『あしたが消える』(平形則安、溝上潔、里中哲夫制作:日本 1989年)という映画を観た。
副題は「どうして原発?」で、ビデオテープからおこしたデジタルリマスター版である。
チェルノブイリ原発事故の3年後に制作し、あまり上映される機会がないままお蔵入りしていたものを、本年3月11日の東日本大震災による福島第一原発事故をきっかけに再上映が決まった作品である。
原発建設労働者であった父親を骨癌でなくした娘さんから新聞投書があり、それをヒントに企画を立て、彼女に交渉の末、その家族を中心にドキュメンタリー取材を行っている。
その中で印象的であったことは、労災認定に関わった医師が慢性放射線皮膚炎と診断しても、科学技術庁長官や学会の権威の力で押しつぶされて裁判で負けてしまうこと。
原発設計者が「機械は崩れる。原発も例外ではない」と発言し、告発をしているが、問題にされなかったこと。
最大の驚きは、22年前に作られた本作品が福島原発事故を予測した映画になっているという点である。すなわち、チェルノブイリ原発の立地点に福島原発を重ね合わせているのである。そして日本地図をその上にかぶせるとチェルノブイリ原発事故汚染地区といわれる範囲がすっぽり日本全土を覆ってしまうことが示される。たくさん日本にある原発の中でなぜ「福島原発」なのか。単なる巡り合わせ・偶然なのか。
私たち庶民が政治家や官僚を信じて平凡に生きようとしても、明日を消されてしまう時代に突入したのかもしれない。「消されない」ために私たちは何をしたらよいのだろうか。(山本和利)