『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』(ルース・シュウォーツ・コーワン著、法政大学出版、2010年)を読んでみた。27年前に書かれた家事労働に関する学術書である。昨年、翻訳された。
家事労働と市場労働の違い
1.不払い労働である
2.孤立した労働環境である
3.専門化されていない労働者である
家事労働と市場労働の類似点
1.電気や燃料などの動力・エネルギーに頼る
2.社会的経済的ネットワークに依存する
3.労働を可能にする道具類を自分自身で修理できない
「テクノロジーシステムが導入されても、家事労働は軽減していない」というのが本書の要旨である。
かつては、生業と家族生活の労働は、男・女・子どもで分担されていた。それが19世紀以来の工業化によって、衣食住の資材は自給するのではなく、外部から供給され購入されるようになった。それによって、男と子どもで分担していたチョア(日常の辛い仕事:革細工、家畜屠冊、燃料集め等)はなくなったのに、主婦のチョアだけが家庭に残った。家畜を使った運搬は男の仕事であったのに、車が普及してからそれが女性の仕事にされてしまい、女の負担が増えたという洞察は興味深い。女のチョアが軽減していないということについて各時代の資料を紐解いて、丁寧に解説をしている。
今後、数世代たっても家事労働はなくならないであろうし、働く妻や母が生活しやすいようにテクノロジーシステムが変化することはないだろうと著者は推察している。
著者の家事労働に対する意味づけは次のようである。
今日の主婦はこれまでのパンや布、衣服などとは異なった大変重要なものを生産している。それは健康な人々やコミュニティの経済に欠かせない必要な人々を生産していることである。これが現代の家事の意味であり価値である。
全く同感である。テクノロジーの発達によってチョアから解放された男として生まれたが、家事として残されたチョアを少しでも分担しようと本書を読んで決意をした次第である。「どうせ三日坊主であろう」と当てにしていない妻の顔が目に浮かぶが・・・。(山本和利)