『「患者中心の医療」という言説』(松繁卓也著:立教大学出版会 2010年)を読んでみた。関西地方に勤務している当教室員の東一先生から勧められた本である。タイトルがミッシェル・フーコーを思い起こさせるが、社会学者が自分の学位論文等に加筆修正したものである。
これまで多くの医療社会学者の医療に対する目(Freidsonの専門職支配論等)は、厳しい批判が中心であったが、ここでは中立的な立場で語られている。
患者中心の医療と言いながら、患者が「不在」であることが問題であると指摘している。つまり、「患者中心の医療」を作ろう、と患者ではなく医療者が集まって協議・実践している点である。そのため患者の占める立ち位置が希薄であることを問題視している。Evidence-based medicine(EBM)でいうところの「患者中心の医療」では基本的に医学上の「エビデンス」を双方が共有することが意思決定の主眼点になっているが、これは患者・医師双方がそれぞれ異質の判断基準を持ち寄るpatient partnershipとは対照的なアプローチであるとも言及している。EBMの中に患者の思い(illness)を組み込んでいるといわれても、不十分感がぬぐい去れないのはこんなところに問題があるからかもしれない。
真に「患者中心の医療」であるためには、医師のよく用いるchronic diseaseという用語ではなく、患者が好むlong term conditionというような「慢性疾患とともに生きることの複合的問題」という視座で捉えることと患者のself efficacy(自己効力感)を重視することの2点を強調している。
私自身これまで「患者中心の医療」という用語を多用してきたが、例に洩れず医師主導の「患者中心の医療」であって、患者が積極的に関わり患者の自主性を尊重する視座に欠けていたと反省している。
またPBLやOSCEなど、最近の医学教育のトレンドについても言及されており、その傾向を歓迎しながらも、より深い意味で(医師主体で問題解決が図られてゆくことによって患者の主体性がなくなってゆくこと)危惧を表明している。
医療関係者以外の鋭い指摘に、新鮮な驚きを感じ、これまでの自分を振り返る契機を与えてくれた本であった。(山本和利)