札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2010年12月31日金曜日

BOX

映画館で観られなかった『BOX 袴田事件 命とは』(高橋伴明監督:日本 2010年)という映画を年末にDVDで観た。

1966年、静岡県で起きた一家4人強盗放火殺人事件をそれに関わった裁判官の目を通して描く。警察・検察が容疑者に自白(虚偽自白)を強要し、冤罪が作られてゆく過程を丹念に描いている。それとなく、出生地、職業、趣味、裁判官内の学閥、等が裁判結果に影響してゆくことも知らされる。死刑確定後、精神を崩してゆく死刑囚。再審は認められるのか?今、袴田死刑囚はどうしているのか?

意に沿わない判決を下した裁判官の苦悩。家庭崩壊の危機。劇中の言葉「人を裁くということは、自分も裁かれるということである。」が胸を突く。裁判官役の萩原聖人と無罪を主張する元ボクサー役の新井浩文の熱演が光る。観て損のない社会派映画である。(山本和利)

2010年12月28日火曜日

日本の食

『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』の翻訳者である佐久間智子氏が日本語版解説として「日本におけるフード・システム」を掲載している。日本の食の問題が簡潔に鋭く指摘されている。ここだけでも読む価値がある。

現在の日本の食文化に米国の対日食料戦略が大きく影響しているという。1950年代の食料援助が、米国の余剰小麦の海外市場開拓に使われた。給食制度でパン食を根付かせ、米食のアンチキャンペンを行い、小麦輸入を増やした(これらは農薬の収穫後散布小麦である)。

「農業基本法」と「貿易自由化政策」によって国産より米国産農作物を多く消費する構造に変革されてしまったのだ。大規模な単一作物栽培を奨励し、そのため除草剤、殺虫剤、化学肥料の使用量が増大した。そして遂に今では、日本は主要な食料を輸入に依存する希少な先進国になってしまっている。そのため、国際価格が大きく変動すると生産者と消費者の双方に多大な影響をもたらすことになる。また、米国の戦略によって身についた新たな食文化(食肉、トウモロコシ偏重)が、最貧国から食料を奪っているという現実もある。

さらに食の質も問題である。抗菌薬の多用、乳牛への成長ホルモン(発がんに関与)の投与が問題となる。最近増えた養殖魚では水銀やダイオキシンの残留量が多い。野菜では農薬と食品添加物が問題となる。このような方向へ広告を通じて大手流通業界が消費者を向かわせているのである。

お手軽な還元主義的栄養補給(サプリメントやジュース)では健康になれない。自然と折り合いを付けて来た過去の食文化に学ぶべきである。自然農法や有機農法への支援が必要だ。「安い食料」政策からの脱却が望まれる。人手不足を解消するためには、都市生活者が発想を変えて、休日など農家を手伝うなどの政策を推進することが必要となろう。

このような現実を知ると、根本に関与しないまま、医療などにチマチマと関わっていても日本人の健康を守れないのではないかと居ても立ってもいられなくなる。

札幌医科大学の年内の通常勤務は本日が最終日である。皆様、よいお年をお迎え下さい!(山本和利)

2010年12月27日月曜日

肥満と飢餓

『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』(ダジ・パテル著、作品社、2010年)を読んでみた。著者は、世界貿易機関や世界銀行に勤務した経験を持ちながら、現場に赴き、当事者として相手の主張に耳を傾け、その学びと考察を膨大な資料を渉猟しながら実践に活かしているという。

各章からの抜粋。
10億人が飢えに苦しみ、10億人が肥満に苦しむ。これは同一の問題から派生している現象である。これらはシステムが生みだしている。貧しい人々は質の高い食品を手に入れることができない。農民が何を作るか、消費者が何を食べるかを自由に選択できないシステムなのである。例えば、農民が1キロ14セントで売ったコーヒー豆が、焙煎された後には26ドル40セントになっている現実がある。世界を見渡してもわずかな企業(20社)だけがコーヒーの売買に携わっている(生産者と消費者が多数いて、中間の企業が少ない。これをボトルネック状態という)。

現在のインドは「シャイニング・インディア」と言われる一方で、農民の借金苦による自殺または腎臓販売が後を絶たない。農民の言葉:「私たちには腎臓以外に売るモノがない」。低賃金雇用が低下している。韓国でイ・キョンヘ(農業改革のシンボル)の自殺。

「神の見えざる手は、常に見えざる拳を伴う」(自由選択には暴力が付きまとう、ということか)。北米自由貿易協定(NAFTA)が農業貿易も対象にしたため、メキシコ農民は米国の農業センターとの競争に追い込まれた。農村は不安定化し、若者が都市や海外に出て行ってしまい、農村が高齢化している。

フード・ビジネスが市場を動かし、政府を支配する。スーパーマーケットが消費と生産を支配する。常にバーコードでモニターされる消費者。農薬、遺伝子組み換え作物、大学・研究機関を操作している。飢餓に対して食料援助が行われた多くの国々では、十分な量の食料はあったが、分配の仕組みがなかった。

多くの食物に汎用されるレシチンは大豆から作られる。ブラジルの大豆プランテーションにより、森林は破壊され、先住民は土地を奪われ、農民は奴隷化されている。

フード・システム変革のための10の取り組み
1. 私たちの味覚を変える
2. 地元の食材を旬に食べる
3. 農業生態系を保全する食べ方を実践する
4. 地域の人々による事業を支援する
5. すべての労働者には尊厳を持つ権利がある
6. 抜本的・包括的な農村改革
7. すべての人に生活賃金を保障する
8. 持続可能な食のあり方を支援する
9. フード・システムからボトルネックを取り除く
10. 過去・現在に存在する不正義の責任を自覚し、その償いをする

本書は次の言葉で終わっている。「今こそ、組織化し、教育し、食を楽しみ、食を取り戻し、新たなフード・システムを生み出すときである。」

医療の世界では肥満に対してメタボ対策などを打ち出しているが、根幹にある食システムを変えずに対策を練っても空しいだけではないのか。(山本和利)

2010年12月26日日曜日

巡礼コメディ旅日記

『巡礼コメディ旅日記』(ハーベイ・カーケリング著、みすず書房、2010年)を読んでみた。

ドイツの有名コメディアンが「聖ヤコブの道」800kmを踏破した旅日記である(途中、列車に乗ったり、ヒッチハイクをしたりしているが)。ドイツでは「わが闘争」の次に売れたベストセラーだそうだ。本書を切っ掛けに「聖ヤコブの道」に出かけるドイツ人が倍増したそうだ。

旅の様子よりも、コメディアンとして成功するまでの思い出話が興味深い。苦行は人間を哲学者にする、苦を共にすると一生の友人ができる(ここでは二人とも女性であるが)、と本書が教えている。あえて苦行を求めはしないが、今の苦しさが自分自身を成長させると考え、乗り切っていこうと本書を読んで考えるようになった。(山本和利)

2010年12月25日土曜日

世界宗教事件史

本日はクリスマス。
『教養としての世界宗教事件史』(島田裕巳著、河出書房新社、2010年)を読んでみた。

各章からの抜粋。
人類はいつ宗教をもったのか?人類は宗教的な存在として出発したのではなく、広範囲に及ぶ社会や国家の集合体を統合することが必要になった段階で、次第に宗教性を深めていったのだろう。

ピラミッド建設が奴隷労働によるものではないという考古学上の発見が2010年になされた。

一神教だけで世界の宗教人口のおよそ半分を占めているが、ゾロアスター教が後世に多大な影響を与えている。ゾロアスター教は「善悪二元説」である。この二元論はマニ教に受け継がれる。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教である。宗教が抱える絶対的矛盾は、絶対の善である神が創造した世界になぜ悪が蔓延るのかという点である。一神教か多神教かの違いより、根本に悪を認める二元論か認めない一元論かの違いのほうが重要な意味を持つ。

形にして描かれた神は、描き出されたその瞬間に絶対的な神聖性を失う。三つの一神教の中で、偶像崇拝の禁止が最もゆるいのがキリスト教である。聖なる世界と俗なる世界を区別し二つの世界の異質性を強調する(俗なる世界の価値を否定)。「出家」という行為に価値が与えられた。

なぜ開祖は自らの著作を残さないのか?仏典はインドにもとになるものがなく、すべてが偽経であり、中国、朝鮮、日本で膨大な仏典が作られた。そのどれを基盤にして教えを組み立ててゆくかで、「宗派」というものが生み出された。仏教は、膨大な数の仏典が作りあげた巨大な教えの宇宙を意味している。そその仏教の自由さがある。

アウグスティヌスの回心体験の重要性は、キリスト教に改宗することが、淫蕩な生活から離れることを意味するようになった。堕落した存在がその事実を受け入れ善に立ち返るならば世界は救われる(善悪二元論に対する一元論の勝利)。

このような内容が10ページの長さでまとめられている。「モンゴルの世界征服が原理主義を生む」、「ルターの意義申し立てが資本主義を生む」・・・「イランのイスラム革命が世界を変える」等、興味深いタイトルが並んでいる。

多くの日本人にとって、クリスマスは家族や仲間とケーキやアルコールを摂る日なのかもしれないが、宗教についてふと考える瞬間くらいあってもいいのではないだろうか。(山本和利)

2010年12月24日金曜日

FLATランチョン:救急蘇生術

12月24日、特別推薦学生(FLAT)を対象にランチョン講習会に参加した。3名が参加(冬休みで帰省中の学生多し)。河本一彦助教が「BLS」の講習を行った。

今回は蘇生講習用の人形を2体、第二内科からお借りした。
はじめに羽幌病院支援の中に救急車で受診した患者の話。救急隊からまず電話。「2歳の女児が飴を喉に詰まらせている。これから5分で行きます。バイタルは安定している」。救急隊到着時に母親は女児の背中をあわてて叩いていた。泣きながら母親に抱かれて来院。診た瞬間大丈夫だと思った。泣いているのは息ができている証拠である。

前回の復習。救急医療と災害医療の違い。2010年からABCからCABに変わった。循環確保が一番大事。心臓マッサージとして胸骨圧迫を1分間に100回以上することが大事。
救命の連鎖(Chain of Survival)が大事:迅速な119番、迅速な心肺蘇生法、迅速な除細動、迅速な高度救命処置。



3人一組で実習開始。65歳の男性。通勤時、胸が痛い。(朝、道端に男性が倒れていた。)声かけ(「大丈夫ですか」)で反応をみる。意識がない。誰かを呼ぶ。誰かが来た。救急車とAEDの手配を頼む。オトガイ挙上法で呼吸を確認する。頸動脈の拍動を確認する。(見て、聞いて、感じて)。一人が気道確保(2回吹き込み:無理に実施しなくてもよい)。もう一人が胸骨圧迫(30回)。AEDが到着。AEDの組み立て。AEDの指示に従う(スイッチを入れて、パットを装着、患者から離れてショックを行う、すぐ胸骨圧迫)。救急車が来るまで胸骨圧迫を続ける。疲れたら交代。

最後に、バック・バルブ・マスクを使って呼吸。頭の正面に立って、3本の指を顎の下に入れて両手で気道確保。5秒に1回注入。

学生からの質問:「呼吸をしている・心臓が動いている場合は?」救急車を呼ぶ。「横断歩道の真ん中であったら?」助けを呼んで、安全な場所へ運ぶ(下がフカフカでは駄目)。「胸毛がすごく生えている場合は?」一枚目のパッドを貼って、勢いよくはがし、2枚目を貼る。「ペースメーカーを装着している患者は?」その場所を避ける。「湿布を貼っている患者は?」はがす(はばさないと火傷する)。「ネックレスをつけている患者は?」外す。「プールサイドで体が濡れている場合は?」水分をふき取る(みんなが感電する)。

細かな解説を交えた元気な指導。学生のできたところを褒めて、気持ちよく実習は進む(山本和利)

今夜は最高

『今夜は最高な日々』(高平哲郎著、新潮社、2010年)を読んでみた。

タモリ司会のバラエティ番組「今夜は最高」からタイトルは取られている。表紙もTV番組のオープニング場面である。挿絵は和田誠。1980年代(私が医師になったばかりの頃)のテレビ、落語、ジャズ、等のことが綴られている。

第1章のジャズミュージシャンの話に、落語の演目が付いている。ジャズと落語への造詣の深さがわかる。

第2章、「今夜は最高の日々」では『今夜は最高』のことが書かれてる。赤塚不二夫を筆頭にして真剣に遊んでいる様子が綴られている。その頃の番組の出演者や内容が克明に記されており、また観たくなる。あの頃、毎週23時の開始の時間を妻と待った頃を思い出す。著者たちを含め、番組に関わった人たちの笑いへの真剣な姿勢がよくわかる。「今夜は最高」をキーワードで探すとYou Tubeで観ることができる。

どの世界であれ、一流を目指す人たちの活動や意気込みは参考になる。「今のTV番組は低俗」と揶揄されているが、医療も真面目に取り組まないとテレビ界と同じようなことを言われかねないのではないか(もう言われている?)。

本日はクリスマス・イブ。教室員で洞爺温泉病院に勤める敬虔なクリスチャンである岡本拓也先生からクリスマス・メールをいただいた。緩和医療の専門医試験に合格したとのこと。北海道では初の専門医誕生だそうだ(北海道で2名)。合格率20%の難関突破、おめでとうございます。個性豊かな教室員がそれぞれの人生に花を咲かせてゆくのはうれしい限りである。(山本和利)

2010年12月23日木曜日

I am wrong

札幌に来てから12年間、天皇誕生日は働いている。

『言い残しておくこと』(鶴見俊輔著、作品社、2009年)を読んでみた。

母親についての言及がすごい。彼女は愚かで気狂いであったと述べている。「You are wrong」と息子を愛という名で責める母親に、「I am wrong」で生き抜いてきたと述懐している。宗教にしても、共産主義にしても「You are wrong」を押しつけて来ると。それが厭だから宗教にも主義にも従わないと。これを読んで私の母親に似ていると思った。私は母親に優等生であることを求められ、悪さに対してはお灸をすえられ、棒を持って追いかけられたこと、熱が出て学校を休むと氷枕で頭を冷やしてくれながら布団に入ってきて抱きしめてくれていたこと等を懐かしく思い出す。

インタービュの中で印象深い人物に言及している。抜粋すると、「東大から小田実のような人間が出たのは奇跡だ」。幕末から150年のなかでいうと、ジョン万次郎と小田実がすごい。脳卒中後の姉鶴見和子を評価(それ以前の80年は評価していない)。戦後ショックを受けた人は、武谷三男と花田清輝。自分がやっていること、やったことを入れ込んだうえで歴史をみることができる人物として、羽仁五郎、武谷三男、竹内好、吉本隆明を挙げている。

著者の家系は勲一等をもらった人が多い。それを避けるために大学教授を止めたという。私にそんな機会は与えられるはずはないが、心構えとして見習いたい。著者が挙げた人物の著作を読みたくなった(羽仁五郎、武谷三男は懐かしい、大学生のとき読みました)。(山本和利)

2010年12月22日水曜日

精進料理

先日、高野山の宿坊「一乗院」に泊まり、精進料理を味わった。仏教では僧は戒律五戒で殺生が禁じられており、大乗仏教では肉食も禁止のため、野菜・豆類など、植物性の食材を調理して食べる。参詣参篭が信仰の重要な一部となる真言宗系の高野山では、精進料理は僧侶には必須の食事であり、食事もまた行のひとつである。ここでも、研修生が食事の接遇にあたっていた。参拝者を宿坊に泊め、精進料理を提供して仏門の修行の一端を体験させている(こうすることで商売ではなく、宗教活動とみなされれば、税金の額も違ってくるという説もある?)。


夕食の中の一品にアボガドがあり、醤油をつけて食べるよう勧められた。時代に合わせて、メニューも少しずつ変化してきているようだ。

忘年会のシーズンである。たまには健康のために精進料理などがよいかもしれない。(山本和利)

地域密着型チーム医療発表会

12月21日、15:10-17:30、札幌医科大学の3年生を対象に行った「地域密着型チーム医療」の実習報告会を1年生の発表に引き続いて拝聴した。SEAの手法を用いて報告。
■中標津地区
□患者・家族の講義を中心に発表。
・ぽれぽれの会(のんびり、ゆっくり、自分らしく)
・障害という意味:個性ではないか。コケイン症候群:医師の告知の仕方、看護師:患児との接し方、OT/PT:家庭でのリハビリ。
・地域を変える、病院外での活動が大切。
・医療と患者のつながり:患者の生活を把握し、チョットした変化を見逃さない。
中標津の藤田さんからコメント:患者さんを病気ではなく、人としてみてほしい。

■別海地区
□健康教育の報告:事前に高血圧が多いことを察知。塩分が高い食事を想定。
・BMI,血圧の測定
・「高血圧と食塩」についての講義、クイズを取り入れる。
・減塩の工夫、食べ比べ
・老人クラブの方々の関心の高さを実感。
・幅広い知識も必要と実感。
地域医療は住民・医療関係者・行政が相互に努力して作ってゆくもの。地域住民もチームの一員。札幌が特殊(十分な医療環境)で、地域が普通。北海道についての知識不足。
教員からのコメント:これからどう行動してゆくかが重要。
□児童肥満、母子保健
・助産師、保健師の負担が増加している。異常分娩を扱えない。
・こまめなケアができる。
・「元気な体を作ろう」:食事と運動について、適度な運動を定期的に。お菓子を減らす。町内においても地域差がある。小学生でも健康意識が高い。
・予防医療に力を入れる。
・チーム医療はドラマの作成に例えられる。患者が俳優。保健師は現場監督。医師はプロジューサー。OTは衣装係。PTはメイク係。看護婦はマネジャー。一丸とならないとよい作品はできない。

■根釧地区(和歌山県立医大の看護学生も参加)
□相互理解
・連携、医師との信頼関係、健康教育、他大学の看護学生との関わり、4つの場面で気付き。
地域医療、チーム医療(幅広い視点)に「相互理解」が必要である。相手を理解し、自分自身を知り、相手に自分を知ってもらい、信頼関係を築く。この実習に参加しなかった仲間にこの実習の成果を伝える。北海道に愛着を持つ。コミュニケーション能力を涵養する。

■西紋別地区
□西興部村の家庭訪問
ステンドグラスの製作で生計を立てている女性。若年性パーキンソン病、高血圧、喘息、PBCを持つ。家事をリハビリの代用にしている。一緒に歩く。声かけが逆効果になる。この方の全体像をまとめることができた。
・保健師が何役もこなしている。QOLが重要。在宅に適したケアが必要。その地域で可能なこと、不可能なことを明確にして、他地域と連携するのが大事。
・「地域医療とは一枚の絵である。」医療者は絵具。一色が足りなくても、その他の色を混ぜ合わせると不足の色を作ることができる。対象者のパーソナルカラーを見つけ出す医療者になりたい。
高橋先生からのコメント:行政がパレットである。福祉課と一体化することが重要である。
□自主サークル活動
・柔軟体操、ゴム体操、同時に歌合戦、リズム・ダンスに参加した。とにかく元気。笑いが絶えない。参加者同士の体調への気配り。参加者が主体的に運営。BGMの乗りがよかった。
・介護予防が重要。サークルを通じて参加者の健康意識が高まる。地域の健康活動が高まる。
地域医療との関わり:より地域に根付いた「健康」を作ることができる。住民のチームの一員として取り組んでゆくことが重要である。

このような学部を越えた実習を通じて、学生が自然に幅広い視点を獲得していることが確認できた。彼らがこれからの医療を変えてくれるかもしれない。そんな期待を持たせてくれる報告会であった。(山本和利)
 

2010年12月21日火曜日

地域密着型離島実習の発表会

12月21日、13:30-15:00、札幌医科大学の1年生を対象に行った「地域密着型離島実習」の報告会を拝聴した。発表担当のそれぞれのグループ全員が登壇し発表し、その後に質問に答える形式をとった。
■地域包括診療センター
・高齢者にとって介護サービスと医療との架け橋になる人が不可欠。
・日常生活の相談役
■老人保健施設
・みんなにこやか仲よし家族
・集団体操、ストレッチ。
・実習を通じての学部間の「つながり」を強調。学部間の壁がなくなった。
■鴛泊診療所
・天候によって患者数が変動する。産業と密接な関係がある。
・住民のニーズにあった医療を提供している。
■利尻島国保中央病院
・申し送り見学、病棟見学で患者さんから聴きとり、内科外来見学、看護師不足を痛感、内視鏡見学、放射線検査室見学:「患者さんとの距離が近い」
・講演:離島医療に必要な6つのこと。「地域を見る」「出向く」「頑張っている人を知る」「資源を探す」「話を聞く」「地域を愛する」
■施設「やすらぎ」、「希望」「ほのぼの荘」「秀峯園」
・お互いに助け合って生活している
・癒しの空間であった。
・コミュニケーション能力の必要性を感じた。
■Photovoice(写真に声をつけて)を報告
・利尻富士の写真「自然の雄大さ」、利尻の海と山、差し入れられたアワビ、ウニ丼と舟の写真。七夕にかかれた願い事「島はこのままで」、初めて感じた生命の発生、昼食風景「何でこんなに美味しいのだろう」。かもめの写真「出会い」「ついてきな!」「昆布の並ぶ海」、博物館での患者さんの写真「昔を思い出して」、「衰え知らずの95歳」、オタトマリ沼、姫沼の写真、夕日の写真。

途中、利尻在住の高橋先生が「オオセグロカモメ」と「ウミネコ」の区別の仕方を教えてくれた。山田先生から「コウモリ観察」もしたと報告あり。

それぞれのグループが一つのテーマを選び、熱い思いを込めて、10分間のナラティブにして心に浸みるような発表をしてくれた。この気持ちをあと5年間持ち続けて素晴らしい医師に、ナースに、理学療法士に、作業療法士になって欲しい!(山本和利)
 

和歌山県立医大での講義

12月20日、和歌山県立医科大学の4年生に「地域医療の現状と取り組み」の講義を行った。今回がはじめて3年目である。

映画の話を導入に「合成の誤謬」の話をした。医療界においても医師それぞれが自分自身の眼の届く範囲で一生懸命やっていても、総和として地域医療がうまくゆかないことに結びつけて話した。

次に実際に出会った患者さんの例を挙げながら、現実の医療の現場は混沌として、単純化できず一筋縄ではゆかないことを話した。

最後に、札幌医大の4年生にも話した地域医療再生の5つの作業仮説を述べた。(札幌医科大学地域医療総合医学講座の講義を参照)

学生の感想文を読むと、私としては医師の能力一般のつもりで話したものが、総合診療医の話として捉えられているようだ。疲れているのか昼食直後のためか、机に顔を伏せている学生が多かった。1/3の学生には私の講義が医療のあり方や地域医療について再考する切っ掛けになってくれたようだ。2年前の学生に比較し、反応に勢いが感じられないのがやや寂しい。座学で学生に医療の現場感覚を伝えるのは難しい!その一方で、現場での教育はうまくいっている。和歌山医大と札幌医大の研修医の地域医療交換プログラムは、研修医に好評であり、今後も継続しそうである。(山本和利)

2010年12月20日月曜日

高野山訪問記


12月19日、自治医大の同級生廣内幸雄院長が赴任している和歌山県高野山病院を訪問した。翌日、和歌山県立医科大学に地域医療の講義で呼ばれていた(今回が3回目)ので、和歌山に来る最後のチャンスと思い、思い切って伺うことにした。

朝8:00家を出発。関西空港に12:25着。廣内先生が直々に出迎えをしてくれた。先生の車で高野山へ向う(約90分)。途中、華岡青洲の春林軒塾の跡地「青洲の里」を訪ねる。1804年に世界で初めて全身麻酔による乳がん手術を施行ところである。1年生に医学史の授業で教えていたので、一度は訪ねてみたかったところである。



S状の山道をしばらくゆくと高野山の入り口に到着。そこに「大門」があり、記念写真撮影。そして総本山金剛峯寺を拝観。廣内先生の顔パスで拝観コースを行く。顔見知りの人たちから次々に挨拶をされる。高野山に来て30年ということでこの町では知らない人はいないようだ。その後、弘法大師が安置されている奥ノ院へ。そこで織田家、豊臣家、徳川家、等の墓にお参りをする。歩くだけでもかなり疲れる広さである。

最後、役場の裏手にある高野山病院を見学。2階建で現在は常勤4名の医師が勤務。入院患者は減少傾向にあるが、観光客への配慮もあり、簡単には縮小とはいかないということらしい。院長になっても月6日の当直があるという。事務の方からコーヒーとチョコレートを出され、一息入れる。

宿は病院近くの宿坊「一乗院」。若い僧侶の案内で部屋に通される。個室には炬燵が用意され、ミカンとセンベイが乗っている。そこへ抹茶と甘い和菓子のサービス。夕食までポンカンが浮いた湯船で入浴を一人楽しむ。BS放送が見られる。室内からインターネットにも接続できる。チョットしたホテルより高級である。

夕食は宿坊の精進料理を廣内先生と楽しむ。アルコール可である。男性の給師が物珍しい。オーストラリアの4年生大学卒業後に方向転換した男性もいた。

翌日、6:10本堂での勤行に参加。冷とした空気の中、読経が響き渡る。弘法大師の教えは「今を充実して生きよ」ということだ。朝食後、廣内先生に和歌山医大に送っていただく。途中、密教美術を見学させていただく。感謝、感謝。(山本和利)

2010年12月19日日曜日

壁の時代

『生きるための自由論』(大澤真幸著、河出書房新社、2010年)を読んでみた。

最初の自由について書かれた2章は、私には難し過ぎた。最後におまけのようについている「壁」の話が興味深い。

1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊した。そこから始まったユートピアを、フランシス・フクヤマは、「歴史の終わり」と名付けた。その後、大きな2大対立は消滅したが小さな紛争は続いている。2001年9月11日の同時多発テロで「歴史の終わり」と言われたユートピアも終わった。そして一つの壁が崩壊した後、セキリティ上の無数の壁ができ始めた。2008年にサブプライムローンに端を発した金融崩壊が起こり、我々は、地球規模の壁の時代を生きることになった。米国の高所得者はゲートを施した地区に住み、世界の若者・オーム信者等が壁に囲まれた部屋に引きこもる。

無数の壁に囲まれて生きなければならない我々はどうすればこの状況を打破できるのか。本書には状況の分析のみであり、その答えは書かれていない。(山本和利)

認知症・BPSDの今

12月18日、札幌市内のパミールで行われた北海道BSAP研究会の講演会「認知症・BPSDの今」を拝聴した。

はじめは、砂川市立病院の内海久美子先生の講演知症におけるネットワーク構築の実践」。
院内、地域の医療機関、地域社会資源、地域住民との連携が必要である。

中空知の実情:少子高齢化地域である。診断が難しい。精神科(BSAPの治療)、神経内科(神経症状を伴う診断)、脳外科(脳血管性の鑑別評価、水頭症の治療)、臨床心理士、放射線技師(MRI,SPECTの画像解析)、精神福祉士等の協働。認知症の62.5%がアルツハイマー病であった。初診の診断が2回目で変更になることがある。

医師会から34の医療機関が参加してネットワークを形成。ケアマネジャーとのネットワーク(双方向型情報交換):認知症知識の普及に貢献。かかりつけ医との連絡。地域との窓口(ソーシャルワーカー);在宅支援の必要性、社会福祉援助、病状の地域で把握。認知症を支える会:家族への支援、介護者への支援、かかりつけ医への支援。市民フォーラムの開催(250-500名が参加)。認知症社会資源マップの作成(紙版、インターネット版)。ケアスタッフ講演会、ケアスタッフ研修会。事例研修。介護者や専門職のサポート。北海道認知症研究会を設立。地域住民参加型支援活動。ボランティアに求めるもの:患者玄関先での挨拶、話し相手となってもらうこと。ボランティアの会「ポッケ」の会が立ちあがった。

後半、「認知症ケアネットワークの必要性」、「BPSDの治療」の講演があった。詳細は略す。
砂川市立病院で精力的に問題解決に取り組んでおり、一般の健康問題への取り組みに参考になった。(山本和利)

2010年12月18日土曜日

彼女が消えた浜辺

『彼女が消えた浜辺』(アスガー・ファルハディ 監督:イラン 2009年)というイラン映画を観た。

テヘランからほど近いカスピ海の沿岸のリゾート地に中産階級の三家族がヴァカンスを過ごしに来る。男たちがビーチバレーに興じ、女たちが食事の支度をしている間に、海辺で遊ぶ男の子が波に呑まれる。その事件をきっかけに、子供が通う保育園の先生エリが消える。溺れたのか、失踪したのか。そこからこれまでの明るく喧騒な場面が一転し、波音が打ち寄せる中、暗く重苦しく、様々な感情にさいなまれた場面が観客を心理サスペンスに引きずり込む。本作は、第59回ベルリン国際映画祭最優秀監督賞を受賞している。

やがて明らかになる真実が、三家族の男女たちを苦しめていく。結末を知ると、文化的背景が大きく影響していることがわかる。イラン人のナラティブを知る機会となろう。

患者の苦悩を理解するには、患者の背景を知る必要があるという姿勢に通じる。(山本和利)

2010年12月17日金曜日

インビクタス

『インビクタス 負けざる者たち』(ジョン・カーリン著、NHK出版: 2009年)を読んでみた。 原題は「Playing the enemy」であるが、翻訳タイトルは映画の題名と同じにしている。映画を観てすぐ市立図書館に本書を予約したが、順番が来るのに半年以上かかってしまった。

本書は、南アフリカ共和国初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの苦難の人生を綴っている。前半が監獄と出獄後の半生、後半がラグビー・ワールドカップという構成になっている。反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され27年を監獄で過ごしたのに、白人に復讐せず、逆に新体制に取り込んでゆくマンデラの姿勢は驚嘆に値する。これは持って生まれた資質なのだろうか。私にはとても出来そうにない。黒人と白人のわだかまりを捨てさせ一体化させるために、ラグビーを通じて国民の意識を変えることができると信じて、弱小だった南アフリカ代表ラグビーチームの再建を決意する。黒人が反発するチーム名「スプリングボクス」という名前をあえて残す。自国開催するラグビー・ワールドカップに向け、マンデラはチームキャプテンのフランソワ・ピナールや選手達に、対話を通じてエンパワーを施してゆく成り行きや最後にラグビー・ワールドカップで優勝し、国民が一体になってゆく過程を読んでゆくと知らないうちに涙が出てくる。真に尊敬できる政治家とはマンデラのような人をいうのだろう。

『インビクタス 負けざる者たち』(監督 クリント・イーストウッド)は2010年に日本でも公開された。こちらはラグビー・ワールドカップを中心に描かれているが、やはり観る者に感動を与える。マンデラ役のモーガン・フリーマン、 フランソワ・ピーナー役の マット・デイモンもよかった。

西部劇を卒業した監督としてのクリント・イーストウッドの活躍は素晴らしい。「チェンジリング」(2008)、「グラン・トリノ」(2008)、「父親たちの星条旗」(2006)、「硫黄島からの手紙」(2006)、ミリオンダラー・ベイビー(2004)がお勧めである。特に一本に絞ると「グラン・トリノ」となろう。これはマンデラの生き方(利他主義)に通じている。(山本和利)

2010年12月16日木曜日

医師に必要とされる能力

12月15日、医学概論Iで「医師に必要とされる多角的能力」という講義を行った。これは札幌市内の医療機関で行う実習の導入として企画されたものである。

まず、医師の仕事について高校生レベル向けに書かれた本の内容をかいつまんで紹介した。
後半、これまでに私が出会った様々な患者さんたちのことを提示した。リアルな社会の物事は、複雑で、不確実で、不安定で、独特で、価値観に葛藤があり、単純な対応ができないことを示した。

1年生は、4年生たちとは異なり、内職をしている学生などなく、目を輝かせて聞いてくれた。大変気持ちよく講義ができた。

講義終了後、「あなたが考える医師に必要な能力」「実習に望む意気込み」等を書いてもらった。臨床の話に飢えているようで、「はじめて医学部入ったことを実感できた」、「臨床が複雑であることがわかった」、「コミュニケーションの重要性を再認識した」等、たくさんの気づきが見やすい字で紙いっぱいに記載されていた。学生全員が聴講したことを喜んでくれており、講義した私としては望外の喜びであった。(山本和利)

12月の三水会

12月15日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は11名。大門伸吾医師が司会進行。

振り返り5題のうち、札幌医大の講義と重なったため聞けなかった2題を除いた後半の3題を報告。

整形外科研修中。寒くなってから手を押さえている高齢者が数名いる(雪道での転倒による骨折患者)。
日曜日夕刻、意識障害・発熱で救急搬送された入院となった91歳男性。肺炎患者という触れ込みで呼ばれた。1週間前から食事摂取できず、37度の発熱。寝たきり、反応が低下したため受診。咳・痰などなかった。既往;肺炎球菌肺炎で入院。胸部大動脈瘤。ここで意識障害の鑑別診断。誤嚥性肺炎、慢性硬膜下血腫、脱水、尿路感染症、肺塞栓、等が挙がった。開眼しており、呼びかけに応答。JCS-1ケタ。BP;127/84mmHg, HR:90/m, SaO2:90%, 心音、肺音:異常なし。皮疹なし。四肢まひなし、感覚障害なし。WBC;6900, CRP;7.8,Na;150, K:3.2, BS;90mg/dl, ECG;大きな異常なし。
胸部CTをコンピュータ上で見ることができなかった。XPで浸潤影あり。大部屋に入院させて、血液培養、尿培養、抗酸菌染色を指示。検査技師を呼ばず、一般抗菌薬で治療開始。翌日、コンピュータ上でCTを見たところ過去になかった空洞が散見された。前回の入院のとき、器質化肺炎としてステロイドを投与されていた。抗酸菌染色が陽性で結核と診断。(胸部CTを供覧)。
振り返り:当直医の肺炎という情報を鵜呑みにして再検討しなかった。結核を全く考慮に入れなかった。「魔がさした」。高齢者の肺炎に結核を入れていなかった。ある病院では、肺炎と診断された患者は全員肺結核を否定してから入院させている。病院全体としての感染症対策システムを構築する必要を感じた。今回はされなかったが、高齢者の肺結核について文献検索が必要であることを参加者から指摘された。
クリニカル・パール:「高齢者を見たら結核と思え」、「結核は忘れたころにやって来る」。

ニポポ卒業生:家庭医試験合格の報告。ブログは振り返りのツールになりうるか?質的研究のやり方をパロディとして報告。ポートフォリオは未来に活かすツール。佐藤健太先生のブログはすごい。ブログは続けてゆきたい。地域医療万歳と言いながら、来年に突撃してゆきたい。ブログの効用について様々な意見が出された。

麻酔科での研修内容を報告。便潜血陽性で診断された患者。右大腸癌切除術を施行されたが、未告知で、発作性心房細動、脳梗塞後遺症がある。本人は他人任せ。娘が手術希望。このような場合、皆さんはどうするか?


今回は忘年会もその後に控えていたため、参加者も多く、報告も多かった。若者たちとディスカッションするのは楽しい。忘年会は時期ニポポ研修医も参加し、1年間の苦労をねぎらってお開きとなった。(山本和利)

2010年12月14日火曜日

臨床哲学講座

『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(鷲田清一著、筑摩書房、2010年)を読んでみた。

難しい内容を難しく話す人(学者)は多いか、それをわかりやすく話す人は少ない。著者は数少ない後者である。
本書は、意味について、ふるまいについて、人格について、生理について、ホスピタリティについて、責任について、自由について、コミュニケーションについて、弱さについて、家族について、市民性について、知性ついて、等を分かりやすく掘り下げて解説してくれる。

「ホスピタリティについて」の章では、待つことについて考察している。現在は、待つことがなくなった。携帯電話の普及で待ち合わせの場所で待つ必要がない。TVコマーシャルの終わるのが待てない。母親は子どもの成長が待てない。大学も「評価制度」を導入して、長期間の成果を待てない。

「待つことの大切さ」を説いている。「訪れを待つ」、「寝かせる」も同義である。期待して待ってはいけない。「イニチアチィブの放棄」である。待つとは苦しいことである。なかなか報われない。期待することを断念し、祈るようにして待っていた事柄をも諦める中ではじめて、本当の待つが始まるという。(私の場合、新たな教室員が入ってくれるを待つのが辛かった。ニポポ・プログラムに研修医が入ってくれるのを待つのも辛かった。できることをして待つしかないのだが・・・。)自分を「待つ者」としてはなく、「待たれている者」として受け止める。相手を立てること、相手が一番心地の良く思う状態へともっていってあげること。これがホスピタリティの思想である。

「知性について」の章。一番大事なことは、既にわかっていることで勝負するのではなく、むしろわからないことのうちに重要なことが潜んでいて、そしてそのわからないもの、正解がないものに、わからない、正解がないまま、いかに正確に対処するかということなのである。(総合医・家庭医の対応に似ている)。それなのに現実では二者択一を迫られ、即答を求められる。必要なことは、同調できない者と意見を摺り合わせてゆく対話の技量である。

本書を読み進めると、現実の問題解決にとまどい、一歩も前に進めずいる自分自身が、それでいいのだと慰められる。不思議な本である。(山本和利)

地域再生の罠

『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか』(久繁哲之介著、筑摩書房、2010年)を読んでみた。

地域再生策のほとんどは、「成功事例を模倣する」という発想に基づいているが、それには2つの欠陥があるという。1)専門家が推薦する事例は、実は成功していない、2)稀な成功事例は異国や昔の話で模倣が極めて難しい、ということである。

大型商業施設への依存が地方を衰退させる。地方固有の文化や資源を活かそうとする「市民の営み」に求めるべきである。街を見る者には「視察」ではなく「体感」することが求められる。地域再生の施策は「提供者側の中高年男性」だけで策定されることが常態化している。それが一番の問題である。アンケートの8割は結論が事前に決まっているので参考にならない。施策者は失敗に目を向けないし、責任を取らない。ないものねだりをして、地域にある資源には無関心である。モデル地区を褒めそやす提灯持ち。車優先空間が空き店舗をさらに増やす。女性グループや若者の会話に耳を傾ける方が余程役立つ。

著者の提案:1)人優先空間を作る、2)市民が安心して連携・参加出来る仕組みを創る、3)利益は個店単独ではなく、地域全体で出す、4)大型店やネット店と戦わない戦略を構築する。宇都宮の「ギョウザ、カクテル、ジャズ」、松江の「水の都、カフェの街」。ブランド化で豊かになれるのは一部の産業者だけ。オヤジ視線のない店が大人気。オヤジ色に染まる地域はさらに衰退。首長の意欲が役場を変える。市民の足を斬り捨て、駅前開発を優先。鉄道廃線後の地域は著しく衰退する。人より車を優先する都市は衰退する。

市民と地域が豊かになる7つのビジョン。1)私益より公益、2)経済効果より人との交流、3)立身出世より対等で心地よい交流、4)箱物より市民が優先される地域作り、5)市民の地域愛、6)交流を促すスローフード、7)心の拠り所となる居場所。

著者は、特にスローフードとスポーツクラブによる交流の場を強調している。住みたいと思わせる地域でないと医師も行かない。地域医療再生の前に地域再生が求められる。我々医師はどうか関わればよいのか。試行錯誤を続けたい。(山本和利)

地域医療講義:総括

12月14日、札幌医科大学医学部4年生を対象に「地域医療講義:総括」というまとめの講義を行った。
導入はいつもの如く、映画の一場面から入った。北海道大学でも5月に行ったものと同じ内容。
・「洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真」。さて、どうしてでしょう?
・「小児悪性腫瘍がフランスの農村で増えているという話」を聞いて、さて、あなたが医師ならどうしますか?
・「家の前に山のような堆積物の前に立つ少年。」これは何でしょう?何をしているところでしょうか?
 そして、医療の話。
1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。大学で治療を受けるのは1000名中1名である。

今、医師になる者に求められるものはなにか?
医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介。
研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。その根拠として、Shojania KGの論文How Quickly Do Systematic Reviews Go Out of Date? A Survival Analysis. Annals of Intern Med 2007 ;147(4):224-33の内容を紹介した。効果/治療副作用に関する結論は,系統的レビューが発表後すぐ変更となることがよくある.結論が変更なしに生き延びる生存期間の中央値は5.5年であったからである。(5年間で半分近くが入れ替わる)

N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。

Engel GLのBiopsychosocial modelを紹介。フィードバックする層構造のシステム。

後半は、地域医療再生の試みとして5つの作業仮説を紹介。
作業仮説1.さまざまな臓器専門医を養成する。プライマリケア教育2年。臓器専門教育→臓器専門医取得。彼らが地域医療もする、という案。現状に近いが実効性がない。
作業仮説2。臓器専門医を50%、総合医を50%にする。車の両輪のように。しかしながら総合医志望者が少ない。どちらにも人間力が要求される。ある年の総合医希望者:0.8%。
作業仮説3.若者に期待する案。初期研修終了後、8,000名全員が1年間は地域医療に従事する。
作業仮説4.医師集団の自主性にまかせる。都市部に集中。臓器専門医に集中。開業医の増加・病院勤務医の減少。地域医療に従事する医師がいなくなる。その結果、医者以外の者に地域医療を任すことになる。Evidenceのあるものはナースがおこなう。地域の人格者に、生活相談にのってもらう。
作業仮説5.総合医チームによる循環システム構築する。総合内科医をめざす若手医師の確保。全国から若手医師が集まるような魅力のある教育研修病院作り。

学生への課題として、地域医療再生プランを書いてもらったところ、「医師を増やしても地域医療は再生しない」という意見が多かった。短期間であれば、地域医療に従事したい、強制的にすべきであるという意見も散見された。

この「地域医療」講義を14回聴講して、地域医療・総合医・家庭医に興味を持つようになったという感想が寄せられている。企画者としてはうれしい限りである。(山本和利)

2010年12月13日月曜日

札幌市内の地域医療:医療の在り方

12月13日、旭町医院の 堀元進先生の講義を拝聴した。講義のタイトルは「札幌市内の地域医療」である。今年度は体調を崩され退院後の授業となった。

まず、辛くない授業を目指すことを宣言。札幌医大の臨床実習の様子を紹介。患者さんと一緒に歩むのが医師。学生;「心臓は動いてますヨ」、患者は「よかった」と答える、レベルから始まる。血液検査の数値の意味を理解して欲しい。AST,ALT:逸脱酵素、BUN,Cre:排泄されない、CEA;産生。

今回入院となった自分自身の症状は腹痛、持続する下痢。大腸内視鏡で回盲部に潰瘍病変が多数あり。検査データを示す。最終診断はクローン病。ここで鑑別診断を提示。メサラジン内服して炎症を抑える。ステロイドを併用。CBTの助けになればとあえて披露されたようだ。

在宅医療の話。「なんだか具合が悪い99歳の男性」血液検査でCRP;24。ポータブルXPで肺炎と診断。どうして在宅医療に行くか。在宅医療の機械がすごく進歩した。褥瘡への対応。出張入浴もある。胃瘻造設患者、気管切開患者、脳梗塞後遺症など慢性期の患者を医師・看護師が支えているのだ。

日本医師会の医の倫理綱領を提示。一言でいうと「医師は大変だが、ヒトの役に立つ職業である。」医師の卵の倫理綱領として、医の倫理綱領のパロディ版を提示。学生にとってわからないこと、覚えることが多すぎると共感を示す。学生も共感?医師になると自信がなくてもやらなければいけないこともあると主張。

「患者に希望を与える」。ALS患者は呼吸筋麻痺で気管切開。パソコンでコミュニケーションする。旅行が好きな患者を沖縄まで連れていった。医療者が患者の思いに寄り添うことが大事。

「患者さんの思い」を汲み取る。胃瘻、気管切開、肺がん、甲状腺がんで苦しむ患者さんのビデオを10分間提示。大学病院の医師を受診し、化膿性頚椎炎だったのにホットパックを処方された。学生へのメッセージ:面子を捨てて素直になって欲しい、患者のちょっとした言葉に耳を傾けて欲しい、とかすれた声で切々と訴えた。

「医師の眼」を広く、深く、遠くまで。ネパールの人々の生活している写真を提示。腹部膨満の患者の原因は寄生虫や細菌が多い。病院に行くことができない人も多い。骨折患者の牽引は建設用のブロックを使っている。

学生へのメーッセージ:やるべきことをやり、目標を見失わず、初心を忘れずに努力を続けるべき。試験に落ちるな!夢はその先にある。

学生には堀元先生や患者さんの訴えが伝わったようだ。感想文には、試験を通るように努力し、臨床実習では患者さんの声に耳を傾けたいという意見が多数寄せられた。堀元先生、楽しい講義をありがとうございました。(山本和利)

2010年12月12日日曜日

科学哲学

『ブックガイドシリーズ基本の30冊 科学哲学』(中山康雄著、人文書院、2010年)を読んでみた。

科学哲学に関する著作30冊を紹介している。科学哲学前史の章にあるアリストテレス『自然学』、ガリレオ『天文対話』くらいはついて行ける。アリストテレスの四原説は有名。地球中心の有限宇宙論はアリストテレスの自然論と天文論に基づいた説であるが、それに異を唱えたのがコペルニクスで、望遠鏡を用いて得られたデータからアリストテレスの宇宙論を批判したのがガリレオである。『天文対話』は架空の人物3名による4日間の対話から構成されているという。次のカント『プロレゴメナ』、マッハ『時間と空間』となるとついて行けず読み飛ばしたくなる。

章は「論理実証主義」、「パラダイム論」、・・・「個別科学の哲学」と続く。自分自身が馴染みのあるところを掻い摘んで紹介しよう。
クルト・ゲーデル『不完全性定理』で、有限のステップによりなされる証明の限界がどこにあるか明確に示した。
カール・R・ポパー『推測と反駁』で、ある理論に科学的身分を与えうるかどうかの判定基準はその反証可能性にあることを主張した。
大森荘蔵『流れとよどみ 哲学断章』で、二元論の伝統的構図を拒み、独自の哲学の営みを残した(私には読んでも理解できない)。
トーマス・S・クーン『科学革命の構造』の中で、パラダイム論を展開した。集団的認識論の試みであり、1970年以後の科学論に大きな影響を与えた。「通常科学」、「危機」、「科学革命」という科学活動の3様態がり、科学はこの3様態を繰り返しながら螺旋的に展開すると主張した。
アラン・ソーカル『「知」の欺瞞』で、有名雑誌に掲載された自分の論文が実はポストモダン風の科学批判を真似たパロディに過ぎなかったことを暴露し、「ソーカル事件」を引き起こした。

各テーマの終わりに日本語で読める参考文献が解説と共に掲載されているので、興味を待った読者にはその後の勉学の参考になろう。(難しい話をまとめるのは骨が折れる!)(山本和利)

漂着

『漂着』(小檜山 博著、柏艪舎、2010年)を読んでみた。

小檜山 博氏が5年がかりで書いた、日本の農業の悲惨な現状に対して怒りを込めて著したのが本書である。日本の農業人口が約300万人で、人口比2%しかなく食糧自給率が40%という。

滝ノ上から出てきて、札幌の三越前に座り込んで若い男と逃げた奥さんを捜すための登り旗を揚げる。その経過の中で、農業の悲惨な現状が綴られてゆく。マスコミに注目され、農業を軽視する評論家と主人公がテレビで討論する部分は面白い。話はどんどんとエスカレートし荒唐無稽な結論で終わる。

農民の子として生まれながら農業をせず、小説を書いている著者が後ろめたさも込めて書いた書でもある。農民の子として生まれ医師になった私に通じるところも多々ある。本書を読むことで、医療以外にも日本のアンバランスな面が多々あることを知る契機となろう。(山本和利)

アフリカの少年兵

『ジョニー・マッド・ドッグ』(ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督:フランス 2007年)という映画を観た。

20世紀末のアフリカ・リベリア共和国の実話を基にしている。誘拐されて反政府ゲリラとされ、麻薬によって精神を破壊され、破壊行為・殺戮を繰り返してゆく様子は、まるでドミュメンタリー映画であるかのような迫力がある。

救いのない少年兵の姿に怒りを覚えるが、その背景には部族間抗争・天然資源の争奪・権力抗争など西洋や大人の欲望が絡んでいる。

少年兵とは対照的にもう一人の主役である少女の行動に救いがある。映画では映像的にも少年と少女が対比して描かれている。

現在のリベリア共和国は女性大統領を選出し、新たな一歩を踏み出しているという。それには女性の働きが大きいという。男達よ、仕事ばかりせず、平和のために立ち上がれ!(山本和利)

こんな日もある

12月10日、金曜日。外来がないので暇なはずであった。
朝、8:30に昨日診た新患のカンファランス。終了後メールを確認し、日本PC連合学会誌の総合カンファの原稿の校正を送る。
10:00飛び込みの面談。教務課職員と札幌医大の教育施設に登録システムについて検討。部屋を出たところで、製薬会社職員の製品説明に捕まる。そんな中5年生の必修臨床実習に来週来る予定の学生からの連絡がないという受け入れ施設からの情報が伝えられ、受け入れ施設の事務責任者と学生に電話連絡。それと別にある教官から、1年生の離島実習に参加した学生の服装の乱れがあったことに対する学生の書いた詫び状がお粗末ということで、どのように対応するか相談を受ける。そうこうするうちに12:00いつものヘルシー弁当を急いで食べる。
12:15 2年生の午前の授業の終了を待って、OSCE模擬患者役選抜を依頼するための説明のため、教室に出向く。
12:30 FLAT勉強会に参加し、コンピュータにワードで入力。
13:30 医学概論委員会に出席。次の仕事のため途中退出。
14:00 5年生の必修臨床実習をした6名の振り返りに参加(臺野巧先生、松浦武志助教、河本一彦助教も)。16:30参加した教員間で評価の打ち合わせ。途中、道内の有名研修病院院長が突然来室し、総合医派遣の依頼。待たせた非礼を謝りながら応対。
17:00北海道プライマリ・ケアネットワーク後期研修プログラム「ニポポ」の研修応募者の面接。
18:00研修応募者と駅北で懇親会。その際、このブログの内容を楽しみにしていると関係者からお褒めの言葉をいただく。
20:30帰宅。妻からこのブログを初めて読んだと言われる。「いかにも働いているように見えるわね」と妻。「働いています!?」(山本和利)

FLATランチョン勉強会:救急のCAB

12月10日、特別推薦学生(FLAT)を対象にランチョンセミナー勉強会に参加した。7名が参加。河本一彦助教が「救急医療のABC」の講義を行った。

まず救急医療と災害時医療の違いを学生に尋ねた。参加した学生は心肺蘇生術の実習を既に受けていた。導入として北米型救急救命室(福井県立病院)のビデオを供覧した。外傷患者が搬入されてきた。高い所から落ちたのに痛みを訴えない患者。実はくも膜下出血であった。トイレの前で突然意識消失した患者。冷や汗を見て、低血糖発作を疑う。8時間ごとの交代勤務が必要。家庭を大事にする医師を紹介。

2005年4月25日に起こったJR尼崎脱線事故を紹介。その写真から感じることを述べてもらった。7両編成なのに6両しか映っていない。(1両はマンションの地下に埋まっていた!)トリアージ(ふるい分けをする)。沢山の被害者がいる。受け入れが大変。

NPO大阪ライフサポート協会のサンプルムービーDVDを供覧。「生きている状態」とは?心臓が動いている。呼吸している。(空気の通り道が必要)
ポイント; 2010年からABCからCABに変わった。「あえぎ呼吸。しゃくりあげるようなとぎれとぎれの呼吸」をみたら心臓マッサージをする。胸骨圧迫 100回以上/分が大事。数曲聴いてもらう。ドラえもんの歌が100/分、「勝手にシンドバッド」は140回/分なので早すぎるので駄目。(心臓拍出量を確保できないから)。「いい日旅立ち」は110回/分、歌詞がよくない?
救命の連鎖(Chain of Survival)が大事:迅速な119番、迅速な心肺蘇生法、迅速な除細動、迅速な高度救命処置。

ユーモアを交えた楽しい講義を楽しんだ。(山本和利)

2010年12月8日水曜日

地図は現地ではない

12月7日。4年生に地域医療のシリーズ講義のなかで「地域診断」レクチャーを行いました。

地域をよく知ることから地域医療は始まります。という導入から地域視診、COMMUNITY AS PARTNER MODEL、Asset mappingなどの手法を通して地域で医療をただ行うのではなく、地域に住み、地域住民として医療を行う視点について説明。

ボランティア組織などに市民生活に参加することの重要性の説明、そして、「あなたを助けるためにあなた自身、あなたの家族そしてあなたの地域を知りたい」コージブスキーの「地図は現地ではない」とのしめくくり、医学生にとって、今後一つの指標になればと願ってレクチャー終了。(寺田豊)

松浦武志先生着任!

12月1日より採用されることとなりました、松浦武志と申します。
簡単に自己紹介をさせていただきます。

1975年愛知県生まれ。医学部1年の時、旅行で北海道を訪れた際、オホーツク海を埋め尽くす流氷と、全面結氷した摩周湖の美しさに感動し、北海道移住を決意いたしました。その後学生時代に北海道を延べ11回旅行し、大学5年生の時には自転車で道内を30日かけて1500km走破しました。また、ガイドブックに載るような観光地はほぼ制覇し、行くところがなくなったため、通常の観光ではない山登りにはまり、大雪・東大雪・十勝・樺戸・天塩・利尻・礼文・知床・斜里など、日高山系以外はだいたい制覇いたしました。

現在は子育てのためなかなか山登りには行けませんが、山スキーを練習中です。学生時代は山岳部でもなく、自転車部でもなく、人と違ったことをしてみたいと思い、馬術部に所属していました。金持ち倶楽部のイメージがありますが、全くイメージとは違い、馬の養育費はすべて学生のバイトで稼いでおりました。バイトと、オガ粉と糞にまみれた学生時代でした。卒業にやや時間を要した大きな理由でもあります。

将来は、医師になろうと思った原点である、道東・十勝・オホーツク地方で、地域医療の最前線で診療がしたいと思っています。

これまで、通常診療の傍ら初期研修医や後期研修医の指導を主にやっておりましたが、自己流なところも多く、一度学問的に医学教育を勉強してみたいと思ったことと、いろいろな地域で実際に奮闘されておられる先生方と交流してみたいとの思いからこちらの講座にお世話になることにいたしました。

専門は特にありませんが、日本内科学会の内科認定医・総合内科専門医を取得いたしました。得意分野は糖尿病と感染症です。
まだまだ若輩者ではありますが、どうぞよろしくお願い致します。

2010年12月7日火曜日

ロスト・シティZ

『ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え』(デイヴィッド・グラン著、NHK出版、2010年)を読んでみた。

伝説の南米アマゾン探検家パーシー・ハリソン・フォーセットについて書かれた本である。フォーセットの時代のことと著者の南米での奮闘が交互の章に書かれている。フォーセットは謎の都市Zを発見するため、1906年から1925年までアマゾンを探検し、1925年の探検を最後にアマゾンで失踪している。その軌跡を追ったものである。

アマゾンの生物や植物の生態がすごい。毒虫、毒魚、病原体を媒介する蚊。こんなところによく住めるものだと思う。本書は、伝記であり、紀行文であり、サスペンスである。ブラド・ピットが映画権を取得したという。面白い映画が期待できそうである。(山本和利)

虫物語

『隠れた指/虫物語』(李清俊:イ・チョンジュン著、靑柿堂、2010年)を読んでみた。札幌市立図書館の新着コーナーにそっと置かれていたものである。

著者は、映画『風の丘を越えてー西便制』の原作者である。韓国では様々な文学賞を獲得している。虫物語を読んでいてはじめて、本作品が私の大好きなイ・チャンドン監督の撮った「シークレット・サンシャイン」の原作であることを知った。

息子を殺された女性が、宗教に救いを求める。犯人が逮捕され、やっと宗教を通じて心の平穏が訪れる。死刑執行を前にした犯人に会って、許そうと面会にいったら既に犯人は入信して、神に許されていた。一歩的な加害者の暴力に対して、被害者である女性は、絶対的存在である神に先を越されて許すことさえできない。どうすることもできない弱者としての人間の絶望を扱っている。

本書は30分で読める。イ・チャンドン監督の「シークレット・サンシャイン」もお勧めである。(山本和利)

多様な意見

『「多様な意見」はなぜ正しいのか』(スコット・ペイジ著、日経PB社、2009年)を読んでみた。

複雑系の専門家が書いた「多様性」の謎に挑んだ本である。 副題は「集愚が集合知に変わるとき」である。久しぶりに出会った名著である。組織変革を目指す人には一読をお勧めする。

「4つの枠組み」が基本となる。観点、ヒューリスティック、解釈、予測モデル。

まず観点が重要である。正しい観点は難しい問題を簡単にしてくれる。革新するためには新しく多様な観点を生み出す必要がある。他分野の人の意見を入れること。例として、金属の並べたかを挙げている。メンデレーエフが金属への原子番号を導入することによって周期表を作り、それを見て元素の作る構造を目の当たりにする(はじめあった空白もそれを埋める新元素が発見された)。正しい観点によって問題が簡単になる。観点とは、現実から一つの内的言語への写像で、物事、状況、問題、出来事にそれぞれ固有の単語を写像させるようなものである。例:何進法、デカルト座標と極座標。

ヒューリスティックは解を探す方法ということである。誰かがある問題を違う風に観る。ヒューリスティック(近道思考)は希望を与えてくれる。新たなヒューリスティックは、観点が作り出した箱の中に予想もしない動きを生み出す。観点は解釈の基礎となる。例:緑色のケチャップ。ペプシコーラがコカコーラに対抗するため2Lサイズを採用

予測するにはモデルが必要である。観点に基づく解釈をカテゴリ化という。粗い解釈に基づく予測モデルではたいていが不正確である。

多様性が能力に勝る。多様な観点とヒューリスティックは、楽しさの原動力になる。一様の集団はたった一人の人を含んでいるのと変わらない。問題解決に取り組む組織は、多様な観点とヒューリスティックへ変わる多様な経験・訓練・アイデンティティを持つ人たちを探すべきである。

「多様性予測定理」、「群衆が平均を負かす則」多様な群衆は各個人の平均より必ず正確に予測できる。群衆はその中の人より良く予測できる。興味のある人は本書の熟読を。簡単な統計手法を用いて、証明している。

優秀な能力を持つが均一な集団だけで知恵を絞るよりも、意見の異なる多様な人が集まって意見を出した方が、名案がでるということである。地域医療がよくならないのは、医師や一部の官僚だけで考えているからではないか。自治医大の尾身茂氏が多様な国民を集めて、この問題を打破しようとしている。期待したい。(山本和利)

2010年12月6日月曜日

特別推薦枠学生の教育視察


12月6日、富山大学地域医療支援学講座・医学教育学講座一行6名の視察を受けた(有嶋拓郎教授、廣川慎一郎教授、山崎勝也准教授、藤浪斗助教、他)。
当教室が関わる特別推薦枠学生の教育の仕方やあり方について2時間半にわたり意見交換を行った。
どの大学も制度は作ったが、それをどう運用して学生を教育してゆくかは明確な方針がなく、現場での試行錯誤に委ねられていることを再認識されられた。
 終了後、熱心に討議をしすぎたため電車の時間を気にしながら慌ただしく視察団一行は旭川医大へ向かわれた。今後とも様々な方々と積極的な交流を続けてゆきたい。(山本和利)

暖かな医療


12月4日、北海道保険医会 創立60周年記念フォーラムで諏訪中央病院名誉院長鎌田實氏の講演を拝聴した。講義のタイトルは「日本の医療をどう支えるか」である。

「暖かな信頼が得られる医療」が基本である。医療崩壊と言われているが、まだ土俵際である。一瞬経済で世界一になったが日本人は幸せでない。政治のリーダーが出て来て欲しい。この10年政治家は言い訳しか言っていない。小泉政権は米国の真似ばかりしている。教育、医療、雇用、子育て、福祉に、暖かい血を通わせなければならない。

パレスチナへ行ったときの話。300名の子供がある年の正月に殺されている。12歳の子供がイスラエル兵士に狙撃され、脳死状態でイスラエルの病院へ収容された。脳死と判定され、イスラエル人へ臓器提供を父親が申し出た。その父親に面談してきた。心臓移植を受けた少女の家には、殺された12歳の少年のポスターが飾られていた。少女の母親は「感謝している」が、被害者の父親に「さぞ辛いでしょうね」という共感の言葉をかけた。少年の父親は少女に会えてうれしいが「喜びは半分だ。平和が来ていない。」少女は医師になりたいという。政治や権力では平和をもたらすことができなかったが、その可能性があるのは医療である。この話から言えることは、この臓器移植を通じて単に臓器としての心臓だけでなく心が移動している。

いい医療があると町が活性化する。病院があることでバランスが取れる。脳卒中、医療費が減る。じいちゃんが白血病の「たぬきのばあちゃん」に世話になった。医師と住民が大事にされたり大事にしたりすることが必要。お互いさま。生活者としてその人がやれていることが大事。患者は本音をなかなか言ってくれない。

鎌田氏にまだ髪がフサフサシテいる時代に、日本で初めてday careを始めた。暖かい医療が基本。日本に欠けているのは暖かな気持ち。「強くて、暖かくて、やさしい国、日本」を作れるはずである。自己決定をしない、周りの空気を読む、あやふやな日本人が多い。NHKで放送された訪問診療を扱った「心の遺伝子」を紹介。研修医の言葉:「鎌田先生は、受けながら包んでゆく」。住民が研修医に対して「暖かさを受け継いでゆきなさい」と伝えてゆく。住民が一緒になって医師を育てる。生きがいをもつことが大事。六花亭のバレンタイン・チョコレート(いのちをつなぐチョコレート)の話(収益がイラクへの薬の義援金となる)。癌で死んだ少女が絵を描いている。その少女の言葉、「私は死ぬけど、幸せでした。私の絵が他の病気の人のためになってうれしい」。自分の困難や不幸を横に置ける。

赤の他人の「両親」に育てられたことに対する恩・感謝が鎌田氏の原点になっているということが伝わってくる講演であった。夫婦で拝聴したが、二人とも元気をもらい、今後の生き方について大変参考になった。

写真は別の機会に撮ったものである。(山本和利)

2010年12月2日木曜日

偶然とは何か

『偶然と何か その積極的意味』(竹内 啓著、岩波書店、2010年)を読んでみた。

著者は長く統計学、経済学、科学技術論の研究に携わってきた。その著者が、確率論の導入によって「偶然」は克服されたという考え方に対して、自然の認識にしても人間の生き方としても正しくないという論点に立って書いた本である。

偶然と必然とは対の概念。必然でないことが偶然である。本書では偶然を科学と人間の現実生活の観点から言及している。ここでは起こったことについて、科学的・論理的に必然性が示されないような事象を偶然と定義している。

ニュートンの宇宙ではすべてが必然である。アリストテレスの4原因のうち、質料因(質の違い)、目的因(神の意志)、形相因(完全な形になるような秩序がある)は否定され、動力因(万有引力の法則)だけが近代科学では認められている。

デカルトの心身二元論:心が物理的法則に従う身体とは独立のもの(2つの原理が存在することになる)。これは一元的な決定論と矛盾する。ラプラスは、偶然は人間の無知から生じるが、「確からしさ」を知ることができるので確率の数学的理論を展開した。

偶然を発生させるメカニズム
1. 初期条件のわずかな違いが結果に大きな違いをもたらす場合。
2. 2つ以上の互いに無関係な因果関係が同時に働くことによって生じる場合
3. 微細な多数の原因として生じる連続的変動
確率
「多くの偶然現象が積み重なれば、偶然的な影響は互いに打ち消し合って一定の傾向が現れる(中心極限定理)」
「それでも残る偶然的な変動部分は釣り鐘型の分布になる(大数の法則)」
賭博者は必ず破産する。

論は「偶然にどう対処すべきか」、「歴史の中の偶然性」と続くが、自分自身の生き方に積極的に取り入れるべき視点に出会うことはなかった。(山本和利)