札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年10月1日土曜日

米と肉

『歴史のなかの米と肉』(原田信男著、平凡社、1993年)を読んでみた。

日本の食生活の基本は「米と魚」である、というのが日本史のシナリオだそうだ。米作りを基本とする農民と、狩猟による肉食を前提とした狩猟民という構図が対立関係にある、と長い間意識され続けて来た。なぜ米が貴重な食物とされ尊ばれたのか。なぜ日本人が肉を食べなくなったのか。

本書は、中世に米が肉を駆逐してゆく過程や、天皇と差別や国家との関わりについて検討している。(天皇=聖、被支配者=穢れ)

福沢諭吉が肉食を勧め、森鴎外が米を中心とした日本食を勧めたそうだ(精白米を多用したため陸軍における戦場での脚気死亡者を増加させてしまったが・・・)。

歴史を遡ると、縄文時代は漁業。肉食する素材は鳥以外には鹿(カノシシ)と猪(イノシシ)。弥生時代に米が加わる。食料家畜も加わる。王権(天皇)の正統性の強調に際して米が登場し、米を頂点とする農作物に国の基本が置かれ、海と山の魚介や鳥獣が従とされた。これは神話や祭祀から確かめられる。仏教の伝来後、その殺生禁断の思想が徐々に広まり、肉を否定して米を重視する政策が選択された。そして、肉食が穢れと結びついた。米の収奪を基本とする幕藩制国家の政策は、確実の米の生産を増大させていった。肉食に基づく差別論が江戸時代でも展開された。

地域で見てみよう。北海道と沖縄には、米を至上のものとする価値観が根付かず、肉の禁忌が存在しないと同時に、日本の枠内からも除外されていた。肉の禁忌がないところには(天皇の勢力が及ばない場所)差別が存在しなかった。

料理史として米と肉に言及した部分も興味深い。「何を食べるか」のなかに日本の歴史、思想が脈々と流れていることがよくわかる。(山本和利)