7月2日、札幌ロイトンホテルで日本プライマリ・ケア連合学会のシンポジウム「患者中心の医療」を拝聴した。
基調講演はカナダの医師Tomas Freeman氏。カナダでの患者中心の医療の方法について。従来型のアプローチと患者中心の医療アプローチの比較を述べた。後者は病い、個別性、具体的、背景、全人的、養生等に重きを置く。患者中心の医療を提唱した師匠であるIan McWhinneyの話もあった。南アフリカの医師の診療内容をテープにとった内容を自己分析したところから、この技法は発展していった。様々な患者中心の医療の方法を紹介。次に6つの要素を紹介(教科書参照)。この中で最も重要なのは「共通基盤を見出す」である。
次のような誤解もある。家庭医療に特化して通用するモデルだ。時間がかかり過ぎだ。患者の心理・社会的側面に注目することだ、等。
EBMとの関係。患者中心の医療の中でEBMは簡単に実践できる。患者の意向に沿った診療行為は有効性が高かった。患者満足度は上がっている。アドヒアランスが上がる。身体症状の減少。健康問題の減少。医師の満足度の上昇。医療過誤の減少。コストの減少。これは驚くべき医学の飛躍である。これは研修で身に着く技法でもある。患者中心の臨床技法は今のカナダでは当たり前になっている。
「現在はトラウマの時代にあり、その兆候は身体的な愁訴として現れることがある。その時には患者背景を理解し、言語化されたもの以外の手がかりを察知する能力が必要とされる。日本ではまさにこのような医療が必要とされている」という言葉で講演を終えた。
北海道医療大学の石垣靖子氏。「PatientからPersonへの挑戦」。はじめてみたホスピスでは、(患者さんが)ふつうの家で普通の生活をし、ふつうに生きていた。そして、普通に死んでゆく。患者を我慢する人にしない。かけがえのない一人の人間として扱うということを学んだ。医療が先鋭した結果、人間不在の世界をつくりだしてしまった。
ある患者の言葉「透析が私を救い、私を殺す。」先人の言葉「患者のナラティブを理解し損ねると患者の人生を損ねる。」「ナラティブに基づいて患者の全人格をみる」「固有の人生を支える」
「生物医学モデル」から「生活者中心のケアリング・モデル」になることが大切。患者のためにそこにいること。相互交換であり互いに学び合うことである。同じものに向おうとするケアが大切。患者をわかろうとしている医療者の姿勢が大事である。「孤独にしない」「語ることは関係づけることである。」人間は「潜在的な力をもつ存在で」ある。ナースは「傍らにいることを許されたもの」であるという言葉で講演を締めくくった。
COMLの山口育子さん。「患者中心の医療が持つ意義と問題点」総称で語られる患者とはどこにいるのか?時代とともに、患者も医療者も変わってきたことを実感している。故辻本好子氏の療養体験を例に挙げて語った。一人ひとり異なる医療のサポートが「患者中心」である。どちらかだけの努力では実現しない。対立ではなく、協働。受け身から自立を目指す成熟した患者の主体的医療参加を目指す。安全、確かな技術、安心、納得、高い倫理観が求められるが、情報の共有とコミュニケーションで協働する人間関係の創造が必要である。「賢い患者になる」サポートをする試みをしている。
国立医療科学院の松繁卓哉氏。社会学における「患者中心の医療」。「患者」とはどういう存在か?’sick role’という概念をタルコット・パーソンズがかつて提唱した。それは日常義務の免除と医療者の指示に従う義務を負う。最近ではその概念は批判にさらされている。個別性をどのようにしてコントロールできるのか?
患者の認識世界がどのように構成されているのかを探る「解釈型アプローチ」が注目されている。演劇界の平田オリザの言葉「差異の探索」で講演をしめくくった。
会場に入りきれないほど一杯の聴衆であった。学会員の「患者中心の医療」への関心の高さを再認識させられた。(山本和利)