ある日の夕刻、携帯電話を落とした。その日の朝も、教室内に置き忘れていたのに家に電話して探してもらったり、自分の部屋をあちこち探したりと大騒ぎをしたばかりである。日中いくつかの会議に出席し、飛行機に間に合うために慌ててタクシーで駅に向かった。タクシーを降りてポケットを探ってはじめて紛失に気付いた。実は札幌に赴任直後、財布を三度落としている。映画館、列車内であったが不思議と誰かが届けてくれた。とはいえその後、妻のアイデアで小さな肩掛バッグを購入してからは、財布を落とすことがなくなった。しかしながら携帯電話はそのバッグに入れないでズボンのポケットに入れて持ち歩いているためか、よく落とす。今回は結局、タクシー会社が届けてくれた。出張先に見つかったと連絡が届くまでの間、大変不安であったし、電話をかけてくともすぐかけられず不便この上なかった。
何かを失くしてはじめてそのことの大切さ・便利さに気付くことがある。ソケイヘルニアになってはじめて普通に歩けることの大切さを知った。
大学病院は研修医が来なくなってその大切さを知った。地域は医師が来なくなってその大切さを知った。いつも傍にあるとその大切さに気付かない。健康に気遣った夕食を家族のために作ってくれる妻。大学での診療や教室の運営に陰で支えてくれる教室員や秘書。
何かを失う前に、その大切さを思いやる感性を磨かなければならない。落し物をした日の出張先でそんなことを考えた。
(山本和利)