本日はクリスマス。
『教養としての世界宗教事件史』(島田裕巳著、河出書房新社、2010年)を読んでみた。
各章からの抜粋。
人類はいつ宗教をもったのか?人類は宗教的な存在として出発したのではなく、広範囲に及ぶ社会や国家の集合体を統合することが必要になった段階で、次第に宗教性を深めていったのだろう。
ピラミッド建設が奴隷労働によるものではないという考古学上の発見が2010年になされた。
一神教だけで世界の宗教人口のおよそ半分を占めているが、ゾロアスター教が後世に多大な影響を与えている。ゾロアスター教は「善悪二元説」である。この二元論はマニ教に受け継がれる。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教である。宗教が抱える絶対的矛盾は、絶対の善である神が創造した世界になぜ悪が蔓延るのかという点である。一神教か多神教かの違いより、根本に悪を認める二元論か認めない一元論かの違いのほうが重要な意味を持つ。
形にして描かれた神は、描き出されたその瞬間に絶対的な神聖性を失う。三つの一神教の中で、偶像崇拝の禁止が最もゆるいのがキリスト教である。聖なる世界と俗なる世界を区別し二つの世界の異質性を強調する(俗なる世界の価値を否定)。「出家」という行為に価値が与えられた。
なぜ開祖は自らの著作を残さないのか?仏典はインドにもとになるものがなく、すべてが偽経であり、中国、朝鮮、日本で膨大な仏典が作られた。そのどれを基盤にして教えを組み立ててゆくかで、「宗派」というものが生み出された。仏教は、膨大な数の仏典が作りあげた巨大な教えの宇宙を意味している。そその仏教の自由さがある。
アウグスティヌスの回心体験の重要性は、キリスト教に改宗することが、淫蕩な生活から離れることを意味するようになった。堕落した存在がその事実を受け入れ善に立ち返るならば世界は救われる(善悪二元論に対する一元論の勝利)。
このような内容が10ページの長さでまとめられている。「モンゴルの世界征服が原理主義を生む」、「ルターの意義申し立てが資本主義を生む」・・・「イランのイスラム革命が世界を変える」等、興味深いタイトルが並んでいる。
多くの日本人にとって、クリスマスは家族や仲間とケーキやアルコールを摂る日なのかもしれないが、宗教についてふと考える瞬間くらいあってもいいのではないだろうか。(山本和利)