4月28日、手稲家庭医療クリニックの小嶋一先生の講義を拝聴した。講義のタイトルは「北海道における家庭医療の実践」である。自分自身のことを話すことを通じて「家庭医療」を伝えたい。
まず、自己紹介をされた。東京生まれ。41歳。トライアスロンにはまっている。居酒屋で酔っ払いに囲まれて育った。これまでの道のりを具体的に話された。九州大学卒。研究者を目指したがロールモデルに出会えなかった。米国の医学教育に興味を持ち、学生時代2ヶ月間米国に勉強に行った。沖縄中部病院で研修。実力をつけるため、初期研修は野戦病院のようなところで沢山の患者を診た。急性疾患に偏った研修。この間の担当患者350名。救急患者900名。卒後3年目の離島経験。1500名の島で看護婦と二人。840名を診察。風邪、心肺停止、外傷、精神疾患等。大事にされて居心地がよかった。救急車がない。酸素ボンベの酸素はすぐなくなる。目の前に日本の縮図が見えた。「地域」を始めてみた。日本には外来教育がない。家庭医になって、「何でも屋」であること、「継続性」が重要、「へき地医療に関わる医師のキャリアプラン支援」が必要、「家庭医養成の重要性」に気づいた。米国Family medicine residency:2003年、先輩が道筋をつけてくれて米国へ行くことになった。5年間研修した。外来での研修が中心。1年目で150名、2年目は1500名。小児検診、皮膚科、風邪、妊婦健診、成人検診、婦人科検診が多かった。いろいろな患者が来る。薬物中毒、避妊相談。肥満、禁煙指導。開業を前提とした教育。目の前にロールモデルがいる。独り立ちするための移行システム。
地域医療・臨床研修の日本の課題に言及。大病院、病棟中心、研修を受けている地域を知らない。地域に当たり前に家庭医がいる社会を作ろう!
Faculty
developmentを学んだ。公衆衛生修士として「地域の健康という視点」で、「公衆衛生の方法論」を用いて、「家庭医療の位置づけ」をしっかりとして、「医療・福祉・介護の連携」を模索したい。
クリニックで診ているある日の外来患者を紹介。
家庭医・家庭医療とは
- 幅広く診療する・人生の始まりは母親が「妊娠を考えた瞬間」:葉酸摂取、妊婦健診、体重管理・人生の終わりは「患者の死」とは限らない:grief careの大切さ・診療科・臓器にとらわれない診療・セッティングに応じたギアの切り替え
- 攻める医療・medical ecologyのどこを診るのが家庭医か・予防医療とヘルスメインテナンス(予防接種、ヘルメットの着用、禁煙指導)・「病院に来なければ始まらない」とは言わない
- アクセスの良さ(朝、土曜の診察、等)
- 複雑な状況に対応+多職種連携
- 現場に応じて変幻自在・足りないものを埋める・地域への根のおろし方・困っているところへ人を出す札幌は診療所が少ない。医師一人で4500名を診ることになる。19床の有床クリニック(ホスピス・ケア)で、年間135名の看とりをしている。看取りの際にモニターは付けない。入院してから食事を摂るようになる患者も多い。明るい雰囲気である。内科、小児科、産婦人科を標榜し、家庭医養成と地域づくり。在宅療養支援診療所でもある。医療連携、健康な地域づくり。親子三代で受診する家族もいる。地域医療への貢献も目指す。ここで手稲家庭医療クリニックのある日の外来を紹介。すい臓がん末期、不安障害、妊婦健診(DVのリスクが高い)、4か月小児の予防接種(相談の切っ掛けになる)、11歳児の発熱・咳(喘息の管理・禁煙指導)、喘息の聾唖者(配偶者の死の悲しみ、知らない世界、コミュニケ―ションの難しさ)。「患者が望むこと」はいつもシンプルである。すなわち原因の追及、体調を治してほしい、等。風邪の患者さんを風邪の診療だけで終わらせない。「二歩先を読み、一歩先を照らす」患者さんを助けたい。仕事に誇りを持ちたい。成長し続けたい。ロールモデルやメンター(自分を理解、先を進んでいる、成長を助ける、尊敬に値する)に出会うことが大切。最後にエールを送られた。できることを地域に尽くしてほしい。継続性が大事である。ビジョンが大事。自分のすることを愛してください。「置かれた場所で咲きなさい」世界は変えられなくても自分は変われる。クリニックのミッションは「ひとりひとりの生き方を尊重し、地域の力をあわせ、温かみのある医療とケアを提供する。」である。(山本和利)