『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボツニア紛争』(高木徹著、講談社、2002年)を読んでみた。
著者はNHKのディレクター。本書は第1回新潮ドキュメンタリ賞、第24回講談社ノンフィクション賞を受賞している。
多民族国家であるユーゴスラビアはチトーの死によって崩壊した。その後、分裂し、ミロシェビッチ率いるセルビア人とそこからの脱却を図る各民族との紛争が始まった。スロベニアとクロワチアは少数のよそ者を追いだして独立が完結したが、ボスニア・ヘルツェゴビナはそうはいかなかった。モスリムを中心に独立を決めてしまったが、セルビア人は反発した。
本書は、戦争について情報戦が重要であることを、ボツニア紛争を通じて強調している。
政府に代わってPR(public relations)をする仕事があるという。「ボスニア・ヘルツェゴビナの窮状を世界に訴え、セルビア人の野蛮な行為を世界に知らせる」仕事を請け負ったのがルーダー・フィン社のジム・ハーフである。まず「ボスニアファックス通信」を大手メディアに送った。そして大手記者の外相への単独インタービュを企画した。外相をニュースショウに出演させ、彼の本性を隠すようにコーチをして「過去を語るのを止め、現在に何が起こっているか」を語らせ、悲劇の主人公の憂いを印象付けた。このような小さな努力を積み重ねた。しかしながら、これだけでは忘れ去られてしまう。
そこでキャッチコピーを作った。「ホロコースト」にしようとしたが、米国のユダヤ人が不快を示した。そこで「民族浄化(ethnic cleansing)」という言葉にした。これがボスニア紛争の勝利の行方を左右した。これを広めるため、あらゆる論説委員会議に出席した。その結果、1992年7月、米国の有力雑誌のこの言葉が頻繁に使われるようになった。その後も、米国大統領に接近している。
一方、ミロシェビッチ率いるセルビアもPR活動をしている。しかしながら、「鉄条網ごしの痩せた男」の映像を用いて、モスリムが「強制収容所」に入れられているというナチスを連想させるストーリーが新聞に掲載されるようになり、セルビアはそれになぞられて追及されてとうとう逆襲はならなかった。そして、民間PR会社との契約も破棄してしまった。「強制収容所」は存在しないと説く中立的な米国軍人の発言もジム・ハーフが葬り去ってしまう。その後、和平合意が成立するが、すでにこの時点でPR戦争の勝敗は決していたのである。実は「強制収容所」があったのかどうか今も定かではない。情報戦に力を注いだボスニア・ヘルツェゴビナの勝利である。
著者は、日本の外交当局のPRセンスは極めて低いレベルにあると評価している。これは構造的な問題で、日本では大学を卒業してすぐ外務省に入り、外に出て経験を積むことはなく、一生その中で生きてゆく外交官が大半だからである。日本の国際的地位が低下するのは目に見えている。
本書を読むと、情報PRの重要性と不祥事発生時の危機管理の備えの必要性を痛感する。(山本和利)