核物理学者である武谷三男は、放射線の許容量につき、日本学術会議のシンポジウムの席上で、次のような概念を提出した。「放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、〝どこまで有害さをがまんするかの量〟が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。」と。この考えは放射線に関して提唱されたものだが、それ以外の場にも有効な考え方である。このように説明すると無暗にCT撮影を希望する患者さんを、撮らないで経過観察する方針に移行できることが多い。
可能性は少ないとはいえ、一度起こるとものすごい被害をもたらす原発事故についてはどう考えればよいのだろうか。1986年4月25日、チェルノブイリ(「ニガヨモギの草」の意)4号炉が猛烈な水素爆発を起こした。事故の原因は、人的エラーと不完全な技術にあると結論付けられた。このとき、25名が死亡している。事故後の処理にロボットが使えなかった。そこで、兵士に選択させた。戦地のアフガニスタンで2年間過ごすか、ガンマ線が飛び交う三号炉の屋上で2分間身をさらすか。(私なら後者を選びそうだ)。
チェルノブイリの原子炉から250キロメートル圏内では、2000を超える街や村が消えたそうだ。