札幌医科大学 地域医療総合医学講座

自分の写真
地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年9月11日日曜日

9.11から10年

『BS世界のドキュメンタリー 9.11から10年 世界を変えた日(前編)(後編)』(NHK/brook lapping製作、2011年)を観た。

映像は当時の大統領、ブッシュのランニング姿から始まる。フロリダの小学校生徒への講義中にハイジャックの報告が届くが、席を立つことなく授業に参加し続ける。米国が攻撃にさらされていても、大統領はまだ教室にいた。一方、国防省のレーザーでは軌道を外れた飛行機を追跡できないようだ。(アルカイダのテロ活動についてCIAは把握していたという。政策担当者は聞く耳を持たなかった)。8時46分、貿易センタービルにハイジャック機が激突したとき、戦闘機はマンハッタン上空で待機したままであった。現場にいるニューヨーク市長の携帯では救急車、警察、消防と連絡がとれない。

9時3分、2機目が貿易センタービルに激突。200人以上の人が飛び降りてゆく映像と衝撃音。救済への打つ手がない。火災現場より上の階にいる人を救う手立てがない。5万人はいると言われるビル内の人々を救うために、300人の消防士がビルに入る。45分後、大統領がテロ攻撃であることを演説する。ワシントンが襲撃される危機が迫る。大統領は危機管理センターへ避難。

3機目のハイジャック機がペンタゴンに激突。国防長官が救助活動に向かったため、25分間大統領と連絡が取れなかった(指揮権の空白)。大統領はエアフォースワン機で避難。ハイジャック機と区別するため、米国上空を飛行中の全飛行機に着陸を命ずる。

4機目のハイジャック機があることが判明。70分後、はじめに攻撃を受けてたビルが崩れ落ちる。105分後、二つ目のビルも崩壊。火山の爆発のように粉塵・砂埃に包まれる。辺りが真っ暗になり、居合わせた者は「核戦争を見ているようだ」「月での出来事を見ているようだ」と。ハイジャック機への撃墜命令が出される。4機目はペンタゴンに激突する前に墜落したが、その原因は勇気ある乗客たちがハイジャック犯に抵抗し進路を変更させたためであった。

いたずら電話でエアフォースワンが標的であるという連絡が入る。大統領機は軍事訓練予定中の空軍基地に着陸する。ニューヨーク市長は現場から1.6km離れたところに救援基地を設ける。バラバラな遺体が多数で、収容の仕方に困惑。大統領は9時間かけてワシントンに戻る。そして、地下壕に避難。首脳部が会議をし、ブッシュ・ドクトリンを声明。

この時、2876人の犠牲者がでた。義援金は22億ドル集まったという。映像は外国から攻められたニューヨーク市民の一日の恐怖と混乱を伝えている。確かに悲惨な映像である。この一日に体験した恐怖を、ブッシュはすべて怒りに変えて、その後の10年間、復讐に邁進する。

この映像は、残念ながら毎日殺戮の恐怖に曝されているアフリカやパレスチナ住民に対する思い(中東の不条理)までは言及していない。9.11以後、米国は紛争地で逃げるしかない住民の恐怖を醸成し続けている。ブッシュの復讐の矛先は、アフガニスタンのアルカイダではなく、まずイラク(のアルカイダを攻撃すること)に向けることになった。その結果、たくさんの米国の貧困にあえぐ若者が戦地に向かい、死者・障害者となって戻り、職もないまま冷遇されている。戦費がかさみ、国の財政は傾いてゆく。それでも米国大統領たちの怒りは収まらないようだ。2011年5月11日、ついにパキスタンの主権を侵してウサマ・ビンラディンを殺害した(ノム・チョムスキーは最悪の選択と嘆いている)。

報復では紛争が解決しないことは明らかである。南アフリカのマンデラや北アイルランドのIRAが採った報復を捨て和解を選択する術を模索して欲しい。

「理想論は言葉を信頼し、現実論は権力や金に依る(池澤夏樹)」。(山本和利)