札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2010年9月29日水曜日

研修医の振り返り

9月29日、研修医の振り返りを行った。2か月で約130例の外来患者さんを担当した。疼痛で座れないという患者さんや食物への異物混入を訴える患者さん。様々な背景が原因で不調を訴える患者さんたち。
その中から印象的な事例を2例を発表してくれた。

第一例は腹痛、下痢、発熱の20歳代女性。はじめはウイルス性腸炎として対応したが、その後、血便が出現するようになったため再受診。カンピロバクター腸炎、病原性大腸炎、虫垂炎を鑑別診断に挙げた。調べてみてカンプロバクター腸炎は3日後、下痢、発熱、嘔吐、虫垂炎に似ている、ギランバレー症候群を呈することがある。エリスロマイシンがファースト・チョイス、等がわかった。
SEA:腹痛が4日続き血便があるということはただごとではない。経過を観察することが重要であることがわかった。
クリニカル・パール:血便を伴う感染症をみたらカンピロバクター感染を考慮する。
1/3は初期段階で消化器症状を欠く。

第二例は、フィリピンから帰国後、咽頭痛、咳、鼻水、腹痛、下痢、発熱の20歳代女性。
38.1度、咽頭発赤。何らかの感染症。
鑑別診断として輸入感染症(デング熱、マラリア)、感冒、等を挙げた。
SEA:素足で泥の中で作業をするという日本人支援労働者の衛生面への意識の低さを懸念した。
クリニカル・パール:国内においても輸入感染症の知識が必要であることがわかった。

1年目の研修医であっても、2ヶ月間で十分に外来研修から学んでいることがわかった。たくさんの人を受け入れたいので、是非、研修医の皆さん、選択して下さい。(山本和利)

総合医を育む離島医療

(利尻島国保中央病院会員25周年記念誌に寄せた文章を転載します。)

利尻島国保中央病院会員25周年、おめでとうございます。札幌医大地域医療総合医学講座は創設されて11年半が経ちますが、その間に教室員2名が貴院の院長として関わりました。私自身も利尻島の診療所のお手伝いをさせていただき、学生実習でも多くの者がお世話になりました。稚内港でフェリーに乗船するまでに2時間半待ったり、飛行機が欠航した際には稚内から札幌まで寝台車で帰ったりしたこともあり、離島の診療の大変さを、身をもって感じました。

かつて私が出身地の静岡県で僻地医療に従事している時も様々な困難に直面する患者さん達に出会ったことを思い出します。一人暮らしの高齢の患者さんは半身不随のため山を下りることができず、医師や看護婦の定期往診だけを楽しみにしていました。通院が困難な都会の専門医に治療してもらうことよりも、地元での対処療法で満足して感謝しながら自宅で亡くなった癌患者さんもいました。脳出血が疑われる患者さんの収容先をやっとの思いで確保、くねくねとうねった細い山道を救急車で1時間近く搬送したこともありました。肝性昏睡を繰り返しながらも地元の有志で構成されている救急隊に迷惑をかけるのを嫌って、救急車を呼ばずにそのまま自宅で亡くなられた患者さんもいました。僻地では、住民が老齢化し、老夫婦のみの核家族ばかりがどんどん増えています。特に山間地域では巡回バスやタクシーの他には交通手段がなく、在宅ケアや訪問看護、デイケア、ホームヘルパー等の活用が重要になってきますが、実際にはうまくいかない現実があります。

このような山間部の問題は、離島ではさらに過酷な面があると思います。病院の中だけで病気を治すだけでなく、社会資源を活用したり、多職種が連携したり、行政と協同したりして島全体のことに関わる必要が出てくるでしょう。離島医療の問題は一部の医療評論家が強調するようなインターネットを使って遠隔治療を導入すれば解決するといった単純なものではなく、実際その現場に行き、その現場の住民・患者さんたちと生活を共にすることでしか解決ができないからです。そのような医師を離島で確保することは容易なことではありません。しかしながら、意を決して「総合医として離島・僻地で働く」ことになった医師達は皆地域の現場で「輝いて」います。利尻島の医療も例外ではなく、これまで多くの輝く医師達に支えられてきました。そのような医師は日進月歩の医療に遅れることなく、住民のニーズに応えるべく日々それらに合わせて変容してゆきます。地域の現場が総合医としての学習の場になっています。住民・患者さんたちの生活を知ることで、その背景を考慮し包括的に診る視点が涵養されてゆきます。このような志を持ち、離島・僻地のニーズに応えられる技能・態度を持った医師を育成したいと私は思っています。

今後ともたくさんの医師が関わって利尻島の医療が益々発展することを願っております。(山本和利)

2010年9月27日月曜日

蕎麦打ち体験


9月26日、学生に交じって蕎麦打ちをはじめて体験した。場所は幌加内そば道場。講師は幌加内町立国保病院薬局長の井盛さん他2名。そば道場と書かれた青いエプロンを借りて着け、手を丁寧に洗って作業開始。

工程は4段階からなる。1)水まわし・こね、2)のばし、3)きる、4)ゆがく。小麦粉100g、そば粉400g、水225ccが用意されていた。小麦粉とそば粉は2対8で水はその45%だそうだ。はじめのこねが一番難しいらしい。約半分の水を入れて両手で円を描くようにこねる。そうすると小さな玉ができるが、水を入れながら10分ほどこねる作業を続けると大きな玉になってゆく。はじめてなので指導を受けないとどの程度こねればいいのかがわからない。指導員のOKがでたところで1個のおおきな玉にまとめる。ざらざらからすべすべした感じになってゆく。この感じは、やり始めるとはまるかもしれない。これを中央へ巻き込むように練る。これを菊ねりというそうだ。次に円錐形にして中の空気を出す作業をする。それが済んだら生地を手で叩いて饅頭のような円柱にする。それを手で周辺を広げるようにして薄くしてゆく。

次が麺棒を使っての、のばしである。真中に麺棒を置いて端へ伸ばしてゆくことを、30度毎に角度を変えながら10回くらい繰り返す。それが済むとソバ粉を振りかけて、麺棒を生地に巻きつけて、丸いものから四角いものにしてゆく作業にうつる。初心者の私にはこれが中々うまくゆかない。指導員がなんなく修正して丸いものが四角になってゆく。あとは厚さが均等に2mmになるように麺棒を使って引き延ばしてゆく。それができたら、生地がくっつかない様に打ち粉を半分に振って3回折りたたむ。

次がそば切り包丁と押さえの小間板を使って細く切ってゆく作業に移る。女子学生よりも男子学生の方が細かくきれいに切っているのが意外であった。単に性格の違いか。切った蕎麦を生舟という箱にくっつかないように入れてゆく。ここまで約1時間かかった。ゆがくのは今回指導員にお任せすることになった。
しばらく待って、全員で試食となる。一口口に入れて蕎麦がうまいとはじめて思った。

次から次と出てくる蕎麦をさすがの学生たちも食い切れず。残ったツユに蕎麦湯をいれて飲んで締めとした。茹でた蕎麦は森崎龍郎先生宅へ、茹でてない蕎麦は我が家へのお土産となった。(山本和利)

秋期キャンプin 幌加内


9月25日、特別推薦学生を対象に秋期キャンプを幌加内町で行った。3年生2名(内山博貴さんと古川亨さん)と1年生7名(男性1名、女性6名)の計9名が参加。河本一彦助教が付き添って札幌駅を電車で9時出発。深川からJRバスで幌加内へ。到着後、付近の蕎麦屋で昼食。集合時間までの間の時間を利用して3班に分かれてカメラを抱えて地域診断に出かける(Photovoice)。

午後は、幌加内町立国保病院院長の百武正樹先生の講演と蕎麦打ち名人小林四郎さんの「日本一の蕎麦の里:蕎麦による幌加内町の町興し」という講演を拝聴。その後。2班に分かれての施設見学。そして、お楽しみの一つせいわ温泉ルオント(フィンランド語で自然という意味)で温泉につかり、夕食を兼ねての懇親会(地元の住民の方々が12名参加し計26名)。山本和利はOSCEの総括者として参加していたため、懇親会から参加。4つのテーブルに分かれて懇談。特別推薦学生でない者が今回半数以上であったのは驚きであった。入学してから地域医療に興味が出たから参加したということらしく、うれしい限りである。来年度は特別推薦学生がたくさん参加できる時期に設定したい。二次会は幌加内らしく蕎麦を食べるということになった。河本一彦助教はその後、深夜1時まで明日の振り返りのための準備。

9月26日。朝、宿舎の周りを散策。病院の近くに郵便局、神社、お寺、中学校、高校(蕎麦打ちが必修)、介護施設、蕎麦屋などが集中している。洋風の建物であるバスターミナルに蕎麦屋、旧国鉄の資料館が入っている。最盛期1万7千人の人口が今は1,700名。きれいな街並みの中、病院近くに廃屋もあり。

8時半から山本和利の司会で、地域診断のまとめとPhotovoiceを発表しながら各自振り返り。稲作が減反となり蕎麦に産業の基点を移した幌加内町。鉄道模型を写してタイトルは「わ、輪、和」。家の傍に置かれたシャベルカーに注目。生活と農業が近い。空気がきれい。春夏秋冬がはっきりしている。咲いているものと枯れている向日葵の写真(生と死を象徴)。ソバ畑とスキー場を写した「幌加内の夏と冬」。ソバの花を写して「人の傍(ソバ)にいる医師」になりたい。蕎麦屋で待つこと1時間の間に撮った写真。持ち切れずに思わず食べかけてしまった蕎麦の写真。

Significant event analysis。 懇親会で剣道の話で盛り上がったこと。スポーツネタは大事。人との繋がり。地域が魅力を発信することが重要。地域の住民たちが仲がよい。積極的に住民の方と話をすることの大切さ。将来の進路を考える契機になった。病院と行政と大学など多方面の連携が重要。幌加内の住みやすさ。思いっきり子供を遊ばせられる環境。考え方一つで楽しく過ごせる。チーム活動やいろいろな目線の大切さ。ソバに対する取り組み。残りの時間を山本和利が「医療と社会」の講義。

10時からソバ打ち道場でソバ打ち体験。自分たちの打った蕎麦を昼食とした後、現地解散となった。ここに至るまでに縁の下の力持ちとして労をとっていただいた当教室派遣助教の森崎龍郎先生はじめ地元の関係者の方々にこの場を借りて感謝申し上げたい。(山本和利)

Advanced OSCE

9月25日土曜日、6年生を対象にAdvanced OSCEが行われた。受験者は101名。関係者は8時に集合。評価者(教官)48名、模擬患者(学生)24名が全員集合しまずは一安心。対象学生は試験時間を考慮して別室に2班に分かれて集合。トイレで部屋を離れる時も事務職員が付いて問題漏洩のないようにしている。今年度は事務職員が16名参加している。

8時半開始。今年度も4課題を出題。一課題15分。医療面接、身体診察、鑑別診断などを組み合わせている。それぞれの課題場面を覘いてみた。挨拶や身だしなみはしっかりしている。問診をとる作法はできているが、鑑別診断に必要なkey wordsがなかなか訊き出せない。外科手技では清潔操作に問題がありそうだ。アレルギー対策で採用した手袋の包装の仕方が従来のものと異なったていたため学生が戸惑ったのかもしれない。
一時、受験学生1名の集合が遅れてスタッフ一同騒然となるが、許容範囲内の時刻に到着したため、医学部長からの厳重注意で事なきを得る。

無事終了後、全員朝集まった場所に集合。模擬患者を演じてくれた学生にお礼のプリンを手渡す。評価者から評価表を回収し学籍番号順に並べ直す作業、OSCEの部屋を元に戻す作業等、終了後も大変である。学務課を中心とした事務の方々の熱意をもっての対応にこの場を借りで感謝したい。

今年度は評価者会議、模擬患者講習会をしっかり行ったため、全般的に大きなトラブルは起こらなかった。課題によって難易度が違いすぎることが問題かもしれない。来年度、問題作成に活かしたい。
9月28日に学生に成績発表とフィードバックを行う予定である。(山本和利)

2010年9月21日火曜日

地域医療フォーラム2010

9月19日、東京秋葉原で開催された自治医科大学主催の「地域医療フォーラム2010」に参加した。参加人数は340名、そのうち卒業生は約220名。今回は第3回目で初めての東京開催である。

 午前中、女性医師支援フォーラム、自治医大地域医療フォーラム2009の開催結果報告がなされた。
 午後、開催挨拶後、尾身茂氏から趣旨説明。自治医大の枠を越えて呼びかけ。地域医療の再生、医師の地域および診療科の偏在を問題視。異なる利害のために誰も身動きができない(deadlock)。このDeadlockをどうやって打開するか。地域におけるグランドデザインの構築、」総合医の役割・意義、地域医療を目指す医師の養成について分科会で話し合うことを提案。

3つの分科会。1.地域医療再生の地域の取り組み、全国の取り組み。2.地域の高度医療機関に求められる総合医。3.地域枠学生の教育にどう関わるか。

厚労省の新村和哉氏の講演。地域医療再生計画の概要。国は2350億円を使っている。医師確保。ハードよりソフト重視。モデル事業的に行う。寄付講座、地域枠学生への奨学金貸与、等・・・。地域医療支援センターについて言及された。特別枠として17億円要求。各県に1か所設置。1県に3300万円。

高知医療再生機構副理事長家保英隆氏。「高知県における地域医療再生計画の取り組み」医師数は少なくないのに若手医師が減少している。県庁所在地は医師過剰。郡部で減少。59億円の大部分を医師確保対策に充てている。高知医科大学学生へのアプローチ。若手医師のキャリア形成。県外からの医師招聘。入試選抜法を改革し、県内出身者を全体の1/3まで増やした。社団法人化してお金を使いやすいようにした。「病院GP養成」の仕組みを作っている。
 
全体討論。
・「地域医療再生の地域の取り組み」各県によって事情が異なる。総合医の比率を上げる。全国レベルの医師派遣を(all Japan)。
・「全国の取り組み」:計画作成に活かせる実態調査を。全体のビジョンの明確化。地域全体を見渡せる医師。
・「地域の高度医療機関に求められる総合医」ニッチを埋める能力、横断的な分野、メネジメント能力。
・「地域枠学生の教育にどう関わるか」卒前教育。Outcomeは都道府県への貢献である。

鹿児島大学大脇哲洋教授より講義。研修医数は半減。医学部入学者数8846名。地域枠で増やしている。都道府県との協議しているのは36県。キャリアパスについては32%。地域医療教育は学生全員に。施設の基盤が不安定である。総合医だけでなく専門医教育も必要。地域枠は期間限定なので地域医療関わる医師数に波がある。各県によって事情が異なる。どのような地域で働くのかで、目指す専門領域が異なってくるのではないか。

徳島大学谷憲治氏の「徳島県の取り組み」。病院の規模によって1群、2群、3群と分けて研修を予定している。「地域医療研究会」を作った。現在91名が参加。医療の世界を広く見てゆきたい。阿波踊りに「地医輝連」で参加。自主参加で、屋根瓦方式で行っている。学生の方に情報が入ってこない。全国組織のネットワークを作る。アンケートで全国調査をする。

新潟大学井口清太郎氏の「地域枠学生の連携」について講義。自治医大学生、県費奨学生、新潟大学地域枠学生の三者が顔が見える関係性を構築するために合同合宿を行っている。WSと懇親会が重要。入口だけでなく出口を考える必要がある。地域医療講座は寄付講座が大多数であるが、それを永続的な講座にしてほしい。
ゲストコメント。

全国国保協議会会長の広畑衛氏。会員の40%が自治医大卒業生。自治医大と同じ悩みを持つ。

日本プライマリ・ケア連合学会理事長の前沢政次氏。総合医の活躍の場は病院規模が大き過ぎず小さ過ぎずが大事。総合医の割合が一定以上必要。組織のトップは分ってくれていても専門医の同僚がわかってくれないことが多い。地域協働型プライマリ・ケア、選挙の人と免許の人が仲良くする、制度化されたジェネラリストのための専門医制度の確立が必要。総合医に必要な4つの能力は次の通りである。
1. 情報のマネジメント
2. コミュニケーション
3. チームワーク
4. 変化に対応できる能力、 とTrisha Greenhalghの言葉で締めくくられた。

総括:医学部長、桃井眞里子氏。解決には地域住民の理解が重要。日本は米国の6倍の受診率。地域医療の現状についての情報を発信する必要がある。総合医、総合力のある専門医をつくる教育が重要である。

最後に地域医療振興協会理事長の吉新道康氏が、地域医療マインドの涵養に全寮制の意義が大きいことを強調された。(山本和利)

「患者さま」とは呼びたくない

最近、「患者さま」と呼ぶように指導している医療機関が増えている。私にはそれを使いたくないという抵抗があったが、『街場のメディア論』(内田樹著:光文社 2010年)を読んで気持ちがすっきりした。

 「患者さま」という呼称は医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものであるという。そうなると「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務付けられる。

「患者さま」という呼称を採用するようになって病院の中で起こったことは、1)入院患者が病院の規則を守らなくなったこと、2)ナースに暴言を吐くようになったこと、3)入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと、だそうだ。

 弱者の味方をすることと「患者さま」と呼ぶことは等価ではない。医療者が患者さんに同等の関係で医療を提供し、患者さんがそれに対して素直に「ありがとう」という言える関係を取り戻したいものである。
(山本和利)

2010年9月17日金曜日

動機付け面接法

9月15日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は勤医協中央病院の田村修先生である。参加者は11名。「日常診療で使える動機付け面接法(MI)」はスキルである。

動機の3つの要素は、準備、意志、能力(ready, willing, and able)である。

行動変容の5段階(proshaska):無関心期、感心期、準備期、抗動期、維持期。自信度と重要度を評価する(0-10の10段階で)。

Motivational Interviewing(MI):ミラー、ロルニッツによって開発された対人援助理論。理論は次の3つの理論を基盤としている。1)精神分析理論:両価性の理解、2)クライアント中心療法(ロジャース):共感的応答、3)認知行動療法:ソクラテスの質問法。アンビバレントが鍵。人間関係に影響される(動機は面接者の態度や方法に影響される)。「変わりたい、しかし変わりたくない」と考える。「逆説的反応」を利用する。ソフトに直面化する方法である。本人の口で話してもらう。目的を選ばない。

基本的態度:1)共感性、2)暖かさ、3)誠実さ。「寄り添う気持ちが大切」。
原則:1.共感的応答。受容と同意。ポーカーフェース。謙虚に聴く。解釈の押し付けをしない。2.矛盾を広げる。変化の重要性、懸念の感情、変化の願望、変化の自信を呼び覚ます質問。3)抵抗に逆らわず抵抗とともに進む。抵抗はドラマの幕開け。焦点を移す、視点を変える、枠組みを変える。4)自己効力感を育てる。

5つの方法:OARS
O:Open question(開いた質問), A:Affirm(認めて肯定), R:Reflective Listening(オウム返し), S:Summarizing(要約)+ Change talk(本人が語るときを逃さない)。レジスタンス・トークには反応しない。

面接者が陥りやすい落とし穴:質問攻めで考えさせない、直面化を迫って否認させてしまう、反対の立場に立たせる、本人の意思を引きださない、機が熟す前に拒絶される、非難する態度で委縮させる。
面接のコツは、相手より話は短く、開いた質問で、振り返りを多くすること。

ここでプチ・ロールプレイ。一人は権威的スタイル。もう一人はMI的面接スタイル。傍からロールプレイを見ていて一方的に解決法を述べるだけの権威的スタイルが有効でないことが分かった。患者役はMI的面接スタイルは慣れないため言葉に詰まることもあったが、アイデアを話しやすく、自分自身に自信がつくという感想であった。

次回から感染症シリーズである。(山本和利)

9月の三水会

 9月15日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は12名。
若林崇雄医師が司会進行。山本和利がミニレクチャーを2つ。地域基盤型教育、糖尿病性腎症。

振り返り5題。

30分後に研修医の講演が組まれているときに救急外来を受診した40歳代男性。先輩医師より診療を依頼される。仕事中の呼吸困難。過呼吸。胸痛なし。心電図のII,III, AVfでST上昇。不安定狭心症から急性心筋梗塞として3次病院に搬送。途中、VFを2回起こす。Clinical pearls:若い男性の過呼吸では基礎疾患を探すこと。胸痛がなく、呼吸困難だけの急性心筋梗塞があること。致死的疾患を除外するための努力をすること。参加者から様々な意見が出た。

40歳代男性の左胸部から背部痛。圧痛あり。筋肉痛を疑う。同伴者から胸部の異常音について言及され、精査の結果、慢性気胸、胸水。病歴だけによる診断の難しさ。身体診察所見の重要性。

患者本人が自宅へ帰りたいが、家人が入院を望む緩和ケア患者への対応。患者・家人への説明の難しさ。在宅ケアの不安(痛みへの対応。急変時の対応)。適切な説明ということが以外と難しい。退院することなく病院で死亡。外出もできず患者本人の希望が叶えられないままであったことがとても残念。参加者の意見:研修医は相手の患者のことを考えながら自分の感情を述べている。自分を患者さんに重ねて見てしまっている。入院適応でなくても家族の希望を尊重すべきか。緩和ケアはドラマ作りである。「介護の抱え込み」防止を考える。地方の在宅介護者の1/4がうつ状態である。町の介護力がシステムとして貧弱である。

初期研修医の報告。過換気症候群の16歳女性が救急車で受診すると一報が入った。患者さんを見る前の間、いろいろなことを考えた。患者が来てみると以前に小児科で受け持った患者さんであった。発作を頻回に起こしている。じっくり話を聴くことで患者を落ち着かせた。前医に対する不安を軽減させ、直前研修したばかりの他院精神科の外来受診にうまく繋げることができた。スーパーローテーションの利点を生かすことができた。参加者から:患者が自分の気持ちを主治医に伝えることは難しいので主治医に手紙を書く。母親と小児患者はセットで考える。

ニポポ卒業生から医療を哲学的に俯瞰。村上春樹の言葉「高くて硬い壁」に対して「卵の側に立つ」に共感。ミッシェル・フーコーの言葉「種の医学」「病の解読のための場所が必要」「医師は肉体を癒す」「正常の確立=異常の排除」「戦争と虐殺」などを解説してくれた。

「総合内科って何」という研修医が行った一般市民向けの講演内容を解説。専門医は専門分化し、それ以外は専門外。専門以外を診ない傾向にある。総合内科を志す医師は少なく肩身が狭い。総合内科医は、「専門外」と言わない。

日本の明日の医療を担うために、我々総合医が頑張らなければ!(山本和利)

2010年9月14日火曜日

医学教育の理論と実践

ニポポ指導医養成講習会で話題になったので、『医学教育の理論と実践』(John A. Dent/ RonaldM.Harden著:篠原出版新社 2010年)を読んでみた。

構成は、カリキュラム開発、学習環境、教育方略、教育ツールと支援、カリキュラムのテーマ、評価、教員と学生、の7部からなっている。

医学教育について全般的に網羅されているので、関心のあるテーマについて辞書的に使うこともできよう。得意のテーマについて、さらに詳しく知りたいという場合は、簡略にまとめ過ぎているきらいがあり、物足りないかもしれない。私の場合、「EBM」の章がそれにあたる。とは言え、新たに勉強したい場合には大いに参考になろう。

第11章「地域における教育」を見てみよう。地域基盤型医学教育(Community-based medical education: CBME)を紹介している。これは三次医療機関以外の施設で行われる医学教育を指す。「プライマリ・ケア」と「プライマリ・ヘルスケア」と違いを知ることが重要である。「プライマリ・ケア」とは、地域住民がその地域の医療システムに最初に接触することであり、「プライマリ・ヘルスケア」とは、医療提供に関する考え方を意味しており、健康増進や疾病予防を重視し、保健医療計画に住民の積極的参加を勧めるものである。

CBMEの目標を3つのカテゴリーに分けると分かりやすいそうだ。
1. 総合診療について学ぶ
2. 総合診療以外の専門分野を学ぶ(小児科、精神科、内科など)
3. 多数の診療分野を並行して学ぶ(都会から離れた地域の診療所)
オリエンテーションと振り返りが重要。

CBMEを成功させるための実践的原則は、4つ。
1. 医師患者関係(学生を引き込む)
2. 大学と医療組織との関係(地域の医師を大学教官が指導する)
3. 行政と地域との関係(学生による調査や地域開発事業への参加)
4. 個人と医療専門職との関係(メンターとの振り返り)

医学教育を三次医療機関から地域に移すには、変革が必要であることを強調している。医学教育に関わる者にとって手元において役立つ本の一つと言えよう。(山本和利)

松前町立松前病院

 9月13日、当教室員が大勢お世話になっている松前町立松前病院に出かけた。札幌駅から千歳空港、函館空港、そして小本事務長運転の病院車と乗り継いで出発から到着まで約5時間。

松前町立松前病院は、木村眞司院長を中心に「全科診療医」による診療を謳っている。外科系医師が不在になったのをきっかけに「全科診療医」を謳い、今は整形外科疾患等にも対応している。断らない救急医療を掲げ、日常疾患に「全科診療医」が対応し、手術や高度医療が必要な疾患は函館の3次医療機関に任せる、高齢者にニーズのある耳鼻科・眼科などは大学等の非常勤で対応するなどの方針をとっている。加えて一番の特徴は、札幌から時間的アクセスが最長であるにもかかわらず、学生・研修医の実習の受け入れが非常に多いということであろう。今回も、市立函館病院から佐々岡悠太さん、手稲恵仁会病院から高橋利佳さん、筑波大学5年生菅沼大輔さん、札幌医大5年生和田朝香さんが2週間から1カ月の日程で参加している。因みに昨年1年間でみると松前町立松前病院の札幌医大総合診療科実習受け入れは18名と参加施設最多であった。

町長、町議会議長にもお会いすることができた。松前町の医療は、松前町と病院事務、医療スタッフが一体となって取り組んでいることが最大の特徴であり強みかもしれない。国からの補助金があるとはいえ、町長の言によると昨年の病院会計は9千万円の黒字であったそうだ。道内・道外の市町村職員の視察も増えているようだ。町議会における議員からの松前町立病院に対する不満は皆無になったという。町外での検査・治療費が減り、国保会計からの出費減少が大きいということだ。総合医・家庭医を中心に地域医療を実践することが、住民・患者の満足だけでなく、経営的にも満足ゆくものであることを松前町立松前病院が示してくれた。

単に医師数を増やすということで地域医療の問題が解決するとは思われない。松前町立松前病院のような総合医・家庭医を中心にした医療が実践できるよう、国の政策に積極的に取り入れて欲しいものである。(山本和利)

2010年9月8日水曜日

極北クレーマー

『極北クレーマー』(海堂尊著、朝日新聞出版、2009年)を読んでみた。
 北海道の地域医療を扱っている。一般病院や地域医療の現場に詳しい者にとっては、「極北市民病院」の職員の待遇・勤務態度等が現実にはありえないほどひどい設定なので、はじめはあきれるかもしれない。この「極北市民病院」は、札幌から車で1時間であること、市長の放漫経営により巨大な累積赤字を抱えて財政破綻したこと、病院の救世主として有名医師が乗り込んでくること等を勘案すると、夕張市立病院がモデルになっていると思われる。また、福島県で起きた産婦人科の医療事故の問題をその中に入れ込んで、かなりのスペースを割いている。医療事故に関して個人の問題と矮小化せず、関係者全体で取り組まなければならないという姿勢は高く評価したい。また『日本医療業務機能評価機構』の在り方について、痛烈に厚生労働省の天下り体質を批判した書でもある。

著者は、最終ページでこの病院に関わった者たちの顛末を皮肉っぽく書き連ねてゆく。「救世主の記者会見は果てしなく続き、終わりそうにない。・・・」「救世主」が乗り込んできて「極北市民病院」は再生したのか。そこに答えは書かれていない。(山本和利)

兵庫医科大学講義「曖昧さを科学する」

9月7日、9:00-10:15は臨床疫学的診断法、すなわちDL. SackettのClinical Epidemiology A Basic Science For Clinical Medicine 2nd Editionを参考にして作った講義資料で、診断パターン・感度・特異度・検査前確率を解説した。具体的には年齢・性別の異なる3例の前胸部痛患者のシナリオを提示し、学生個々に検査前確率を想定してもらい、提示した感度・特異度・検査前確率を用いて2×2表で検査後確率を算出させた。またHC. SoxのMedical Decision Making(1988年版)を参考にした講義資料(十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎症例)を基に、離島の環境を設定した場面(治療するかしないかのどちらか一つしかできない)で治療閾値について解説した。

10:25-11:40は、「あいまいさを科学する」授業。腹痛患者のシナリオを提示し(Fits-Hugh-Curtis症候群)診断プロセスを解説した。鑑別診断の仕方に重点を置いた。ABCアプローチ[Anatomy(解剖)とByoutai(病態)、Critical(致死的)、Common(頻度が高い)、Curable(治療法がある)]を強調した。最後に米国の家庭医療学の本からとった16例のケーススタディを行った。

一方的に講義をするのではなく、学生に問いかけながらの授業は、はじめ学生に戸惑いもあったようだが、慣れるにつれ眠り込む学生の少なく、評判も上々であった。(山本和利)

兵庫医科大学講義「医療と社会」

 9月6,7日、兵庫医科大学医学部5年生を対象に「医療と社会」という講義を行った。
早朝便で神戸空港に到着。関西は札幌よりも暑い(35℃)。今回は1コマ75分授業を2日間でまとめて5回行うハードスケジュールである。ハーバード大学のマイケル・サンデル哲学教授が『正義』について学生と対話型の『授業をすすめて話題になっている(東京大学でも講義をし、NHKでTV放送される)。そんなこともあって今まで以上に学生との対話を重視して授業を進めた。

導入はアジアで作られたドキュメンタリ映画の一場面から入った。「洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真」「家の前に山のような堆積物の前に立つ少年」等。写真を提示して、学生に問いかけた。その後、「井戸を掘る医者」中村哲先生の言葉を紹介した。「人生思うようにはならない」、大切なことは「人間として心意気」、必要とされていることをする「何かの巡り合わせ」でする。映画「ダーウィンの悪夢」を例にして、それぞれが最善を目指した結果、「ミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する。」「個々にとってよいことの総和は、全体にとって悲惨にある。」と結論づけ、地域医療にも当てはまるのではないか?と学生に問いを投げかけた。次に、「世界がもし100人の村だったら」(If the world were a village of 100 people)という本を紹介した。ほとんどの学生は読んでいない。

 ここから、医療の話。1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。日本も北米も大学で治療を受けるのは1000名中1名である。次に、「医療とは」何かを知ってもらうため、ウィリアム・オスラーの言葉を引用した。「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。医師は特定の技能をもつ者として権力から守られるという特権が与えられている。一方で公共に尽くすという使命があるということを強調した。
2コマ、3コマ目で、私自身の静岡県佐久間町の地域医療活動を紹介。その後、オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』に収録されている、診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」、しかし、庭で偶然みた姿は「チェーホフの桜の園にでてくる乙女・詩人」という内容を紹介した。次にAntonovskyの提唱する健康生成論(サルトジェネシス)を紹介。病気になりやすさではなく、逆に健康の源に注目。健康維持にはコヒアレンス感が重要らしい。

医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介。
研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。

ここで医学を離れて、考古学の世界「神々の捏造」という本を紹介。次に「狂牛病」の経緯を紹介。1985年4月、一頭の牛が異常行動を起こす。レンダリング(産物は肉骨粉)がオイルショックで工程の簡略化により発症を増やしたと考えられる。1990年代に英国で平均23.5歳という若年型症例が次々と報告。社会のちょっとした対応の変化が医療に影響する。

次に農業の話。Rowan Jacobsen「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」を紹介。2007年春までに北半球から四分の一のハチが消えた。何が原因か科学的に検証してゆくが、その結末は?
授業の後半は、ナラティブの話。6つのNarrative要素:Six “C”を紹介。
はじめてぶっ続けで3コマの授業をしたが、声が嗄れ、腰が痛くなった。

今回の授業は北海道大学で2年生に行った授業とほぼ同じである。詳細については、2010年5月10日、5月24日の本HPに記載したので、興味のある方は是非そちらを参照していただきたい。(山本和利)

第6回ニポポ指導者養成講習会

9月4,5日、第6回ニポポ指導者養成講習会を企画し運営を行った。受講者は16名(3グループ)。タスクフォースは7時に集合して打ち合わせ。8時開始。責任者として山本和利の挨拶後、偏愛マップを用いたアイス・ブレーキングで和んでもらった。最初は江別市立病院の阿部昌彦先生から「臨床研修制度の現状と問題点」のWS。ここ3年、北海道の研修医数は少しずつ減少傾向と報告。各施設の現状紹介後、KJ法で各グループから対策を出し合ってもらった。
続いて勤医協中央病院の尾形和泰医師の「学習のプロセス」のWS。あまり理論的な面を強調せず、研修医教育に必要な概念をコンパクトに講義してくれた。特にRUMBAを強調(real, understandable, measurable, behavioral, achievable)。
午前の最後は北大病院の宮田靖志医師の「プロフェッショナリズムの教育」のWS。その必要性を強調。SEA(significant event analysis)を参加者に書いてもらい、グループで共有した。最後に製薬会社との関わりについて触れた(便宜提供の関係を断つ)。
昼食前に全体の集合写真撮影。

昼食後、松前町立松前病院八木田一雄医師主導による「上手なフィードバックをしよう」は、はじめに実情と理論を講義。(アンケートによると、指導医は60%の研修医に問題を感じており、研修医は80%の指導医に不満を感じている)。3人一組でのロールプレイは研修医役、指導医役、評価者役をそれぞれ1回ずつ(緊張しやすく技術が未熟な研修医、当直明けで眠気を堪えて外来研修を受ける研修医、問題をあちこちで起こすのに自信満々の研修医の3シナリオ)。60分間、皆さん役になりきって熱演していた。
勤医協中央病院佐藤健太医師の主導で「SNAPPS法:研修医のレベルを5分で診断」のWS。RIMEモデルを解説(Reporter, Interpreter, Manager, Educator)。研修医のレベルをreporterからinterpreterに成長させる。SNAPPS法とは、Summarize H & P(3分で発表), Narrow the differential(3つのい絞る), Analyze the differential(根拠を比較する), Probe the uncertainties(不明点を質問する), Plan management(プランを検討する), Select case-related self-study(宿題を決める)、の6段階で指導するやり方である(6分間で終える)。新型インフルエンザ大流行時、1歳女児、発熱というシナリオを3人一組でロールプレイ。
札幌医大の寺田豊医師の主導で「地域診断を利用した地域医療研修教育」のWS。持続可能な臨床教育が重要。その地域診断ツールを9つ紹介(0. Community on foot, 1.Social mapping, 2. Genogram, 3. Community Organization Chart, 4. Local Health Systems, 5. Community Calendar, 6. Local History, 7. Life Stories, 8. Photo Voice.)。最後に地域医療研修の1カ月カリキュラムを、松前・富良野等特定地域を想定して作成してもらった。
夕食前に北海道庁鈴木隆浩主幹の「北海道の地域医療の現状と臨床研修」という講義を頂いた後。情報交換会。

2日目。勤医協中央病院の尾形和泰医師の「卒後臨床研修評価」のWS。臨床研修に関する書類が配布され解説が行われた。
続けて勤医協中央病院臺野巧医師の主導で「実践的な教育の評価」は、3シナリオを準備していずれか1つのシナリオに沿ってロールプレイを行った。最初に初期研修医評価のための指導医会議(指導医2名、看護師長1名、看護主任1名、ソーシャルワーカー役1名)を模擬体験した。ACGMEで開発されたモデルに基づいて6項目について評価をしてもらった(患者ケア、医学知識、診療に基づいた学習と改善、コミュニケーション技術、プロフェッショナリズム、システムに応じた医療)。
札幌医大の寺田豊医師の主導で「ティーチング・パールを共有しよう」のWS。参加者各自が得意ネタで10分間講義をそのやり方へのフィードバックを行った。
最後に総括として、参加者の感想をもらい、終了証を手渡して解散となった。

参加者のほとんどが満足し、明日から実践したいという意見が多かった。タスクフォースのまとまりも強化される。年に1度は開催してゆきたい。(山本和利)

2010年9月2日木曜日

アフガンとの約束

『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(中村哲著:岩波書店 2010年)を読んでみた。聞き手澤地久枝さんが中村氏の活動に共鳴し、2008年8月11日にやっと捕まえて実現した対談集である。

アフガンとの出会いは、志半ばで倒れた友人と昆虫好きがこうじて「運命、さだめ」であったと答えている。赴任時の目標は、山村部無医地区の診療モデルの確立、ハンセン氏病の根絶を柱に、貧困層を対象にした診療とある。本書を読んではじめて、中村氏が火野葦平(『花と龍』の著者)の甥で、父親は大正期の社会主義者であると知った。精神神経科専攻ということも知らなかった。内村鑑三の『後世への最大遺物』を今も後輩に勧めているという。

 家族と一緒にアフガンに赴任したり、10歳の息子さんを亡くしたりと辛苦をなめている。
アフガンと関わる中で「10の診療所よりも1つの水路を」と方略を転換し、道具も聴診器を起重機に代えてゆく。水さえあればアフガンは変わるという信念が荒廃した大地を緑豊かに農耕地に変えてゆき、住民が戻ってくる。女の人の水くみの重労働が軽減される。

おひさまと一緒に起きて、働けるときまで働いて、明日の予定を立てて8時ころには寝る。現地にいると心安らか、という言葉に、今の自身自身を重ね合わせて、言葉も出ない。

『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』という言葉が、本書を読むと胸に突き刺さる。
私にとっての運命、さだめは何なのか、模索が続く。(山本和利)

2010年9月1日水曜日

advanced OSCE brush-up会議

8月31日、「2010年度 advanced OSCE Brush-up会議」が開かれた。臨床各科の委員25名が参加し、9月25日のadvanced OSCEに向けて問題を洗練した。advanced OSCEは4課題で1課題15分である。課題の作成、評価票、評価マニュアル、患者背景資料等、作成者にあっては多大な労力を要する。毎年、内容がversion upされて、精錬されたものになりつつある。この場を借りて感謝したい。

これから評価者講習会、模擬患者講習会、会場設営等、準備がまだまだ続く。今後、OSCE外部評価者の資格を持つ教官数も増やさなければならない。学内においてOSCEの重要性も徐々にではあるが認知されつつある。全学あげて取り組んでゆきたい。(山本和利)

地域医療支援対策会議

8月31日、「2010年度第1回札幌医科大学地域医療支援会議」に山本和利が地域医療支援センター副センター長として参加した。委員長に島本和明学長が、委員として黒木医学部長、塚本病院長、野村事務局長、長瀬北海道医師会長等が参加されている。2009年度、2010年度の医師派遣実績が報告された。

会の中で、北海道の病院診療機能を維持するためには330名の医師の不足であるという報告がなされた。丘珠空港の運行縮小も地域医療支援に支障をきたす等の議論も出た。北海道だけでの判断は難しいが、地域医療を支援するためにはこれまでのように医師個人の希望だけを尊重するだけではなく組織だった対策を練る必要があるという意見でまとまった。
(山本和利)