本日は医学部1年生に医学史の講義を行った。
先週の講義中(といっても学生による発表が行われているのだが)に、教室の後ろのほうで私語が目立ち、教官が講義の最中に注意をする一幕があった。その後も、だらだらと私語が続き、せっかく発表の準備をしてくれた班には申しわけない状態であった。
本日は授業の最初に、学生諸君へかなりきつく注意した。
「この講義は、担当学生さんが、2週間も3週間も前から準備をして発表に臨んでいる。みんなに聞いてもらうためにプレゼンテーション技術を磨くなど、相当の努力をしている。その発表を聞くに当たり、はからずも寝てしまうというのは、発表する側の技術の面もあるかもしれないが、他人と関係のない話をするというのは、断じて許されることではない。
そのような学生が医師となった際に、病に苦しみやっとのことで医療の門を叩いて受診してきた患者の心の叫びを、真摯に聞けるとは到底思えない。そんな最低限のマナーも守れない学生には、私が留年というペナルティーを課してもいいが、たとえ、今回はうまくすり抜けたとしても、医師となった際には、必ずや社会からペナルティーが課されるであろう。そうなる前に、私ごときのペナルティーで反省しておくことだ。
今日、先週と同じようなことが起きた場合は、問答無用で退室を命じる。出席票は提出してもしなくても構わない」
いつもの調子とは違う発言に、講義室は静まり返ったが、その後の発表では私語は一切無く、学生どうし議論するところは議論し、大変に締まった講義となった。
本日のテーマは緩和医療で キューブラー・ロスとソンダースであった。
ロスの発表では、
まず、緩和医療とは何かから発表がはじまった。
WHOが2002年に定義し、痛みを和らげるだけではなく心理的な面もケアする。延命治療が目的ではなく、死を自然なものとして考える医療であるとした。
起源は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会が始まりであった。
1967年近代ホスピスが誕生した。その頃に活躍したのがかのキューブラー・ロスである。
1990年日本に概念が上陸した。
ここからが、緩和医療の概念の説明になり、以前はがんに対する積極的な治療が終了したあとの本当の終末期の治療という認識であったが、最近は診断の初期から緩和医療を実施するようになってきているとのことであった。
ここからようやくキューブラーロスについての発表となった。
たくさんの癌末期の患者を看とり死の伝導者と呼ばれ、2004年死去した。
1981年出版された「死ぬ瞬間」は大ベストセラーとなり、死の受容のプロセスが克明に記されている。
1)否認
2)怒り
3)取引
4)うつ
5)受容
であるが、これらを説明するスライドの絵がおもしろい。これまでの班とはちがい、「手書き」の絵を使用している。表情が上記の5つをよく表している。ゴチャゴチャ文字で説明するよりよほど解りやすい。
その後、ロスは、自身の臨死体験などをきっかけに死後の世界のことや神秘的な内容にについても語るようになり、医学的な妥当性などをめぐって多くの同僚や仲間と対立することになる。
ロスは晩年、脳梗塞に罹患し、合併症で亡くなることとなるのだが、その臨終の時は、死へのプロセスの中の「怒り」の段階が激しかったそうだ。
後半の班はソンダースであった。
冒頭はつかみのためのクイズで始まった。
ソンダースの写真を当てるのだが、明らかなボケ選択肢には、カーネルサンダースと阪神タイガースとポケモンのキャラクターが2つ出ていたが、この名前がわからない。これでは、ボケようにもボケられない。このあたりが、ジェネレーションギャップというのか…。
ソンダースは看護師→ソーシャルワーカー→医師として働き、近代的ホスピスの基礎を築いた。「残された時間を有意義に過ごしたい」「苦しまずに死にたい」と考える癌末期の患者のために奮闘した医師である。
それまでは、患者の死=失敗。末期患者=失敗のしるしと考えられており、医師が見放した患者は病院の中でも劣悪な環境の病室に押し込まれていた。末期患者の収容先=病院スラムという言葉があったそうだ。
また、鎮痛薬に対する誤解があり、「毎日投与すると麻薬中毒になってしまう」「使い続けると耐性ができるのではないか」という暗黙の合意があり、末期がん患者は痛みを「我慢」させられていた。
そんな中、ソンダースは「病気を治すだけが医学ではない。医学にはまだなすべきことがある」と考えた。
その当時は、末期ガン患者の痛みに関する研究はほとんどなされていなかったため、自分で研究した。その結果、これまでの麻薬に対する誤解を研究結果を示すことで解き、「痛みを我慢できなくなったら投薬するのではなく、常に痛みを押さえておく」と提唱した。まさに現在の緩和医療の考え方である。
その当時ソンダースの病院を見学に来た看護師は「まだ、末期癌の病室をみていないのですが・・・」と発言したそうだ。それほど、その当時の末期がんの患者とは思えないほどにQOLの上がった患者たちがそこにいたのである。
ソンダースは末期がん患者である2人の男性と恋に落ちるが、どちらも当然であるが死別している。そのひとり、デイヴィッド・タスマは、それまで「自分の人生は無駄だった」としか思えなかったのが、「自分は他の人のためになにができるのか?」と考えるようになり、最期は「僕はね君の家の窓になるよ」と当時家が建つほどの500ポンドを残して死別した。
もう一人のアントーニミ・チュニヴィッチとは、数週間のお付き合いであったが、「数週間といえども人生をいきることができる。人生の意味は長さではない。深さだ」という言葉を残している。
最期に「患者を病としてみるのではなく、病を持つ一人の人間としてみる」医師になりたい。と宣言して発表を終了した。
どちらの班の発表も工夫されており、非常に完成度は高かった。
特に後半の班の発表は、興味の引き方やしゃべり口調などは、アナウンサーのような感じで非常に聞きやすかった。スライドの背景や、強調すべき文言の文字の色など工夫されており、完成度はかなり高いと思われた。
本日も講義終了後には、発表した自分たちの班へのフィードバックを見に来る学生が現れ、その後1時間ほど、今後の課題などを話し合った。
医学史の講義はあと2回で終了だが、学生諸君にはこの半年間で学んだ技術をぜひ今後に活かして欲しいものである。
(助教 松浦武志)