札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2011年10月25日火曜日

家庭医療の実践

10月25日、手稲家庭医療クリニックの小嶋一先生の講義を拝聴した。講義のタイトルは「家庭医療の実践- 離島、米国そして札幌-」である。自分自身のことを話すことを通じて「家庭医療」を伝えたい。

まず、手稲家庭医療クリニックのある日の外来を紹介。すい臓がん末期、不安障害、妊婦健診、予防接種、発熱・咳、喘息の聾唖者。

自己紹介をされた。東京生まれ。居酒屋で酔っ払いに囲まれて育った。九州大学卒。沖縄中部病院で研修。離島医療に従事。米国で家庭医の研修を受ける。2008年手稲渓仁会家庭医療センター(愛称「かりんぱ」)で活動。19床の有床クリニック(ホスピス・ケア)で、年間150名の看とりをしている。看取りの際にモニターは付けない。職員50名。初期研修医7名、後期研修医4名。内科、小児科、産婦人科を標榜。親子三代で受診する家族もいる。在宅医療もしている。地域医療への貢献も目指す。

これまでの道のりをさらに具体的に話された。初期研修は野戦病院のようなところで沢山の患者を診た。担当患者350名。離島に行くことが決まっていたので積極的に研修をした。週に140時間働いたことがある(寝る、食う、仕事しかない)。救急患者を年間900名診た。卒後3年目の離島経験。伊平屋島、人口1500人。医師一人、看護婦一人。毎日当直。風邪から心肺停止、外傷、精神錯乱まで何でもありであった。ここで、自分一人でもできるということを実感し自信がついた。慢性疾患への対応がわからなくてもう少し勉強したくなった。

米国Family medicine residency:2003年、先輩が道筋をつけてくれて米国へ行くことになった。5年間研修した。3年間の研修で無理なく開業ができる段階的なプログラム。開業を前提とした教育。継続外来専門施設で研修。外来診察数:150人(1年目)+1500人(2-3年目)。Family Health Center(FHC)は、指導医と研修医がグループ診療を行う。外来にロールモデルがゾロゾロいる。経営なども実地で学べる。

FHCでよく遭遇する問題:小児検診、風邪、健診、皮膚科、腰痛、腹痛、(糖尿病、高血圧が意外と少ない)。術前検診、避妊相談、うつ病、禁煙指導、麻薬中毒、等。FHCで家庭医の幅を思い知った。米国の研修で納得したのは、ロールモデルがいる、入院と外来のバランスがとれている、一人立ちするための移行システムである、等々。

家庭医になって、「何でも屋」であること、「継続性」が重要、「へき地医療に関わる医師のキャリアプラン支援」が必要、「家庭医養成の重要性」に気づいた。

公衆衛生修士として「地域の健康という視点」で、「公衆衛生の方法論」を用いて、「家庭医療の位置づけ」をしっかりとして、「医療・福祉・介護の連携」を模索したい。

家庭医・家庭医療とは
「患者が望むこと」はいつもシンプルである。すなわち原因の追及、体調を治してほしい、等。風邪の患者さんを風邪の診療だけで終わらせない。エビデンスを大切にする。これまでの縦割り医療では実現できない視点を持つ。予防、未病、健康増進も。複雑な要因を解きほぐし解決する。アクセスが容易である。人生の始まりから終わりまで関わる。年齢、性別、病気の種類を問わない。入り口としての役割。患者の味方になって共に悩みを分かち合う。複雑な問題を整理して導く。医療のプロフェッショナルである。「二歩先を読み、一歩先を照らす」患者さんを助けたい。仕事に誇りを持ちたい。成長し続けたい。人生の始まる前から関わる。患者が亡くなった後も家族と関わる。

ロールモデルやメンター(自分を理解、先を進んでいる、成長を助ける、尊敬に値する)に出会うことが大切。

日本の家庭医には未来がある。その理由として4つ挙げられる(僻地医療の崩壊、予防医療のエビデンスに基づいた実践、産科・小児・救急医療の人手不足、恵まれた保険制度)。

最後学生にエールを3つ送られた。「君の考えていることは全て間違っている」「どうせ間違っているからそのまま突き進め」「世界は変えられなくても自分は変われる」

家庭医よ、へき地へ行け!そこでいろいろなものが見えてくる。へき地医療を知らずして家庭医とは名乗って欲しくない。


学生たちは家庭医療についての具体的な内容について把握できたようだ。また離島医療、米国の研修医の実態について知ることで、医療そのものあり方について考えさせられたという意見が少なからず見られた。医療の根源に迫る講義であった。(山本和利)