札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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2011年5月19日木曜日

1年生 医学史 講義 その2

医学部1年生に医学史の講義をした。
といっても、先週のブログにも書いたとおり、学生がプレゼンテーションし、学生がファシリテーションする授業である。

今日は、ガレノスとベサリウスであった。

ガレノスとはヒポクラテスの跡を継いだ医学者で、その後1500年にも渡り、「医学とはガレノスのことをいう」とまで言われた医学者である。当時としては画期的な手術(白内障の手術)を行ったり、膨大な医学知識を書物としてまとめ、後世に残したりと、その功績は輝かしいものがある。

しかし、そのわりにあまり現代に名が知られることとならなかったのには、彼の功罪の罪の部分が大きかったためであろう。

自分以外の学説を認めなかったことや、当時の神学の影響を無視できなかったことなどから(今となっては)間違いの記述も多かった事などがあるようだ。しかもそれを体系的な書物としてまとめたために、彼の学説を否定する医学者が現れなかったようだ。解剖学なども、「人体はガレノスの言うとおりのはずである」とされ、ガレノスの記述と違う人体構造が見られたときは、「ガレノスの記述のあと、人体が変化したのだ」と認識されていたようだ。そのため、のちにベサリウスが出現する1500年もの間の医学の進歩を妨げた一面もあるようだ。

それにしても、1500年間も自らの学説が覆らなかったとは、、、すごいとしかいいようがない。我々が常日頃勉強しているEBMの世界では5年間に半分のEvidenceは嘘になるとさえ言われているのに、、、、1500年ですか。。。。


プレゼンテーションとしては、プレゼンターが積極的に学生に意見を求めたりする場面もあり、発表に変化をつけようという工夫が随所に見られた。

その反面、どの班にも言えることだが、発表や調べ物を班員5人でそれぞれに分担すると、どうしても統一感やストーリー(物語・構想)の一貫性にかける面があるようだ。

ただ、その分、班員全員のプレゼンテーションを見ることができ、それぞれの工夫の跡を伺うことができるのでその点ではメリットもあろうか?どの人も、なんとか原稿を読まないで発表しようという工夫の跡は見られていた。


後半の班は、ガレノスのあと1500年を経て登場したベサリウスの発表であった。松浦はこの班の指導をしたのであるが、正直、彼らが調べてくるまでは「ベサリウスって誰?」状態であった。

それまで、解剖に関しては、高貴な医学部の教授が実際に手を下して行うものではなく、ガレノスの記した書物を読み、そのとおりであることを確認するために身分の低い床屋に刃物で人体を切り刻ませていたようだ。そんな中、幼少の頃から動物を解剖して育ったベサリウスが、自ら執刀して解剖を行い、そのままを記載して書物を記したとされる。ベサリウスの解剖学書である「ファブリカ」の中には、中央にベサリウスが執刀する絵が描かれている。

ベサリウスの記した解剖学書は、非常に芸術的で細部にわたり人体のそのままを記載していったとのことだ。それまではいい加減に俗説が信じこまれていた脳に関しても詳細な記載があることにはただただ驚く。

その影には、圧倒的な努力の跡が伺える。当時はまだ防腐剤が発達しておらず、解剖する遺体はみるみるうちに腐敗するため、短時間で詳細な記録を残さねばならない。また、解剖の機会を「奪ってでもする」ために郊外の処刑台から死体を盗んだり、土葬された墓を荒らして人骨を奪ったり、時には野犬に襲われながらも死体の回収をしたりしていたようだ。

こうしたベサリウスの功績から自分たちが学ぶこととして、翌年に控えた解剖学実習に向けて、教科書を読むだけでなく、目の前のご遺体の真実に目を向けて勉強しようという意気込みを宣言して発表は終了した。


この班は、5人で発表ではなく、2人に絞って発表を行っていた。2人に絞ったおかげで発表に統一感が出て、非常に分かりやすいものとなっていた。スライド内の挿絵の質も素晴らしく、ガレノスとベサリウスの違いが一目瞭然であった。惜しむらくはもう少しベサリウスの凄いところを大げさに強調したりして抑揚をつけても良かったかもしれない。

しかし、最後の、今後の解剖学実習へ向けての意気込みの宣言は、彼らのやる気を感じることができた。こうした次へのステップに繋がる勉強というのは非常に効率のよい勉強方法であろう。ぜひいろいろな場面で利用していきたいものである。


ファシリテーションは、15分と時間が短いこともあり、当初紹介した「バズセッション」以外の工夫の余地が無いという感じであったが、「何か質問ありますかぁ?」と突然聞いてもなかなか反応が乏しいのと同じように「何か周りで話しあってください」と突然言っても、何を話しあえばいいかわからない場合も多々あるであろう。ファシリテーションをする班は、当日の発表を聞いて、「〇〇についてどう思うか班としての意見をまとめてみてください」などのある一定の方向づけをしてもいいかもしれないとアドバイスしてみた。

良いファシリテーションは経験からしか学べない。彼らが授業を通して経験を積んでいく過程で、より良い知恵ややり方を小出しに小出しにしていくことのほうがより学習効果は高いと思う。

この講義はあと半年続くが、その間に松浦があっと驚くような見事なファシリテーションをしてくれる班が出現することを期待したい。

                          (助教 松浦武志)