札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年12月29日木曜日

スガモプリズン・サリドマイド

昭和八十四年 1億3年万分の1の覚え書き』(伊藤善亮監督:日本 2009年)というドキュメンタリー映画を観た。

86歳になっても、戦い続ける一日本人に密着取材。太平洋戦争に出征し、後に戦犯として裁かれた飯田進氏。戦後の日本と共に歩んできた彼が、昭和八十四年(2009年)の現在も戦争の実態などを語り続ける姿を映すドキュメンタリーである。

戦争で派遣されたニューギニアで民間人殺害の罪で、敗戦後にBC級戦争犯罪人としてスガモプリズンに収監される。

一時は死刑宣告を受けるが、1956年に出獄。苦労しながら会社を立ち上げる。その後、長崎で被爆した女性と結婚し2児をもうけるが、長男の指が3本しかなく、前腕も短い障害児であった。その原因は原爆が原因ではなく、妊娠中に服用したサリドマイドが原因であると後に判明。

戦争犯罪だけでなく、薬害根絶がライフワークとなる。配偶者は40歳代で死亡し、息子も30歳代で、体調不良でありながら医療機関にかかることを拒否して死亡。死因は後にC型肝炎と判明。息子は何と二重の薬害被害者であったのだ。

次々と苦難が襲う人生が明らかになってゆく。時代がもたらした運命に翻弄されながらも、果敢に闘う飯田進氏。自分の置かれた状況や苦しさが些細なものに思えてくる。日本のこれまでのあり方や自分の生き方に再考を迫る映画である。(山本和利)

2011年12月28日水曜日

勝負師と冒険家

『勝負師と冒険家』(羽生善治、白石康次郎著、東洋経済新報社、2010年)を読んでみた。

将棋の天才と海洋冒険家の対談である。

以下に参考になる言葉を抜き書きする。

現在の若者達は、「夢を語るにも、余計な情報に振り回されている。自分がそこにない。」そうだ。自分を信じて一つのことに邁進することを勧めている。

「連敗中の相手ほど侮るべからず」「真剣勝負の感覚は『見切り』の感覚が大切。これは本当に真剣勝負の場でしか維持できない。」現場を離れると感覚が鈍くなるということか。

「負けない手を選んでいては絶対に勝てない。最後には踏み込んで勝負に出る。」
「いま持っている力を温存せずに早く使え。」確かに、知り得た知識は、講演やブログで早く公開しよう。

「夢に懸ける情熱は必ず相手に伝わる」それを持ち続けることが大変なのであるが・・・。

「近づいている運に気づく。師匠は反面教師でもある。あえてトレーニングを課す時代になった。」
「別の世界から学ぶことのほうが多い。」そう思って私も努力しているが、一歩間違えると雑学の蓄積になりかねない。

「目先のことを一回否定してみる。」「決して自分を裏切らない。苦しいことでも逃げないで受け入れる。」「自分で変化を求めてゆく。」

超一流の人にはそれ相応の覚悟が備わっていることがよく分かった。キーワードは「覚悟」。(山本和利)

2011年12月27日火曜日

さようなら、ゴジラたち

『さようなら、ゴジラたち』(加藤典洋著、岩波書店、2010年)を読んでみた。

著者は早稲田大学国際学術院教授。文芸評論家。

本書は複数の論文を集めている。その中の映画『ゴジラ』についての考察を取り上げよう。単に怪獣映画ではないかと思っていたら、この著者の深読みがすごい。ゴジラ映画は28作あり、それをすべて観ているようだ。
この映画は1954年に制作されている。1954年3月にビキニ環礁で米国が水爆実験を敢行。第五福竜丸が被爆し、乗組員の久保山愛吉さんが死亡。

「ゴジラは、なぜ南太平洋の海底深く眠る彼の居場所から、何度も何度も日本だけにやってくるのか」という問いから始まる。それは「ゴジラが亡霊だからである」。第二次世界大戦の日本人死者を暗示していると読む。

様々な者がゴジラの行動を分析している。ゴジラは銀座、桜田門の警視庁、国会議事堂を破壊しながら、皇居を踏みつぶすことをせず、海に帰っていく(川本三郎の指摘)。これに対して、戦争の死者であるゴジラは、天皇に会いに来たのだが、皇居には現人神であった統帥権者は既にいない。天皇は人間宣言して、新しい神たる米国の庇護下にあり、自分たちを見捨てたもうたのだ、と知って帰っていったと読む(民俗学者の赤坂憲雄)。

後半、「キングコングはなぜ米国にやってくるのか」についても考察している。別の論文で取り上げている、ハローキティや『千と千尋の神隠し』の考察も面白い。

本書の中心は自書『敗戦後論』に対する海外からの批判に反論した内容である。憲法第9条についての考察も興味深い(内田樹の憲法第9条についての考えに共鳴しているようだ)。
憲法第9条とゴジラがどうつながるのか。それは、ゴジラについて考察した『さようなら、ゴジラたち』の最後の文章に凝縮されている。

・・・、ゴジラはこれまで行かなかったところに行く。
行き先は、靖国神社。
ゴジラは、靖国神社を破壊する。

思想と行動をどのように繋げるのか参考になる書物である。(山本和利)

2011年12月25日日曜日

モールス

『モールス』(マット・リーブス監督:米国 2010年)という映画を観た。
スウェーデンで作られたバナパイヤー映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のリメイイク版。ホラー小説家
スティーヴ。キングは「『モールス』はジャンルを超えた金字塔である、ただのホラー映画ではない、過去20年間における最高のアメリカのホラー映画である」と高く評価している。

雪に閉ざされた田舎町で残酷な連続猟奇殺人が起こった。そんな中、車の事故で頭から硫酸を被った男が病院に搬送される。そしてその男は手がかりとなるメモを残し病室から転落死してしまう。

主人公は12歳の男児。離婚の危機で精神的に不安定な母親と二人きりで暮らす。学校ではいじめにあっている。ある夜、雪の中を裸足で歩く隣に越してきた少女と出会う。

実はこの少女がバンパイアー。男児と少女はモールス信号で、壁越しに話をする。このエピソードから日本語タイトルは「モールス」としたのだろうが、英語タイトル「LET ME IN」の方がいいように思う。

スリラー映画としても楽しめるが、男児が12歳というところがこの映画の肝か。観る人によって様々な解釈ができそうである。(山本和利)

地域密着型チーム医療実習報告会

札幌医科大学では医学部と保健医療学部が合同で地域医療志向の医療系学生を育てる地域医療合同セミナーの講義が医療人育成センターを中心に行われています。我々地域医療総合医学講座もメンバーとして協力しています。

今回は12月21日16:30より記念ホール2F講堂に、学生の実習先である根釧地区、留萌、利尻地区の首長さんはじめ自治体関係の方、病院長はじめ事務方、福祉関係の代表者の方々を招いての実習報告会です。

地域密着型チーム医療実習は3年生の3グループ、地域医療基礎実習合同報告会は1年生で留萌3グループ、利尻4グループが発表しました。

個別のグループの発表は仔細にわたりますので、主なメッセージをまとめると

多職種連携と協働
・ 地域に出て医療職のチームワークを学んだ。
・ 多職種連携は例えて言うならまるでF1のピットチームのような役割。
個々の職が地域の医療に協力しベストを尽くす。
・ 多職種が協働することで色々な視点からの情報共有ができる。それにより患者さんへのアプローチ方法が増える。
・ 他の医療者、患者さんへの対応でもコミュニケーション能力が大切。
・ コメディカルの話をしっかり聞き、意見を尊重できる医師になる。
・ 様々な職種の方たちから教えられ、問いを投げかけられる事で自分の中に学びが形成できた。
・ 同じ医療福祉関係者にも色々な考え方や目的があり、ベストの選択は一つではない。協力しながらベターを求めていくことが大切。

地域と医療福祉の繋がり
・ 医療福祉従事者だけでなく、地域に支えられていることが実感できた。
・ 町が一つのホスピタルとして機能しているようだ。
・ 地域中核病院の役割を知ることができた。
・ 地域中核病院の中には行政と地域一体で新しい地域医療の仕組みを創りだそうとプロジェクトを立ち上げ取り組んでいる。
・ 地域のネットワークを作り、維持する事にはお互い顔の見える関係、まず信頼関係を構築することが大切。大きな街ではなく、町ではそれが育みやすい。
・ 生活体験(コンブ加工場、外来生物駆除、生物生態学・海洋生物採取)によりその土地の風土、産業、歴史、自然が人々の生活や健康に密接に関わっていること、そこにいる人々の思いを感じることができた。
・ 医農連携:果樹農園を患者さんに開放し、地域の資源を有効に使ってリハビリも行なっている試みに感心した。
・ 患者さんにとっては地域こそ生活の場であると知った。

実習を通じて
・ 告知について患者さんへの気持ちを思いやることの大切さを学んだ。
・ 胃瘻造設術を行なう事について、介護の負担やリスクなど様々な面から問題点を考えた。
・ 出産直後の女性(褥婦)さんへのインタビューから地域で命を育む事の意味を知った。
・ 老人介護施設で介護実習を行い、声かけ、食事介助、デイサービスの補助をしたが、自分たちの技術が無いこと、職員のプロフェッショナルな技術に気がついた。それと共に職員の仕草の細かな配慮にまで目が行くようになった。
・ 早期体験実習を通じて将来の医療者像にビジョンを持つことができた。
・ 知識だけでなく体験として記憶に刻めた。

実習を踏まえての提案
・ 医師になって未知の地域医療に長期間拘束されることを嫌う学生はいる。
・ 大学では経験できない、見えてこない地域医療の見学体験の追加を。
・ 地域医療を知っておくために、もっと地域での実習を増やして欲しい。
・ 地域で医療を体験すること自体が一つの学習であると思う。
・ 履修年数の見直しも検討。
・ 札幌医科大学の講義と共に平行して実習を行い、自分たちの到達度を測るとともに、医療人としての人格形成を測ることが大切。
・ 地域で必要とされているのは一人の自己犠牲ではなく、地域医療システム全体の改善が必要。
・ しかしシステムの改善では間に合わないほど極限にあると感じた場面も目にした。やはりそうなるとシステム改善の先駆けとなる人が必要。

各グループとも非常に真面目に取り組んできた様子がヒシヒシと伝わる熱いプレゼンでした。一つのグループは熱い思いを伝えるためにマイクを使わずに肉声で発表していました。

まだ医療の入り口に立った彼らがこうして地域に出向き、新鮮かつニュートラルな立場で彼らの問題意識を地域・大学双方への忌憚のないフィードバックを返してくれる事は大変重要な事だと思います。

特に彼らが一様に伝えていたのはコミュニケーションの大切さと、現場の医療福祉関係者や地域の人達から学ぶ喜びと学びの多さ、それによる自己啓発の大きさでした。

このような学生さんが実際に現場にでて、地域医療を支えてくれる事を願っています。(助教 河本一彦/稲熊良仁)

2011年12月24日土曜日

全国地域医療教育協議会

12月23日、東京田町の新潟大学東京事務所で開催された全国地域医療教育協議会の世話人会に参加した。

「全国地域医療教育協議会」を立ち上げてから、運営等についてメールで話し合われてきたが、今回、問題点の整理のため世話人が一同に集まった。

ます、文部省に会長らが挨拶に行ったことを報告。会員登録状況:会員数は106名。

その後、規約や会費について話し合われた。
2012年3月2日、13:00- 17:00で鹿児島大学主催の全国シンポジウムと並列で、東京の砂防会館で第1回目の総会を予定。そのとき、規約や会費についての事務局案を提示することになった。また現在進行中の全国調査の発表をする予定(地域医療教育の全国調査について。各大学の担当者にメールが送られている。回答締め切りは2012年1月17日)。

地域医療に打ち込んでいる人たちの情熱が伝わる会議であった。その後、懇親会が予定されていたが、北海道地区の天候不順による飛行機運航の混乱を懸念し、帰宅の途についた。(山本和利)

2011年12月23日金曜日

プリズム

『プリズム』(百田尚樹著、幻冬舎、2011年)を読んでみた。

本の帯の文句がすごい。哀しくミステリアスな恋愛小説。失恋でも、破局でも、死別でもない。かつて誰もが経験したことのない永遠の別れ。

解離性障害、多重人格を扱った小説である。多重人格の書物としてはD・ルイスが『24人のビリー・ミリガン』『ビリー・ミリガンと23の棺』が有名である。著者は末尾に25の参考文献を挙げているので、かなり勉強したものと思われる。

米国では1980年以後に患者が急増しているという。しかしながらその疾患自体を認めない者もいるようだ。もし存在するのだとしたら、総合診療医として診療をしていれば、慢性疼痛や転換性障害の患者さんに紛れて解離性障害の患者さんを見逃しているかもしれない。

狐に抓まれたような気持ちにさせられる小説である(本書では、狐がつくのも、解離性障害ではないかと述べているが・・・)。(山本和利)

2011年12月21日水曜日

12月の三水会

12月21日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は13名。稲熊良仁助教が司会進行。初期研修医2名、後期研修医3名。他:8名。

研修医から振り返り5題。
ある初期研修医。1カ月の地域医療研修を報告。気温マイナス24℃になることもある診療所(2名体制)で研修。そこは電子カルテが導入されている。今回は写真を中心に発表。ケア会議(支援計画書)、往診、予防接種に参加。消防署の職員と忘年会。大震災被災地への支援内容の報告会に参加。1カ月に800名を診察している。病院とは違った学びがあった。

ある研修医。1カ月間の受け持ち症例を報告。マスクをした患者が実は顔面神経麻痺であった。咽頭炎の患者に抗菌薬を処方すべきか。孫が手足口病で発疹が前腕に出現。

アルコール離脱で困った59歳男性について振り返り。黒色便、吐血。便まみれで倒れていた。Hb;4.5g/dl、AST>3000,K:7.5mEq/l、BUN;120,BS:500mg/dl。緊急内視鏡で静脈瘤からの出血と診断。一般病棟に移ってから異常行動が出現。インスリン導入。精神科にコンサルト。その後も攻撃的な発言が続き、最終的に強制退院となった。
コメント:ウエルニッケ脳症になっていて、認知障害になっていないか。肝硬変の糖尿病管理は難しい。

ある研修医。マイコプラズマ肺炎が多い。組織球性壊死性リンパ節炎を経験。アルコール誤飲した2歳児(体重10kg、兄弟が指切断、虐待の疑い)。

28歳男性。咽頭痛、発熱。扁桃腺に白苔あり。セファロスポリンで症状軽快。その後、同様の症状が再発。WBC;17,000,CRP:7.0 ,抗菌薬で軽快。その後、頻脈で受診。WBC;27,000。CRP;3.0、βブロッカーで対応。画像検査で異常なし。この原因は何だろうか?

ある研修医。壊死性リンパ節炎を経験した。

19歳女性の右背部痛が5時間持続。尿管結石の既往。CVAこう打痛あり、尿潜血反応陽性。エコーで尿路に結石なし。ここで尿管結石と考えて対応した。その後、発熱が出現し腎う炎と診断した。抗菌剤で対応し、解熱して退院となった。病歴に影響されて、腎う腎炎の診断・治療が遅れてしまった。身体所見を重視すべきであると思った。
コメント:発熱が出てから抗菌薬治療で、問題ないのではないか。腎う腎炎の診断には問診と身体所見だけでよい。

ある研修医。家族に問題を抱える甲状腺未分化癌。刃物を振り回す幻覚患者に対応。糖尿病があり、体重コントロールができない透析患者。

ある研修医。腹痛、低血糖の2歳児。水痘が流行っている。抗ウイルス薬は原則使わないが、一応、そういう薬があることを母親には説明する。溶連菌感染症、伝染性紅斑。
子どもを診るのが怖くなくなった。流行性耳下腺炎を診たかった。乳幼児健診を行った。母親の悩みに答えるのが難しい。


今回はその後に地域医療合同セミナーに移動したため、中途で退席となってしまった。
前回に引き続き、様々な症例が提示され、議論も盛り上がった。受け持ち症例をエクセルにまとめて提示する方法を定着させたい。(山本和利)

2011年12月19日月曜日

オノマトペ

『「ぐずぐず」の理由』(鷲田清一著、角川学芸出版、2011年)を読んでみた。

著者は哲学者。大阪大学総長を務め、現在は大谷大学教授。

オノマトペ(擬態語)についての考察である。オノマトペの場合、観察描写を行い、概念によってではなく、感覚によってなされるところが特異なところである。魂に触れるところでオノマトペが声を上げる。

最初は「ぎりぎり」の考察。追い詰められて、煮詰まって、崩壊寸前に吐く言葉。さらに「ぎ」という音の考察。何か無理がかかったときに発生する音である。「ぎしぎし」「ぎゅうぎゅう」「ぎすぎす」・・・。なるほど。
ザ行のオノマトペには、身体が何かと摩擦を引き起こすだけでなく、体がぎしぎし軋むときのその感触を伝える。「ざらざら」「ずるずる」「ぞくぞく」・・・。

「ぐずぐず」は、身を引き裂かれる思いにさらされながら、いつまでも決心がつかない、宙ぶらりんのだれた姿。

「やれやれ」「よいしょ」「どっこいしょ」は感動詞。ふるまいや行動に反動をつける。オノマトペはそうした身体の振る舞いから隔たりをとるものである。

その後、「な行」「は行」「が行」等で始まるオノナトペについての詳細な記述が100ページ近く続く。雑誌に29回にわたって連載されたものをまとめたということなので、詳細な記述になったのであろう。言葉に興味を持つ者や文学関係者にとっては貴重な資料となろうが、それ以外の一読者には斜め読みも仕方ないかとも思う。

最後に、著者は「哲学書をオノマトペで書けたらいいな」と結んでいる。是非、執筆してほしい。本書を読んで、日常の会話の中にもっとオノマトペを入れなければと思い至った。(山本和利)

2011年12月18日日曜日

かすかな光へ

『かすかな光へ』(森康行監督:日本 2011年)という映画を観た。

教育研究者である大田堯(たかし)氏の教育に賭ける情熱を追ったドキュメンタリー映画である。93歳なのにかくしゃくとしている。教育学部で学んだ者によると教育界では30年以上前から教祖的存在という。

軍隊体験が人生を変えた。戦場ですべてを失い、ジャングルの中に放り出された。そこでは大学で学んだ知識は役に立たず、生き延びるのに役立ったのは生活に根ざす知恵と力を身につけた農民兵や漁民兵であった。その体験を糧に、敗戦直後、さまざまな職業の住民と共に“民衆の学校”作りに取り組む。そして、労働者の中に飛び込み共同学習というものを始める。阻害され荒んだ気持ちになっている村の不良青年と生活を共にし、彼らのつぶやきをガリ版に収録し、太田氏と生徒が心と心を通わせてゆく。しかしながら教育界にとって幸せな時代は敗戦の1945年から朝鮮戦争が始まった1950年の5年間であったようだ。

その後、国が教育方針をガラリと変える。家永教科書裁判に関わる。大田堯氏は幾つになっても人生の課題を見つけて、真正面から向き合っていく。93歳の今も続いている様子が映し出されてゆく。

講演では聴衆に基本的人権とは何かを問いかける。その中で彼が強調する教育観は次の3つである。
1)違いを認めること、
2)自ら変わること、
3)関わること、である。
その一貫した考えの基に、自然や生物との共生、障害者の教育・生活実践に関わってゆく。

教育とは、他者を「違っていいのだヨ」と認め、日々の生活の中で自分自身が成長しながら、他者と関わってゆくものである、ということだ。それは現実の中に垣間見えるかすかな光への道を求める行為である。

そう思って日々を過ごそう、学生と関わろう。気持ちを新たにした。(山本和利)

2011年12月17日土曜日

ショック・ドクトリン(上)

『ショック・ドクトリン(上)』(ナオミ・クライン著、岩波書店、2011年)を読んでみた。北米の経済理論が現在世界の荒廃を招いているということがわかる必読書である。

ニューオリンズの水害。
経済学者ミルトン・フリードマン(シカゴ学派)。経営者側の利益を守る方法を提示した。
壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域に一斉に群がるような襲撃的行為を、著者は「惨事便乗型資本主義」と呼んでいる。

まず大惨事が起きると、国民は茫然自失の集団ショックに襲われる。そして一気に骨抜きになってしまう。本来ならしっかりと守ったはずの権利を手放してしまう。衝撃的な出来事を巧妙に利用する政策を「ショック・ドクトリン」と呼ぶ。ピノチェト政権下のチリ、イラクで実践されている。実際に起きたチリのクーデターでは3つのショック療法がおこなわれた。まずクーデター、次にフリードマンの資本主義ショック療法(国営企業の民営化、関税の撤廃、財政支出の縮小)、最後が薬物と感覚遮断を用いる拷問技術(企業の後援を受けた拷問:フォード財団が加担)である。最終的には大失敗に終わった(一部の大金持ちと世界有数の経済格差)。途中でピノチェトはアジェンデの方法をまねて、経済的破壊を免れたという。

英国におけるサッチャーリズム、ボリビアの事例が紹介される。危機から危機へと渡り歩き、誕生して間もない脆弱な民主主義生検の自由を奪うような政策を強引に推し進めた。1994年のメキシコのテキーラ危機、1997年のアジア通貨危機、1998年にロシア経済が破綻し、その直後にブラジルが続いた。そして、津波、ハリケーン、戦争、テロ攻撃に対して祭事便乗型資本主義が形をなしてゆく。

南アフリカ共和国は、マンデラによって素晴らしい出立をしたと思っていたが、実際にはフリードマンの手法に絡め取られて、白人企業は鐚一文賠償金を払わず、アパルトヘイトの犠牲者側が、かつての加害者に対して多額な支払いを続けるという構図だそうだ。

ソ連崩壊後のロシアの選択も同様に、「ピノチェト・オプション」を選択したということである。ソ連崩壊によるショックに国民が驚く間もなく、エリツィンはショックプログラムを採用し価格統制を廃止した。その結果、インフレによる貨幣価値の暴落で住民は老後の蓄えを失った。そして権力を握ったエリツィンは予算を削減し、国民の暴動を抑えるために警察国家へ走り始めた。そして一部の新興億万長者オルガルヒだけが「シカゴ・グループ」と手を組んで価値ある国家資産を略奪した。慈善家・投資家と知られるソロスも誘惑に勝てなかったという(所詮金儲け屋なのだろう)。エリツィンは権力にしがみつくため、独立を訴えるチェチェンと戦争を始めた。その後を継いだプーチンはエリツィンを免罪することを条件に権力に着き、大飢饉や天災もないのに恐怖国家へ突っ走った。ユニセフの推定では現在ロシアにホームレスの子どもが350万人に及ぶという。このような負の側面の原因は、シカゴ・プログラムではなく、ロシアの腐敗体質のせいにされた。その後、ロシアの「民営化」を手本として、アルゼンチン、ボリビアが続いた。ボリビアではベクテル社が水道料金を3倍にする「水戦争」を引き起こし、政権崩壊に繋がった。

今、プーチンは選挙不正疑惑で国民から見放されようとしている。一部の権力者・金持ちしか潤わないショック・ドクトリン。世界はこれからどこへ向かうのか。
下巻は未読。追って報告したい。(山本和利)

2011年12月16日金曜日

出張授業ライブ

12月16日、和歌山県立医科大学の2年生に「地域医療の現状と取り組み」という講義を行った。これまで3年間は4年生が対象であった。今年度から2年生に移行し12回のシリーズになったそうだ。県内・県外から有名な先生方の講義が既に行われており、個性的な内容が求められるところである。

教室に入ると150人収容の前の方には誰も座っていない。昨年まで4年生の60名に話していたのが、今回の2年生は112名と倍に膨らんでいる。まず講義はライブ感覚が大事であることを強調した(ライブは最前列が特等席なのに・・・)。

映画の話(ダーウィンの悪夢)を導入に「合成の誤謬」の話をした。医療界においても医師それぞれが自分自身の眼の届く範囲で一生懸命やっていても、総和として地域医療がうまくゆかないことに結びつけて話した。

次に実際に出会った患者さんの例を挙げながら、現実の医療の現場は混沌として、単純化できず一筋縄ではゆかないことを話した。

最後に、札幌医大の4年生にも話した地域医療再生の5つの作業仮説を述べた。(使ったスライドは90枚。)

講義をしているうちに、教室が静まり返って来る。一人ひとりが耳を澄ませ、傾聴しているのがヒシヒシと伝わってくる。時に学生さんに問いかけながら講義は進む(ビデオ撮影もされていたが、ビデオではこの空気は伝わらないと余計なことを口走ってしまった)。

講義時間を5分間残して感想を書いてもらった。ほぼ全員がA4用紙いっぱいに書いてくれている。学生それぞれ思いれの内容は異なるが、熱い授業であり、ライブ感覚が強いと褒めてくれる学生が多く、うれしくなった。私の本を複数読んでいるという3年生がワザワザ聴講に来てくれていた。

学生の感想を紹介しよう。私と中村哲さんの話から「それぞれが思うようにならない人生に意味を見いだせるまで必要とされている働きをし続けた結果が今にあるということに勇気づけられた」
「患者さんはどんな人なのか、そんな生い立ちで今何を考えているのか、悩んでいるのか。臓器だけでなく患者さんを診る、ということはそういうことで、地域医療だけではなく医師すべてにおいて求められていることであると強く感じ、曖昧さに対処できる心の強さや柔軟性を身につけてゆきたいと思った。」
「総合医のイメージが変わった(臓器を治すというより背景を重視する)」
「一度は若いうちに、地域で医療をしてみたい」
「困難な方を選択する人生を送りたい」
「これまでの授業と全く違う授業であった」
「熱いメッセージであった」
「医師に公的な使命があることを再認識した」

若者は、叩けば響く!今、若者が熱い!静かな教室に若者たちの思いが充満する至極の1時間半であった。(山本和利)

2011年12月15日木曜日

貧困のない世界

『貧困のない世界を創る』(ムハマド・ユヌス著、早川書房、2008年)を読んでみた。

著者は1940年生まれ。大学の経済学部長を勤める傍ら、大飢饉後に貧しい人々の窮状を目のあたりにして、その救済のためにグラミン銀行を創設した。これが多くの国際機関やNGO等の支援活動の模範となり、現在世界の1億人以上がマイクロクレジットの恩恵を受けているといわれる。2006年、ノーベル平和賞を受賞。

世界総所得の94%は、40%の人々にしか行き渡らず、残る60%の人々は、世界総所得の6%で生活しなければならない。世界人口の半分は一日当たり2ドル以下のお金で生活している。

ユヌス氏が創設したマイクロクレジット組織「グラミン銀行」について。
・30-40ドルを貸し出す担保不要のローンである。返済率は98.6%と予想に反して非常に高い。借り手はバングラテシュの貧しい女性であり、借り手自身がアイデアを出す。そうすることで、自己雇用を作り出す。アイデアを探り、それらを持続可能なビジネスに変えるである。銀行内部に五つ星の評価と報奨金制度がある。利益の最大化を目指さないのが特徴である。

この銀行は「ソシャル・ビジネス」であるそうだ。その特徴は、
・慈善事業ではない
・すべてのコストを回収する
・損失がない代わりに配当もないビジネス
・自己持続型
・投資家は自分の資金を取り戻せる
マーケットに貧しい人々の利益を保護するための合理的な規則とコントロールが必要である。

貧困を克服する「16箇条の決意」が掲載されている。
1. 規律、団結、勇気、勤勉
2. 家族の繁栄
3. 家の修理・新築を目指す
4. 野菜を育てる
5. 種まき
6. 家族計画
7. 教育
8. 清潔な環境
9. 簡易トイレ
10 清潔な飲料水
11 お金のかからない結婚
12 不正防止
13 みんなで大きな投資
14 互助
15 規則の回復
16 社会活動参加

グラミン・ダノン・ヨーグルト立ち上げの逸話が興味深い。

「消費者へのメッセージ」として次のものが掲載されている。
・本当にそれが必要か?
・再生不能資源を消費していないか?
・下取りしてくれるリサイクル店で買う。
・社会的責任のある家を建てる。
・世界市民としての消費。

学問を社会変革に適用したすばらしい事例である。バングラテシュの貧困克服に比べれば、日本の地域医療の再生など簡単そうに思えるのだが・・・。どうして出来ないのだろうか?(山本和利)

2011年12月14日水曜日

医師に必要とされる多角的能力

12月14日、医学概論Iで「医師に必要とされる多角的能力」の講義を1年生に行った。これは札幌市内の医療機関で行う実習の導入として企画されたものである。

まず、医師の仕事について高校生レベル向けに書かれた本の内容をかいつまんで紹介した。
後半、これまでに私が出会った様々な患者さんたちのことを提示した。リアルな社会の物事は、複雑で、不確実で、不安定で、独特で、価値観に葛藤があり、単純な対応ができないことを示した。

1年生は、目を輝かせて聞いてくれた。大変気持ちよく講義ができた。

講義終了後、「実習に望む意気込み」等を書いてもらった。たくさんの気づきが見やすい字で紙いっぱいに記載されていた。札幌市内での臨床実習、頑張ってきてください!(山本和利)

2011年12月13日火曜日

地域医療講義:総括

12月13日、札幌医科大学医学部4年生を対象にした「地域医療」コースの講義の総括を行った。

導入はドキュメンタリ映画の一場面から入り、学生に問いかけた。「洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真」「フランスの癌多発地域のこと」「家の前に山のような堆積物の前に立つ少年」等。
 
ここから、医療の話。1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。日本も北米も大学で治療を受けるのは1000名中1名である。

後半は地域医療再生の話をした。初期研修終了後に1年間、地域医療に従事する案に比較的賛同者が多かった。

14回の授業を通じて、地域医療への理解が深まった、総合診療への道も選択肢に入れようと思った、地域医療実習が楽しみ等、例年になく好意的な評価が寄せられた。

学生諸君へ、理論と実情は理解しただろうから、今度は地域実習で現場の空気を感じ取って来てください。(山本和利)

地域医療と救急医療

11月8日、「地域医療と救急医療」について4年生に講義しました。

今回の講義の目標を三つ挙げます。
□ メディカルコントロール(MC) の意義を理解する
□救急救命士、特定行為を理解する
□東日本大震災のおけるMCの実例

病院前救護におけるメディカルコントロール(MC)とは、地域全体を1つの医療機関とみなして、医療機関内と同様の仕組みで傷病者に提供する医療サービスの安全と質を保証することです。

これにかかわる医師は、医療関連行為や医療機関選定に関する監督的な責務に加え、教育、危機管理、質の改善対策、財源確保などについても関与します。特に、医療関連行為と適切な医療機関選定については中核的な業務(コア業務)と位置づけられ、通常、以下に示す一連の作業を繰り返します。
① プロトコル作成(処置、搬送手段、搬送先等に関する)
② オンライン指示
③ 実施した結果についての評価、医学的分析(検証)
④ プロトコル・システムの修正。病院前救護を担う者に対する再教育
また北海道のような過疎・広域過疎地域のメディカルコントロール(MC)の工夫について三つを挙げます。

□ 過疎地域は医療資源が乏しいため、限られた医療資源を活用してMC体制を構築する必要があります。
□広域過疎地域にあっては、地域MC協議会が地域救急における中枢的役割を担う必要があります。
□地域MC協議会の連携や都道府県MC協議会による調整機能が必要です。

以上、地域全体をひとつの医療機関としてとらえ、地域特性に応じたプロトコルを作り 、MC協議会を通して多職種で「顔の見える関係」を構築することが大切であると考えます。(助教 河本一彦)

2011年12月12日月曜日

貧困と不正

『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』(ナオミ・クライン著、はまの出版、2003年)を読んでみた。著者の『ショック・ドクトリン』を読んで衝撃を受けて、過去の著作に当たることにした。

著者は大学の講師であり、TV のコメンテーターも務める。著書『ブランドなんか、いらない』が世界的なベストセラーになった。本書は、2001年9月11日以降に行ったスピーチや寄稿文を集めたものである。

報道について。世界中で起こっている紛争についての偏った報道。米国の被害は報道されて悲しむことを強要されるが、アラブやアフリカの被害は報道されない。

世界中が文化を共有していると考える世界の「同質化」のプロセスが進んでいるが、それは幻想であり、一方通行であることを批判している。一握りの人間が自分の身の丈を超えて神話の世界(聖書、コーラン、文明の衝突、指輪物語、等)に生きようとすれば、普通に生きるその他の人間は必ず被害を受けることになる。

共産主義と資本主義の共通するところは、どちらも少数の手に権力を集中させ、どちらも市民を一人前の人間以下に扱う。(チェコの若者の意見)。資本主義の代替案は共産主義でなく、分権化である。

現在の世界の潮流(貿易論争、IMF,遺伝子組み換食品、抗議活動への弾圧、等)に抗う文章が収録されている。(山本和利)

2011年12月10日土曜日

田中さんはラジオ体操をしない

『田中さんはラジオ体操をしない』(マリー・デフロフスキー監督:オーストラリア 2008年)という映画を観た。

監督は、『フィリピン、私のフィリピン』のマリー・デロフスキー。カナダ国際労働者映画祭2009グランプリ受賞。

ラジオ体操を拒否して会社(沖電気)を解雇されたことに、30年間ギター片手に歌を歌って、抗議し続けている男性田中哲朗さんについてのドキュメンタリー映画である。

会社の社長が代わることによって、社員への締め付けが強くなる。会社のマンドリンクラブの部長として活動しながら、会社の整理合理化によって大量解雇された1350人もの元従業員を支援していた。会社はその時、左遷人事を行う。それでも田中さんは会社に対する批判を続け、職場の労働組合の役員選挙で会社が支持する候補と争う。泣き寝入りする者と戦う者とに区分けされる。田中さんは、会社への忠誠のシンボルとしてラジオ体操を捉えている。ラジオ体操は、昭和天皇の即位と関係して全国に普及したらしい。

映画は日本映画ではなく、オーストラリア映画となっているのは、監督が外国人だからである。音声は日本語と英語。

田中さんの日常や株主総会参加に備えての仲間との予行練習等、面白い映像が満載である。「難しいことしている訳ではない。簡単なことを30年間続けただけ」と田中さんは受け流すが、その継続が難しい。私もブログを毎日書くと決めてはみたものの継続することの困難を身にしみて感じている。

今、ドキュメンター映画が面白い。(山本和利)

2011年12月9日金曜日

心電図が読めなくてもわかる心筋梗塞

12月9日、特別推薦学生(FLAT)を対象にしたランチョンセミナーに参加した。学生9名、教官4名が聴講。今回のテーマは、松浦武志助教による「心電図が読めなくてもわかる心筋梗塞」である。

まず、心筋梗塞を疑う患者さんを学生に提示してもらった。
「胸が苦しい」「中年・高齢の男性」・・・知っていないと出てこない。
年齢、性別、主訴を提示すること。19歳の女性の胸痛では心筋梗塞は考えない。作詞、作曲、歌手で曲目を予想できるか。AKB48、石川さゆり、の例を提示。

冠動脈疾患の有病率を問診で設定。
1)痛みは胸骨の裏か、2)労作で誘発、3)安静で消失、の3つを訊く。

60歳台男性で3つあれば、事前確率は90%。
尤度比(likelihood ratio)の説明。どのくらい確率を上げ下げするかの指標。
耳たぶの皺の尤度比:2.3
老人環(角膜):3.0、と言われていたが、最近否定された。

症状
・両肩に放散:9.7、左腕に放散:2.2、右肩に放散:2.7、発汗:2.0、謳気、嘔吐;1.9
・呼吸性の変動:0.2、鋭い痛み:0.3、体位による変化:0.3、触診で誘発:0.25
・ニトログリセリンで症状が消失:1.0

病歴で心筋梗塞を疑ったがECGが正常であった。
心筋梗塞患者で初診時のECGが正常なものが30%いる。

血液検査
・CK-MB;2時間以内:陽性で50, 陰性で0.01、2時間以降:陽性で18、陰性で0.46。
・トロポニンI:時間関係なく:陽性で47, 陰性で0.03。

痛みのない急性心筋梗塞が、33%であったという研究を示す。高齢者、女性、糖尿病、は要注意!否定するには慎重に。

心筋梗塞の診断は、問診(COMPLAINTS)、身体診察、ECG,採血、胸部XP、適切な経過観察、で行う。

参考文献
・聞く技術(上)(下)日経BP社
・考える技術 第2版 日経BP社
・JAMA版 論理的診察の技術 日経メディカル社
・マクギーの身体診断学 診断と治療社

エンターテイメントな要素を入れて、問いかけながら行われたので、学生さんも楽しそうに参加していた。(山本和利)

2011年12月8日木曜日

How Doctors think

『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン著、石風社、2011年)を読んでみた。4年前に原書で読んだが、翻訳がでたので再読した。

著者はハーバード大学医学部教授。New Engl J Medのエディター。

医師が臨床医としてどのように考えるべきかを明確に教わっていない、と著者は主張する。EBMが急速に広まったが、医師が数字だけに頼って受動的に治療法を選択する危険を懸念する。医学は不確実な科学である。以上の点を踏まえて、一般の読者向けに書かれた本である。

はじめに紹介される患者さんは大変印象的である。15年間、医師の助言に従って食べ続けたが痩せ細った体重が増えない女性である。解決は「患者の言葉をよく聴けば患者が診断そのものを教えてくれる」から導かれた。

本書では、誤診につながりかねない認識エラーについて詳述されている。

自分自身が手を痛めて、複数の医師にかかった経験をもとに導き出された結論、「医師は自分の見たいものしかみない」という言葉が印象深い(私自身も講演でよく引用させていただいている)。

米国の医師と製薬・医療機器会社の癒着についても鋭く批判している。

医療の知識を増やす本ではないが、医師の思考がどのような傾向を持つかを知る上で、非常に参考になる本である。(山本和利)

2011年12月7日水曜日

初心を忘れず、志を高く

12月7日、旭町医院の 堀元進先生の講義を拝聴した。講義のタイトルは「札幌市内の地域医療」である。

まず、いい塩梅に授業を受けるようにと。いつも診ている患者さんの紹介。札幌医大の臨床実習の様子を紹介。患者さんと一緒に歩むのが医師。分らないところから始まる。腹部触診など正常がわからない。自分の体で勉強する。知識はあるが、実施能力が不足している。診療に親しむことが大切。心電図について講義。心電図を読むときには2つの流れ。リズムの異常か、波形の異常かを読む。

在宅医療の話。場所は変わっても原則は変わらない。脳梗塞後遺症の患者さん。急性期以後の医療はどうなっているのか。リハビリの力は大きい。家が病室になる。家族が一緒に居られる。胃瘻造設患者、気管切開患者、脳梗塞後遺症など慢性期の患者を医師・看護師が支えているのだ。最低限のことはできる。「なんだか具合が悪い高齢の男性」が、ポータブルXPで肺炎と診断。帯状疱疹で脱水になった患者さん。褥瘡への対応。在宅医療の機械がすごく進歩した。出張入浴もある。電動車いす(補助制度で買える)。

「患者に希望を与える」。思いやり。医師会館でピアニストを呼んで、一人の患者さんのためにコンサートをした。ALS患者は呼吸筋麻痺で気管切開。喀痰吸引が問題となる。パソコンでコミュニケーションする。旅行が好きな患者を沖縄まで連れていった。医療者が患者の思いに寄り添うことが大事。

「患者さんの思い」を汲み取る。胃瘻、気管切開、肺がん、甲状腺がんで苦しむ患者さんのビデオを供覧。大学病院の医師を受診し、化膿性頚椎炎だったのにホットパックを処方された。患者さんから学生へ:面子を捨てて素直になって欲しい、患者のちょっとした言葉に耳を傾けて欲しい、とかすれた声で切々と訴えた。

「医師の眼」を広く、深く、遠くまで。ネパールの人々の生活している写真を提示。洗濯場で飲料水をとる。腹部膨満の患者の原因は寄生虫や細菌が多い。病院に行くことができない人も多い。骨折患者の牽引は建設用のブロックを使っている。

学生へのメーッセージ:やるべきことをやり、目標を見失わず、初心を忘れずに努力を続けるべし。試験に落ちるな!夢はその先にある。現代社会は知識が増えたが、知恵が減ってきた。一個一個バラバラなものを積み上げたもの。知恵:導きだされ、応用のもとになる。人間は部分よりなるが、全体として生きている。医師は、「基本」を実践しながら「応用」を身につけてゆく仕事である。だから、焦らず、ボチボチと。何よりも大切なことは楽しみを持てるように夢(「志」)をもつこと。(山本和利)

2011年12月6日火曜日

SP研修会

12月3日、札幌医科大学で、病院ボランティア室主催のSP研修会が行われました。

講師は大阪の倉橋広子先生、この道10数年の大ベテランです。受講生は病院ボランティア「フローレンス」の方々24名です。当講座から2名参加。

まず、「SP」とは皆さんご存知でしょうか?
勿論、自分は special, secret police位しか知りませんでした。も実は「模擬患者」という意味だそうです。

本学では5年生から病院実習(実際に病棟にでて各患者さんを担当する)が行われます。その際に、その患者さんがどのような経過で病気になったかなどを聞くことを「医療面接」と言います。例えば、胸痛の患者さんの場合ですと、LQQTSFA:Location(部位)、Quality(性状)、Quantity(程度)、Timing(いつから)、Setting(状況)、Factor(寛解・増悪因子)、Associated manifestation(随伴症状)などを念頭におきながら「病歴」をとっていくわけです。ただ、医学生に突然やりなさい、といってもできるわけがありません。そのための訓練として「SP」がいるというわけです。
実は「SP」にはざっくりと2つの意味があるのだそうです。

SP:Simulated Patient:模擬患者
  学生が病棟実習に出る前の「練習用」の模擬患者
SP:Standardized Patient:標準化された患者
  OSCE(医学部を卒業するための実技試験)のための模擬患者

同じ「SP」で、日本語では「模擬患者」ですが練習するためなのか、試験のためなのかでその役割は異なってくるようです。SPは一般のボラティアの方になっていただくのですが、実際の患者さんのように演技していただくわけで、どこがどのように痛むか、いつからなのかなどなど「シナリオ」を覚えていただけないといけません。また模擬患者にはまりきって面接後もその患者になりきってしまったり、また学生に対するフィードバックなども必要になり、かなり専門性のある役割でがあることを学びました。

このように書いてしまうと、かなり難しいという印象を受けてしまいますが、やってみると学生と仲良くなったり、「あの時自分が担当した医師が病院で働いているのを見てうれしかった。」などなど楽しいこともたくさんあるのだそうです。

びっちり2時間の研修会でしたが、倉橋先生の明るい、乗りの良い関西弁であっという間の研修会でした。(助教:武田真一)

2011年12月5日月曜日

舟を編む

『舟を編む』(三浦しをん著、光文社、2011年)を読んでみた。

著者は編集者として出版社に就職することを志望して就職活動を行っていたらしい。その活動中、文筆の才を見出され、作家に転進。29歳で直木賞受賞。著者の父親は上代文学・伝承文学研究者の三浦佑之氏である。

辞書を作りたいという男が辞書を一冊も作らぬまま定年を迎えることになった。定年までに後継者となる辞書向きの人材をリクルートしなければならない。といった辞書編集者の話である。そしてジグソーパズルの名人に目をつける。

「犬」という言葉の意味や、「声」についての考察も面白い。「辞書は言葉の海を渡る舟だ」という。タイトルもそれに由来する。辞書編集者は、ホンのちょっとした言葉の違いにも敏感である。こんな例を取り上げている。「のぼる」と「あがる」の違いは、「あがる」は上方へ移動して到達した場所自体に重点が置かれているのに対して、「のぼる」は上方へ移動する過程に重点が置かれる。たとえば、「あがってお茶を飲む」と言うが、「のぼってお茶でも」とは言わない。なるほど。

辞書の記載の仕方には一定の規則があるという。もちろん主観を入れてはいけない。その制限の下で、辞書の個性を出すことは至難なことであろう。「西行」の記述についてのエピソードが参考になる。地味な内容となりそうなのに、内気な男の恋の成り行き等が織り込まれ、読者を飽きさせない。この著者の扱うジャンルは多彩(陸上競技、仏教、林業、等)であり、かつ内容が面白い。要注目!(山本和利)

2011年12月4日日曜日

リアル・シンデレラ

『リアル・シンデレラ』(姫野カオルコ著、光文社、2010年)を読んでみた。

童話「シンデレラ」について調べているレポーターが、シンデレラは女性にとって理想なのか?と疑問を持つ。本の中のシンデレラはかなり出しゃばりだという。女性にとって最終的に玉の輿に乗ることが本当に幸せなのか?それへの解答としてとしてこの小説が書かれたと言えよう。

執筆に当たってこのレポーターに紹介されたのが、長野県の旅館の長女として生まれた倉沢泉(くわさわ せん)という女性である。母親に冷遇され、美しい妹の陰に隠れた人生のように見える。倉沢泉という主人公の子供時代からの生き様が丹念に多くの証言から浮かび上がってくる。・・・・。久しぶりに斜め読みをしなかった読み応えのある本である。

読み終えたとき、私もこんな風に生きられたらいいなと思う。最後の方で、主人公が子どものころに願った3つの祈りについて語る部分がある。3つ目の願いは最後のページまで語られない。それを知るとウーーン、なるほど、と唸る。少し涙が出て来た。

読み終わって、主人公のように、一生懸命生きたくなった。(山本和利)

2011年12月3日土曜日

PEACE

Peace』(想田和弘監督:日本 2010年)という映画を観た。
想田和弘氏は世界が注目するドキュメンタリー映画監督である。これまで、映像を撮るのが難しい分野に乗り込んで『選挙』、『精神(せいしん)』という映画を作っている。選挙運動の舞台裏や外来の精神科クリニックを舞台に、心の病を患う当事者、医者、スタッフ、作業所、ホームヘルパー、ボランティアなどが織りなす世界を映し出している。

本作は「観察映画」と銘打たれている。音楽やナレーションもなく、日本のある日常が映し出される。例えば、ある家に住み着いた野良猫の実態であったり、介護・支援を必要とする障害者や患者であったりする。

タイトルの「PEACE」とは、平和や映画の中で肺癌末期の患者さんが吸うタバコの銘柄か?

ボランティアに近い状態で患者さん・障害者を支える夫婦が車を使って、忙しく岡山市内を走り回る。ガソリン代や駐車料金もままならない。そこに街頭から民主党の鳩山総理大臣の演説が流れてくる。「福祉・医療を充実させます・・・」と。100円単位のレベルで切り詰めている庶民と億単位のお小遣いをもらう政治家とお金に対する感覚の乖離を炙りだす。

弱者の生活や思いと日本政治の貧困が見えてくる映画である。(山本和利)

2011年12月2日金曜日

激動予測

『激動予測』(ジョージ・フリードマン著、早川書房、2011年)を読んでみた。前回の著作は100年後の予測であったが、今回は10年後の予測だそうだ。

要旨は次のようになる。米国は1991年のソ連崩壊を受け、その圧倒的な軍事力と経済力をもって、意図せずして世界帝国になった。米国の力の中核をなしているのは経済である。その経済力を背後で支えているのが軍事力。米国大統領の指揮下で力による秩序の実現を目指す。そのためには、各地域の勢力均衡を図り、新しい同盟関係や国際機構を構築することになろう。米国は帝国になったがために、共和制の存続を脅かされている。

大陸ごとに米国がこれからの10年間にどのような戦略でゆくべきかが分析されている。さすが「影のCIA」と言われるだけあって、視点は世界平和や庶民のことはお構いなく、結局、米国が生き残るためにどうすべきかが書かれている。誠実で指導力のある大統領の指揮の下で、国民がしっかりと監視していかねければいけないという総括になっている。ないもの強請りのような気がするが・・・。(山本和利)

2011年12月1日木曜日

春を恨んだりはしない

『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(池澤夏樹著、中央公論新社、2011年)を読んでみた。被災地の写真とともに著者の言葉が綴られている。

日本のメディアは、震災被害者の遺体はそこにあったにもかかわらず、その遺体を写さなかった。著者は被災地に赴いて、「今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。これらすべてを忘れないこと。」を誓う。

人は生きて暮らすうちに、いろいろなものに出会う。自然は人間に対して無関心だ。自然は時に不幸を配布する。自然には現在しかない。人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま今を生きる。大きな出会いは「運命」として受け取られる。

震災を契機に、日本の今後の行く道を思考している。「昔、原発というものがあった」という時代を迎えたいと主張している。その実現に向けて政治が着実に動くことを期待している。まさに同感である。(山本和利)