『マイケル・ポランニー「暗黙知」と自由の哲学』(佐藤光著、講談社、2010年)を読んでみた。マイケル・ポランニーといえば「暗黙知」である。1891年ハンガリーの首都ブタペスト生まれ。二男のカールが有名な経済学者カール・ポランニー(「大転換」の著者)である。
暗黙知の理論をひとことで言うと、「われわれには語るよりも多くのことを知ることができる」あるいは、「われわれの知識や認識の過程には言語によって明示することができない暗黙の要素がふくまれる」というものである。
ポランニーの知識論は、知識獲得に積極に関わるというコミットメントと優れた人格の形成を不可欠な要素としている。その積極性は、所属する共同体に伝えられてきたルールやマナーやものの考え方や感じ方などを徒弟制度に似た長期間の訓練を通じて身につけることによってはじめて発揮されるものである。
「明示知」と別に「暗黙知」があるわけではない。あらゆる明示知に暗黙知がついてくる。暗黙知の要素を欠いた知識は存在しない。
プライマリケアの知識・技能・態度を幅広く身につけるために、専門診療を短期間とはいえ沢山ローテート研修をしたのに、なぜプライマリケアの知識・技能・態度が身に着かないのか。それは、専門家の明示知の中に、自分の専門領域以外の健康問題については、誰かに任せばいいという暗黙知が付いて回るからである。これを2年間続けると、回る科回る科でこれでもかこれでもかと同じメッセージが研修医に伝えられる。専門領域以外は診てはいけないという態度が自然に身に着くのである。(家庭医の研修プログラムは「暗黙知」という言葉は明記されていないが、プライマリケア医に必要な「明示知」と「暗黙知」が取得できるように配慮されている。)
本書は、経済学や知識論、科学、芸術、宗教についてもかなりのページを割いている。その分暗黙知への言及は減っている。暗黙知については、ポランニーの著作『個人的知識』や『暗黙の次元』を読む必要があろう。ただ残念なことに翻訳は日本語なのに全く頭に入ってこないという欠点がある(内容を理解していない者が訳しているとしか思えないレベルである)。
日本人では栗本慎一郎氏が『意味と生命』でポランニーについて言及している。フッサールやメルロ=ポンテもポランニーに共通する「暗黙知」「コミットメント」などに言及しているようだ。
「暗黙知」と「明示知」とは切り離すことができず、「暗黙知」だけを強調することは慎まなければならない。(山本和利)