のもとへ、父親はその心配ごとを、
母親はその秘めた悲しみを、
娘はその悩みを、
息子はその愚行を携えてやってくるであろう。
諸君の仕事にゆうに三分の一は、専門書以外の範疇に入るものである。」
一部割愛・・・。

後半の90分。
導入は私自身の若かりし日に実践した静岡県佐久間町の地域医療の紹介から入った。その後、オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』に収録されている、診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」、しかし、庭で偶然みた姿は「チェーホフの桜の園にでてくる乙女・詩人」という内容を紹介した。サックスは言う、「医学雑誌の支配的テキストは苦しんでいる人を必要とする。しかし、その人々の個別的な苦しみは認知されえないのである」と。

次にAntonovskyの提唱する健康生成論(サルトジェネシス)を紹介。病気になりやすさではなく、逆に健康の源に注目。健康維持にはコヒアレンス感が重要らしい。1)理解可能であるという確信「こんなことは人生にはよくあるさ」。2)対処可能であるという確信「なんとかなるさ」。3)自己を投げ打つに値するという確信。「挑戦してやろうじゃないか!」

医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介。

研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。その根拠として、Shojania KGの論文How Quickly Do Systematic Reviews Go Out of Date? A Survival Analysis. Annals of Intern Med 2007 ;147(4):224-33の内容を紹介した。効果/治療副作用に関する結論は,系統的レビューが発表後すぐ変更となることがよくある.結論が変更なしに生き延びる生存期間の中央値は5.5年であったからである。(5年間で半分近くが入れ替わる)

N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。

ここで医学を離れて、考古学の世界「神々の捏造」という本を紹介。2002年10月、イスラエル。イエスの弟、ヤコブの骨箱が「発見」されたが、本物かどうか科学的に検証できるのか。

次に「狂牛病」の経緯を紹介。1985年4月、一頭の牛が異常行動を起こす。レンダリング(産物は肉骨粉)がオイルショックで工程の簡略化により発症を増やしたと考えられる。1990年代に英国で平均23.5歳という若年型症例が次々と報告。社会のちょっとした対応の変化が医療に影響する。

次に農業の話。Rowan Jacobsen「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」を紹介。2007年春までに北半球から四分の一のハチが消えた。何が原因か科学的に検証してゆくが、その結末は?

授業の後半は、ナラティブの話。6つのNarrative要素:Six “C”を紹介。以下割愛・・・。

最後に、大好きな映画「ペパーミント・キャンディ」を紹介した。

学生さんの講義に関する感想文を読むと、2,3名、あまり良い印象を持たない学生さんもいたようだ。とは言え、大部分の学生さんには好評で、特に医学以外の話が評判良かった。

北大のカリキュラムが変わり、北大での私の授業も今回で最後とのこと。今回の授業が彼らの医師人生の何らかの糧にならんことを祈りたい!(山本和利)