札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年4月15日日曜日

第109回日本内科学会総会・講演会

4月14日から京都市みやこめっせで開催された第109回日本内科学会総会・講演会術集会に参加した。

教育講演で,福井次矢氏の「診療ガイドラインの法的側面」を拝聴した。法曹界では医療ガイドラインは治療選択のひとつに過ぎないと捉えており、すべてそれに従わなければならないというような法例はないそうだ。ただし、医師には最新のガイドラインを知り、それを患者に説明する必要がある。そうしないと説明義務違反になる。ガイドラインに従わない治療を選択したときには、その背景・理由を診療録に記載する必要がある。

内科学の使命と挑戦というパネルディスカッションで、日野原重明氏が、日本の内科学の歴史を紐解きながら、内科医のゲートキーパーの役割、総合医の重要性を強調された。

井村裕夫氏は「内科学と臨床研究」。先制医療を強調。これは遺伝素因の強い病気について(アルツハイマー病、糖尿病等)発症前に個にアプローチする。ゲノムコホート研究、トランスレーショナル・リサーチ、臨床試験制度の再構築を強調された。

徳永進氏は「内科学と終末医療」。野の花診療所で一般診療と終末医療を実践している。私の尊敬する先生の一人である。
まず日野原氏の経験した「初めての死」(結核の女工さん)を報告した。日野原氏がその患者に「成仏しなさいよ」と言えなかったという後悔を取り上げた。誠意ある医師がそこに立っていたことが重要なのだと。
スライドが進んで、癌を告知する、しないは問題ではない、と。医療者が決めつけない、押し付けないこと。
「双方向性のもの二つで一つ」が今回のキーワードのようだ。キュアとケアも入り混じったもの。生き生きとした内科臨床が終末医療の中に存在する。身体は死の時まで休まない。精神的ケアと家族ケアを学びたい。ホメオスターシスという言葉を思い出す。3つのホメオスターシスがる(心と体と外)。反対語で生命現象は成り立つ。
徳永氏にとって尊敬する京都人を紹介された。日高敏隆氏(動物学者、人間の位置)、天野忠氏(古本屋、死の位置)、松田道雄氏(医者の位置、日常が大切、主婦が大事、自立した市民)、鶴見俊輔氏(正義の位置、学びの位置、正義を疑う)。
在宅医療とケアがもっともっと広がると述べられた。
徳永氏の宿題は「助けて~の声ある限り、臨床は枯渇しない」から「各種のホメオスターシスを造り直す」ことであると。終末期の「生活臨床」の大切さを見直す。(学術語と生活語の併存)ほどほどに生きる。長すぎる命に価値を置く今のか風潮を見直す。多幸感の生まれる鎮静薬。
「アンラーン(unlearn)の態度」を養い続ける。編んだものを解きほぐし学び直す。
この人の話はなぜこんなにスーと心に入って来るのだろう。ユーモアを交えた会話や笑顔を印象に残った。

宗教学者の山折哲雄氏は「医学と生老病死」というタイトルで講演された。『死にたい老人』という本を紹介。断食に失敗する話。もう一冊『大往生したければ医療にかかるな』を紹介。どちらも山折哲雄氏の言葉を引用しているようだ。西行の断食往生死にも触れ、現在の終末医療の在り方に問題提起をされた。
氏は20歳台で十二指腸潰瘍手術を受けたという。その後、壮年期に吐血、下血で1週間の絶食を余儀なくされた。そのときの5日目に地獄の飢餓感を覚えたが、その後生命力が盛り上がって来る体験をする。このような体験や研究結果から、高層は死を迎えると断食をしていると推測する。
「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」 という西行の句を紹介。20,30年前は人生50年であり、生と死が均等の死生観を誰もが持っていた。ところが、現在では長く生きる・生かすことだけが優先されている。現在の老人終末期の医療の在り方に、西行の断食往生を参考にしてほしいという言葉で講演を終わられた。

4月15日は、感染症の話を5題拝聴。医療環境が刻々と変化し、それに必死に対応しようとする医療者の姿勢が伝わってくる。

勉強しなければ。(山本和利)