札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年8月30日木曜日

震災支援

宮城県南三陸町の公立志津川病院への支援に参加した。震災からすでに1年半近くがたとうとしているが、震災当時は「何か力になりたい」と強烈に思いつつ、自らの周囲の状況などから現地での支援ができず非常に歯がゆい思いをしたことを思い出した。報道などでも震災関連のニュースは次第に数が少なくなってくる昨今であるが、いまだ復興とは程遠い現地の状況を見るにつけ、やっと当時の思いにこたえられる機会を得ることができ、使命感に満ちて現地に赴いた。

この病院は震災の際、4階まで津波が押し寄せ、多くの入院中の患者さん、そして、職員も犠牲になった病院である。現在、南三陸町では居住地の高台移転をすすめており、海沿いの平野部は危険区域に指定され、建物などの建設はできなくなっている。

震災前、入院・外来とも担ってきた病院であるが、現在は南三陸町の高台に仮設の診療所を建設し、南三陸診療所として外来機能を担い、入院機能は、そこから車で40分程度の宮城県登米市内に閉鎖された病院を間借りして、入院機能を担っている。そのため、2か所に職員を配置せねばならず、もともと医師不足地域であったところがさらに医師不足に陥り、現在全国各地から応援の医師が駆けつける状況となっている。また、間借りの病院建物であるため、診断・治療機器にも制約があり、また人手不足などから、夜間になると簡単な採血や胸部写真なども撮れないなどの制約も多い。しかし、そういう不利な条件の中でも可能な限りの医療を提供する訓練を受けているのが、総合診療科の真骨頂である。五感をフルに使って診療にあたった。

私の任務は、前半3日間の病棟診療と当直(1日)と最終日の診療所外来診療(+当直1日)であった。入院病床は35床程度で、内科の患者は20人程度であった。多くは80歳を超えた高齢者で病名も「脳梗塞後遺症」「誤嚥性肺炎」「心不全」「偽痛風」「胃瘻増設」「社会的入院」「結核」などであった。日本の高齢化社会の縮図を見るようである。幸い私の担当の期間に大きく急変する患者さんはいなかったが、状態が悪化した際は救急車で1時間程度の石巻や気仙沼市に搬送するようである。ここ北海道でも地方の病院から地域中核病院まで救急車で2-3時間というのはざらにあるので、その時間そのものには驚かなかったが、日本中どこにでもありうる話なのだと実感として納得した。

診療所の外来・当直では、アルコールがらみのトラブルを抱える人が多い印象であった。震災後、家族を失い、家を失い、一人仮設住宅に入居しても、仕事がなく、未来への展望もなく、気を紛らわすためにアルコールに頼る人がかなりいるようだ。健診を受けて、肝機能障害から病院を受診する人はまだいいが、夜間、酒に酔い動けなくなり道端に倒れているところを発見され、救急搬送される人もいる。そのような場合、医学的治療としては、補液を行い意識の改善を待てばいいのであるが、そのような場合は、うつ病などの精神的な病を抱えていることがほとんどである。そこへ適切にアプローチをしなくてはならないが、短期間の滞在しかできない自分にいったい何ができるのだろうかと考えさせられた。

診療所を担っている職員の方々も、震災で大きなダメージを負っている。町内の開業医院は津波で全て閉院となったようだ。現在町内ではこの診療所が唯一の医療機関で他の患者さんも非常に多い。アルコールの問題を抱える患者さんに適切に専門的な医療を提供する余裕は正直ないだろう。どうしたらいいのだろう?

震災後、新たな建物ができ、道路ができ、「物」の復興は目に見えてわかりやすい。しかし、「心」の復興は、わかりにくいし、新たに作ればいいというものでもない。時間をかけてゆっくりと手当てしていくしかない。その解決策に妙案はいまのところない。

復興の長い長い道のりのほんの一部が始まったにすぎないのだろう。今後も出来うる限り力になっていきたいと心に強く思った1週間であった。(助教 松浦武志)