札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年6月30日木曜日

1年生 医学史 講義 その8

 本日は医学史の講義を行った。

 今日のテーマは「日本での医療の展開」と題して、花岡青洲と貝原益軒であった。


 まず花岡青洲の班の発表。

 冒頭、本日の発表についての3つの要点が発表され、教室みんなで復唱した。なんか、小学校の授業のようで新鮮な感じである。その要点とは、
1)内外合一 活物窮理
2)臨床と研究の並行
3)犠牲を伴う医学  であった。

東洋医学と西洋医学の融合をはかり、また内科や外科の領域の知識を融合させようと努力をしたのであった。それを内外合一・活物窮理というそうだ。

その当時、妹が乳ガンで亡くなり、中国の皇帝が全身麻酔で手術をしたとの事実に接し麻酔の勉強をようと思った。しかし、ただ研究だけするわけではなく、地元和歌山で実際の診療も継続して行っていた。臨床と研究を並行して行なった彼の大きな業績である。

麻酔薬のないそれまでの手術についてはイギリス聖トーマス病院の記録がのこっており、
「全臓器が絞り出される思い」「手術が終わったという一言がものすごくうれしかった」
など、熾烈を極める当時の手術の様子が学生によって語られた。

青洲は様々な研究の末、「通仙散」という麻酔薬を完成させる。猫で実験を繰り返した後、妻と母を人体実験に使った。その結果、妻は失明、母は死亡。青洲自身も下半身麻痺が残った。
麻酔薬の開発という輝かしい業績の影には犠牲も伴っているのである。
このあたりの記述は、「花岡青洲の妻」という小説に詳しいようだ。

また、青洲は医学校「春林軒」を開校し、そこには多くの医学生・医師が集まったようだ。しかしその学校では、麻酔薬を他人に広めるな。と教えたそうである。それは麻酔薬は医療にも使えるが、犯罪にも使えるため、無用に技術が拡散するのを恐れたようだ。

最期に冒頭の3つの要点を再度みんなで復唱して発表を終えた。


この班のプレゼンはスライドをみんなで復唱したり、過去の班の発表の内容を適宜取り入れた発表をしており、これまでにない新しいタイプの発表であった。またプレゼンターの声も良く会場に届き、締りのある発表であった。

最も素晴らしいと思ったのは、青洲が開校した医学校に多くの医学生が集まったのは、青洲の技術が素晴らしかったことのたとえに、

「松浦先生のプレゼンの授業が素晴らしかったから、こうして僕達も医学史のプレゼンを頑張ってやっているのと同じです」と引き合いに出してくれたことだ。

すばらしい!!!。
感極まって、、、、、、、目頭が、、、、、、、、。



次の班は貝原益軒であった

江戸時代の健康ブームについての話から始まった。健康でありたいという気持ちは今も昔も変わらないようだ。ただ、現代はダイエットや運動などを積極的に行って健康を取り戻そうとする積極的に健康になろうとする思考があるが、江戸時代当時は体に悪い行為を避けようという視点が強かったようだ(=養生)

益軒は福岡出身。幼くして家族が亡くなったことで、健康への意識が芽生えたようだ。そのせいかどうかは分からないが、当時の平均年齢40歳と言われた時代に85歳まで生きたようだ。

それまでの学問は過去の偉大な先人の教えを忠実に学ぶことが主体であったが、益軒は実証主義の立場で、自分の経験に基づく事実を積み重ねていくスタイルであったようだ。


当時の本草綱目(中国の動植物図鑑)に異を唱え、大和本草(日本の動植物図鑑)という本を著した。これには1362種の動植物が収載されている。益軒の功績で当時の大名に本草学がはやった。結果的に本草学を博物学にまで高めた。

養生訓とは体を損なうものから遠ざけることを意味し、欲が寿命を削るため、欲を捨て去り忍びを保つ(我慢する)という教えを説いた。
医は仁術であり、医師は人を救うことを志すべきで、仁術を尽くしていれば幸福は勝手についてくると説いた。
医師に必要な心構えは読解力・学問・技術であり、医学生に必要な心構えは、大志を抱く・博く(ひろく)・精(くわしく)であり、「広く浅くではない」ことを強調していた。

最期に現代でも通じる食べ合わせの悪い食品を紹介していた。

ウナギと梅干し うなぎの脂が分解される
トマトとキュウリ トマトのビタミンCをキュウリが壊す
大根と人参    同上
サンマと漬け物 発ガン物質が生まれる。

最期の食べ合わせの件は大変興味深かった。
発表自体はやや早口で、30分の発表にしては情報量が多い気がした。しかし、非常に良く調べられているので、薄っぺらな知識のような感じはしなかった。スライドの内容と喋る内容のバランスをとれば、非常に情報量が多いがコンパクトな発表になったであろう。

講義が終了した後、今回も自分の発表のフィードバックが見たいと学生が医局を訪ねてきた。すばらしい!。彼らのやる気を感じる。その学生とは1時間ほど次回へ向けた課題などを話しあった。


次回以降の講義も楽しみだ。

                             (助教 松浦武志)