札幌医科大学 地域医療総合医学講座

自分の写真
地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年2月10日金曜日

語りえぬものを語る

『語りえぬものを語る』(野矢茂樹著、講談社、2011年)を読んでみた。

著者は東京大学教授で、物語論で有名である。本書は講談社のPR誌『本』に連載したものへ加筆したものである。語りえぬものというと、暗黙知を思い浮かべるが、ここでは問題にしていない。
日常的な言語で書いたと著者は述べているが、そもそもテーマが難しいので、簡単には理解出来ない。ウィトゲンシュタインの引用も頻繁に登場する。

26タイトルと74の註から構成されている。「言葉がなければ可能性は開けない」「文節化された世界」等、について考察。

相対主義のパラドックス「世の中、絶対的に正しいものなんてありえない」と言った途端、「絶対に?」と返ってくる。そして、相対主義について考察が続く。

霊魂は実在しうるのか?では「電子」は実在するのか?話は益々難しくなっている。この問いに対して、著者は「決定不全性」「反実在論」を用いて説明している。次に、二色しか色彩語を持たない部族の場合を提示し、議論を深めてゆく(もうついて行けない)。

物語について興味がある者には、相貌についての考察が興味深い。観点と相貌の違いは、「観点によって相貌は異なる。そして観点は複数ありえ、いま自分がとっている観点も唯一のものではない」フライパンを調理用具と見る場合と楽器と見る場合で相貌が異なる。なるほど。相貌は中側から把握される。相貌とはあるものをある概念のもとに知覚することである。相貌は、それをどのような物語の内に位置づけるかに応じて変化する。一枚の写真は、前後にどんなストーリーをもつかによって、劇的に異なる相貌をもちうるのである。相貌には物語が込められている。

「うまく言い表せない」という不満は相貌に関わっている。手持ちの言葉ではその相貌を表現できない。しかし、それでもうまく言い表したい。そこで隠喩を用いる。隠喩とは、既成の言葉に自分の持ち分を超えて仕事をしてもらう。隠喩はあらたな物語を開く。そして新たな相貌が生まれる。

最後は、科学が世界を語り尽くせないのは、科学の限界ゆえではない。そもそも世界は語り尽くせないのである。実在は、自然科学を含め、言語によって語り出されたあらゆる理念的世界からずれてゆく、実在とは、語られた世界からたえずはみだしていく力にほかならない。その力を自分自身に、人間の行為に見てとるとき、そこにこそ、「自由の物語」を語り出す余地も生まれる、という文章で締めくくられている。

患者さんの多くが抱える症状に対して独自の相貌を与え、修正しにくいストーリーを形成して当科の初診外来を訪れる。対話を通じて、患者さんと一緒になって新たに「自由な物語」が形成されるかどうかが、問題解決に導く鍵のような気がする。(山本和利)