札幌医科大学 地域医療総合医学講座

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地域医療総合医学講座のブログです。 「地域こそが最先端!!」をキーワードに北海道の地域医療と医学教育を柱に日々取り組んでいます。

2010年9月8日水曜日

兵庫医科大学講義「医療と社会」

 9月6,7日、兵庫医科大学医学部5年生を対象に「医療と社会」という講義を行った。
早朝便で神戸空港に到着。関西は札幌よりも暑い(35℃)。今回は1コマ75分授業を2日間でまとめて5回行うハードスケジュールである。ハーバード大学のマイケル・サンデル哲学教授が『正義』について学生と対話型の『授業をすすめて話題になっている(東京大学でも講義をし、NHKでTV放送される)。そんなこともあって今まで以上に学生との対話を重視して授業を進めた。

導入はアジアで作られたドキュメンタリ映画の一場面から入った。「洗濯ばさみを瞼に挟んでいる二人の少女の写真」「家の前に山のような堆積物の前に立つ少年」等。写真を提示して、学生に問いかけた。その後、「井戸を掘る医者」中村哲先生の言葉を紹介した。「人生思うようにはならない」、大切なことは「人間として心意気」、必要とされていることをする「何かの巡り合わせ」でする。映画「ダーウィンの悪夢」を例にして、それぞれが最善を目指した結果、「ミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する。」「個々にとってよいことの総和は、全体にとって悲惨にある。」と結論づけ、地域医療にも当てはまるのではないか?と学生に問いを投げかけた。次に、「世界がもし100人の村だったら」(If the world were a village of 100 people)という本を紹介した。ほとんどの学生は読んでいない。

 ここから、医療の話。1961年 に White KLによって行われた「 1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査」を紹介した。日本も北米も大学で治療を受けるのは1000名中1名である。次に、「医療とは」何かを知ってもらうため、ウィリアム・オスラーの言葉を引用した。「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。医師は特定の技能をもつ者として権力から守られるという特権が与えられている。一方で公共に尽くすという使命があるということを強調した。
2コマ、3コマ目で、私自身の静岡県佐久間町の地域医療活動を紹介。その後、オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』に収録されている、診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」、しかし、庭で偶然みた姿は「チェーホフの桜の園にでてくる乙女・詩人」という内容を紹介した。次にAntonovskyの提唱する健康生成論(サルトジェネシス)を紹介。病気になりやすさではなく、逆に健康の源に注目。健康維持にはコヒアレンス感が重要らしい。

医学教育における視点の変化(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)を紹介。
研修医、総合医には、持ち込まれた問題に素早く対応できるAbility(即戦力)よりも、自分がまだ知らないも事項についても解決法を見出す力Capability(潜在能力)が重要であることを強調した。N Engl J Med の編集者Groopman Jの著書 “How doctors think” (Houghton Mifflin) 2007を紹介。60歳代の男性である著者が右手関節痛で専門医を4軒受診した顛末が語られている。結論は“You see what you want to see.”(医師は自分の見たいものしか見ていない)。

ここで医学を離れて、考古学の世界「神々の捏造」という本を紹介。次に「狂牛病」の経緯を紹介。1985年4月、一頭の牛が異常行動を起こす。レンダリング(産物は肉骨粉)がオイルショックで工程の簡略化により発症を増やしたと考えられる。1990年代に英国で平均23.5歳という若年型症例が次々と報告。社会のちょっとした対応の変化が医療に影響する。

次に農業の話。Rowan Jacobsen「ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)」を紹介。2007年春までに北半球から四分の一のハチが消えた。何が原因か科学的に検証してゆくが、その結末は?
授業の後半は、ナラティブの話。6つのNarrative要素:Six “C”を紹介。
はじめてぶっ続けで3コマの授業をしたが、声が嗄れ、腰が痛くなった。

今回の授業は北海道大学で2年生に行った授業とほぼ同じである。詳細については、2010年5月10日、5月24日の本HPに記載したので、興味のある方は是非そちらを参照していただきたい。(山本和利)