5月17日 医学史2回目
本日の医学史講義はガレノスとベサリウスであった
ガレノスはギリシャ医学以後、1500年もの間医学の権威で在り続けた人物である
その評価には二面性がある。
その二面性をしっかりと調べて発表していた。
発表の工夫として、今回の班は動画を取り入れていたところが新鮮である。
動画を効果的に利用するにはそれなりの工夫がいる。
まず、人間の動画に対する興味は1-2分しか持たない。
そのため、ピンポイントで訴えかけるドンピシャの動画が必要である。
音楽で言うなら、誰もが知っているサビの部分を使わなければならない。
前奏が長すぎては飽きてしまうし、サビが短すぎては何の曲だかわからなくなる。
この班はこの難問をクリアして、まさにドンピシャの画像を使用していた。
こうした発表の細かなテクニックについては授業では教えていないが、
いろいろな班の発表を見て、よりより発表のために工夫してくるのだろう。
こうした、学習者自らの「気づき」を促すことこそが、教育の本質だろう。
何でもかんでも授業で教え与えればいいというものではない。
後半の発表のベサリウスの班は、
それまでガレノスの権威にすがっていた医学界に
目の前の「事実」を追求することで、間違いをただしていく過程を
順を追って説明していた。
特にベサリウスの功績である、「ファブリカ」という解剖学書については、
詳細に発表していた。
今回の2つの班に共通するのは、
「何を一番伝えたいか?」ということに関しては、
それなりに訴える力があったが、
それ以外のところについては、もう少し工夫の余地があってもいいかもしれない。
たとえば、今回の班は班員全員で発表を分担していた。
分担することのメリットとして、「全員平等」という点があるが、
逆に発表の一貫性が損なわれるというデメリットがある。
今回はデメリットのほうがやや目立った感じが否めない。
全員で分担して取り組みつつも、
作品としての一貫性を持たせるにはどうしたらいいか?
それには、
ファシリテーターの存在が欠かせない。
どの班員にも、現在のプロジェクトの進捗状況や問題点などを周知しながら
全体の課題をこなしていく力量が問われる。
どの範囲を分担していても、全員それぞれが全体像を把握している必要がある。
現在の日本の小・中・高等学校の教育では、
こうしたファシリテーターを進んで買って出たくなるような教育が
一般的に行われているとは言い難い。
そういう教育制度を終えたばかりの1年生諸君にとっては、
今回のような「たった5人」の班のファシリテートにも躊躇してしまうのだろう。
こうした授業・発表を通して、
肌でファシリテートの技術を学んでいってほしい。
必ず必要になる技術なのだから。
(助教 松浦武志)
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