國井修氏や岩田健太郎氏の推薦メールに触発されて読んでみた。それは『権力の病理』(ポール・ファーマー著、みすず書房、2012年)である。著者は、発展途上国での医療提供活動を展開する著名な医師・医療人類学者である。
著者はハイチで実地医療に携わっている。そのハイチの農村からみると、暴力も病気も権力の病理として現れている、という。医療における社会的不平等が深刻化している。
多剤耐性結核菌に罹患したロシア囚人。10人1名が活動性結核に罹患している。囚人に関する予算を90%削減するという政策のもとで、大勢の微罪で入所した若者が結核で命を落としている。
体制批判をして拷問死する若者。開発という名の下に、地域破壊が進み、貧困の中でHIVに罹患し死亡する女性。エイズと政治的暴力が構造化されている。
医療倫理についても問いかける。梅毒に罹患したアフリカ系アメリカ人を無治療で自然経過を観察したタスキーギ報告。ウガンダでHIV陽性患者の配偶者について、配偶者が罹患していることを教えずにHIV陰性から抗体陽性になる自然経過を30ヶ月追跡し、ウイルス量がHIV異性間感染の危険因子であると報告。
なぜこんなことが起こるのか。それは、共感することは容易ではないこと、別世界の出来事として距離を置きたいという心理、犠牲者が無名であること、等が要因と著者は推測している。
これは貧しく虐げられた人々に代わって著者が書いた告発書である。競争主導型市場モデルが医療の社会的不平等を深刻化させていると。また研究のあり方にも疑問を投げかけている。ありふれた日常の悲惨さに目をつむり欧米と異なる文化にだけ注目する人類学研究、貧困者への予防・治療予算が削減される根拠となる費用効果性を追求した研究。これは権力側についた学者の病理である。
著者の悲しみと怒りが静かに伝わってくる。(山本和利)