札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2012年12月17日月曜日

限界集落


地域医療とは必ずしも過疎地の医療を指すわけではない。過疎地では高齢化が進み、限界集落化して、日本各地で村が消滅するのではないかといううわさを聞く。

限界集落問題の問題を、1)高齢化をなぜ過度に重視するのか、2)集落とは何か、3)社会解体予言の取り扱い方、の3点から切り込んだ本に出会った。山下祐介著『限界集落の真実』(2012年)筑摩書房、である。

高齢化の高い場所は、まず山間部に現れる。半島沿岸部にも現れる。中心市街地にも。比較的大きな都市の郊外にも。

5つのタイプに分類できる。

1.村落型

2.開拓村型

3.伝統的町

4.近代初期産業都市

5.開発の早い郊外住宅地

高齢者が定着し、その下の世代が「排出」し、子供を産む世代がなく、「少子化」する。

限界集落は予想に反して、しぶとく生き続けているそうだ。過疎化による消滅はあるものの、高齢化の進行による集落消滅は一つも確認できていないという。また、(政策のために)消えたといっても田畑は活用されているらしい。

世代間の地域継承という観点では、昭和一桁生まれの堆積と、それ以降の世代の流出が根本にある。そして、世代間による地域住み分け、すなわち、若い世代が中心集落を、年寄りばかりが周辺集落を形成することになるが、それは生き抜く上では合理的な面も否定できないようだ。

とは言え、住み分けが極端になると、そこに矛盾が起こる。著者は、過疎の村は勝手に消滅してしまえばよいと、他者が判断できるのかという、疑問を投げかけている。

・限界集落は非効率的な場か?

・誰にとっての効率性か?

・他者が判断できるのか?

これは医療倫理に類似している。

過疎地に住む住民や研究者たちは手をこまねいて見ているわけではない。集落発の様々な取り組みもある。住民参加型バス:毎月1000円、乗っても乗らなくても全戸で購入する案は成功したという。一方で、外から持ち込まれた案はうまく行かないようだ。結局、住民主体の取り込みであることが重要となる。そのとき「自分たちが良く見えること」は、欠かせない重要な認識である(集落の個性を活かす)。故郷に片足を残している人や戻ってくる可能性のある人を再生プランに入れる(徳野貞雄氏の提唱するT型集落点検)、メディアへの露出も大切、集落を再生の起点とすること、等。

再生は危機感から始まる。周辺から中心が見えるが、中心から周辺が見えない(中心の不理解)。過疎地には危機感があるが、都市部に危機感もなく、コミュニティ機能も衰退している。

時の試練に耐えうるのかどうか、2010年代は曲がり角に来ている。できれば住民主体の生き残りをかけた運動に医療者として関わってゆきたいものだ。(山本和利)