札幌医科大学 地域医療総合医学講座

自分の写真
地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2009年7月15日水曜日

20年後

O・ヘンリーの書いたものに「20年後」という短篇がある。私にとって今から20年前というと1989年である。学生時代にはジョージ・オーウェルの「1984年」を読んで彼の予想するような管理社会になったらどうしょうと思っていたので、1984年という年はずーと意識から離れなかった。これに関連した話題になるが、私の卒業した自治医科大学は全寮制であり、そこで私は6年間過ごした。設立数年後に寮の風紀が乱れたため(?)上級生が下級生の面倒をみる制度を創設しようという案が出されて誰の反対もなく制定された。その名前が「ビッグ・ブラザー・システム」というのであった。ビッグ・ブラザーとは、「1984年」に登場するヨシフ・スターリンを想像させる管理社会の指導者である。体制批判に目覚めた主人公は密告され、拘束・拷問の末に銃殺されるという結末を迎える管理社会を皮肉った空想小説である。ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだことがある人なら、寮の指導制度に絶対こんな名前は付けないだろう。これを提案したのが英語の教師であったことと医学部教官が誰も反対しないということは、彼らの誰一人として医学書以外は読んでいないのであろうと思い、大変失望したことを今でも鮮明に思い出す。

さて、「20年後」である。友人二人がある場所で20年後に再会を誓う。警察官となった男が再会したのは指名手配された友人であったという話である。小説にするには10年前でも30年前でも駄目だとある批評家が論じていた。私の場合10年前は、札幌医科大学地域医療総合医学講座が設立され赴任した年である。そして20年前は、北京で天安門事件が起こり、ベルリンの壁が崩れ、昭和天皇が崩御した年である。世界的には東西冷戦構造が崩壊し米国一国主義がもて囃され、日本にとっては敗戦前の教育を受けた指導者たちが表舞台から去っていった時期と一致する。私にとっては地域医療従事後の再研修を受けた自治医科大学大宮医療センターが開院した年である。20年前に出会った同窓生は今どうしているのだろうか。そんな思いに耽っていた矢先にたまたま、九州で地域医療に邁進している後輩から20年ぶりに会いたいという連絡が入った。あの頃の情熱を語り明かしたい。

過去の20年間は懐かしく振り返ることができる。しかし、これから20年後がどのようになるのか想像もできない。札幌医科大学地域医療総合医学講座は設立10年が経過した。私が任期を終える設立20年目はどうなっているのだろうか。中間の10年目にしてあえて問題点をあげるとすると入局する若者が少なく金属疲労を起こしているという点だろうか。患者さんの訴えを区別せずに診療するという外来・入院は中年医師だけでは体力が持たなくなってきている。しかし、総合診療の原点は、どんなに大変であっても「患者さんの訴えを区別せずに診療する」ということだと私は思う。設立20年目を想像すると不安もあるが、私自身は札幌医科大学の総合診療科がある限り一人になっても原点を見失ってはならないと、任期の中間地点に立って気持ちを新たにしている。

山本和利