札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年1月31日月曜日

救急医療研修会

2011年1月30日(日)10:30~平成22年度北海道医師会救急医療研修会が札幌グランドホテルで開催されました。帝京大学医学部救急医学講座 坂本哲也教授の講演会「ガイドライン2010について」に参加しました。

ガイドライン2005までの歩み、CoSTR2010へのプロセス、JRC(日本版)ガイドラインについてなどをお話いただきました。講演で教えていただいたことや感想などを交えて以下に報告します。

日常業務として行われる蘇生の重要なポイントは、絶え間なく効果的な胸骨圧迫が行われていることはBLSのみだけでなくALSにおいても成功の条件になること。ALSは複数の救助者が協働して行うものなので、チームの構成員は共通のアルゴリズムを理解し、訓練を積んでいることが望ましく、蘇生の現場ではお互いのコミュニケーションが重要となること。

今回のガイドライン改訂で「教育、実施、チーム」はAHA CPR と ECC のためのガイドライン2010(2010 AHA Guidelines for CPR and ECC)で新しい項として追加されている。

教育と普及の主な変更点について、一次救命処置(BLS)および二次救命処置(ALS)の知識と技術は少なくとも3~6か月経つと、減衰し得ること、技術と知識の維持のために、繰り返しの評価や必要に応じ再訓練を行うことが推奨されており今後、心肺蘇生法普及活動への積極的な参加、BLS、ACLSの更新を行っていこうと思いました。新ガイドラインについて理解を深めることができて、とても有意義でした。(河本一彦)

ダークサイド

『策謀家 チェイニー 副大統領が造った「ブッシュのアメリカ」』(バートン・ゲルマン著、朝日新聞出版、2010年)を読んでみた。

ナンバー2がどのように振る舞うべきかについて大変参考にある本である。これまでの副大統領とはお飾りに過ぎなかったが、副大統領になったチェイニーがどうやって権力を掌握したかという話が綴られている。

副大統領の選考委員を頼まれたのに、自分自身が就任してしまう。その時に提出された他人の調書をその後のチェイニー自身の活動に利用して彼らを貶める。9.11以降は完全に権力を掌握し、「ダークサイド」と呼ばれるようになった。これはスター・ウォーズの世界では、「フォース」の暗黒面を意味する。

1949年以来、ジュネーブ諸条約で紛争地の文民・捕虜に対する保護を保証してものを勝手に破棄した。捕虜に対する「拷問」も正当防衛とした。
法律でうまくゆかないと科学を使う手法もすごい。農家の救済のために農地用水の利用を制限した絶滅危惧種保護法を無視し、水門が開かれ、絶滅の危機にあった銀ザケがどんどん死んで先住民と漁師と魚が犠牲になった。様々な問題がチェイニーの思い通りにゆがめられてしまった。

要するにチェイニーの最大の問題は、使命感が強すぎるあまり、無制限に権力を追求してしまったことだ。市民の自由よりも国家の統制力を重視した点である。

こんな国と同盟を結んで、彼らの軍事力で守られているのが日本であることがわかった。私たち国民が何をしたら、よい世界に向かうのだろうか。(山本和利)

2011年1月30日日曜日

ことばの哲学

『ことばの哲学 関口在男のこと』(池内紀著、青土社、2010年)を読んでみた。

ドイツ文学者でエッセイストの池内紀がドイツ語学者の関口在男(せきぐち つぎお)という天才言語学者のことを綴っている。ドイツ語の勉強法が面白い。ドフトエフスキーの長編『罪と罰』のドイツ語訳を買って、辞書を片手にただただ読む。2年たった頃に文章の意味がわからないのに筋がわかるようになったという。ドイツ語以外にもたくさんの言語をマスターし、語学の天才ではあったのだろう。
哲学者ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインや内田百閒の話も出てくる。法政大学時代の関口在男と内田百閒との関係も興味深い。

行間から著者の関口氏に対する畏怖・尊敬の念がひしひしと伝わってくる。このような伝記を書いてもらえたら生きていた甲斐があるというものだ。(山本和利)

地域医療教育の創造

1月30日、東京にある都道府県会館において開催された地域医療学センターシンポジウム2011に参加した。はじめに高久史麿自治医科大学学長の挨拶があり、梶井英治自治医科大学教授の趣旨説明があった。
地域医療教育の目標
1. 地域医療を担う心構え
2. 地域医療システムの理解
3. 基本的な診療能力の獲得

広島大学地域医療システム学講座の竹内啓祐教授から「必修地域医療実習のABC」。一般学生への地域医療実習に開始するにあたっての事項を述べられた。3つの病院で4泊5日の実習。5年生の臨床実習のひとつ(夏休みが1週間短縮)に組み入れられた。自治医大のプログラムを基本的に踏襲した。宿泊、食費、交通費、謝金、称号、パソコン環境、学生保険の問題を解決する必要があった。丸投げにしない。スタッフが週に2回現地で指導にあたる。健康教育の実習が困難であったが、その他は順調で学生の満足度は高い。往診実習が好評。地域医療への興味を持つ学生の比率は上がっている。協力病院へのお願いは「参加型で、愚痴らない、地域の魅力を伝える」等を願いしている。課題は、健康教育、実習受け入れ病院の確保、FDの開催、自治体・住民の協力。1月末に広島で行われた第39回医学教育セミナーとワークショック(MEDC)の報告をされた。最後に中国・四国地域の地域医療教育の内容を報告された。
質問;旅費やパソコンをどう捻出するか?地域枠の学生をどのように教育してゆくか。健康教育の実習は自治体の特定健診とタイアップするとできるかもしれない。診療所を含める予定はあるか?

津市西部の山間部に位置する三重県立一志病院の飛松正樹院長の講演「学生実習4年間の振り返り」。2万人が対象。家庭医療学の臨床実習を受け入れている。SPを使った医療面接。3-4名を受け入れ。3つの特徴があり、参加型、多様な地域ニーズを経験できる、多職種が関わっている、である。4年間を振り返って、学生に役割を与えるとコミュニケーション、プレゼンテーション、診療録記載能力は驚くほど向上する。多職種が積極的に関わってくれるようになった。患者さんが学生の診察を快く受け入れてくれる。学生は全人的医療をよく理解している。指導医にも生涯学習への動機付け、プロフェッショナリスムを見直す機会となった。課題として、家庭医の魅力をどのように伝えるか、学生の服装・態度、図書室、宿泊・食事などの環境整備、等があげられる。

青森県尾鮫診療所長の松岡史彦氏の講演「地域医療を受け入れる立場から」。実習に来る学生をみていて違和感を覚える。大学で教わった知識を現場でつまむようにして確認するだけでよいのか。Biomedical modelで対応していてよいのか。Contextやnarrative、時間、関係性に関したやりとりが重要なのではないか。地域医療をただ見せていてもその患者の関係性が気づかない。共感を持ってやりとりすることが大事である。モノの考え方を学ぶことが大事。教えるコンテンツに拘らない。ソフトな語りの中に、診療所で働く医師の強い矜持を感じた。

昼食前に、桃井医学部長が総括をされた。



午後は昼食をとりながらのWS「地域医療教育の維持・発展段階の諸問題」に参加。実習の評価方法、あり方、実習指導医、大学側の問題等について4グループに分かれて討議。
朝5:30に自宅を出て21:00帰宅。日帰りで往復9時間の旅程はさすがにしんどいが、参加者の熱い気持ちが疲れを吹き飛ばす。(山本和利)

2011年1月29日土曜日

ピープル・スキル その1

『ピープル・スキル 人と“うまくやる”3つの技術』(ロバート・ボルトン著、宝島社、2010年)を読んでみた。ここで言うピープル・スキルとは対人能力のことである。著者はコンサルテーション会社を興しながら、心理学、精神医学、行動科学、哲学などの文献を多数渉猟している。

第1-2章「人と人との溝を埋めるスキル」
孤独(aloneness)には2種類ある。ソリチュード(solitude)とロンリネス(lonliness)。
ソリチュードは創造的で楽しい充実した孤独。ロンリネスは苦痛を伴う孤独。
「仕事」に失敗する原因の8割は他人との意思疎通がうまくゆかないことにある。我々はへたなやり方を教わった善意の人間から、へたなやり方をそのまま教わる。人は人との関わり方を変えることができる。
3つのスキルがあるという。
1. 傾聴スキル(一番大事!)
2. 自己主張スキル
3. 対立解消スキル
傾聴スキルについて3回に分けて記述する。

「人間関係を破壊する12の対応」があるという。
A.判断する
1.批判
2.悪口
3.診断(精神科医きどりで相手の行動の動機を分析する)
4.称賛(本当の意図を隠して相手を褒めるとかえって怒りを買う)
B.解決策を伝える
5.命令(相手の判断を信用できないということを暗に示す)
6.脅迫
7.説教
8.質問・尋問(会話が途切れる、抵抗を招く)
9.忠告(知性に対する侮辱)
C.相手の問題を回避する
10.ごまかし
11.論理的説得(理詰めで説得すると相手が離反するリスクが高い)
12.元気づけ
悪影響が非常に出やすくなるのは、当事者の一方か双方が何かを求めていたり、困難な問題に取り組んでいたりする場合である。

こんなことは家族や友人に対してよくやっていることではないのだろうか。ではどうしたらよいのか?それは次回に。(山本和利)

哀愁漂うジャズ

今回は妻も認めたジャズの紹介である。

アルバム:New Traditions/マティアス・アルゴットソン・トリオ(Spice of Life)を紹介する。スウェーデンの新進ジャズ・ピアニストの本国でのファースト・アルバムである。


スウェーデン民謡4曲とオリジナル7曲で構成されているが、全曲、美しいメロディが流れてくる。タッチがソフトで歌心に溢れ、哀愁がただよってくる。一音一音に余韻がある。囁くような声とも思えるピアノ演奏である。教会のパルプオルガンのようなオルガン演奏も含まれている。
最後のオリジナル曲「life」はピアソラを連想させる。心洗われる演奏である。演奏が終了した(と思った)ところから2分間近くの無音が続き、再度演奏が始まる。「life」というタイトルにあるように曲にも、構成にも何か思いが詰まっているのであろう。休日の朝にお勧めである。(山本和利)

2011年1月28日金曜日

複雑系と医療

『Complexity & Medicine The elephant in the waiting room』(Colin J. Alexander著、Nottingham、2010年)を読んでみた。

「医学の問題点:複雑な病気の原因を同定できないこと」だそうだ。

医学には2つの領域がある。科学と技術である。病気の予防と治療が対応する分野となる。予防は目に見えないが、大変重要で利益も大きい。予防をするためには、原因を知る必要がある。冠動脈疾患に関して言うと、治療法は進んでいるが、その原因については多くの仮説があり、原因は不明である。遺伝子解析が進むと解決すると思われたが、現実にはそうならなかった。原因が一つではないからである。感染症などと異なり複雑な病気では、原因が一つのいうことが間違っている。原因と機序とは同じことを意味しない。原因については「なぜ」に答える必要があり、機序は「いかに」に答える必要がある。

科学には仮説が必要である。それがないと検証ができない。科学のプロセスとして演繹があるが、それに十分な論理性はない。仮説を探る帰納と検証する演繹のプロセスを持つ。

研究モデルは4つ。介入研究、コホート研究、ケース・コントロール研究、住民調査である。複雑な疾患については仮説過多が問題である。それぞれに独立したニュートン以降の線形の仮説モデルは不適切である[役に立たない]。感染症は線形モデルでよいが、その他は非線形モデルでなければならない。

カオス理論。病気とはホメオスターシスの破綻である。一般に、ネガティブ・フィードバックが主であり、エラーを防ぐようになっている。逆にポジティブ・フィードバックは不安定となり、有害である。一般に線形であっても、信号を受けてからの反応にタイム・ラグがあるとまれでがなるが揺らぎが起こる。

後半は様々な整形外科疾患を例に挙げて、原因を線形モデルで求めようとしても無理であり、非線形モデルが必要であることを100ページ割いて述べている。(山本和利)

FLATランチョン報告会

1月28日、特別推薦学生(FLAT)を対象にランチョン講習会に参加した。11名が参加。

釧路市にある勤医協釧路協立病院に2泊3日の実習について3年生の髙石恵一君が報告してくれた。
はじめに釧路の紹介。町村合併で飛び地になっている。人口18万5千人。雪が少ないが夏冬とも寒い(人工中絶率が高い)。漁業が盛ん。製紙業。丹頂鶴。阿寒湖のマリモ。緑色の蕎麦。霧で飛行機欠航が多い。

今回の実習目標。1) 都市部の中核病院が担う地域医療をつかむ。2) 臨床医学の観点から外来を見る。3) 患者さんとのコミュニケーションを図る。
外来で慢性患者さんの生活歴を聴取。SMON患者(キノホルムによる薬害)の病歴聴取。Closed questionになりやすい、患者さんの生活歴を知ることの大切さを知った。「そこをもう少し教えて」というフレーズが大切。診療所の外来見学と家庭訪問し、都市部の地域医療を実感できた。かかりつけ医としての役割の根付き。新しいデイサービスの形。ソーシャルワーカーの大切さ。2日間の実習は短い。


続いて木村眞司先生がネパールの学会に参加したときの報告をされた。写真を中心にプレゼンテーション。岩村先生に憧れていた。人口2800万人。8割がヒンズー教。王政が破綻し今は共和制。ホテルの裏は薄汚れている。広場に野良犬と物売り。一日二食。


GPの学会に参加した様子を報告。田園風景、ヒマラヤの写真。放し飼いの鶏。散逸したゴミ。カトマンズの病院でカンファランス中に停電に遭遇。田舎の観光。高地の方が高級。バナナ、サトウキビ、落花生。軒先で臨時診療。竈が多いが煙突がないためCOPDが多い。1950年代と2000年代が混在している。慢性疾患よりまだまだ急性疾患が主体である。

学生たちはこのようにして地域や世界の実情を吸収している。(山本和利)

雑食動物のジレンマ(1)

『雑食動物のジレンマ ある4つの食事の自然史』(マイケル・ポーラン著、東洋経済新報社、2010年)を読んでみた。アマゾンにおける2006年ノンフィクション部門の売り上げ第1位である。

あるテレビ番組の影響で米国の食卓から忽然とパンが消えたという。米国全体が摂食障害に病んでいる。ヨーロッパでは体に悪いと言われるものを食べていても幸せそうである。

第二次世界大戦末に起きた食物連鎖の産業革命が、その仕組みを大きく変えてしまった。
食の問題を3部に分けて記述している。

第一は「工業的食物連鎖」である。トウモロコシが現代の食生活の要である。人間は食品を作るために驚異的な才覚を発揮するが、同時にその技術が自然と対立する。
食物連鎖の起点を探ってゆくと、米国中西部のトウモロコシ栽培地帯の農場にたどり着く。米国の45,000の商品のうちその1/4にトウモロコシが入っている。トウモロコシは光合成によって炭素原子を4つ含む有機物を作るそうだ(C4植物)。水が少なく高温の地で有利であり、C4植物は炭素同位体13Cを多く取り入れる。米国人はその摂取量から「歩くトウモロコシ加工品」と言われても仕方がないほどである。トウモロコシは自分の力だけで繁殖しにくいが、それに人間が力を貸した。品種改良の技術によって生産性が向上したが、一方で農家は毎年、新しい種を買わなければならない。収穫を増やしたい農場主は最新の技術を取り入れるが、結局は生産性が向上しても恩恵を受けるのはその技術を売った企業である。その結果、他の植物が消え、動物も農場から消えた。農民の言葉、「トウモロコシをつくるということは、ただトラクターを運転して農薬を噴霧することである」と。また窒素固定法を手に入れて農場の生態系が静かに変わってしまった。化石燃料から作られた合成窒素の半分以上はトウモロコシ栽培に使われる。問題として、余分な合成肥料は蒸発して酸性雨となり地球温暖化を進める。過剰生産と価格の低下が問題である。穀物倉庫が問題を複雑にしている。農務省から不作時には補助金が出る。少数の企業だけがトウモロコシ流通に関わっている。

牛の体重を効率よく増やすために、膨大な量のトウモロコシが使われる。トウモロコシを食べて育った牛の肉(霜降り)は人間の健康によくない。牛(タンパク質製造機)にも不健康である。そこで牛の健康を維持するために抗菌薬が投与されている。

トウモロコシは加工され、コーンシロップになる。米国の加工食品で大豆とトウモロコシを使っていないものはまれである。名目上は自然な原材料から作られ、基本的な還元主義的原則は守られるが、その実態はどうか。コーンシロップの年間消費量が増加している。大量の清涼飲料水(ジャンボサイズ・コーラ)の販売。人間は大量に食料を出されると30%余分に食べてしまうという。ファースト・フードには石油が原料の抗酸化剤(TBHQ)が含まれている(5gが致死量)。危険な食料である!

2000年、世界で過剰栄養人口が10億人、栄養不良が8億人という報告がある。米国の食は病んでいる。その米国が世界の食を支配している。こんな世界でよいのか。食の問題に女性があちこちで立ちあがっているが、仕事人間の男たちは無関心であったり、揶揄したりしているが、そんなことでよいのだろうか。2部、3部に続く。(山本和利)

2011年1月27日木曜日

肺炎

『McGeeの身体診察学:第2版』の訳本(柴田寿彦訳、診断と治療社、2009年)のエッセンスを紹介したい。前回、JAMAの「肺炎」を紹介したが、比較のため読んでみた。予後についての記述が参考になる。(診断については、JAMAと同じである)

第29章。肺炎。

臨床的意義
・急性の発熱、咳、喀痰、呼吸困難を示す外来患者6,000例からのエビデンス。
肺炎の陽性尤度比は、ヤギ音;4.1、悪液質;4.0、気管支性呼吸音:3.3、打診濁音;3.0、呼吸音の減弱;2.3、体温>37.8℃;2.0、精神の;1.9、クラックル;1.8。
鼻水なし;2.2、咽頭痛なし;1.8

肺炎を単独で明確に否定する所見はない。

Laenenecの時代より、軽症が含まれる。古典的所見は発症後数日後に出現する。抗菌薬が身体所見を変化させた可能性あり。抗菌薬以前は発熱が7日間以上続くのが一般的であったが、今日では3-4日間しか続かない。

肺炎の診断には次の5点をチェックするのがよい。
・喘息がない
・体温>37.8度
・心拍数>100/分
・呼吸音の減弱
・crackles
肺炎の可能性は、その数が0なら1%以下、 1個なら1%、 2個なら3%、 3 個なら20%、4 個なら25%、5個なら50%である。

<肺炎の予後>
・ 30日以内の死亡率は10%。
・ 次の所見があると予後不良である。
 低血圧:尤度比;10.0
 低体温:尤度比 ; 3.5
・ 肺炎重症度指数(4項目)
 低体温、心拍数>100/分、呼吸数>30/分、収縮期血圧<90mmHg
 0個:尤度比;0.3、
 2個:尤度比;1.9、
 3個:尤度比;4.7、
 4個:尤度比;10.2
・回復期
 低体温、頻脈、頻呼吸、低血圧等は、2-4日で正常化する。(山本和利)

2011年1月26日水曜日

我的日本語

『我的日本語』(リービ英雄著、筑摩書房、2010年)を読んでみた。

名前から推測すると日本人の血が入っているのかと思っていたが、そんなことはないようだ。若い時に父親の仕事の関係で日本に来て日本語に興味をもって新宿に飛び込んだという。

万葉集に魅せられて、日本語で本を書くために米国での教授職を捨てたようだ。万葉集を日本語で読むよりも、著者の訳した英語の方が私にはわかりやすかった。例えば、持統天皇の「春過ぎて夏来るらし白妙の 衣乾したり天の香具山」を訳すために、現地に赴いている。香具山が山どころか小高い丘のようだということでhillと訳している。ひとつの言葉も疎かにせず現場主義を貫いているところがすごい。

母語以外で書いている作家、ドイツ語で書く多和田葉子、英語で書くウラジミール・ナボコフ、英語で書くサルマン・ラシュディ、等を取り上げて言語とアイデンティティについて考察している。

“アメリカ合衆国が被害者となった“2001年9月11日についての考察も面白い。

ひとつのことに打ち込んだ人の生きざまやその考察は、読むに値する。著者の本『星条旗の聞こえない部屋』『我的中国』『千々にくだけて』「越境の声」『仮の水』『延安』等を読みたくなった。(山本和利)

2011年1月25日火曜日

ほら話

『フィッシュ・ストリー』(中村義洋監督:日本 2009年)という映画DVDを観た。伊坂幸太郎原作を映画化したもので、ロックバンドをやっている娘が借りてきた。

1982年、正義の味方になりたいと思いながら勇気を出せない男が、車のカセット・テープで途中に空白のある音楽を聴いている。

2009年、修学旅行中の女子高生が眠り込んで下船できず、その船がシージャックに会う。そこに正義の味方になりたいコックが現れる。

1975年、売れないパンク・ロックバンドの話。解雇直前の最後の録音で、「Fish story」という本の巻頭に書かれた「僕の孤独が魚だったら、巨大さと獰猛さにクジラでさえ逃げ出すだろう」と言葉に出会う。

1999年7月、ノストラダムスの大予言がはずれる。代わって2012年7月、地球に彗星が衝突し、あと5時間で地球が消滅するという。

この時間的にも空間的にも一見別々な話が、最後に気持ち良く一つになる。「Fish story」とはほら話ということである。観終わって、気分がスカッとする「ほら話」である。斉藤和義プロヂュースの主題歌「FISH STORY」も耳に残る。(山本和利)

2011年1月24日月曜日

べき乗則

『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』(マーク・ブキャナン著、早川書房、2010年)を読んでみた。

1914年サラエボ。オーストリア=ハンガリー帝国皇子を乗せた車が道を間違えたことから悲劇が起こり、第一次世界大戦に突入した話が導入である。ソ連崩壊を1年前に予想できたか。阪神大震災は予想できたか。イエローストーン公園の大火災をなぜ予測できなかったのか。1987年のニューヨーク証券取引所の突然の大暴落は予想できなかったのか。

これらの現象を複雑系科学で、予想ができるかどうかを述べている。複雑系科学とは、「臨界状態」の普遍性を研究するのだそうだ。カオスは、単純な予測不可能性についてなら説明できるが、「激変性」については説明できない。カオス理論に欠けているのは、集団的振る舞いという重要な概念である。歴史にこの概念を敷衍できるのか。歴史には無数の力が働いている。「クレオパトラの鼻」が低くても歴史は変わらなかったというのが、歴史についての答えである。

読んで驚いたのは、「防火対策を講じるほど山火事は大きくなる」ということだ。適度にガス抜きをしないと、大災害に繋がるということらしい。自然に起こる小さな山火事はほっておいて正しく燃やすことが大事と(危険な枯れ枝を取り除いてくれる)。

我々は平均値思考やベル型分布に慣れすぎている。べき乗則においては、平均値に目を奪われると本質を見失う。

地域医療再生の激変を期待したが、そう簡単ではなさそうである。(山本和利)

2011年1月23日日曜日

地域医療の現状と取り組み

1月22日、北海道観民医連医療活動交流会に招かれ、冒頭で「地域医療の現状と取り組み」の講義を行った。映画『ダーウィンの悪夢』を導入に「ミクロ合理性を足し合わせた結果、マクロ状況の不合理につながる」という話をした。医療界においても医師それぞれが自分自身の眼の届く範囲で一生懸命やっていても、総和として地域医療がうまくゆかないことに結びつけて話した。

サーカーのアジア大会、カタール戦で日本チームは後半一人少ない人数でも全員が危機意識をもってお互いをカバーし勝利をもぎ取った。日本の医師も地域医療に対してそのような姿勢で臨んでほしいものである。

次に実際に出会った患者さんの例を挙げながら、現実の医療の現場は混沌として、単純化できず一筋縄ではゆかないことを話した。混沌とした現実に対応できる総合力を持った医師が求められる。最後に、地域医療再生の5つの作業仮説を述べた。熱心に聴いてくれている雰囲気が伝わってきて大変話しやすく、気持ちよく講演を終えることができた。

休憩後、各地域から活動や取り組みが紹介された。釧路地区から「高齢者医療の取り組み」、江差地区から「地域連携の在り方」、黒松内地区から「地域医療の現状」、宗谷地区から「市民要求に基づいた展開」、オホーツク地区から「病院の役割」、十勝地区から「地域連携の現状と課題」、札幌地区から「地域連携の課題」である。

その中で、診療所の無床化の動きや在宅重視への変化、道立病院との連携強化、住民の活動、常勤医不在の問題、2次病院の受け入れ拒否による地域連携の問題、斑状に欠損する地域の専門診療科の問題、新たな都市部の紹介・逆紹介制度について、等が報告された。

以上のことがTV会議システムで中継された。参加者は約70名とのこと。一つの組織のみならず様々の組織間の連携が盛んとなって地域医療が再生することを期待したい。(山本和利)

2011年1月22日土曜日

愚鈍の怪物ゴーレム

『ゴーレムの生命論』(金森 修著、平凡社、2010年)を読んでみた。著者は『サイエンス・ワォーズ』などを書いており、科学思想史、生命倫理を専門としている。

ゴーレムとは人造人間のことであり、<善人の怪物>といったイメージが付きまとう。ゴーレムとは物言わぬ土塊であり、チョット間の抜けた人間未満の者と定義される。医療が進む中で人工臓器が進み、ロボットのような人間が増えることに対する考察を期待して本書を紐解いたが、その部分にはあまり紙面を割いていない。大部分ユダヤ教の世界で魔術の修得の証とされた人造生命「ゴーレム」について、宗教を背景とした解説が記載されている。

映画『エイリアン』シリーズにかなりの紙面を割いて言及しているので、映画愛好家には参考になるかもしれない。

他者や自己の「ゴーレム化」(相対的に愚鈍な人間)についての言及が私には参考になった。外国人や物言わぬ人・障害者などを自覚しないまま、相対的に愚鈍な人間とみなして、目に見えない境界線を引き、彼らをその向こうに追いやっていないだろうか。グローバル時代という旗印の下、米国人や英語堪能者は無自覚に英語をうまく話せない他者や弱者を「ゴーレム化」していないだろうか。(山本和利)

2011年1月21日金曜日

「地域医療」の試験

2010年度札幌医科大学地域医療総合医学講座で担当する「地域医療」の試験(4学年)を1月20日に行った。
授業で実際に講義した内容を中心に記述式の問題を作成した。

3名が及第点に達しなかった。残念!対象者の健闘を祈る。(山本和利)

日本の森があぶない

『奪われる日本の森 外資が水資源を狙っている』(平野秀樹、安田喜憲著、新潮社、2010年)を読んでみた。

制度がひどくて国民が迷惑しているのは医療だけかと思ったら、自然環境への対応もひどい。本当に腹が立つ。日本の国土が中国や欧米の資本によって買い漁られているそうだ。私自身離島、湾港などの辺境地の医療をどうするという目でしか見てこなかったが、資源という視点からも現在の日本の管理体制には問題があるようだ。

日本は世界一、土地所有者の権限が強い。森林の利用法も水の使い方も所用者の意のままである。そのため公益に沿った行動がとられない。(日本の医師の権利意識は世界一であろう。そのため地域医療が崩壊しようが、公益に沿った行動はとられない)。このような制度のため合法的なマネーの力による土地買収が進行してゆく。これが国土の辺境から広がってゆく。明治以来140年間で北海道の森の40%は破壊された。また日本の森林には測量図がない。48%しか地籍調査が終わっていない。このままでは森林の土地所有者が海外のグローバル資本になってしまう。

日本には国家資産を衛るためのルールがない。外国人は土地が持てないのがアジアの常識なのに、日本では可能であり、北海道の馬牧場は外国資本に乗っ取られている。「対馬の主要部分は韓国人によって買い占められている」。日本の官僚や政治家の何と能天気なことか。

山岳辺境や外海離島への関心を持とう。その解決法は、林業再生である。すなわち、辺境再生である。定住、所得補償、「村づくり支援員」、医療、介護が必須である。しかし、掛け声だけで終わりかねない(地域医療,然り)。

「安全と水はただである」「国境は安全で誰も犯しはしない」「資源や食糧はいくらでも海外で手に入る」といった日本人の地政学の欠如をなんとかしなければならないだろう。グローバル市場原理主義による森林破壊が始まっている。「自分が購入した土地は自分のものだ。その中で何をしようと勝手だ」でよいのか。(「自分の力で医師になったのだから、都会で好きな専門診療だけをして、何が悪い」と某医学生に言われて唖然とした)。

「過去への感謝と未来への責任」を今こそ考えなければ!医師は医学書ばかり読んでいればよいのか?!(山本和利)

2011年1月20日木曜日

感染症:違いがわかる大人になるために

1月19日、札幌医科大学においてニポポ・スキルアップ・セミナーが行われた。講師は勤医協中央病院の石田浩之先生である。テーマは「感染症:違いがわかる大人になるために」である。参加者は18名である。
「入院の感染症について」問題を提示して、研修医や学生に訊いてゆく形式である。
診療の枠組み:臓器、細菌、抗菌薬の3つを考慮する。
「紛らわしい偽物たち」を区別できるなることを目標とする。4パターンを提示された。

最初に問題を表示し、最後に解答を掲載するので、時間のある方はじっくり考えてから後半を読んで欲しい。

1. 下痢+嘔吐+発熱。
・冬、35歳男性。都市に在住。インフルエンザ様症状。家族内に同様の症状の人はいない。感染性腸炎として補液。翌日、息切れを自覚。数時間単位で悪化。軽度頻脈。頻呼吸。クラックルあり。

2. 腹痛+高熱+下痢
・50歳男性。ノロウイルスを疑う胃腸炎が流行。家族も同様の症状。高熱、腹痛、水様下痢が加わった。発症前の2-5日に鶏肉を摂取していないかどうかを訊く。生に限らない。

3. 湿性咳+高熱。
75歳男性。独居。脳梗塞の既往。嚥下障害。未治療で高熱が時折。肺野にクラックル聴取。XPで肺炎像。ヴァイタル・サインは安定。

4. 頻呼吸+高熱。
75歳女性。急性腎盂炎を5回。4-5日前に排尿時痛。倦怠感。悪寒戦慄。乾性咳。意識清明。クラックルなし。酸素化障害がある。恥骨直上に圧痛。右CVA叩打痛あり。


解答編
1.診断は「レジオネラ肺炎」である。消化器症状が先行する。
・呼吸器症状がないこともある。肺外症状:意識障害、胃腸症状、横紋筋融解などが重要。温泉への暴露。腐葉土(ガーデニング)。土を扱う時には手袋・マスクで予防すること。

2.診断は「キャンピロバクター腸炎」である。
・憩室炎、虫垂炎(子宮外妊娠、卵巣捻転、PID)と間違えられる。鶏肉を食べる時期に多い。サルモネラは熱を主に訴える。

3.診断は「肺膿瘍」である。
・肺炎とすると合わない点。「全身状態が好過ぎる。」未治療の割に酸素化が悪くない。画像とヴァイタル・サインが釣り合わない。よくなりきらない。起炎菌は幅広い。

4. 診断は「腎盂炎」である・・・(答えに幅がある)。この症例は菌血症の一般的な経過である。菌血症による酸素化障害である。研修医は肺炎と言いやすい。

講演者が雪の影響で到着が遅れたため、待ち時間を使って次回の講師の川口先生にアドリブで前説をしていただいた。次回の3月9日の講演テーマは「外来診療における感染症」である。格言「抗菌薬は医師自身の安定剤ではない」「抗菌薬は解熱剤ではない」。(山本和利)

2011年1月19日水曜日

1月の三水会

1月19日、札幌医科大学において三水会が行われた。参加者は10名。大門伸吾医師が司会進行。

振り返り5題。今年は「北海道の冬」の厳しさを実感している。

74歳男性。アルツハイマー型認知症。寝たきり。四肢拘縮。
喘鳴、発熱。SaO2:80%で肺炎と尿路感染と診断され、入院となった。全身の汚れがひどく、褥瘡もある。抗菌薬点滴で解熱。血液データは改善。嚥下機能の低下はないが、適宜吸引は必要であった。要介護5であるが、介護が入っていなかった。エアマットも勝手に返却されていた。ネグレクトを心配し娘を呼んで今後のことを相談した。施設入所を提案した。入所まで自宅療養となった。週2回の訪問看護を受け入れてくれた。ミキサー食を提案。

振り返り:家族に働かきかけることにより、患者QOLを上げることができた。キーパーソンである夫人の理解と協力を得るのに腐心したが、最後には夫人の態度に変化が見られた。経済的な面での困難さはなかった。「どんなサービスを利用すればよいのかわからない」という人が意外と多いのではないか。これまでのカンファランスには医師が参加していなかったが、医師が入ったことでコメディカルスタッフが盛り上がった。

クリニカル・パール:「使える人・モノ・制度は何でも使え!」。

42歳男性。多忙。1カ月間止まらない咳。痰。発熱なし。喫煙者。過膨張な肺。肺気腫と診断した。感冒薬処方と禁煙指導。1週間後、症状は改善なく再受診。吸入ステロイドを処方。1ヶ月後、改善ない。マイコプラズマ抗体は陰性。胸部CTで異常なし。
クラリスロマイシンを処方。百日咳抗体(山口株)を依頼したところ、陽性であった。
ここで百日咳のレビュー。

振り返り:慢性の咳は喫煙者では当たり前と考えてしまった。初期に血液検査をしなかった。鑑別診断に「百日咳」に入っていなかった。情報バイアス、感情の転移に注意する。

クリニカル・パール:「慢性の咳の鑑別には百日咳を入れること」「鑑別診断の勉強を怠らないこと」「情報バイアス、感情の転移に注意すること」。

80歳代の女性。吹雪の中を救急車で来院。血尿・排尿痛があり、入院を希望したが、膀胱炎なので入院は不要と話したところ、訴えると言われてしまった。
学会発表をした「コホート研究」を報告。

2年目研修医が2年間の振り返りを行った。事例報告:アルコール臭のある78歳男性が救急車で受診。診察して泥酔と判断し、点滴をして翌朝に診察とした。血液検査の結果、低Na血症。家族から別の市の病院への転院を希望。そこに夫人が入院中。尿路感染症が判明。1週間後、幻視が出現。精神科受診したところ、アルコール離脱、脳委縮による認知症、薬物の副作用と診断。精神科への転院が決定。その矢先、自宅でみたいという申し出があり。

振り返り:ホリゾンの使い過ぎであった。家族との意思疎通が不十分であった。尿路感染症の管理が不十分であった。硬膜下血腫やビタミンB1欠乏の評価が遅れた。最初、単なる泥酔者と考えてしまった。

注意すべき救急受診患者:アルコール飲酒者、ステロイド内服者、糖尿病患者、高齢者、NSAID内服者。沢山の助言が得られた。

クリニカル・パール:「アルコール飲酒者は要注意!」

1年目研修医から学会での症例報告のプレゼンテーション。スライドの作り方、調べ方について沢山の助言がだされた。

和気藹々とした雰囲気の中、夕食に移行し、休憩後、スキルアップ・セミナーに参加した。(山本和利)

FLATランチョン

1月19日、特別推薦学生(FLAT)を対象にランチョン講習会に参加した。13名が参加。

今回は函館市にある道南勤医協稜北病院に2泊3日の実習について、参加した1年生の佐藤南斗君と宿村莉沙さんが報告してくれた。
函館は「個性」を尊重するという雰囲気を感じたそうだ。今回の実習を通じて、医療者と患者さんとの信頼関係の強さ、多職種の連携の重要さを実感したようだ。地域に根差した医療を通じて、函館という地域のキーワードは「自立」である、とまとめた。

学生の地域医療に対する思いが着実に高まっているのが実感できた報告であった。(山本和利)

採用面接技法

1月18日、札幌医科大学FD教育セミンーでリージョンズ株式会社代表取締役の高岡幸生氏の講演を拝聴した。講義のタイトルは「求める人材像のアセスメントと面接技法について」で、サブタイトルは「入学者選抜が変われば、大学が変わる」である。いつもはワークショップ形式が多いようだが、今回は講義形式である。人材紹介業、転職希望者の就職先を探す仕事を通じて、経験豊富な面接を体験して裏付けられた話で非常に参考になった。

採用、入学者選抜が変わると組織が変わってゆく。
テーマ1.大学経営の答えは優秀な学生の獲得力にある。
テーマ2.組織の哲学が誰を入学させるかを決める
テーマ3.失敗しない面接のポイント

前説
会社リクルートは採用に膨大な金額を使った。自分より優秀な人材を獲得する。1年間に600名と面接した。そこから分ったことは、「答えは過去にある」である。事実ベースで類推し判断する。学生の品質を高めることが大学の品質を高めることである。落ちる人がほとんどである。落ちた人の印象も意識する。育成すればなんとかなるとい考えは、間違えである。人間の考えは変わらない。

まず札幌医科大学の場合、「良い学生」の定義を決めることが重要である。大学の哲学・建学の精神に合うかを見る。面接官の思いも影響する。(人材を集める。錐もみ式が大事。今回は触れず)

人材を見極める。哲学に合うか。環境適応性を見る。
札幌医大の建学の精神から抽出すると「思いやり」「命を尊ぶ心」「探究心・想像力」「倫理観」「貢献する意志」「視野」「意欲」が挙がる。
3つの情報カテゴリーがある。

1)言語情報
・事実情報(過去の事実):人間は過去の囚人である。事実(数字、名詞)を具体的に聴き出す。如何に魂を磨いてきたか聴き出す。濃い人間関係を聴く。幼少期・小学校から現在に至る歴史を聴く。一番打ち込んできたものを深く掘り下げる。受容と尊重も大事。理解と共感。タイミングのよい反応力が大事。相手にいい人生を送って欲しいと心底思うこと。聴き方のポイントは「なぜ」「どうして」と訊く。不明確な点を率直に訊くと地の言葉が出てくる。

知識・業績・資格のみで採用しないことが重要。どういう考え方をするか・行動するかが大事。入学してから如何に伸びるか。一番大事なのは生きる動機(思考・価値観)。心のいい人が大事。いい人は、子供の時にいい大人に会っている。
2)意味情報(類推できるもの)
3)非言語情報:応募者の動作(会った瞬間の印象)
この3つを総合的に判断する。会って、会話して、別れるまでが面接である。時間内で判断する。迷ったらマルにしない。JALの稲盛和夫氏に訊いた「人材をどう見抜くか?」答え「まじめで謙虚な人」。

失敗例
「印象で評定する。」「ひとつの特徴のみで評価する。」「ひとつの特徴を一般化して評価する。」「ステレオタイプに左右される。」「血液型で判断する。」「自分自身と比較する。」「個人的な好き嫌いで評価する。」「無難な評価をする。」

失敗しない面接のポイント
「本人に責任のない事項(国籍・出身地)を訊かない」「家庭環境を訊かない。」「宗教を訊かない。」「性差別的質問はしない。」

避けたい人材
「他責傾向のある人」「素直でない人」「やさしさがない人」

講義終了後、たくさんの質問が出た。よい講義であった証拠であろう。

今回わかったこと。
1)学生に地域医療に対する情熱を聴いても意味がない(試験対策の蘊蓄を述べるだけで時間の無駄)。
2)それより過去に情熱を傾けたことについてとその理由を訊いて掘り下げる。
3)これまでに会った素敵な大人について尋ねること。(山本和利)

患者主体の診断 その6

第4章は患者の物語:症状である。後半。

症状のカテゴリー化
患者からの側面から見てみよう。動悸は16%の患者にみられるが、運動、情動、発熱に伴うものがほとんどである。職場でおこる規則正しい動悸は心臓由来の可能性が高い。動悸が長く続くほど、心臓由来の可能性が高い。

症状に関する3要素として、「患者」「時間」「環境」の側面から考えてみよう。

患者背景による症状
年齢、性別、人種、社会的ステイタスを考慮する。頭痛の場合、アジア人では56%が受診するが、非アジア人では24%である。
心筋梗塞でも、男と女で症状が異なる。男の場合、胸痛、発汗が多い。
65歳以上では、1/4で複数疾患がある。めまいの原因も様々である。医師と患者で下痢や動悸の定義が異なる。

認知能力
症状の43%は1年後には忘れている。4か月を過ぎると、症状出現の期日が曖昧になる。排便の変化については、6か月で一致率が下がる。そこで症状を思い出すせる工夫として、患者の身体状況と情緒とを考慮する。思い出すのに役立つような行事や出来事を聴き出す。識別できる症状についての記憶を分析する。現在から遡って症状を思い出す、等。

時間的側面
症状が一貫して続く患者は4%にすぎない。70%は2週間以内に改善し、90%は3カ月以内に改善する。めまいの28%は2週間以内に改善し、残りの50%は1年以内に改善する。救急を訪れた腹痛患者の大部分は数日以内に症状が改善している。髄膜炎の場合、古典的な症状はかなり時間が経ってから出現する。

環境的側面
地域によって様々な健康信念が蔓延っている。社会環境が症状の申告に影響を与える。妊娠を望む人と望まない人で生理についての訴えが変わる。清潔な診察室で訊くと汚い部屋で訊いたときより、健康であるという報告が増える。患者宅を訪問すると、症状を理解する手掛かりが得られることがある。(山本和利)

2011年1月18日火曜日

患者主体の診断 その5

第4章は患者の物語:症状である。中盤。

症状の分類
正常な現象を主訴として受診する患者がいる(normal symptom)。患者は毎日便が出ないことや、正常なオリモノを心配する。そんなとき、次のような質問をするとよい。「そのめまいはあなたにとって大変な問題ですか?」「その頭痛で大変困っていますか?」「そのひどいおならで悩んでいますか?」等である。

医師を受診するための症状
若い英国女性の場合。気力が出ない(456:1)、頭痛(184:1)、胃部不快(109:1)、腰痛(52:1)、下肢痛(49:1)、腹痛(29:1)、咽頭痛(18:1)、胸痛(14:1)。

受診となる症状
血尿で受診する患者は泌尿器癌の可能性が高くなるが、排尿困難のような受診理由とならない症状が加わるとさらに可能性は増す。(9.9%から69%になる)
患者主体の診断とは言えないが、受診理由の症状とそうではない症状を組み合わせて診断をする研究が期待される。

閉経後の不正出血が癌であることを知っているのは50%,痛みのない乳房腫瘤が乳がんであることを知っているのは57%である。そして深刻な症状が出ても受診するのは12%である。

入場券‘ticket for admission’という概念がある。睾丸が腫れた男性は、何か理由をつけて受診した。それを入場券と呼ぶが、女性医師に本来の理由を恥ずかしくて言えなかった。

客観的な症状
医師には客観的にわかる症状が好まれる。しなしながら主観的な症状が多い。例えば、一般住民による調査では、関節痛(36.7%)、腰痛、頭痛、胸痛、四肢痛、腹痛、倦怠感、めまい、不眠、排尿困難感、歩行困難、動悸(18.2%)である。このような研究には時間もお金もかかる。

器質的原因のない症状
非特異的な身体症状では30-75%で診断がつかない。胸痛:病院よりも診療所では心理社会的原因が多い。うつや不安障害でもPC設定では身体症状を訴える患者が多い。器質疾患を除外するために検査を必要以上にしてはいけない。説明できない腹痛の68%は1年後には軽快している。胆石痛と胆嚢疾患は一致しない。倦怠感と貧血も一致しない。
実際、症状から検討すると、胸痛では11%、倦怠感では13%、めまいでは18%、頭痛では10%、腰痛では10%、腹痛では10%くらい器質的疾患の可能性があった。

医師主体の診断
これまでの医師主体の診断は、正確さに重きを置き過ぎている。正確さを追及しても必ずしも不確実性は減らない。患者自身が器質疾患では気付いていると、医師への信頼を損ねる。

疾患のない症状を疑うとき
・同じ症状での頻回受診
・たくさんの症状
・長期間続く症状による受診
・訴えの割に症状が軽いなど矛盾するとき
・常識的に理解しにくい症状
このような患者に出会ったら、自分の意見を述べて患者と今後の方針を話し合うことが重要である。(山本和利)

2011年1月17日月曜日

患者主体の診断 その4

『Patient-Centered Diagnosis』(Nicholas Summerton著、Radcliffe、2007年)を教室の勉強会で読んでいる。エッセンスその4。

第4章は患者の物語:症状である。

Symptoms;症状の語源は「通常の状態から落ちる」という意味である。医師を訪れる理由は症状があるからである。更年期障害の診断について考えてみよう。
50歳以降で、3-11カ月の無月経、ここ12か月生理不順の女性が来たとする。著者はFSHを測定すれば診断がつくと思っていたが、尤度比を検討するとホットフラッシュが3.2で、FSHは3.1である。複数の症状を加味した尤度比は28.5である。あえてホルモン検査をする意味がないことがわかろう。
女性の尿路感染症は排尿痛、頻尿の症状の方がテステープ検査よりあてになる。尿所見がなくても症状のある者を治療すると明かに症状が改善するという事実がある。
Clinical information and menopausal status
Clinical information Positive LR Negative LR
Hot flushes 3.2 0.7
Night sweats 1.9 0.8
Vaginal dryness 2.6 0.9
Patient’s Self-rating of going through the transition 1.8 0.3
FSH>24IU/L 3.1 0.5

身体診察所見の意味付け
肺疾患があると、起座呼吸があったときの評価が難しい。なぜなら心疾患でも肺疾患でも起こすからである。意味はある。起座呼吸がない時は、左心室機能低下を否定できる(陰性尤度比:0.04)

患者本位の医療面接
19歳女性。「寒気がする」といって受診した。その統合失調症患者におおまかな問診と身体診察をした。検査結果も異常なしであった。数週後、「寒い」といって再度来院したとき、スタッフに住所を確認するように懇願されて調べてみると、家から退去されられて外で寝ていたことがわかった。住宅が確保できたら症状は軽減した。

有効な診察
患者の価値観を探り、一人の人として尊重することである。また診察理由を明確にし、現在の問題に関連する背景、危険因子等を考慮するそして、共通基盤を構築する次にどうするか患者と一緒に進める。

格言に「私を不安にさせる患者には、不安がある。」、「私を抑うつ気分にさせる患者には、うつがある。」、私を混乱させる患者には、精神疾患がある。」

統計を取ると、医師は平均18秒で患者の話を中断させるが、そのまま話させても、患者の話は2分半しか続かない。そうすることで、受診の本当の目的がわかることがある。出だしは、開いた質問が大切である。

患者主体の問診
・疾患と病いの両方を探る
・全人的に理解する
・共通基盤を見出す
・予防や健康増進を図る
・良好な医師患者関係を構築する
・時間や資源を考慮し現実的に対応する

共通理解が重要
頭痛の研究で、症状が軽快することに最も影響するのは、患者の心配ごとを医師としっかり相談できたかどうかであった。
新たな症状が出現したとき、1カ月以内によくなるかどうかに影響するのは、患者が医師の意見に完全に同意しているかどうかであった。患者の価値観だけでなく、その限界を認識することも重要である。(山本和利)

2011年1月16日日曜日

北欧ミステリ

『五番目の女(上)(下)』(ヘニング・マンケル著、創元社、2010年)を読んでみた。

本書はスエーデンを代表する推理作家の警察官クルト・ヴァランダー・シリーズの第6作目である。スエーデン推理小説で有名なのは1960年代に書かれた「マルティン・ベック・シリーズ」と2000年代のスティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作」であろう。

これまで本シリーズとして「殺人者の顔」「リガの犬たち」「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」が日本語に翻訳されている(十作で完結となったようだ)。世界的に人気も高く英国やスエーデンでTV映画化されて、ここ1年間に日本のBS放送でもみることができた。

『五番目の女』のテーマは、女性への暴力とそれに対する復讐がテーマであるが、これまでの作品も殺人事件の解決に奔走する一方で、世界的な問題を浮き彫りにしてゆく社会派ミステリになっている。著者は行動する作家でもある。2010年5月31日のイスラエル軍によって攻撃されたパレスチナ救援物資運搬船に乗っていたというニュースにも取り上げられている(運よく難を逃れたようだ)。

社会問題を知るのにミステリが役立つことも多い。楽しみながら世界の問題を知ることができるので、時間のある方、ミステリ愛好者にはお勧めである。(山本和利)

2011年1月15日土曜日

ゴダール・ソシアリスム

『ゴダール・ソシアリスム』(ジャン=リュック・ゴダール監督:フランス 2010年)という映画を観た。

三楽章のシンフォニー構成。第一楽章は<こどもの事ども>、第二楽章は<どこへ行く、ヨーロッパ>、第三楽章は<われら人類>。

観終わった感想は、観る前に予想した通り「わからない」である。映像が美しいわけではない。逆にあえて醜くしている感がある。音楽も使われているが、突然、ノイズが入ることもある。
セリフも映像も多数の引用から成っているらしい。パンフレットを買って識者の感想を読んでみると、様々な賞賛の声が寄せられている(もちろん出版バイアスはある)。

ゴダールの域に達すると、観る者が深読みをしてくれるのであろう。自分自身の知識で如何に深読みできるかが作品の評価を決めることになろう。多くの者には退屈で面白くなくてDVDでは見続けることはできないだろう。

わからないという状況を体験し、もう一度自分自身の知識を見直したい者には、一見の価値はあろう。(山本和利)

2011年1月14日金曜日

東大生の論理

『東大生の論理 「理性」をめぐる教室』(高橋昌一郎著、筑摩書房、2010年)を読んでみた。東大生に学外講師として行った論理学の講義についての報告である。面白い!お勧めである。教科書は『理性の限界』を使っている。

まず、男女の三角関係を分析。その関係は8つの組み合わせのいずれかになるという。
「Yは男か女かのどちらかである」は論理的には真ではないそうだ。本書を読むとよくわかる。「排中律」と呼ばれる基本的な法則は「PかPでないかのどちらかである」の表現でなければならない。

これを地域医療に当てはめてみよう。「医師を増やすと地域医療の問題が解決する」も真ではないことがわかる。本書に倣って表を書いてみよう。

ケース/ 医師は専門医である / 医師は地域医療をする
1・・・・・ / ○ ・・・・・・・・・ ○
2・・・・・ / ○ ・・・・・・・・・ ×
3・・・・・ / × ・・・・・・・・・ ○
4・・・・・ / × ・・・・・・・・・ ×

現在、99%が臓器専門医であり、都会の病院志向である。それはケース2に当たり、地域医療は崩壊することになる(総合医が少なすぎてケース4でも崩壊することになる)。医師を増やしてもその医師たちが臓器専門医にしかならないならば、ケース2のままである。よって医師を増やしても地域医療は再生しない(余分な検査や治療が増え、医療費は確実に増えことは間違えない)。

社会的ジレンマの章も面白い。受講者100名に1万円か1千円のどちらかの金額を紙に書く。もし、1万円と書いた人の比率が20%以下であったら、全員にその供出した金額と同額をもらえる。しかし、20%以上の比率であったら同額を没収される。皆が1千円と書けば全員、1千円もらえる。1万円と書いても20名までなら、彼らは1万円もらえる。さああなたならどうする。東大生の結果は如何に。論理学の専門家に同じことを提案した場合の結果はどうであったか。

「囚人のジレンマ」、「ナッシュ均衡」、「パレートの法則」、「マーフィーの法則」の記述も面白い。こんな授業をしなければいけないのだろう。

論理を学んでも現実の問題をうまく解決できるとは限らないことがよくわかる。頭がよいはずの官僚や医師に地域医療の解決を任せてもうまくゆくはずがない。

「うまく方法を選ぶと自分の好きな結論になるよう物事を運ぶことができる」という権力者の論理がよくわかるようになるので、『理性の限界』と合わせて是非、読んでみてほしい。(山本和利)

2011年1月13日木曜日

暗黙知

『マイケル・ポランニー「暗黙知」と自由の哲学』(佐藤光著、講談社、2010年)を読んでみた。マイケル・ポランニーといえば「暗黙知」である。1891年ハンガリーの首都ブタペスト生まれ。二男のカールが有名な経済学者カール・ポランニー(「大転換」の著者)である。

暗黙知の理論をひとことで言うと、「われわれには語るよりも多くのことを知ることができる」あるいは、「われわれの知識や認識の過程には言語によって明示することができない暗黙の要素がふくまれる」というものである。

ポランニーの知識論は、知識獲得に積極に関わるというコミットメントと優れた人格の形成を不可欠な要素としている。その積極性は、所属する共同体に伝えられてきたルールやマナーやものの考え方や感じ方などを徒弟制度に似た長期間の訓練を通じて身につけることによってはじめて発揮されるものである。
「明示知」と別に「暗黙知」があるわけではない。あらゆる明示知に暗黙知がついてくる。暗黙知の要素を欠いた知識は存在しない。

プライマリケアの知識・技能・態度を幅広く身につけるために、専門診療を短期間とはいえ沢山ローテート研修をしたのに、なぜプライマリケアの知識・技能・態度が身に着かないのか。それは、専門家の明示知の中に、自分の専門領域以外の健康問題については、誰かに任せばいいという暗黙知が付いて回るからである。これを2年間続けると、回る科回る科でこれでもかこれでもかと同じメッセージが研修医に伝えられる。専門領域以外は診てはいけないという態度が自然に身に着くのである。(家庭医の研修プログラムは「暗黙知」という言葉は明記されていないが、プライマリケア医に必要な「明示知」と「暗黙知」が取得できるように配慮されている。)

本書は、経済学や知識論、科学、芸術、宗教についてもかなりのページを割いている。その分暗黙知への言及は減っている。暗黙知については、ポランニーの著作『個人的知識』や『暗黙の次元』を読む必要があろう。ただ残念なことに翻訳は日本語なのに全く頭に入ってこないという欠点がある(内容を理解していない者が訳しているとしか思えないレベルである)。

日本人では栗本慎一郎氏が『意味と生命』でポランニーについて言及している。フッサールやメルロ=ポンテもポランニーに共通する「暗黙知」「コミットメント」などに言及しているようだ。

「暗黙知」と「明示知」とは切り離すことができず、「暗黙知」だけを強調することは慎まなければならない。(山本和利)

陸の孤島


1月13,14日、医師不足が著しいということで、羽幌病院に支援第2弾として赴いた。前日18:00札幌発特急バスはぼろ号で出発。11月と異なり雪が多く羽幌まで4時間。松浦武志助教が赴いた先週末の北海道日本海側は積雪が強く、羽幌地区では交通路が寸断され陸の孤島と化した。1m先の視界が不良で車の運転ができなかったようだ。

13日、朝、旅館から病院まで20分ほどの雪道を歩いて、TV会議に出席した。研修医の先生と一緒に外来をしていたところ、研修医に大腿骨頸部骨折の患者の留萌市立病院への搬送の指令が下った。少なくとも往復2時間の旅となる。

地域医療の現場に行って感じるのは、医師不足、システムの不備であり、遠い未来が視界不良であることだ。

14日、外は吹雪いている。旅館の方にタクシーで病院に行くよう言われたが、ものは験しと歩いてゆくことにした。マイナス15℃くらいか。外に出てすぐ、メガネがくもって見えない。少し細い道に入ると歩道の横の2mを超える雪垣で車道は見えない。坂道にかかると人が歩かないためか除雪されていない個所がある。雪に埋まりながら進んでゆく。病院の手前で完全なホワイト・アウトに捕まる。かすかに信号機の明かりが見えなければ「助けて」と叫ぶところであった。万歩計の歩数は前日の1.5倍である。病院についたところで鏡を見ると雪まみれのコートと雪焼けした顔が映っていた。歩いて来たことを日下医師に話すと、遭難しかねませんよとたしなめられた。本日、無事脱出できることを祈りたい。(山本和利)

2011年1月12日水曜日

権力の館

『権力の館を歩く』(御厨 貴著、毎日新聞社、2010年)を読んでみた。

政治の上での権力者の館(住居や別荘)を訪ね、「建築は政治を規定するか」どうかを検証した本である。

「建築と政治」は歴史教科書には、「いつ」「どこで」がセットになって記念性・象徴性とともに記載されているが、実は日常性の中にこそ存在するのではないかという仮説から著者のオーラルヒストリー手法を駆使して本書は執筆されている。

本書の内容は、元老西園寺公望と「坐漁荘(ざぎょそう)」から始まり、小沢一郎「深沢邸」で終わっているが、3部構成に成っている。第一部は権力者の館、第二部は権力機構の館、政党権力の館である。

日本の政治がどこでどのように動いてきたのかそれとなくわかる。それよりも、本書を読むことで、自分自身の住居や仕事場の部屋のあり方を再考する契機になるかもしれない。(山本和利)

論語

『現代語訳 論語』(齋藤孝訳、筑摩書房、2010年)を読んでみた。

確かに読みやすい。その分、気が付くと考え事をしたりしていて、内容が頭に入らないまま読み進んでしまう。

通読して思ったことは、論語とは「生きるにあたっての心構え」が書かれているということである。これだけ読んでも人間としては向上しないのではないか。それぞれの分野における知識、技能を身に付けた上での話のような気がする。

とりあえず、論語を最後まで読んだということになりそうである。風呂やトイレで読むのも一興かもしれない。(山本和利)

2011年1月11日火曜日

聖路加国際病院訪問記

1月10日、成人の日。日本PC連合学会誌の企画で福井次矢院長にインタービュするため聖路加国際病院を訪問した。福井次矢先生は山本和利の沼津東高校の先輩であり、京都大学総合診療部の恩師でもある。

隣接するタワーの喫茶店で事務局と待ち合わせて、予約時間15分前に旧館6階の院長室を訪問した。洋書がきれいに並んだ本棚の前のソファでインタービュとなった。海外を含め各地での講演も多いという。休日も別の用がない限り出勤しているそうだ。途中、休日にもかかわらず難しい患者さんへの対応を求める電話が入って来た。

ジェネラリストとして歩んで来られた道程に焦点を当てて話を聞いた。現在は事務長を置かず医師系と事務系両方のトップとして忙しく働いているとのことであった。世界に通用するよう「質の改善」に力を入れていることを力説された。あっという間に予定の1時間が過ぎ、次の編集委員会に向かうことになった。

詳細は日本PC連合学会誌2011年3月号をご覧下さい。(山本和利)

患者主体の診断 その3

『Patient-Centered Diagnosis』の第3章、患者主体の診断に関する原理の後半である。

前回は妥当性について記載した。今回は、再現性である。

患者の再現性(Patient reliability)。2.3週間おいて同じ質問をしたとき、患者から同じ返事が返ってくるかどうかをみる。その評価は偶然を差し引いた一致率でみる(κ値)。

医師の再現性(Doctor reliability)
同じ患者を別々の医師が診察して意見が一致するかをみる。前立腺がんを疑う場合を提示。専門医とPC医では異なる。症状や前立腺の大きさ、PSAなどを加味してPC医は専門医に紹介するかどうか決めるが、専門医には前立腺の大きさは自明なことであるので、大きいことはあまり参考にしないかもしれない。それよりも硬さや可動性を問題とする。PC医にこれらの専門医の決断法を取り入れさせようとすると問題が起こる。PC医間のκ値が高くならないからである。

患者主体の診断過程(Patient-centered diagnostic processing)
複雑な検査をしても限界があることを認識することが重要である。確定や除外のために行った検査情報をひとまとめにして評価すべきではない。

ベイズの定理を取り入れる(Adopting a Bayesian approach )
式で書くとPosterior odds = likelihood ratio * prior oddsとなる。これは検査の確率は、検査前の可能性に検査の切れ味を加味して得られるということを表している。
ただこの原則を一律に適応しにくい。同じ症状、同じ検査結果であっても、プライマリケア設定の方が二次・三次病院の患者よりも冠動脈疾患の可能性は低いからである。
検査前確率を設定するとき、anchor biasがかかる。そこで1985-1995年にオランダの54名の家庭医のグループが「咳」「息切れ」「倦怠感」「腰痛」情報を集めた。例えば、息切れ患者が15-24歳の場合、急性気管支炎の検査前確率は18.1%、65-74歳の場合、33.5%である。

非特異的な腹痛であっても複数の情報を組み合わせること(Clusters of clinical information)で、決断に役立つ。
癌の可能性について、65歳以上の男性の場合3%だが、非特異的な腹痛が加わると18%に、さらに体重減少があると50%に、ESR>20mm/hなら75%となる。

Paukerとkassirerが「治療閾値」のいうアイデアを導入した。医師は、治療するかしないかの判断に「検査」を用いる。検査によって結果が陽性になり、計算の結果「治療閾値」を越えれば治療をするし、越えなければ控えることになる。胸痛を訴える患者についてどうするか、軽度の貧血のある老婦人に大腸内視鏡を勧めるかどうか、様々な場面で決断を迫られる。

様々な場面で時を有効に使うことが重要である。英国の一般医は一人の患者に平均47分かけている。米国で行った500名の患者での研究では、熱や倦怠感、痛みなどの非特異的な症状の70%は2週間以内に改善し、残りの60%も3カ月以内に軽快する。(山本和利)

2011年1月10日月曜日

患者主体の診断 その2

『Patient-Centered Diagnosis』(Nicholas Summerton著、Radcliffe、2007年)を教室の勉強会で読んでいる。エッセンスその2。

第3章は患者主体の診断に関する原理である。

PC医は画像検査や血液検査をするかどうかを決断する役目がある。

診断的アプローチ
患者よりも機械を当てにし過ぎると失敗する。それよりも患者の症状、既往歴、身体診察が重要である。もちろん、検査も参考にするが。

治療をしながら時間経過をみることも重要である。

PC医が最初に患者と接することになるが、症状によっては一つの診断に絞りきれないこともある。
鑑別しきれない訴えが多いことも事実である。そのような状況では、多くの場合、二者択一を迫られる。治療する:しない、紹介する:しない、重篤か:軽症か。

呼吸器症状で診断をつけるのは、抗菌薬を使うか使わないかを決めるためである。プライマリケアの現場では、疾患が一時的で、自然治癒することも多い。診断を付ける前に治療が始まることもある。家庭医は検査することは少なく、専門医ほど正確な診断をしない。検査をするとしたら、赤沈やCRPなど決断する際に大まかな指針を示すような検査をする。

診断情報として患者を診る。
症状があって始めて診断過程が始まる。家庭医は患者の既往歴、家族歴、職業歴を知っている。
患者主体の診断(Patient-centered diagnosis)は、患者をはじめに診察する重要性を強調する。話し方、習慣、意識レベル・・・症状、等の徴候の重要性を評価する。五感から得られる情報を無視する理由もなかろう。待合室や診察室でよく観察できる。握手したときいろいろな情報を得られる。臭いで喫煙者かどうかわかる。臭う帯下は真菌より細菌感染を疑う。
社会環境や心理的側面も重要である。とは言えそれらの限界を知っておく必要がある。

「データの妥当性」では、3側面を評価する。1)Face validity、2)Predictive validity、
3)Concurrent validity、である。

Face validityは、診断ツールとして適切かどうかを評価する必要がある。スクリーニングに有用であっても、診断には向かないかもしれないし、その逆もありうる。ひどい話、検診で肝機能障害を指摘され、肝生検が正常という手紙を持った患者に遭遇したことがある。

Predictive validityとして知っておく必要があるのは、どんなに検査の精度(感度、特異度)がよくても有病率の影響を受けること, 感度(sensitivity),特異度( specificity)は 専門医にかかった患者からの情報であることが多いこと、尤度比(likelihood ratio)は真陽性率/偽陽性のことであり、この数値が10以上または0.1以下であると確定診断または除外診断に貢献すること、ROC curveは二つの診断法を比較するのに便利であること、Sackettが提唱した the ’rules’ SpPin(特異度が高い検査が陽性のときは確定できる), SnNout(感度が高い検査が陰性の時には除外できる)を覚えておくと便利であること、Symptom pyramidといって、コミュニティから一次、二次、三次医療機関と器質的疾患が増えること、逆にコミュニティのほうは心理・社会的要素が大きく影響すること、などである。

Concurrent validityは、情報の不一致の評価である。
4つのerrorsがある。
1)Asking errors:質問しなかったり、紛らわしい訊き方をしたりした場合。2)Probing errors:患者が不完全またはいい加減な答え方をしたとき、追加の質問をしてしまった場合。3)Recording errors:患者が言っていないことを書いたり、言ったことを書かなかったりした場合。4)Flagrant cheating:尋ねてもいないし答えてもいないのに返事を捏造した場合。(山本和利)

2011年1月9日日曜日

海炭市叙景

『海炭市叙景』(熊切和嘉 監督:日本 2010年)という映画を妻と一緒に観た。

函館出身の作家佐藤泰志の同名小説を映画化したものである。ロケ地は函館のためか、観客数も思った以上に多かった。

市民から1,200万円のカンパが集まったそうだが、観光をPRする映画ではなく、1980年頃のバブル期の市民の日常生活を描いている。函館の夜景や市電など馴染みのある風景も出てくる。

5つの話が時々交差しながら12月の函館の風景を背景に進んでゆく。造船所をリストラにあった青年とその妹、立ち退きを迫られている老婆、妻に裏切られ息子との対話が途絶えた市職員、稼業がうまくゆかず家庭に歪を抱える青年社長、息子と音信不通となっている市電運転手、等重苦しい話が映像化されている。これが北海道のみならず日本の現在の庶民の実態といえるのかもしれない。

重苦しい画面に目を離すことができず、2時間半が過ぎた。そこには空回りをしながら過ぎてゆく様々な人生がある。とても一人では生きていけない、そんな人生模様の中で動物や隣人・友人との寄り添う場面があると、人はホッとするのかもしれない。(山本和利)

2011年1月8日土曜日

北海道産有機野菜のレストラン

先日、札幌の狸小路にある「レストラン パルシェ」で食事をした。向いに北海道産の野菜などを売っている店が並んでいる。ここは北海道産の有機野菜を食材にしている店である。

野菜ランチセット(日替わり)を注文してみた。はじめに暖かいゴボウの練り物と小皿にサラダが出た。次に出たのがメインの豆腐の竜田揚げ餡かけである。豆腐に歯ごたえがある。新鮮な野菜(赤カブ、サツマイモ、菜の花、等)が餡かけとマッチして美味しい。主食はパン、白米、玄米から選べる。玄米を選んだ。光沢があって歯ごたえもある。最後は有機コーヒーを頼んだ。たっぷりとした牛乳が添えられている。締めて1,200円。

13時半頃のためが店内は空いていた。店内には軽めの音楽(ジャズ)が流れている。私以外の客は皆女性であった。(メニューが男性向きではないのかもしれない)。健康志向の方には、お勧めである。(山本和利)

2011年1月7日金曜日

人間の条件

『人間の条件 そんなものない』(立岩真也著、理論社、2010年)を読んでみた。私は、手元に読む本がなくなると、市立図書館に行って理論社のこども向けに書かれた「よりみちパン!セ」シリーズを探すことにしている。難しいテーマを分かりやすく一流のライターが執筆していること、漢字すべてにルビがふってあることがその大きな理由である。

本書は、理論社のウェブ連載「人間の条件」がもとになっている。第1章「できなくてなんだ」で、障害のことに言及している。「自分のお尻を自分で拭かなくてもいい」ことについての障害者の方の主張が印象に残る。

途中、著者の経歴が独特の言い回しで披露され、書いた論文が漢字にルビがふられて提示される。本書の内容は、私にとってかなり難しい。中学生が理解するのは大変かもしれないが、相手が子供だからといってレベルを下げないところがすごい。

「機会の平等」は実現されたか。「格差社会」、「貧困」の再浮上、「搾取」等について中学生に語りかけるように論が展開されてゆく。基本は弱者の立場である。

最後に、著者の本の紹介がある。これで終わりと思ったら補遺がある。本書を読むことで、これまで当たり前と思っていたことに疑問が生じて来て、読者に考える切っ掛けを与えることになるかもしれない(この独特の言い回しが頭にこびり付いて離れない!)。(山本和利)

2011年1月6日木曜日

肺炎かどうか?

本年は診断力を上げる勉強をすることにした。JAMAのThe Rational Clinical Examinationの訳本『論理的診察の技術』(竹本毅訳、日経BP社、2010年)のエッセンスを紹介したい。

第40章。
抗菌薬のない時代は肺炎にかかると20%が死亡し、菌血症になると死亡率が60%以上となる。

1984-1990年の文献
至適基準(gold standard)は胸部X線像。
身体診察所見ひとつだけでは肺炎の診断は難しい。crackleがあっても検査前確率5%が検査後確率10%にしか上がらないし、なくても2%に下がるだけである。頻呼吸、発熱、頻脈の陽性尤度比は2-4である。(呼吸数>30/分、心拍数>100/分、体温>37.8℃)

1995-2004年の追加情報
・臨床情報から肺炎として入院した患者では、入院当初なかったX線上の所見が3日後新たに10%に肺炎像を認める。
・臨床所見のみでは肺炎患者の抗菌薬のカバー範囲は決められない。

肺炎を疑ったら次の5点をチェックする。(事前確率を5%としている)(Heckerling PS文献)
・喘息がない
・体温>37.8度
・心拍数>100/分
・呼吸音の減弱
・crackles
その数が0なら1%以下、 1個なら1%、 2個なら3%、 3 個なら20%、4 個なら25%、5個なら50%である。
事前確率が5%でないと使いにくいので尤度比にすると、1個なら0.2、 2個なら0.6、 3 個なら4.8、4 個なら6.4、5個なら19である。

<咳、発熱で来院した患者が肺炎であるかどうか判断するとき>
1.一般住民の場合、事前確率を5%(検査前オッズ:1/19)とし、高齢者、免疫抑制状態、急激な増悪の場合は検査前確率を高めに修正する。健康な住民が対象の場合、検査前確率を低めに修正する。
2.(喘息がない、体温>37.8度、心拍数>100/分、呼吸音の減弱、crackles)の5項目を評価する。
3.その数が 1個なら1%、 2個なら3%、 3 個なら20%、4 個なら25%、5個なら50%である。(検査前確率によっては修正が必要である)
4.必要と判断したら胸部X線を依頼する(X線に肺炎像を認めめない者が10%いる)。
5.抗菌剤を使うことで得られる利得(B)が肺炎でない場合のもたらす不利益(C)の9倍と想定すると、治療閾値は10%[1/(1+9))となるので、チェック項目が3つ以上なら治療を開始する。(山本和利)

2011年1月5日水曜日

文学のレッスン

『文学のレッスン』(丸谷才一著、新潮社、2010年)を読んでみた。編集者を聞き手にした対談なので読みやすい。

本書の内容は「短編小説」「長編小説」「伝記・自伝」「歴史」「批評」「エッセイ」「戯曲」「詩」という章立てになっている。

俳句「古池や 蛙飛びこむ 水に音」の解釈は二つあるそうだ。句切れの作用で、その光景を見たという解釈と、思ったという解釈の二つである。

著者の文学賞の選考基準は3つだそうだ。1)作中人物、2)文章、3)筋、である。著者はトルストイを評価していない。作中人物に魅力がないことが原因のようだ(例としてアンナ・カレニーナを挙げている)。その点、ドフトエフスキーの作中人物はみな個性的である。
歴史書にしても著者は『地中海』『年代記』『史記』『太平記』『大日本史』等をよく読んでいて博学である。

日本の随筆で必ず出てくるのが内田百閒。面白いし、すばらしいが、その内容の分析が難しく、意味が解体しているそうだ。その類似でゆくと古今亭志ん生だと。語ってゆくうちに意味が解体してそこから笑いだけが迫り出てくるという傑作。すばらしい随筆を書く者を挙げているが、その中に医師の中井久夫氏の名前があがっている。

明治維新以降最高の劇作家は井上ひさし氏であると述べている。

西洋に詩には韻律がある。漢詩にも韻律がある。

文学論は素養がないとついてゆけないことを痛感した。本書を読んで、古今亭志ん生の落語を聞きたくなった。(山本和利)

2011年1月4日火曜日

思考のレッスン

『思考のレッスン 発想の原点はどこにあるのか』(竹内薫著、講談社、2010年)を読んでみた。著者は、大学に所属しない物理学者で、肩書きはサイエンス・ライターということになっている。これまで講談社のブルーブックスに著者が書かれた内容を、私自身はときどき講演で引用している。

本書の内容を一言でまとめると、「ルネサンス風なんでも屋のススメ」である。小学校時代の海外経験、帰国経験を通じての落ちこぼれ感覚が実によく書かれている。大学・大学院へいってからの文系か理系かの進路を選択するときの戸惑い、物理と数学の違い等、面白く読んだ。

超一流の天才は、挫折を味わった時、自分の守備範囲だけでなく、別の専門分野の人の所へ行って勉強している、という。「越境」「境界人」という言葉も出てくる。挫折を味わった時、自分の関わる分野を広げて、生き延びてゆく天才の生き方。総合診療に関わる者を勇気づけてくれる内容が盛りだくさんである。

後半は、茂木健一郎氏との対談になっている。自分自身の進路に迷っている人、総合診療に進むべきかどうか悩んでいる若い医師に是非読んで欲しい一冊である。(山本和利)

2011年1月3日月曜日

海角七号

『海角七号:君想う、国境の南』(魏徳聖(サミュエル・ウェイ)監督:台湾 2008年)という映画を年末にDVDで観た。

開始早々、日本語、台湾語、中国語が飛びかう。題名を訳すと「岬七番地」となる。中国語を話す日本人女性が、台湾のリゾートホテルで企画する日本人歌手の音楽ショーの成功に向けて奔走する話である。町議会長が村の住民からバックバンドをさせるよう主張したことから、話が盛り上がってゆく。

戦後に台湾を離れなければならなくなった日本人男性の台湾に残した女性に出そうとした60年前の手紙(恋文)。そこに、台北でミュージシャンとしての成功を夢見て挫折した郵便配達夫、子もち女性に恋する自動車整備士、地元の教会でピアノ伴奏をしているマイペースな小学生、地酒の販売員、日本語世代の老郵便配達員、等の人間模様が絡んでゆく。

60年以上前の日本と台湾との関係もそれとなく考えさせるように作られている。国を越えた恋愛ものであるが、音楽ショーとして観ても面白い。台湾でも大ヒットしたというのも肯ける。台湾やアジアの映画賞を多数受賞している。正月など、家族みんなでの鑑賞をお勧めする。(山本和利)

2011年1月2日日曜日

あなたと夜と音楽と

今回はジャズの紹介である。ジャズと言えば、ブルーノート(BLUE NOTE)、プレスティッジ(PRESTIGE)、リバーサイド(RIVERSIDE)のレーベルが入門編として紹介されることが多い。私自身今もBLUE NOTEのCDを買い集めてはいるが、最近はヨーロッパのピアノトリオに凝っている。


最近よく聴くアルバム:ATELIER OF MERODY/パオロ・ディ・サバティーノ・トリオ(澤野工房)を紹介する。
一曲目がYou and the Night and the Music。始まると同時にピアノが疾走する、ベースが追いかける。ジャズ・ファンには堪らない(嫌な人には我慢できない?)。ウルサイとも静かとも違うものである。五曲目のIt’s all right with Me。タタタータ、タタタータとピアノが高音で畳みかける。中盤、タララ、タララ、タララ、タララ・・・とピアノが疾走する。後半、タタタタ、ツルルルン、タタタタ、ツルルルン、・・・と盛り上がり、タタタタタンで終わる。(この文章はこの2曲を聴きながら書いている)。何かをやり遂げねばならないという気に駆られる。音楽を言葉で表現するのがこんなに難しいとは思わなかった。

夜寝る時にはジャズをかけて眠るが、「よくこんなうるさい音の中で眠れるね」と妻にすぐ消されてしまう。

You and the Night and the Musicといえば、You and the Night and the Music/Robert Lakatos Trio(澤野工房)、Dear Old Stockholm/Eddie Higgins Trio(ヴィーナス・レコード)の演奏もお勧めである。こちらはゆっくりとしたテンポで、オシャレな感じである。知らず知らずに体が揺れてくる。是非、お暇なとき聴き比べてみてください。(山本和利)

2011年1月1日土曜日

患者主体の診断(Patient-Centered Diagnosis)

明けましておめでとうございます。

本年の第1回目は、教室の勉強会で読んでいる『Patient-Centered Diagnosis』(Nicholas Summerton著、Radcliffe、2007年)のエッセンスを紹介したい。プライマリケア医が診断するときや研究するときに役立つお勧め本である。

第1章は導入である。乳房腫瘤の2名の患者がいる。一方は早く紹介しすぎて患者に余分な負担をかけたし、もう一方は遅れて紹介して癌の治療が手遅れになったことを嘆いている。
このように診断は昔から難しいものであった。近年では検査をまとめてすることが容易になり、その結果、患者との初診での面接の仕方が変わってしまい、あまり患者そのものに焦点を当てなくなってしまった。

体重減少を主訴に来院した患者に、あらゆる検査をしたが、異常なしであった。検査をする前に、誰か医師に一度でもいいから、「気持ちが沈んだことがあるか」と聞かれたことはあるかと尋ねてみたところ、そんな質問は一度もなかったと涙ながらに訴えた。この患者は「うつ病」の治療で軽快した。本書は、診断の仕方を患者に重点を置くよう試みたものである。

第2章は診断の難しさについて。
消化管出血を訴える患者を何名か専門医に紹介したら「異常なし」という丁重な返事が続いたため、紹介するのをためらって減らしていた。そうこうするうち、患者の親戚から「専門医を受診して検査したら手遅れであった」と責められた、という架空の話で始まる。
PC医は4つのどれかに落ち着く。
Good doctor:直ぐに紹介して重大な病気があることを見つける。
Poor doctor:はじめ見逃して、手遅れになって専門医に送る。
Over-cautious doctor:不必要な患者まで専門医に送る。
Gate-keeper doctor:紹介せず、特殊な治療はしない。
誰もがGood doctorになりたいはずである。本書で述べる患者主体の診断とは、「論理的臨床情報を収集かつ使用する」ことを言う。

不正確で非効率
検査における偽陽性や偽陰性を考慮して、「見逃し」と「過剰診断」とのバランスをとることが重要である。

心不全と診断されている患者の1/3は不必要な治療を受けている。

症状のない一般住民スクリーニングについては、経費や効率の点から我々が期待するほど成果は上がっていないことが述べられている。症状がでてからのガンの診断についても、有効なやり方が確立されていない。

診断は問診でかなりできる。ある報告によると、83%とも56%とも 76%とも報告されている。
さらに身体診察を加えることで、9%または17%または12%確率が上がると言われている。

検査を加えることで、害が加わる可能性も考慮すべきである。余分な経費、不安や痛み。検査の結果、不要な治療やタイミングのずれた治療がされたり、見逃しがあったり、過剰な診断があったりしてはならない。

症状がある患者にいろいろと検査をしても30-75% では診断がつかない (Kroenke et al.)、様々な研究では有効性よりも費用の浪費が目立つ。

近道思考とバイアス(Heuristics and biases)
診断とは不確実への対処法であるが、人間に過ちはつきものである。

一般に臨床医は診断に際して仮説演繹法を用いる。患者の属性や症状からいくつかの新患を思うかべるが、それに3つの罠が潜んでいる。

その1.代表性(Representativeness heuristic)。プライマリケアの設定ではまれなのに、大病院に多く集まる疾患を思い浮かべてしまう。最初に思い浮かべた新患について質問を続け、別の疾患については言及しようとしない傾向がある(conformation bias)。

その2.利用性(Availability heuristic)。最近勉強会で出題されたり、希であり見逃したりした印象深い疾患を思い浮かべてしまう。

その3。最初の確率設定とその補正(Anchoring and adjustment heuristic)。最初に不適切に事前確率を設定し、その後の検査結果を適切に判断せず検査後確率を十分に補正しない。

不確実への対応の仕方にも国柄がある。英国のGPの方がオランダのGPよりも専門医への紹介率が高い。

防衛医療と思える行為が年々増加している。検査をしても診断がつかない患者も少なくない。不確実な状況では、良好な医師・患者関係を構築することが症状緩和や治療に重要となる。

著者の患者さんの例。めまいで数年経過を見ている患者。初回はややこしく、難しかった。2回目はやりにくかったが、3回目はわかりやすかった。結局、患者の症状は軽快した。検査や紹介をせず不確実を受容しながら経過を見ることで医師も患者も得をした。

とは言っても、診断がつかないまま患者を診るのは難しい。そこで、次の章ではもう少し検討してみたい。(山本和利)